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宇宙船墓場で古代エイリアンのアンドロイドとして転生した件  作者: 謎村ノン
第VI部 拠点開発編

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第九十九章 機怪人形の温泉

 デルタ大陸の件があってから、拠点の中の空気は、表向きには落ち着いていても、どこかずっと張っていた。

 会議もしたし、方針も決まった。

 ドローン監視とサンプル採取を密にして、生態系シミュレーションを回し、他の大陸と合わせて再調査する。理屈としては整理がついた。

 でも、頭のどこかには、やっぱりあの赤茶けた荒野と、大型の蜥蜴みたいな、あの生きているのか死んでいるのかよく分からない何かの感触が残っていた。

 そういう時に、拠点の中でいつも通りの空気を作ろうとするのは、だいたいジェプラだ。

 彼女は、ラウンジの反対側から、妙に明るい顔でやってきた。兎耳がぴんと立っていて、どう見ても何か言いたいことがある時の顔だった。

「弓良殿」

「うん?」

「そういえば、地下水系を探して、温泉を掘り当てたんですよ!」

 僕は、一瞬、言葉を失った。

「温泉……?」

「はい、温泉です!」

 ジェプラは、ほんとうに嬉しそうだった。

 耳までぴんと立っている。こういう時のジェプラは、神官というより、何かすごいものを見つけた子供みたいだ。

 彼女がそんな顔をしていると、たいてい、話はかなり具体的な段階まで進んでいる。

 つまり、ただ「こんなのがあるかもしれません」ではなく、すでに「使えます」のところまで行っている可能性が高い。

「いつの間にそんなものを……?」

「居住区画の拡張と、地下配管の確認をしていた時です。地下水系を追っていたら、熱反応が強い層に当たりまして」

 そこで、すぐ隣にいた青葉が、静かな声で補足した。

「惑星のコアからのマントル対流からの熱移行も復活しています。そのせいで、マグマ溜まりと、温泉もできたのでしょう」

 青葉の説明は、いつも通り端的で正確だ。

 この星は再生された。地表だけではなく、もっと深いところの熱循環まで、少しずつ“世界として回る”ようになっている。だったら、地下に熱水系ができても、おかしくはない。

