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宇宙船墓場で古代エイリアンのアンドロイドとして転生した件  作者: 謎村ノン
第VI部 拠点開発編

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第八十五章 惑星の名前は何にしようかな?

 神殿の工事を差配しているジェプラとラギを残して外へ出ると、青葉が待っていた。

「案内は終わりましたか」

「うん……というか、だいぶ進んでるんだね」

「神殿を中心とした整地とインフラ整備も、急ピッチで進んでいます」

 青葉が海側を示す。

 見ると、港もかなり形になり始めていた。仮設だった揚陸デッキが補強され、海上の『青葉』との接続も安定している。陸側には、資材ヤードと整備スペースが広がり、そのさらに奥には居住棟と倉庫棟が列を作り始めていた。

 ジェプラの“神殿”だけではない。

 ちゃんと基地として整っている。

 むしろ、現実に拠点を回すうえでは、そちらの方がずっと重要だ。

 僕と青葉が高台から下りていくと、ブライアントと太郎が、港湾区画の境目で何かを確認していた。仮設桟橋の固定アンカー、搬送クレーンの支点、海面からの引き上げライン、倉庫との最短搬送通路。どれも地味だけれど、なくては困るものばかりだ。

「どう?」

 僕が声をかけると、ブライアントが端末から目を上げた。

「神殿だけ立派で、荷物がまともに上げられないとかいう笑えない事態にはならずに済みそうだ」

「それはよかった」

「太郎がうるさいからな」

『当然』

 太郎は平然としている。

『港が死ぬと拠点も死ぬ』

 それは、たぶん、その通りなのだろう。

 海上の『青葉』からは、今日も建設ドローンが往復している。資材だけではない。

 小型艇の係留位置、将来のシャトル発着枠、整備用仮ドック、燃料、エネルギー搬送の予備ルート――ブライアントは、それらを見ながら、先のことまで考えていた。

「ここが拠点になるなら、海上母艦との接続が生命線だ。倉庫、港、整備区画、この三つは一続きで考える。神殿がどう立派でも、そこが詰まれば全部止まる」

「うん」

「逆に言えば、そこさえ回れば、多少上が大げさでもなんとかなる」

 その“多少”がかなり怪しいのだけれど、ブライアントが許容しているなら、本当にギリギリ実用の範囲なのだろう。

 僕は、港湾区画から高台を見上げた。

 白灰色の建物が、夕陽の中で少し赤く染まっている。

 その背後には、まだ名前のないゴシロック第四惑星の空が広がっていた。

 拠点は、できつつある。

 中心も、港も、生活区画も、整備導線も。

 ちゃんと、戻ってこられる場所が形になり始めている。

 その時、僕はふと思った。

「そろそろ、名前を決めないと……」

 ブライアントが、僕の方を見た。

「この星のか?」

「うん。いつまでもゴシロック第四惑星っていうのも、なんか落ち着かないし」

『妥当』

 太郎が言う。

「そうだな」

 ブライアントも頷く。

「拠点ができてきた以上、内部呼称はあった方がいい。登録や外交は別としても、俺たちが何と呼ぶかは決める段階だ」

 僕はもう一度、高台の本部棟を見上げた。

 海と空、港と神殿、まだ未完成の街区。

 この星に、名前がいる。

 その実感が、ようやくはっきりしてきた。

 そして、その名前を口にするのは、たぶん僕なのだろう。

 海風が少し強く吹いた。

 できかけの拠点のあちこちで、作業灯が順番に灯り始める。

 次は、名前を決めねば。

 そう思った。


***


 この星には、まだ名前がない。

 いや、正確には、名前がないわけではない。

 人類連邦側の呼称では、ゴシロック星系の第四惑星だ。

 基本的には、この地代は、恒星の名前は、元々決まっているものを除いては、早いもの勝ちで専門機関が決めているそうだ。

 地球から見た星座が同じでも距離がまったく違うこともあるから、過去に使われていた星座名は使われておらず、個別に星系名がある。それを束ねた「クラスター」という単位もあるみたいだけど、有人惑星が固まっている星域でしか使われていないらしい。

