第九十一章 扶桑の呼吸~生きている星
生物サンプルの確認をひと通り終えたあとも、僕たちは、ゼカタで扶桑の各地を見て回った。
単に地図の上で、海があり、森があり、河があると知るのと、実際にそこへ行って、自分の目で見るのとでは、やっぱりだいぶ違う。
しかも、この星は、つい最近まで、あの白い微細情報媒体素子の雪に覆われて、惑星改造を受けたばかりなのだ。
そんな世界が、今どういう顔をしているのかを見ておきたいという気持ちは、僕の中にもかなり強かった。
ゼカタは、グラブール人のシャトルらしく、低空を滑るようにスムーズに飛ぶ。
巡洋艦『青葉』の艦橋から見る景色も好きだけれど、こういう小型艇の視点は、また違う。
地面が近い。
海の照り返しも、森の影も、河の流れも、ちゃんと“地表のもの”として見えてくる。
最初に回ったのは、拠点から南東へ少し行った海岸線だった。
湾の内側の穏やかな海とは少し違って、そちらはもう少し開けた海に面している。
とはいっても、完全な断崖絶壁ではない。
白っぽい砂と、黒い岩場がまだらに続いていて、波は規則的に寄せては返していた。
海がなかったこの惑星で、砂があるのは変だから、これも惑星改造時に造られたのかなあ、と思った。
僕は、ゼカタの観測窓からその景色を見て、少しだけ目を細めた。
「でも、きれいだね……」
ほんとうに、そう思った。
水の色は、地球のどこかの海岸を思わせる青と緑のあいだだ。
浅いところは明るく、少し沖へ出ると濃くなる。
波打ち際には、細かな泡が残って、岩の影に沿って細い白い筋を作っていた。
海藻に似たものも、もうかなり育っているらしい。
浅瀬のところどころに、やわらかい暗緑色の帯が揺れている。
青葉の観測によれば、表層のプランクトン群もかなり安定しつつあって、沿岸の小型生物圏は、想定より早い速度で立ち上がっているという。
「海だけ見ると、本当に普通の惑星みたいだ」
僕がそう言うと、ブライアントが肩をすくめた。
「普通じゃない惑星を、普通に見えるところまで持っていくのが、あの遺跡の仕事なんだろうな」
その言い方には、感心と警戒が半分ずつ混ざっていた。
たしかに、見た目は普通だ。
でも、その普通さが、全部“自然にそうなった”わけではないと知っているから、かえって不思議でもある。
ゼカタを一度、岩場の広い部分へ降ろしてみると、潮の匂いが、今度はちゃんと肌へ触れる空気として感じられた。
僕は、海岸へ降りて、波打ち際まで少しだけ歩いた。
足元には、丸く磨かれた石が転がっている。
そのあいだに、小さな殻を持つ生き物が張りついていた。貝というほど単純ではなく、どこか節足動物っぽい関節もある。でも、海辺の石にくっついて生活している小型生物、という意味では、地球の磯の生き物とあまり変わらないように見えた。
太郎が、その一匹を近くで見て短く言う。
『小型。活動良好』
「太郎の感想としては、相変わらず簡潔だな」
『簡潔で十分』
その返答が、妙にいつも通りで、僕は少し笑ってしまった。
次に見に行ったのは、拠点から北西へ伸びる森林帯だった。
上空から見ると、そこは海岸線から少し内陸へ入ったあたりで、河川沿いに広がる濃い緑の帯として見えていた。
実際にゼカタで近づいてみると、その森は、地球の針葉樹林とも広葉樹林とも少し違う、不思議な木質の植物のまとまりを持っていた。
幹は、まっすぐなものが多い。
けれど、葉のつき方が少し独特だ。
枝先から細い繊維の束が垂れていたり、葉そのものが平たい板ではなく、細かな帯の集合になっていたりする。
色も、全部が同じ緑ではない。
青みがかった深緑、黄緑に近い明るい葉、ところどころに銀色っぽい光沢を返すものまであった。
太陽の角度が変わるたびに、森全体の表情が少しずつ揺れる。
ゼカタが樹冠の少し上を滑っていくと、時々、下の藪から小さな生き物が走るのが見えた。