「へえ……」

 僕は、素直に感心した。

 でも、その感心はすぐに、もう一つの思考に追い越された。

「でも、僕たち、別にお風呂に入らなくても平気なんだ」

 そうなのだ。

 機怪人形の身体は、分子機械でできている。表面の汚れや微細な付着物は、自動的に洗浄、分解、再配置される。

 人間だった頃みたいに、汗をかいたから流したいとか、皮脂がたまるとか、そういう意味での風呂の必要性はかなり低い。

 というか、正直に言えば、普通に生活するぶんには、なくても困らない。

「えーと。分子機械がクリーニングするから、お風呂に入る必要がないんだよね」

 僕が、そう言うと、ジェプラが、目に見えて少しだけしょんぼりした。

 ほんの少しだ。

 でも、彼女は兎耳があるせいで、その落ち込みが分かりやすい。耳の角度が、ほんのわずかに緩む。

「あ……」

 僕は、すぐに、しまったと思った。

 別に、ジェプラは“必要だから入ってください”と言っているわけではない。

 たぶん、単純に、拠点に温泉ができたのが嬉しくて、それをみんなで楽しみたいだけなのだ。

 温泉って、そういうものだった。

 効率とか合理とかより、むしろ気分とか体験の方に重心がある。

「分かった、ちょっと入らせてもらうよ」

 僕がそう言うと、ジェプラの顔がぱっと明るくなった。

「本当ですか!」

「うん」

「よかったです……!」

 その喜び方があまりにも素直で、僕は少しだけ可笑しくなった。

 青葉は、そのやりとりを横で聞きながら、落ち着いた口調で言った。

「外装を外してみたらいいでしょう」

「外装?」

 僕は、反射的に聞き返した。

「うん。そうか。そうなるのか」

 機怪人形の身体は、そのままでも人間っぽい見た目ではある。

 でも、スペーススーツのような金属質に見える部分は、厳密には、さらに外側に環境適応と保護と制御を兼ねた外装層なのだ。普段は、ほとんど意識していなかった。

「外装?」

「はい。感覚調整の確認にもなります」

 さらっと言うけれど、そこはなかなか大きな話だ。

 でも、風呂に入るとなると、たしかに、スペーススーツっぽい外装を外して、“本体寄りの方”で湯へ入るという発想になるのだろう。

「防水なの?」

 半分、冗談みたいに尋ねてみたつもりだった。

 でも、青葉は真顔のまま答えた。

「真空でも、数万気圧でも耐えます。当然です」

「温泉に入れるかどうかを聞いてるのに、スケールが大きすぎるんだよなあ……」

 僕がそう言うと、ジェプラは意味が分かっているのか分かっていないのか、でも楽しそうに笑った。

 けれど、その返答のおかげで、逆に妙な不安は消えた。

「では、すぐに参りましょう」

 ジェプラは、両手を握って告げた。

「そんなに急ぐ?」

「温泉は、鮮度が大事です」

「温泉に鮮度ってあるの?」

「ある気がします」

 その返答が妙に勢いだけで、僕は、苦笑した。


***


 温泉は、神子本部神殿の少し外れにあった。

 裏手の少し岩場になった区画だ。

 最初は、地下水脈の確認と配管の検討のために掘ったらしいのだが、熱反応が安定し、水質にも問題がなく、しかも景観的にもちょうどよい位置だったらしい。

 それで、ジェプラが「これは温泉にするしかありません」と主張し、そのままかなりの勢いで整備したらしい。

 神殿の廊下を抜け、通路を抜け、外気に触れ、さらに木製の回廊めいたものを少し進む。

 その途中で、僕は妙な既視感を覚えた。

 いや、既視感というより、“日本人ならこうするよな”という感じだ。

「え……?」

「どうなさいましたか?」

「いや」

 僕は、目の前の建物を見ながら言った。

「思ってたより、しっかりしてるね」

 それは、かなり控えめな言い方だった。

 建物の外観は、木と石を基調にした、どこか和風の温泉宿みたいな雰囲気を持っていた。

 もちろん、地球の日本そのものではない。素材も意匠も微妙に違う。

 でも、低めの屋根、外へ張り出した庇、少し湿り気を含んだ空気、木の香り、足元の飛び石みたいな導線――そういうものが重なると、どうしても「旅館っぽい」としか言いようがなくなる。