 実は、グラブール人の方も似たような恒星の名付け方をしていて、「ゴシロック星系」は、グラブール人の呼称だった。それを人類連邦側でも使っていたのだ。

 ちなみに、〈先住者〉の記録では、数値IDの星系名と“技術装備部、実験惑星42”だったそうだ。

 でも、それは“地図の上でそう書いてある”というだけの名前だ。

 僕たちが、今、海岸に港を作り、高台に本部棟を立て、ここで寝起きして、ここへ戻るつもりで整えているこの場所を、ただ「ゴシロック第四惑星」と呼び続けるのは、どうにも収まりが悪かった。

 そう思っていたのは、どうやら僕だけじゃなかったらしい。

 夕方、共用ラウンジ――まだ内装の一部は仮設のままだったけれど、食堂と会議スペースを兼ねたその部屋には、もう出来上がっていて、“みんなが集まる場所”の空気が出始めていた――で簡単な打ち合わせをしていた時、ブライアントが端末から目を上げて言った。

「先程、弓良が言っていた内部呼称の話だが……」

「現在、基地管理データでは“ゴシロック第四惑星・沿岸拠点アルファ”相当の仮称で処理していますが、恒常運用を前提とするなら不便です」

『硬いなあ』

 ギラが椅子の背にもたれながら笑う。

『それ、港の荷札にはええかもしれんけど、住む場所の名前ちゃうやろ』

「住む場所だからこそ、名前は大事です」

 ジェプラが、すごく真面目な顔で言った。

 この人は、本当にこういう話を軽く扱わない。

「名は、祈りの形にもなります。どう呼ぶかで、そこがどんな場所になるかが少し変わります」

 言われると、たしかにそうかもしれない。

 人もそうだ。

 機怪人形も、艦も、星も。

 呼び方が決まると、ただの対象だったものが、少しだけ“そういうもの”になってしまう。

 ブライアントが腕を組んだ。

「外向けの正式登録名は、今後の交渉次第だ。だが、俺たちが内部で何と呼ぶかは先に決めていい。むしろ決めておかないと、今後の記録や運用にも不便が出る」

「候補を出しますか」

 青葉が言うと、空中に小さな立体投影が出た。

 まだ会議用というよりメモ書きに近い簡易表示で、その素っ気なさが少し面白かった。

『現行番号呼称を短縮する場合、“ゴシロック4”または“G4”』

『却下やな』

 ギラが即答する。

『資材置き場の棚番号みたいや』

「わたしも、少し味気ないと思います」

 ジェプラも静かに同意した。

「神子本部神殿のある星としては、あまりに……」

「倉庫っぽいね」

 僕が言うと、青葉はほんの少しだけ視線をこちらへ寄せた。

「倉庫っぽい、という評価は理解できまますが」

 青葉のそういう真面目な返し方は、時々、ちょっと面白い。

「他には?」

「地形由来であれば、“海樹星”“蒼海星”“沿塔星”“アクアリア”などの組み合わせが考えられます」

『沿塔星はあかんやろ』

 ギラが嘴の端を上げるみたいに言った。

『塔が立っとったから沿塔星、は雑すぎる』

「海樹星は少しきれいですが、神話性に欠けます」

 ジェプラが、今度は本気で吟味する顔になった。

 その“神話性”という単語に、僕は少しだけ苦笑いした。

 たしかに、ジェプラが好みそうな名前というのはある。

 でも、ここはただ神聖なだけの場所ではない。

 海があって、港があって、危険な〈先住者〉遺構があって、しかも僕たちが汗をかいて整備している、かなり現実的な拠点でもある。

「もう少し……こう、きれいだけど、危ない感じもある名前がいいんだよね」

 僕がそう呟くと、ブライアントが少しだけ片眉を上げた。

「注文が細かいな」

「だって、ただの楽園みたいな名前は違う気がするんだ。ここ、きれいだけど、それだけではないし」

 海があるし、風があるし、緑もある……。

 でも同時に、この星の地下には、因果変換技術の系譜に連なるものが眠っている。ジャープッカ人の滅亡に繋がる流れと、まったく無関係な場所ではない。そういう危うさを完全に消してしまう名前は、なんだか嘘っぽい気がした。

