第11話 星を繋げば
オレンジとハーブの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、マロウは星空を見上げ続ける。
「美しいだろう? 昔からここに来て一人で星を眺めるのが好きだった。星空はまるで魔法陣のようだと思うんだ。遠くの空間に何百、何千もの世界があるのかと考えると、世界が実に広大で僕たちの住んでいる国があまりにも小さいのだと思うよ」
魔法陣のよう、というのはよく分からないがこの星空の美しさはマロウも理解できた。
「そんな大事なところにマロウが来て良かったんですか?」
「良いんだ。そも、兄上に見せないのは兄上が星を見ても退屈ですぐに寝てしまうからで、特別な理由があるわけじゃない」
納得してからマロウは星も少しずつ色を移ろえていることに気づいた。
「色んな星がありますね」
「あぁ、大きな星もあれば小さな星もある。あの一等輝いている赤い星はアンタレスと呼ぶらしい。さそり座を象徴する星だ」
ふと、アルセルドは赤い星なのだと思った。強く強く輝き生命力に溢れている。皆を、マロウを照らす一等星。その輝きのなんと大きなことだろう。
一目でわかるくらいアンタレスは存在感があった。さそり座を象徴する星という説明にも頷ける。
「名前がある星もあるが、実際は明確な名前のない星の方が多い。あの星なんかはそうだよ」
彼が指さしたのはちっぽけな星だった。輝きも弱弱しく、今消えても誰も気づかないだろう。
「……まるで、マロウですね。小さくて名前がなくて」
沈んだ声を出せば、アルセルドはなにを言うとマロウの弱音を一蹴した。
「君は知らなかったのかもしれないが、あの星はさそり座のしっぽの先の星だ。さそり座を構成する一つで代替なんてできない。それもしっぽの先の部分。この意味が分かるかい? さそりという存在を足らしめる大事な星だ。どれだけ小さくても名前がなくても、あの星がなければさそり座にはなり得なかったんだよ」
「あの星も、さそり座……」
「そうだ。この世に不必要なものもないし、優劣をつける必要もない。全てが大切だから生まれてきたんだ」
唐突に腑に落ちてしまった。アルセルドが魔法陣を描く時、小さな模様も大切にする理由。短縮詠唱をしようとしたマロウにあんなに怒った理由。
そして、星空を魔法陣にたとえた理由。
今ならマロウにも見える気がした。二十一個の星を余すことなく繋ぎ円環を成すさそり座の姿が。
「あの星は、アンタレスと繋がってさそり座になるために生まれてきたんですね」
「そうだとも。人々は南に浮かぶさそり座を見て季節を感じた」
ハーブティーを飲み干したカップを置き。手を何度も引っ込めその度またそろりと勇気を出して、アルセルドの服を摘まんだ。
「あの、マロウと手を繋いでくださいませんか」
「君は時たま凄く遠慮するが、僕にはそれが不思議で堪らないよ」
臆面もなく繋がれる。二人で身を寄せ合いながら、いつまでもこの時間が続くことを願わずにはいられなかった。
◇◇◇
翌日。
朝食に牛乳がたっぷり使われふわふわのスクランブルエッグを堪能したマロウはお暇する準備をしていた。手首には、今朝侍女の方に結んでもらったリボンが揺れている。
鞄を抱えたマロウは、レイからクッキーが詰め込まれたかごを受け取った。
それから隣に立つアルセルドを見上げる。
「あの、本当によろしいのですか? 我が家に近い駅まで送ってくれるなんて……」
「君が無事辿り着かなければメアリージュン・フェリシーになにをされるかわからない。これは必要なことなんだよ」
申し訳なく思うと同時に嬉しさも感じていると、腰に手を差し込まれポーンと軽々持ち上げられた。犯人は言わずもがなレイで、名残惜しそうに眉尻を下げている。
「またいつでも来て良いからね、マロウさん」
「た、高い……っ。分かりました、すぐにでもまた来ますので、降ろしてください!」
地に足がつかない宙ぶらりんの感覚は初めてで目をつぶって怖さを逃がす。
楽しそうなレイの鼻歌に涙目になっていると、第三者の手がマロウの体を奪い地面に降ろしてくれた。
目を開ければ真っ暗で、一瞬動揺したが石鹸の香りにこれはアルセルドのローブだと理解する。