「ジェプラ、これ絶対、かなり趣味入ってるでしょ?」

「いいえ」

 ジェプラは、きっぱり否定した。

「風情です」

「否定になってない」

「風情がある方が、気分がよいでしょう?」

「それは、まあ……そうだけど」

 たしかに、その通りでもある。

 もちろん、厳密に言えば地球の日本旅館そのものではない。

 使われている素材は扶桑の現地加工材と、分子プリンターで補った複合素材だし、細部の意匠もどこか異星っぽい。

 でも、全体の佇まいが、妙に“和風の温泉宿”を思わせる。

 ただの機能設備として作るなら、もっと無機質にできたはずなのだ。けれど、ここには明らかに“温泉らしさを作りたかった人の意志”が入っている。

 脱衣所の扉を開けると、さらに驚いた。

 木目の床、低い棚、籠、手ぬぐい――壁には小さな鏡まである。

「ほんとに、旅館じゃん……」

「温泉ですから」

 ジェプラは、そこも当然みたいに言う。

 僕は、妙に感心しながら脱衣所を見回した。

 機怪人形になってから、こういう場所と縁がなかったせいか、妙な懐かしさがある。

 そもそも僕は、人間だった頃、どちらかというとシャワー派だった。

 高校生の時も、家ではさっと済ませることが多くて、湯船へ長く浸かる方ではなかった。

 温泉旅行みたいな時だけ、周囲の空気込みで「ああ、温泉だな」と思うくらいだった。

 だからこそ、こうして異星の再生惑星の神子本部神殿の一角で、まるで旅館みたいな脱衣所を前にしている自分が、少し不思議だった。

「温泉に入るのなんて、何年ぶりだろう……」

 思わず、そう呟いた。

 頭の中に、少し昔の記憶が浮かぶ。

 まだ高校生だった頃、家族で行った温泉旅行を思いだす。

 父親が朝風呂好きで、母親が売店の甘い温泉まんじゅうをやたら気に入っていて、僕は僕で、そういう旅先のちょっとした非日常だけは嫌いではなかった。

 あの時の湯気の感じ、浴場の床の冷たさ、湯船の向こうに見える外の景色――。

 そういうものが、ふっと蘇った。

「弓良殿?」

 ジェプラが、不思議そうに顔を覗き込む。

「あ、ごめん。ちょっと昔のこと思い出してた」

「良い記憶ですか?」

「たぶんね」

 僕は、そう応えてから、少しだけ気持ちを切り替えた。

 青葉が、脱衣所の端から通信で言った。

『では、外装をパージしてください』

「う、うん」

 分かってはいた。分かってはいたけれど、やっぱり少し緊張する。

 外装をパージするのは、初めてだった。

 僕は、少しだけ深呼吸するみたいに意識を整えた。

 自分の身体の外層へ注意を向ける。

 環境適応層、防護層、表面センサー補正膜――そういうものが、今の僕には最初から一体としてある。

 服を脱ぐ、とは違う。もっと、自分の一部を一段階だけ“外す”感じだ。

「よし……」

 意識を通す。

 すると、僕の身体の表面にある金属質の外殻が、音もなく、静かにパージされた。

 その瞬間、ぞわっと妙な感覚が走った。

 裸になる、というのとも違う。

 服を脱いで身軽になるのでもない。

 守っていた薄い皮を、そっと一枚だけ剥がしたみたいな感じだった。

 その瞬間、妙な無防備さを感じた。

「あ……」

 思わず、自分の腕を抱く。

 外気の触れ方が違う。

 感覚の解像度が少し変わった。

 でも、それは人間の皮膚が直接空気へ触れるのとも、また少し違った。

 センサー自体はある。むしろ、分子機械由来の感覚は、人間だった頃より広いのかもしれない。でも、変な心細さがある。

「やっぱり、人間だった頃と違うなあ……」

 僕は、自分の身体を見下ろした。

 そこにあったのは、人間の女の子にしか見えない、白くきめ細かい皮膚だった。

 でも、見た目も、触れた感触も、どう見ても人間に近い。ちゃんと、胸もあった。

 僕は、自分の身体を、少し自分で抱きしめた。

「柔らかい……」

 思わず、そう呟いていた。

 ショックだった。

 硬いとか、人工的だとか、そういう方向の違和感を想像していたのに、まるで逆だったからだ。

 僕は、機怪人形だ。

 戦うし、宇宙も飛ぶし、真空にも深圧にも耐える。

 なのに、その奥にある身体は、こんなにも“人間の柔らかさ”を模している。

 腕を抱き、肩に触れ、腹部へもそっと指を当ててみる。

 柔らかい。

 人間の身体と、少なくとも感触の方向性では、ほとんど変わらない。

 いや、変わらないように、かなり意識して作られているのだろう。

 僕は、そこで少しだけしんみりした。

 この身体は、マザーのテンプレートを元にしていると聞いている。

 ということは、キーフラスは、マザーが機怪人形になった時に、違和感をできるだけ小さくしようとしたのだろう。見た目だけでなく、触れた感触、動いた時の質感、そういうものまで含めて。