四足だ。
でも、地球の鹿や兎そのままではなさそうだ。
毛が生えているように見えるけど、脚がやや長く、耳の代わりに薄い膜状の感覚器がついているものもいた。
また、尾が妙に長くて、木の幹を巻くようにして逃げるものもいた。
ブライアントは、その映像を見ながら、手元で記録を取っていた。
「たぶん、初期生物パッケージ由来のものだろう。局所適応がもう始まってると思われる」
「もう適応してるの?」
「早いが、不思議ではない。初期段階の生態系ってのは、環境が空いてるぶん、分岐が速い」
彼のそういう説明を聞いていると、GDCの山師って、ほんとうに何でもやるんだなと思った。
森の縁へ一度降りると、空気が海辺とはまるで違った。
湿っていた。
土の匂いが濃い。
葉が重なり合う音が、頭上のあちこちで細かく鳴っている。
僕は、少しだけ足元の土を蹴ってみた。
柔らかかったが、沈み込みすぎない。
腐葉土になっているのだろう。
落ち葉に似たものの下に、土壌層があるようだ。
「これ、ほんとに最近まで何もなかったんだよね?」
「厳密には、“何もなかった”わけではありません」
青葉が告げた。
「土壌形成、微生物圏、先行植物群、いずれも段階的に生成されています。ただ、人の目から見て“森”と認識できる状態へ達するまでが、想定よりかなり早いのは事実です」
「まだ、あの微細情報媒体素子が残っていたのかな?」
「はい、遺跡が休止して微細情報媒体素子自体は四次元時空において認識しづらくなりましたが、素子に与えられた因果変換の方向性が、まだ残っています」
「ふむ……この植物や動物は、まだ形成、変化し続けている可能性がある訳か」
青葉が頷く。
「はい。数十年単位で、方向付けに応じた影響が続くと考えられます」
その説明を聞きながら、僕は木々のあいだを見た。
森は静かだった。
でも、死んでいる静けさでは、ない。
小さな生き物が動き、葉がこすれ、見えないところで何かが育っている感じの静けさだった。
扶桑は、たしかに生き始めている。
河川地帯は、さらに印象が違った。
拠点近くの河は、海へ向かってゆるやかに流れていた。
上空から見れば細い銀の筋に過ぎないのに、近くへ行くと、その水の量と流れの確かさに少し驚いた。
岸辺には、すでに草本類が帯状に広がっていた。
水辺に強い初期植物なのだろう。細長い葉の束が群れをなし、その背後には、もう少し背の高い低木に近いものまで育ち始めている。
河の水は、思っていたより澄んでいた。
ゼカタを着陸させて、僕が岸辺にしゃがみ込んでみると、浅いところを、小魚に似た影が何匹か走るのが見えた。
「魚もいるんだ」
「います」
青葉が、すぐ横で答える。
「形態は地球型淡水魚類に近いですが、鰭の構造や鱗の配置には、やや異なる点があります」
ブライアントが水を採取しながら言った。
「河川系がしっかり回ってるなら、農地の候補も増える。これは大きいな」
「農地、ね」
「当たり前だ。住むなら食糧基盤がいる」
僕は、河の流れを見つめた。
この水は、どこかの高地から流れてきて、土を削り、運び、海へ戻っていく。そんな当たり前の循環が、しっかりとここで起きている。
それが少し不思議だった。
扶桑は、ついこのあいだまで、あの白い雪みたいな媒体素子に覆われ、惑星改造の最中だった。
なのに、今こうして河が流れ、魚が泳ぎ、森が育ち、海辺に小さな生き物がついている。
それは、すごい。
でも同時に、どこか怖くもある。
なぜなら、その“自然さ”は、完全な自然そのものではないからだ。
遺跡と技術と、〈先住者〉の因果変換の延長で得られた世界だから。
だからこそ、この海も森も河も、ただ綺麗だとだけ言って見過ごすわけにはいかない。
「ちゃんと見ていかないとね」
僕がそう呟くと、青葉が頷いた。
「はい。扶桑を拠点とするなら、景観だけではなく、循環と境界を把握する必要があります」