 僕は、共用ラウンジの窓の向こうに広がる夕焼けの海を見た。

 光が水面に長く伸びていて、海上に停泊した『青葉』の白い艦体が、そこへ静かに浮かんでいる。高台の上には、本部棟の外壁が夕日に染まっていた。

 その景色を見ていたら、ふっと言葉が浮かんだ。

「……扶桑」

 みんなが、少しだけ静かになった。

「扶桑?」

 ブライアントが繰り返す。

 ギラも、面白そうに首を傾げる。

『なんでまた、その名前なんや?』

「うん。中国の伝説で東方の果てにあるとされる巨木の生えている土地の名前で、実は、昔の戦艦の名前でもあるんだ。ちょっと危険な響きがあるから、ちょうどいいかなって」

 言ってしまってから、少しだけ照れくさくなった。

 理屈としては、だいぶ僕の中だけで完結している。

 でも、しっくりきたのだ。

 きれいなだけではない。

 古い戦争技術の危険な名残も、ここには残っている。

 そういうものをひっくるめて、扶桑、という名前は悪くない気がした。

 最初に反応したのはジェプラだった。

「良い名です」

 彼女は、すごく真面目な声で言った。

「神話にもつながる響きがありますし、東の果てにある瑞々しい世界という印象もあります。しかも、ただ優しいだけではなく、古い力を秘めているように聞こえます」

 ブライアントも頷いた。

「まあ、まだ巨木は、ないがな。生態系が定着したら、これから生えるかもしれん」

 思った以上に、丁寧に受け止められてしまった。

「識別名としても悪くありません」

 青葉が続く。

「発音しやすく、記憶に残りやすい。既存の番号呼称とも混同しにくく、内部運用名として十分実用的です」

 青葉らしい評価だ。

 でも、その理詰めの賛成があると、少し安心する。

 ブライアントは、少しだけ考えてから頷いた。

「正式登録の時にそのまま通るかは別だが、内部呼称としては問題ない。むしろ記録やログの整理には助かるな。いつまでも“ゴシロック第四惑星沿岸拠点”だと長すぎる」

『響きがええ』

 ギラは、いちばん感覚的だった。

『扶桑。口にした時の転がりがええわ。商売相手に言うても覚えやすい。ちょっと大物感もある』

「大物感って、そんな基準でいいの?」

『名前なんて、だいたい最後はそういうとこや』

 その言い方には、なぜか妙な説得力があった。

 太郎も通信で、連絡してきた。

『問題ない』

『ほな、登録名は後で調整としても、内部呼称はそれで決まりやな』

「うん、この星を扶桑と呼ぶよ」

 そう言った瞬間、この星がほんの少しだけ、もっと現実になった気がした。

 みんなが自然にその名前を受け入れていくのを見ていると、急に、その重みが僕の方へ戻ってきた。

 僕が決めたのだ。

 この星の、最初の呼び名を。

 ただの思いつきではない。

 この先、何度も呼ばれる。

 みんながそれで記録し、それで話し、それで帰ってくる場所になる。

 少し照れくさくて、少し嬉しくて、それ以上に、少しだけ責任を感じた。


***


 名前の話がひと段落したところで、青葉が、空中表示を切り替えた。

「では、内部呼称を“扶桑”に仮決定した前提で、外部との情報整理に移ります」

 その言葉で、部屋の空気が少しだけ引き締まる。

 楽しい話だけでは終わらない。

 そうだ。

 名前をつけるということは、外へ向けてどう扱うかの話と、だいたいセットなのだ。