「……気を遣ったんだろうなあ」

 誰にともなく、そう呟く。

 マザー、キーフラス、魂、人工意識体――。

 いろいろなことを知ってしまった今では、その“気遣い”の重さが、少しだけ分かる気がした。

 その時点で、僕はまだ、入浴着というものが存在していると思っていなかった。

 だから、外装をパージしたまま、手ぬぐいだけ頭に乗せて、露天風呂へ向かった。


***


 露天風呂は、思っていた以上に広かった。

 建物の奥を抜けると、視界がふっと開く。

 岩で縁取られた大きな湯船があった。

 柵の少し上に、扶桑の夕空が見える。この惑星の自転は、ほとんど二十四時間なので、地球と違和感がなかった。

 海そのものは直接は見えないけれど、風の匂いに、うっすらと潮の気配が混じっている。

「すごいな、これ……」

 僕は、思わずそう呟いていた。

 見た目だけなら、ほんとうに日本の旅館の露天風呂だ。

 いや、細部は違う。岩の組み方や湯船の縁の意匠、床材の処理は、どこか異星っぽい。でも、空気の作り方が、ものすごく“そういう場所”になっている。

 湯気が揺れた。

 外気が少しひんやりしていて、そのぶん湯の熱がはっきり感じられる。

 足を浸ける前から、もう温泉の空気だった。

 僕は、手ぬぐいを頭の上へ乗せたまま、そっと湯へ入った。

 最初に触れたのは、熱だった。

 次に、圧力があった。

 そして、その両方が同時に身体の表面へ広がる感じ。

「ああ……」

 思わず、息が抜けた。

 気持ちいい。

 これは、驚くほど単純な感想だった。

 でも、それ以上の言葉が、最初は要らなかった。

 お湯の温度は、高すぎない。

 でも、ちゃんと温泉らしい熱を持っている。

 湯の重さが、肩から胸、腕、脚へと均等にかかってくる。

 感覚は、人間だった頃とそんなに違和感がない。

 いや、たぶん、そこもかなり丁寧に調整されているのだろう。

 青葉によれば、機怪人形の身体は、真空にも数万気圧にも耐えるという。

 それなのに、こうして湯の圧を“ちょうど心地いい圧”として感じる。

 その矛盾が、逆に少し面白かった。

「……たぶん、人間として感じるのと、そんなに違わないように調整してるんだろうな」

 僕は、湯に肩まで沈みながらそう思った。

 そうでなければ、ここまで“風呂”として成立しない。

 キーフラスも、マザーも、あるいはその後の設計を引き継いだ青葉も、この身体を、単に動く器としてだけではなく、生活する身体として作っているのだ。

 だったら、こういう時は、素直にエンジョイした方がいいのかもしれない。

 湯気の向こうの空を見上げた。

 風が少し動き、体の力が抜ける。

 そこで、後ろから声がした。

「弓良殿~」

 僕は、びくっとした。

 振り返ると、兎娘の姿のジェプラが、のんきな顔でこちらへ入ってきていた。

 しかも、そのまま、特に何の気負いもなく湯船の方へ歩いてくる。

「ジェプラ、前、見えてるから!」

 反射で、そう叫んでいた。

 ジェプラは、少しだけきょとんとした。

「あら、人類は、お風呂で裸を隠すんでしたっけ」

「“人類は”って、そういうまとめ方しないでよ!」

「そうでしたか」

 ジェプラは、本当に悪気のない顔でそう言ってから、湯場の奥へ目を向けた。

「入浴着なら、あちらにありますよ」

 そう言って、彼女は、ほんとうにさらっと奥の棚から入浴着を取り出して着てしまった。

「そこにあったのか……」

 僕は、頭の上の手ぬぐいを押さえたまま固まった。

 戻って着るべきか。

 いや、でも、いまさら湯から出るのも変な気がする。

 というか、最初から知っていたなら先に言ってほしかった。

 でも、そもそも、青葉は「外装を外してみたらいい」としか言っていなかった。つまり、最初から裸状態でも問題はない想定なのだろう。

 そうやって逡巡しているうちに、今度は、別の気配がした。

 振り返ると、青葉と若葉が来ていた。

 若葉は、小さな入浴着をちゃんと着ていて、すでに湯気にかなり興味を示している。

 問題は、青葉だった。

 青葉は、何のためらいもなく外装をパージした状態で、そのまま入ってきた。

「ちょ、青葉!」

 僕があわあわしているのにかまわず、青葉は静かに湯の縁へ座り、そのまま僕の横へするりと入ってきた。

「お風呂って、入ってみたかったんです」

 その言い方は、ものすごく真面目だった。

 それでいて、どこか少しだけ柔らかかった。

 たぶん、本人なりに、本当に楽しみにしていたのだろう。

「それって、マザーと同じ魂の記憶?」

 僕が聞くと、青葉は少しだけ考えてから答えた。

「そうかもしれません」

 その返答には、静かな響きがあった。

 マザーの元になった少女が、昔、風呂に入りたいと思ったことがあったのだろうか?

 でも、当時、お風呂はあったのだろうか? 

 いや、家族と湯気の立つ場所で、何か穏やかな時間を過ごしたかったのか?