「境界、か」
「どこまでが安定しており、どこから先がまだ危ういか。その線引きです」
ブライアントも、水辺のサンプルケースを閉じながら言った。
「見た目が住みやすそうだからこそ、余計にな」
その言葉は、たしかにその通りだった。
***
ゼカタで拠点へ戻る頃には、僕の中で、扶桑の印象がまた少し変わっていた。
最初は、再生した惑星で、次に、拠点を作る場所としての意識が大きかった。
そして、今は、海と森と河が、それぞれちゃんとした手触りを持つ世界だ。
まだ、全部を知ったわけではなく、むしろ、知らないことの方が多い。
でも、少なくとも、地図の上の抽象的な“緑地”や“水域”ではなくなった。
海には潮の匂いがあって、森には湿った土の匂いがあった。
河には、流れと魚影があった。
そういう具体的なものとして、この星の印象が僕の中へ入ってきた気がする。
「本当に、住めそうだね」
ぽつりとそう言うと、ブライアントが少し笑った。
「最初からそう言ってるだろ」
「えーと、数字とか理屈じゃなくて、実感として、さ」
「それなら、なおいい」
青葉は、前方の拠点を見ながら静かに言った。
「実感がある方が、守るべきものを見失いにくいですから」
その言葉に、僕は少しだけ頷いた。
たぶん、その通りなのだ。
扶桑は、まだ始まったばかりの星だ。
でも、僕たちにとって、もうただの作業対象ではなくなりつつある。
海も、森も、河も含めて、自分たちの星として認識され始めている。
そう思いながら、僕はゼカタの窓の向こうに見えてきた高台と神子本部神殿を見つめた。
***
ゼカタが高台の上の拠点へ戻ってくる頃には、扶桑の空は、もう少しだけ午後の色へ傾き始めていた。
海の青は朝より深く、神子本部神殿の白い外壁には、少し斜めの光が当たっている。
港側では、まだ建設用ドローンが何機も動いていて、仮設搬送路の調整や、資材中継区画の仕上げを続けていた。
高台から見ると、昨日まで“拠点候補地”だった場所が、今日はもう、ちゃんと“動いている拠点”に見える。
ゼカタが空港予定地の空き地に着地すると、先に外へ出たのはブライアントだった。
彼は、サンプルケースの固定状態を一通り確認してから、僕たちに向かって短く言った。
「生物関係の結果は悪くない。海、森、河川、どれも初期開拓の条件としては上出来だ。しかし、だからこそよく吟味する必要がある」
「吟味?」
「そうだ」
ブライアントは、ケースを一つ持ち上げる。
「“住めそうだな”で終わらせるには、材料が多すぎる。生態系が安定しすぎてるのも、河川が想定よりいいのも、農地候補が広がるのも、全部、開発順序に関わる」
その言い方に、僕は少しだけ気を引き締めた。
たしかに、その通りだ。
海辺はきれいだった。森も、生きている感じがした。河も、ちゃんと水を運んでいた。
でも、それを“よかったね”で済ませてしまったら、ただ景色を見に行っただけになる。
僕たちは、この星に拠点を築くのだ。
だったら、見てきたものを、ちゃんと次の判断へつなげないと意味がない。
「会議かな?」
僕がそう言うと、青葉が横で頷いた。
「はい。探索結果の反映が必要です。農地候補、港湾拡張候補、水系保全区域、森林帯の扱い、それぞれ優先順位をつけるべきでしょう」
ゼカタの後部ハッチが開き、ドワーフドローンたちが、回収してきたサンプルケースを順に運び出し始めた。
植物の葉、土壌、浅瀬の小型生物、河川水、微生物圏サンプル――。
どれもひとつひとつは小さいのに、それらが積み上がると、“一つの惑星の基盤”を見てきたのだという実感が急に増す。
高台の上では、ジェプラとギラ、それにハチョキが、ちょうど別の作業から戻ってきたところだった。
「お帰りなさいませ、弓良殿」
ジェプラは、すぐにこちらへ駆け寄ってくる。
その後ろで、ハチョキも「ブウ!」と元気よく鳴いた。