「アラージには、もう伝えてあるの?」

 僕が聞くと、青葉が頷く。

「神殿監察部側には、惑星再生の進展と拠点整備の開始までは共有済みです。ただし、呼称の正式整理と、対外的な位置づけについては、まだ協議中です」

「今、つなげられる?」

「可能です」

 青葉が操作すると、ラウンジの中央に通信投影が立ち上がった。少し遅れて、アラージの姿が現れた。

「お忙しいところすみません」

『いえ、大丈夫です』

 狐族らしい優美な顔立ちに、相変わらず落ち着いた目をしている。

 オッコク側の公的執務室らしい背景の前に、きちんとした姿勢で座っている。

『皆様、ごきげんよう』

 アラージは柔らかく言った。

『かなり整ってきたようですね。頂いた遠景だけでも、もう単なる野営地には見えません』

「ジェプラの暴走建築もありましたが」

 青葉が淡々と言う。

「暴走ではありません」

 ジェプラが、即座に抗議した。

 アラージは、少しだけ目を細めて笑う。

『ええ、そういうことにしておきましょう。神子弓良殿の拠点なのですから、ある程度の格は必要ですし』

「ある程度、で済んでるかなあ……」

 僕が小さく言うと、アラージは楽しそうに肩をすくめた。

『済んでいる方です。白兎族の皆さんに完全に任せたら、もっと大変なことになっていたかもしれません』

 それは、たしかにそうかもしれない。

 ひとしきりそんなやりとりをしたあと、アラージの表情が少しだけ仕事の顔へ戻った。

『さて、本題です。神殿監察部としては、現段階のこの星――いえ、扶桑でしたか――を、“機怪天国関連危険遺構を含む、調査中の可住惑星”として扱うのが妥当だと考えています』

「可住惑星、か」

『ええ。開拓星と断言するにはまだ早い。神域とするには広すぎる。完全に秘匿するには、人の出入りが今後発生しうる。ですので、当面は“調査中だが、居住可能性の高い特殊管理惑星”という扱いですね』

 かなり政治的な言い方だった。

 でも、そういう曖昧さが必要なのも分かる。

「GDCとは?」

 ブライアントが端的に尋ねる。

 アラージは、そこでほんの少しだけ間を置いた。

『調整中です』

「難航しているのか?」

『“難航”とまでは言いませんが、少し滞っています。あまり前例のないことなので、各部署との調整が必要らしいのです』

 その表現は、いつものアラージにしては少しだけ歯切れが悪かった。

 その、“少し滞っている”という言い方には、なんとなく、ただ書類が遅れているだけではない感じがあった。

 アラージは、そこを深く説明する気はないらしかった。

『少なくとも、扶桑の正式な位置づけが整うまでは、あまり外に情報を出さず、神殿監察部と皆様のあいだで管理を進めるのが安全です』

「つまり、しばらくは隠し気味に運用するってことか」

 ブライアントが言う。

『“隠す”というより、“急いで広めない”ですね』

 アラージの言い方は相変わらず上手い。

 柔らかいのに、意味はちゃんとある。


***


 通信が一段落したあと、僕たちはしばらく黙っていた。

 名前がついた。

 でも、その名前を外へどう出すかは、まだ別の話だ。

 僕は、ラウンジの窓から海の方を見た。

 夕方の海は、少し紫がかっていた。『青葉』の白い艦体が、その上に静かに浮いている。高台の下には、港湾区画の作業灯が並び、海岸線には倉庫の外灯が点々と灯り始めていた。