 そういうものが、断片として残っているのかもしれない。

 その時、ジェプラが、妙に楽しそうな顔で湯船の縁に立った。

 嫌な予感がした。

「ちょっと待っ――」

 言い切る前に、ジェプラは、そのまま湯船へダイビングした。

 ざばあ、と大きな飛沫が上がる。

「うわ!」

 僕と若葉が同時に声を上げ、青葉もさすがに少しだけ顔へかかった湯を払った。

 ジェプラは、水しぶきの中から顔を出して、けろっとしている。

「わたしも、なにも着ない方がよかったです」

「そういう問題じゃないから!」

 僕は、思わず声を上げた。

 でも、ジェプラは本当に悪気がない。

 ただ、温泉というものを、全身で楽しみたいだけなのだろう。

 若葉は、その様子を見て、きゃっと嬉しそうに笑い、そのまま湯船の広い方へ出ていった。

「若葉、走らないで――って」

 言いかけたところで、若葉は、今度はほんとうに泳ぎ始めた。

 いや、泳ぐというほど本格的ではない。

 でも、湯の中を身体ごと浮かせて、手足をばしゃばしゃ動かしている。

「若葉、温泉はプールではないから!」

「ひろい!」

 それだけで、もう完全に楽しいらしい。

 湯船の中で、青葉が静かに言う。

「若葉、滑りますので、気をつけてください」

「うん!」

 言いながらも、若葉はかなり元気だった。

 僕は、その光景を見て、なんだか笑ってしまった。

 さっきまで、温泉に入る必要があるのかどうかを理屈で考えていたのに、結局こうしてみんなで湯船へ浸かっている。

「太郎は?」

 ふと思って尋ねると、ジェプラが湯を払いながら答えた。

「当然、ブライアント殿と一緒に男湯です」

「まあ、そうか」

 僕は、苦笑した。

 太郎は、外見こそああだけれど、性格はどう考えてもそっち寄りだ。ブライアントと同じ側へいる方が、たしかに自然だろう。

 ハチョキは、そのジェプラの後ろから、なぜか一緒に入ってきていた。

 湯船の縁で、ぶう、と鳴いている。

「ハチョキも入るんだね」

「一緒じゃないと寂しがるので」

 ジェプラが当然みたいに言う。

 たしかに、そういうところはありそうだ。

 でも、ハチョキは湯船に入るというより、半分ほど湯へ浸かった縁のあたりで、満足げにしている。おそらく、みんなと一緒の空間にいられれば、それでよいのだろう。

 ジェプラは、そのあと、僕の方を見て、妙に真面目な顔で言った。

「弓良殿、背中を流しましょうか?」

「え?」

 僕は、一瞬だけ固まった。

 その提案は、温泉という場においては自然なのかもしれない。

 でも、だからといって、いまの僕には、心臓――ないけど――に悪い。

「いや、分子機械は、自動的に洗浄するから、お風呂で洗う必要もないんだ」

 僕がそう答えると、ジェプラは少しだけ目を丸くした。

「そういえば、弓良殿が、沐浴してるのを見たことがなかったです」

「そうだよ」

 あらためて言われると、妙な感じがする。

 人間なら当たり前の行為を、僕は機怪人形になってから、ほとんど必要としていないのだ。本当なら、まったく食べなくても、寝なくてもいい。

 ジェプラは、そこで少しだけしゅんとした表情になった。

「無駄な設備を作ってしまったでしょうか?」

 その顔を見ると、僕はすぐに首を振った。

「いや」

 僕は、湯に肩まで沈みながら、ゆっくり言った。

「こうやってお湯に浸かるのもいいかもしれないね。なんか人間っぽい」

 その言葉に、ジェプラの顔が、ぱっと明るくなった。

「本当ですか?」

「うん。必要だから入るんじゃなくて、入りたいから入るって感じかな」

「それは、とてもよいことです」

 ジェプラは、嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔を見て、僕は、なかなかジェプラは可愛いなあ、と思った。