ギラは、少し離れたところから、いかにも面白そうにサンプルケースの山を見ている。
『だいぶ拾ってきたなあ』
「思ったより、見るものが多かったよ」
僕がそう言うと、ジェプラは、少し真剣な顔になった。
「よい意味で、ですか?」
「基本的にはね」
僕は頷いた。
「海も森も河も、かなりしっかりとしてきている。生き物も、地球人類とグラブール人に近い代謝系らしい」
「まあ」
ジェプラが目を丸くする。
ギラは、その横で感心したように翼をたたんだ。
『そらええやん。食えるもん、育てられるもんの目処が立つなら、拠点運営はぐっと楽になる。でも、ワイが食えそうなものは、なかったんやな?』
「そうなんだ。初期パッケージのせいらしい」
ブライアントが割って入る。
「これから、調査した物を整理する。見てきたものを、そのまま“便利そう”で使うと失敗する」
『出たな、山師の現実主義』
「お前は黙ってろ」
でも、ギラも別に不服そうではない。
むしろ、“今からちゃんと大事な話になる”と分かって、少し楽しそうにしている顔だった。
ジェプラは、サンプルケースの一つをそっと覗き込んで、それから僕を見る。
「では、開発会議をなさいますか?」
「その前に、資料をまとめる必要があります」
青葉がそう言うと、ジェプラはすぐに理解したように頷いた。
「わたしが、観測データ、生物サンプル分析、地形候補地評価を統合します。ゼカタの飛行記録も反映しますので、少しだけ時間をください」
「その少しだけって、どのくらい?」
僕が聞くと、青葉は少しだけ考えてから答えた。
「弓良がラウンジで一息つける程度です」
「それ、短いのか長いのか分からないな」
「効率的には短い方です」
そう言う青葉は、既にドローン群へ次々に指示を飛ばしていた。
サンプルは分析室へ、地形ログは中央卓へ、海岸線と河川地帯の映像は投影優先順位を上げ、森林帯の微生物圏解析は別枠で処理――等、見る間に仕事が分配されていく。
そのあいだにも、拠点の中はちゃんと動いている。
港湾側では、資材搬送ドローンがまだ行き来しているし、地上用SERの出力も安定したまま回っている。
本部棟の廊下に入ると、たちどころに若葉が駆けつけてきた。
「おかえり!」
「ただいま」
そう言って、僕は微笑んだ。
拠点は、ちゃんと拠点になりつつある。
その中で、僕たちは、次の段階を考えようとしている。
「じゃあ、会議の準備ができるまで、少しだけ落ち着こうか」
僕がそう言うと、ジェプラがすぐに応じた。
「では、お茶を用意いたします」
『わいも行くわ。どうせ始まったら長なるやろ』
ギラが、いかにも心得た顔で言う。
「長くなる前提なんだ」
『そら、惑星ひとつどうするかの話やしな』
たしかに、そうだった。
海をどう使うか。森をどこまで残すか。河をどう守り、どう利用するか――。
農地、港、倉庫、居住圏、防衛についても、話す必要があるだろう――。
そして、その全部を、扶桑という名前を持ったこの星の上で、どう両立させるか――。
その方向性を、また皆で考えていく必要がある。
僕は、神子本部神殿のラウンジへ向かう足を少しだけゆるめながら、窓の外の海と、その向こうに浮かぶ巡洋艦『青葉』を見た。
“住める場所を作る”話を、進めるのだ。
***
皆でお茶を飲んだ後、青葉が、本部棟の会議卓に新しい環境解析図を展開した。
立体投影された扶桑は、宇宙から見た時よりも、もっと具体的な世界に見えた。
大気循環の流れが薄い青で、海流が濃い群青で、植物分布が緑の濃淡で重ねられている。沿岸の湿地帯、草原、高地の森林、まだ再生が不完全な地域。さらに、気温帯、降水傾向、河川の形成進捗まで、何層ものデータが重なっていた。
「現時点での環境解析結果を報告します」
青葉の声はいつも通り静かだ。
でも、卓上に浮かぶ情報量は静かではない。