「この星を、どういう星にしたいんだろう、僕は……」

 思わず、そう口にしていた。

 誰に向けたというより、自分に向けた言葉だった。

「神子弓良殿の星です」

 ジェプラが、ほとんど反射みたいに言う。

「うん、それは分かる。でも、その先」

 僕は、言葉を探しながら続けた。

「隠れ家みたいにするのか。ちゃんとした開拓星にするのか。誰かが逃げてこられる避難所みたいな場所にするのか。あるいは、もっと神殿っぽい、特別な場所にするのか」

 言っているうちに、自分の迷いがだんだんはっきりしてきた。

 どれも、少しずつ分かるのだ。

 ここは危険な遺構のある星だから、あまり大っぴらにしたくない。

 でも、せっかく住める星なら、いつか誰かが来てもいいとも思う。

 機怪天国とつながるような特別な場所でもある。

 それなのに、ただ神聖なだけの閉じた世界にはしたくない。

 青葉が、静かに口を開いた。

「いまの段階で一つに決める必要はありません」

「でも、方針はいるよね」

「はい。ただし、固定しすぎると危険です。扶桑は、まだ完全に正体の知れた惑星ではありません。今後の探索結果次第で、最適な運用は変わる可能性があります」

「つまり、暫定で決めるってことか」

「はい。現時点では、“我々の拠点であり、必要に応じて避難所にもなりうる、しかし外部へ軽々しく公開しない特殊管理開拓拠点”とでも言うべきでしょう」

『長いなあ』

 ギラが笑う。

『でも、わりとそのまんまやな』

 ブライアントが少しだけ頷いた。

「拠点。避難所。開拓地。どれも含んでる。今はそれでいいだろう」

「神域でもあります」

 ジェプラは、そこだけは譲らないらしい。

「潜在的な危険性に鑑み、そう扱うことに異論はありません」

 青葉の返し方が、妙にうまかった。

 僕は、みんなの顔を順番に見た。

 ジェプラは、この星を神子の拠点として見ている。

 ブライアントは、危険と可能性を両方知った上で、住める場所として整えようとしている。

 ギラは、面白い場所、広がっていく場所として見ている。

 青葉は、その全部を計算した上で、まだ決めきらない方がいいと言っている。

 そして僕は、その真ん中にいて、たぶん、全部少しずつ欲しいと思っている。

「そうだね。では……」

 僕は、ゆっくり言った。

「今は、僕たちの拠点にする。ちゃんと帰ってこられる場所として。それで、必要なら誰かを助けられるようにして、でも、まだ簡単には外へ広げない。そんな感じでいこう」

 言い終わると、少しだけ胸が軽くなった。

 完璧な答えではない。

 でも、いまの僕には、そのくらいが限界で、そのくらいが正しい気もした。

「はい」

 青葉が頷く。

「その方針であれば、現状の整備計画とも矛盾しません」

「わたしも賛成です」

 ジェプラが言う。

「神子弓良殿の帰る場所でありながら、必要な者を拒まない星。とても良いと思います」

『ええんちゃうか』

 ギラも軽い調子で賛成した。

「なら決まりだな」

 ブライアントが締めた。


 青葉が内部データの呼称を切り替える。

 港湾区画、倉庫区画、中央施設、居住棟。

 そのすべてのログに、“扶桑”という名前が紐づいていく。

 文字として表示されると、それは少しだけ、現実味を増した。

『内部呼称、更新完了』

 青葉が告げる。

「当拠点は、以後、“ゴシロック第四惑星・扶桑沿岸拠点”として管理します」

 僕は、その表示を見つめた。

 ゴシロック第四惑星と、扶桑が、両方が並んでいる。

 それが、今の僕たちにはちょうどいい気がした。

 古い名前と、新しい名前。