 いや、今の僕は、女の子の形をした機怪人形なんだけど。

 でも、だからといって、その可愛いという感情が消えるわけでもないのが厄介だった。

 ジェプラは、湯の中で耳を少し揺らしながら、満足そうにしている。

 若葉は、まだ泳いでいる。

 青葉は僕の横で静かに湯に浸かっていて、ときどき空の方を見ている。

 ハチョキは、縁でぶうぶう鳴きながら、たぶんすごく満足している。

 なんだか、ほんとうに、奇妙だけど穏やかな時間だった。


***


 しばらく湯に浸かっていると、身体の感覚が少しずつ馴染んでくる。

 最初は、“機怪人形の身体で温泉に入る”という事実そのものが新鮮すぎて、お湯の感覚より、自分の身体の方ばかり意識していた。

 でも、湯気の中でしばらく肩を抜いていると、その違和感もゆっくり薄れていく。

 肩に当たる湯、頬へ触れる外気、髪に残る湿気、岩の縁へ預けた腕の位置――。

 人間だった頃の温泉の記憶と、たぶんかなり近い。

 いや、まったく同じではないのだろう。でも、“ああ、風呂ってこういうものだったな”と思える程度には、ちゃんと似せてある。

 若葉が、少し向こうから声を上げた。

「おねえちゃん、あったかい」

「はい」

 青葉が、静かに答える。

「温度は適切ですか?」

「てきせつ?」

「熱すぎたり、ぬるすぎたりしないか、ということです」

 青葉がそう言うと、若葉は少し考えてから言った。

「ちょうどいい」

「それは、よかったです」

 そのやり取りが、なんだか少しだけ可笑しくて、僕は口元を緩めた。

 ジェプラは、岩の縁へ腕をのせて、湯の向こうの空を見ていた。

「こうしていると、扶桑が、本当にわたしたちの拠点になってきた感じがしますね」

 ぽつりと、そんなことを言う。

 僕は、その言葉に頷いた。

「うん」

「海があって、神殿があって、温泉まであるのですから」

「最後の一つだけ、ちょっと急に生えてきた感じあるけどね」

「でも、あると嬉しいでしょう?」

「うん。まあ、嬉しいよ」

 僕がそう応えると、ジェプラは、すごく満足そうだった。

 たぶん、彼女にとって、こういう場所は、神域としての意味もあるのだろう。

 神殿があり、生活があり、みんなが身体を休められる場所まである。

 そういう“暮らしの完整さ”が、彼女の中では大事なのかもしれない。

 その時、風が少しだけ強く吹いて、湯気が横へ流れた。

 僕は、その湯気の向こうに、扶桑の夜のはじまりみたいな空を見た。

 問題のない世界ではない。

 デルタ大陸の問題も、資源問題もある。

 これから軌道施設も作らなければいけない。

 でも、少なくとも今この瞬間だけは、僕たちは、ちゃんと湯に浸かって、肩の力を抜けている。

 それが少し、ありがたかった。

「こういうの、大事かもね……」

 僕がそう言うと、青葉がすぐ横で静かに応えた。

「はい。必要性ではなく、継続性のために」

「継続性?」

「ずっと働き続けるだけでは、共同体は長く持ちません。休息や、身体感覚としての快適さも、拠点運営には必要です」

 その言い方が、いかにも青葉らしかった。

 でも、だからこそ、重みがある。

 ジェプラは、そこへすぐに続ける。

「つまり、わたしの温泉計画は正しかったということですね」

「そこだけ都合よく切り取るよね!」

 僕が言うと、ジェプラは少し、大きな胸を張った。

「結果がすべてです」

 その返しに、今度は僕もちゃんと笑った。


***


 結局、その晩の温泉は、思っていた以上に長居した。

 僕は、思っていたよりずっと“風呂”というものを懐かしく感じていた。

 外装をパージした状態の自分の身体への違和感も、最初ほどではなくなっていた。

 むしろ、こうして湯に浸かっていると、柔らかく、人間っぽく作られたその身体が、少しずつ“いまの自分”として馴染んでくる気がする。

 キーフラスが、マザーのためにそこまで気を遣ったのだとしたら、それは、多分、生活のためだったのだろう。

 戦うためでも、航行するためでもなく、こうしてお湯に浸かり、肩の力を抜き、少し昔を思い出して、「気持ちいい」と思えるために。

 そういえば、半魚人の〈先住者〉も、お風呂に入ったのだろうか?

 ……水だけだと害虫とかの問題もありそうだから、おそらく、天然の温泉に入るような習慣は、あったのではないか、と思われる。

 だから、マザーもお風呂に入るだろうと考えて機怪人形の身体を設計したのかもしれない。

 そう推測していくと、その設計は、少しだけ優しい気がした。

 若葉は、最後の方には、湯の縁へ顎をのせて、とろんとした顔になっていた。

 ジェプラも、最初ほどはしゃがず、静かに湯へ浸かっていた。

 青葉は、相変わらず姿勢がいい。

 ハチョキは、よくのぼせないなと思うくらい満足そうだった。

 僕は、そんなみんなを見ながら、もう一度だけ、ここへ来た時のことを思い出した。

 温泉なんて要らない――分子機械が自動で洗浄する。

 合理だけで言えば、その通りだ。

 でも、今の僕は、その考え方が少しだけ狭かったのだと分かる。

 風呂は、汚れを落とすためだけのものじゃない。

 身体を、あるいは心を、“ここで暮らしている”側へ戻すための場所でもあるのだ。

「また、入りに来ようかな……」

 ぽつりとそう言ったら、ジェプラがすぐに反応した。

「ぜひ」

 その返事が早すぎて、僕は少し笑った。

「まだ作ったばかりなのに、もう常連扱い?」

「最初の常連になっていただけると嬉しいです」

「なに、それ」

 でも、そのやりとりが、なんだかすごく神子本部神殿らしかった。

 こうして、扶桑の夜に、温泉の湯気が立つ。

 それが、少しずつこの拠点の日常になっていくのかもしれない。

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