「兄上、マロウ・フェリシーの嫌なことをするのはやめてくれ」
「……おっと、これはすまない。許してくれるかな? マロウさん」
「はい、勿論です。マロウは怒っていませんでしたし、なんというかその、風になれましたし!」
レイが破顔した。マロウのいじらしさに胸を打たれたとも言う。
「そうかぁ……」
「はい! お、驚いてしまっただけで、二回目なら多分華麗に空を泳いでみせます――」
「二度目はないよ。マロウ・フェリシー、危機感の欠如は由々しき問題だ。僕は常々、君には自己卑下が目立つと思っていたが、ちゃんと断らないと駄目だ」
熱心に否定される。
マロウの心を慮ってくれる彼にほわと胸が温かくなった。
手首に結ばれたリボンを撫でようとしたところではたと気づく。
黄色いリボンがなく、手首は空になっていた。
「どこかで落としてしまったみたいです……」
涙ぐめば、アルセルドが苦笑した。
携帯している手のひらサイズの紙にサラサラと魔法陣を描く。
「絶望するのはまだ早い。僕たちは失せ物探しの魔法が使えるだろう」
「……あ」
初級探知魔法。
マロウは嬉しくて手を挙げた。
「それでしたらマロウも使えますよ!」
魔法陣を使おうとしているアルセルドを制し、詠唱を始める。
「【|セニュール,ギデ・モワ《主よ、導け》】」
胸元でマロウの魔法陣が浮き出て黄色の光を帯び、真っ直ぐな線のような光が屋敷へと伸びていった。
アルセルドたちを引き連れてマロウはその光を辿る。
玄関を越え、食堂を抜けたところでマロウに貸し与えられた部屋の前で光は集中していた。
光を一身に集めていた黄色いリボンを拾う。
部屋から出てすぐに落としたのだと申し訳なく思う。せっかくアルセルドに贈ってもらったのだ。
今度は失くさないよう大事にしよう。きゅ、と胸の前で抱える。
アルセルドたちに迷惑をかけたことを謝らなければと振り返れば、レイや使用人はいれど目当ての人物は忽然と姿を消していた。
「あれ、アルセルドさんはどこへ……?」
一体いつからいなくなったのだろう? きょろきょろと見回してから、縋るようにレイに顔を向ける。
アルセルドの兄は困った顔をしていた。
「どこに行ったか、分かりますか?」
「うーん、なんとなく想像はできるけど追いかけようと思っているならおすすめはしないよ」
言いたいことが分からず困惑した。
「ほらよく言うでしょう? 猫は死期を悟ると飼い主の前から姿を消すって。人間だってそうだ、見栄を張りたいんだよ。生き物はすべからくしてそうだ」
理解した? 暗に問われ体が震えた。硬直したようにその場から動けない。
猫は死期を悟ると姿を消す? それがアルセルドと同じ?
「私が代わりに約束の場所までマロウさんを連れて行くから、ね」
それには無言を返す。
追いかけない方が本当に良い答えかなんて、マロウには判断できない。
俯けば、アルセルドが落としていったであろう探知魔法の魔法陣が描かれた紙が落ちていた。
拾い、ローブの内側のポケットにしまう。
マロウには判断できない。――だったら、アルセルドに判断してもらえば良いのだ。
「マロウはやっぱり追いかけたいです、なので追いかけます!」
走り出した少女をレイは止めず、ただ目を細めた。
◇◇◇
場所なんて分からない。しらみつぶししかなかった。
一日アルセルドと過ごした部屋を、追体験のように周る。
最後に残されていたのは昨夜一緒に星を見た屋根裏部屋だった。はしごが降りている。彼はここにいるのだろう。
少し怖かったが勇気を出して上る。
薄暗い部屋の中に黒い塊があった。アルセルドだと直感が告げる。
顔を綻ばせて近づいたが、耳に届いた声に表情が凍った。
すすり泣く声だった。
まさか。嘘。そんなまさか。
頭の中で様々な考えが巡って、自分が今聞いている泣き声は現実かとにじり寄る。
肩に触れれば、大袈裟なくらい跳ねた。暗い中で金色の目だけが光っている。
「マロウ……フェリシー?」
「アルセルドさん……」
真っ赤な目の彼は体を縮こませ座っていた。
この時、マロウは愚かにもようやく気づいたのだった。アルセルドもまた、自分と同じ年端のゆかぬ子供なのだと。