「大気組成は安定しました。酸素・窒素比、微量成分、海塩粒子分布、いずれも地球型知的生命の長期居住に適した水準です。水循環も、沿岸部と中央低地を中心に、かなり自然な形で回り始めています」
その投影に、河川がいくつも光った。
僕たちの拠点近くの流れも、その一本だ。
「植生帯は、初期生物パッケージの定着が予想以上に早いです。パイロットプラントのような先行定着種は、すでに陸上のかなりの部分へ進出しています」
「パイロットプラントって、あの最初に土を押さえるやつ?」
「はい。土壌形成、保水、微生物圏の固定を優先する植物群です。その後を追うように、草本、低木、高木系が段階的に広がっています。沿岸部では、既に、森林を形成しつつある箇所も確認しました」
僕は、今日回ってきた小動物のいる森のことを思いだした。
ブライアントが、投影の一角を指した。
「海側のデータも出せるか?」
「もちろんです」
今度は、水圏の解析が前面に出る。
海の浅いところに、微細な反応点が無数に光る。群れているもの、帯になっているもの、礁のように固まっているもの。
「海も、プランクトンだけでなく、海藻、珊瑚、貝類、魚や甲殻類に似た生物が確認されています」
青葉がそう言うと、ブライアントが低く唸った。
「本気でやってるな……」
その感想が、妙に面白かった。
「そりゃ惑星再生なんだから本気なんじゃ?」
「そういう意味ではない」
ブライアントは腕を組み直す。
「ここまで“住める世界”へ寄せる方向性や意志のようなものが明確だって意味だ。雑に緑を撒いただけじゃ、こうはならん」
青葉が、その言葉に静かに頷いた。
「ええ、こちらの遺跡で、惑星を再生する際に、明確に地球型の生態系を形成するように指示をしました。その指示に合わせた初期生物パッケージも同時に形成するよう、お願いしています。現状、満足できる成果になっているようです」
その一言に、ブライアントは本当に少しのあいだ黙った。
唸る、という表現がいちばん近かった。
驚きと納得と、ちょっとした呆れが混ざったような顔だ。
「単純に、惑星再生時に何かの初期生物パッケージを、ばらまいたのかと思っていたが――全て、遺跡が形成していたのか? 生物も?」
「そうです」
「お前、今それを“さりげなく”言うのか?」
「事実ですので」
「そういう問題ではないんだが……」
ブライアントも、それが一番筋の通る説明だと分かっているのだろう。
僕は、投影された海を見つめながら言った。
「ってことは、この海にいる魚っぽいのとかも、最初から想定して作られたってこと?」
「はい。ただし、すべてが直接生成されるわけではありません」
青葉は、今度は海の表層より少し下の層を表示する。
「微細情報媒体素子による直接生成が可能なのは、主として初期環境を支える基盤層です。大規模な魂の介在が必要になるような大型生物は、直接生成に向きません。ですから、それらは、これから自然に生まれるのを待ちます」
そこで、僕はふと思ったことをそのまま口にした。
「クローンとかを作れないの?」
僕が高校生だったころ、羊から体細胞クリーンを作ったというのが、大きなニュースになったことがあった。この時代、地球でも普通にクローンの生体とかが作られている――と、調べて知っていた。
青葉は、すぐに頷いた。
「はい、可能です。細胞と胚様体から生成した場合、ある程度の中枢神経系が成長した段階で、新たな魂がどこからか入ります」
その返答に、若葉が、隣で少しだけ目を丸くした。
たぶん、“魂がどこからか入る”という言い方が、若葉にはかなり直接的に響くのだろう。
僕も、少し考えてしまった。
「じゃあ、必要なら大型の動物も増やせるんだ?」
「理論上は可能です」
青葉は告げた。
「しかし、初期生物パッケージは、いずれ大型生物も生まれるようになっているはずなので、その方が最終的な生態系のバランスは保たれるでしょう。特に動物のクローンを造って放す必要はないと思います」