 危険な遺構としての顔と、これから住む場所としての顔。

 その両方を抱えたまま、この星の内側へ、もっと踏み込んでいくことになるのだろう。

 名前が決まった。

 なら、次は、本当にこの星の中身を知らなければいけない。

 僕は窓の向こうの暗い海を見ながら、そう思った。

 いよいよ、扶桑の内部へ入っていく。

 そんな予感があった。


***


 扶桑という名前が決まったあと、僕は、本部棟――というか、もはやジェプラの中では完全に神子本部神殿と呼ばれている建物――の窓から、外の夕暮れを眺めていた。

 海の向こうには、巡洋艦『青葉』が静かに浮かんでいる。

 白い艦体は、夕方の光を受けて、少しだけ赤く染まっていた。海は穏やかで、湾の内側へ寄せたその姿は、いまや巨大な母艦というより、本当に港へ停泊した船みたいに見える。

 でも、僕が今いるのは、もうその船の中じゃない。

 高台の上で、神子本部神殿の執務室――と呼ばれ始めた部屋だ。

 そして、その奥には、今日から使えるように整えられた寝室がある。

 そこへ、青葉が入ってきた。

 機怪人形ボディの方の青葉だ。巡洋艦本体と一体であるはずなのに、こうして普通に部屋へ入ってくるのは、やっぱりまだ少し不思議な感じがする。

「弓良、居住区画の最終確認が終わりました」

「もう?」

「はい。少なくとも、本日から生活を始めるには十分です」

 その言い方に、僕は少しだけ瞬いた。

「本日から、って」

「今夜から、こちらへ泊まることが可能です」

 その一言に、僕は、窓の外の『青葉』をもう一度見た。

 巡洋艦『青葉』の中で寝るのは、もうずいぶん当たり前になっていた。

 艦の中の空気。

 金属と機械の気配。

 落ち着いた照明。

 青葉が常にすぐ近くにいるという安心感。

 だから、拠点を作っていても、どこかで「寝る時はまた艦へ戻るんだろう」と、勝手に思っていたのかもしれない。

「こっちで……?」

「はい」

 青葉は、ごく自然に頷いた。

「セキュリティー上の問題はありません。本部棟、居住区画、港湾区画、いずれも巡洋艦『青葉』本体から常時監視と対応が可能です。緊急時には、重力制御と艦載兵装で即応できます」

「それは、まあ、青葉が海の上にあるならそうか……」

「さらに、地上用の空間()エネルギー()転換炉()も一部、可動し始めています」

 青葉は、すぐに補足した。

「仮設電源塔経由で起動試験を行っていた地上系のSER群のうち、二基が安定稼働へ入りました。これにより、本部棟と居住区画、それに最小限の港湾設備については、『青葉』本体からの常時電力供給を外しても運用可能です」

 僕は、その言葉をゆっくり頭の中で整理した。

 つまり、この建物は、もう“艦から電気をもらっているだけの仮設小屋”ではない。

 地上で独立して、ちゃんと夜を越えられるようになったのだ。

 そのことを理解した瞬間、胸の奥に、少し変な感覚が広がった。

 嬉しかった。かなり嬉しい。

 でも、それと同じくらい、ちょっと落ち着かなかった。

 いままで寝床だった巡洋艦から離れて、地上の建物で初めて夜を過ごす。たったそれだけのことなのに、“本当にここへ移ってきた”感じが急に強くなる。

「急に、拠点っぽくなったね……」

 僕が、そう言うと、青葉はほんの少しだけ表情を和らげた。

『拠点ですので』

「いや、そうなんだけど」

 そう返しながら、僕は立ち上がって、窓から離れた。

 執務室の床はまだ新しい。壁面も、完全な意味での使い込みはない。けれど、机があり、椅子があり、壁面スクリーンがあり、窓の向こうに海が見える。そのすぐ奥には、僕の寝室がある。