その言い方は、どこか抑制的だった。
できるけれど、やるべきではない。
そういう線引きだ。
僕は、少し考えてから頷いた。
「たしかに、その方が自然かな」
「自然、という言い方が適切かは、さておきな」
ブライアントが言う。
「少なくとも、変に手を入れすぎるよりはマシだ。いまの時点で、すでにこの星は蘇りすぎている」
「そう、かな……」
その言い方に、僕は少し引っかかった。
でも、反論はできなかった。
蘇りすぎている。たしかに、そうかもしれない。
***
開発会議はいつもより少し長く続いた。
環境解析の結果を踏まえると、次に何を優先するかも変わってくる。
農地をどこまで広げるか、港をどの規模まで増やすか、居住圏をいまのうちに余裕をもって取るか――。
そして、倉庫や整備棟の増設位置をどうするか。
卓上の投影に、今度は拠点予定地周辺の詳細図が出た。
「現時点で、沿岸拠点の一次生活圏は安定しつつあります」
青葉が説明する。
「次の段階では、農地候補地、港湾拡張余地、追加居住棟予定地、長期保管用倉庫群、簡易防衛施設の先行配置を検討すべきです」
ブライアントが、すぐに口を開く。
「農地は河川に近すぎる場所へ寄せないでくれ。いまは安定して見えても、まだ水系の癖が読めん。少し高めの土地を削って段々畑型にした方がいい」
「搬送距離は伸びますが、確かに安全です」
青葉が頷く。
「港は?」
僕が聞くと、ブライアントは海岸線の投影へ指を滑らせた。
「今の簡易港で当面は足りる。ただ、ザラスターIIくらいの大きさの船や、将来入ってくるかもしれない中型艇を考えると、もう少し外洋側に張り出した桟橋が必要になる。あとは、荷捌き場と倉庫の間がまだ狭い。物流を増やすなら詰まる」
『交易用の区画は、やっぱりこっちへ広げた方がええやろ』
ギラが、もうほとんど当然のように別の光線を引いた。
『港から入って、荷捌き場、その奥に広場、その周辺に宿と店舗。人が来るなら、だいたいそういう流れや』
「まだ人が来る前提なんだな」
『来んとは限らんいう話や』
ギラは、肩をすくめる。
『それに、防衛力や経済力の話をするなら、結局、外とのやりとりゼロでは済まへん』
その言葉に、僕は少しだけ考え込んだ。
たしかに、その通りだ。
ただ星を持っているだけでは、守れない。
守るためには、何かしらの力が要る。
力には、武力だけじゃなく、経済も、つながりも含まれる。
ジェプラは、生活区画の図を見ながら言った。
「居住棟は、少し余裕を持って配置した方がよいと思います。若葉さんのように、これから誰かが増える可能性もありますし、共同体が窮屈だと空気が悪くなります」
そこへ、若葉が小さく顔を上げた。
「わたし、ふえた?」
「増えたよ」
僕が笑って言うと、若葉は少し考えてから、なんだか嬉しそうに頷いた。
そういうところが、まだ本当に幼い。
でも、その幼さが、この場には不思議と自然に馴染んでいる。
太郎は、投影の外縁部を見ながら短く言った。
『倉庫と整備区画の距離は維持。安全導線優先。居住棟を広げても、搬送路を削らない』
『主任はぶれへんなあ』
『当然』
いつものやりとりに、少しだけ空気が和らぐ。
僕は、それを聞きながら、卓上の地図を見つめていた。
この拠点を、どこまで大きくするのか。
この星に、どこまで人を呼ぶのか。
名前はつけた。でも、その中身は、まだこれから決めていくしかない。
皆の議論が一段落した後、ブライアントは、僕の方をじっと見た。
「生態系の定着は、想定より早い。おそらく数年以内で、ある程度の自立性は得られる。そうなったら、移住者を呼べるだろうが――弓良は、どうしたい?」
その問いは、前にも少し考えたことがある。
でも、改めて正面から聞かれると、やっぱり少し迷う。
僕は、投影された扶桑――海のある側と、水の乏しい大陸を両方抱えた星――を見つめながら、ゆっくり答えた。