 今夜から、ここで寝る。

 言葉にすると、やっぱり少し妙だ。

 でも、その妙さは嫌じゃない。

 廊下へ出ると、向こうからジェプラがやってきた。

 耳がぴんとしていて、なんだか妙に嬉しそうだ。

「弓良殿、聞きました!」

「聞いたって、何を?」

「今日から、こちらへお泊まりになるのですよね?」

 やっぱり、もう知っていた。

 たぶん青葉か、自分で設備ログでも見たのだろう。

「うん。電源もだいぶ安定したみたいだし」

 僕がそう答えると、ジェプラは、胸の前で手をきゅっと組んだ。

「よかった……!」

 その反応が、思っていた以上にまっすぐで、僕は少しだけ気恥ずかしくなる。

「そんなに?」

「そんなに、です」

 ジェプラは、すごく真面目な顔で言った。

「拠点の中心である神子本部神殿に、弓良殿がちゃんと住んでくださらないと、やはり“本部”になった気がしません」

「そこまで言われると、ちょっと責任が重いなあ……」

「重くてよいのです」

 即答だった。

 けれど、そのあとで、ほんの少しだけ頬を緩める。

「でも、それだけではありません。単純に……嬉しいです。弓良殿が、ここに戻ってきてくださる場所になるので」

 その言い方が、やわらかくて、少しだけ胸に響いた。

 巡洋艦『青葉』へ戻るのではなく、ここへ戻る。

 たしかに、それは小さくない変化だ。

 その時、廊下の向こうから、ギラの声が飛んできた。

『お、ついに地上暮らし開始か』

 振り向くと、ギラが壁にもたれるみたいに立って、面白そうにこちらを見ている。

『ええやん。ようやく、ほんまの意味で“町の主”っぽくなってきたな』

「まだ町ってほどじゃないよ」

『今はな。でも、寝る場所が船の中か、地上の本拠地かで、だいぶ意味が変わるで』

 それは、たしかにそうだ。

 ブライアントも、少し遅れてラウンジ側から顔を出した。

「地上で泊まるのは賛成だ。何かあっても『青葉』が対応できるなら、むしろその方がいい。こっちの生活導線や、夜間の問題点も洗い出せる」

「やっぱりそういう発想なんだ」

「当たり前だ。住むなら、夜を越えないと分からんことがある」

 そこへ、青葉も静かに加わる。

『温度変化、湿度制御、騒音、導線、夜間照明、警戒体制、いずれも実際に一晩運用した方が確認が進みます』

 みんながそう言うなら、もう決まりなのだろう。

 僕は、少しだけ笑って頷いた。

「分かった。じゃあ、今夜から、ここで泊まろう」

 その一言を口にした瞬間、ジェプラの耳がぴんと立った。

 ギラは、にやっとした。

 ブライアントは、小さく頷いた。

 青葉は、いつもよりほんの少しだけ、満足そうだった。


***


 夜になると、本部棟の中は、巡洋艦『青葉』の内部とは違う静けさに包まれた。

 艦の中の静けさは、機械が完璧に制御した静けさだ。

 けれど、地上の建物の静けさは、もう少し柔らかい。外の風の音が微かに混じり、遠くで波が返す気配がある。

 足元を流れる電力も、今夜は地上用SERが主で回っていると思うと、そのわずかな違いまで少しだけ感じる気がした。

 僕は、寝室へ入って、少しのあいだ、ただ立っていた。

 広くて、まだ新しいけど、自分の部屋だ。

 窓の向こうには、海の上に浮かぶ『青葉』の灯が見える。

 完全に離れたわけではない。むしろ、すぐそこにいる。けれど、今夜は僕はあの船へ戻らないで、この建物で寝る。

「本当に、始まったんだな……」

 小さくそう呟く。

 扶桑、神子本部神殿、地上用SER、独立した夜――。

 これまでは、どこか“拠点を作っている途中”だった。

 でも、今夜を越えたら、もう少しだけ、“ここで暮らしている”側に踏み込むのだろう。

 寝る前に、もう一度だけ廊下へ出ると、向こうの角からジェプラが顔を出した。

「弓良殿」

「うん?」

「おやすみなさい」

 その挨拶が、なんだか妙に新鮮だった。

 巡洋艦『青葉』の中でも、もちろん似たようなやりとりはあった。

 でも、“同じ建物の中で、それぞれの部屋に戻る前の挨拶”として聞くと、まったく違うものに感じる。

「うん。おやすみ」

 僕がそう返すと、ジェプラは嬉しそうに微笑んで、自分の部屋の方へ戻っていった。

 僕も、ようやく寝室へ戻る。

 今夜から、ここが帰る場所になる。

 そう思いながら、僕は静かに扉を閉めた。

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