「ちょっと〈先住者〉遺跡の関係で難しい星だし、積極的に人は呼ばないつもり」
そこまでは、割と、はっきり言えた。
「……でも、他から攻められず、交易も普通にできるくらいの経済力と防衛力は欲しいから、変な人が来ないようにしつつ、基本は、来る者は拒まずで」
言いながら、自分でもずいぶん虫のいいことを言っている気がした。
閉じすぎたくない。
でも、開きすぎたくもない。
危険は、避けたい。
けれど、何も持たないのも嫌だ。
ブライアントは、そんな僕を見て、小さく息をついた。
「まあ、まだ先の話だ。ゆっくり考えたらいい」
『そうやな~』
その場にいたギラが、のんびりした声で言った。
『いきなりガラの奴らが攻めてくるってのは、ないと思うけどな。どっかの異星人の海賊とかが来ることは、あるかもしれへん』
「物騒だね……」
『辺境の開拓惑星いうんは、だいたいそういうもんや』
ジェプラは、そこへ少し胸を張って言った。
「グラブール人は、まったく問題ないと思います。何かあったら、白兎族と神殿監察部が積極的に防衛するはずです」
その言い方には、一点の迷いもない。
たぶん、本当にそうなのだろう。
白兎族は、僕をかなり本気で“神子”として扱っているし、神殿監察部も、扶桑を放ってはおかないはずだ。
青葉が、そこで静かに補足した。
「防衛力は、辺境の開拓惑星としては、本艦だけでかなりの戦力となりますが、防衛施設と無人艦艇の製造計画は立てています」
「もう計画あるんだね?」
「はい。最低限の自律防衛衛星、港湾防御火点、無人哨戒艇、迎撃ドローン群の雛形は用意できます」
さりげなく言うけれど、その内容は、全然さりげなくない。
でも、たしかに必要なのだろう。
僕は、投影された地図をもう一度見た。
海。港。本部棟。再生した緑――。
そして、まだ不毛なままかもしれない大陸。
「そうだね……」
僕は、ゆっくり言った。
「……何があるか分からないから、防衛は、少し優先しよう」
青葉が頷く。
ブライアントも、無言で同意した。
若葉は、その話をすべて理解しているわけではないだろう。
でも、僕たちの表情を見て、何か大事な話なのだとは分かったらしく、小さな手を卓の縁へ置いたまま、じっと地図を見ていた。
***
会議のあと、若葉は一人で本部棟の外へ出ていた。
もちろん、本当に一人きりではない。
高台の外周はまだ完全な安全地帯ではないし、監視ドローンも飛んでいる。
でも、若葉自身は、一人で立っているつもりなのだろう。
僕は、少し離れた場所から、その背中を見ていた。
若葉は、海の方ではなく、内陸側を見ていた。
再生した草地と、その先の林っぽくなってきた植生だ。
さらに向こうの、まだ詳しくは知らない地形。
「若葉?」
僕が声をかけると、若葉は振り返った。
でも、すぐにまた前へ視線を戻す。
「ここ、わたしの星?」
その問いに、僕は、すぐには答えられなかった。
若葉のいた遺跡は、この星の一部だ。
若葉の本体も、長いあいだそこにいた。
だったら、“若葉の星”と言っていい気もする。
でも同時に、僕たちは、勝手にここへ来て、勝手に拠点を作り始めた側でもある。
「……若葉の星でもある、かな」
僕がそう言うと、若葉は少しだけ目を細めた。
「おしろの外、いっぱいある」
「うん」
「おしろ、ちいさい」
その言い方が、妙に胸に響いた。
若葉にとって、遺跡の中はの仮想世界は、世界のほとんどだったのだろう。
その外に、海があって、空があって、草が揺れて、いくつもの地形が続いている。そういう広がりを、若葉はいま初めて実感しているのかもしれない。
「これから、もっと見る?」
僕が聞くと、若葉はこくりと頷いた。
「みる」
その短い返事が、なんだか嬉しかった。
この星を、若葉も“自分の星”として見始めている。
そう思えたからだ。




