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宇宙船墓場で古代エイリアンのアンドロイドとして転生した件  作者: 謎村ノン
第V部 機怪天国編

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第八十章 幕間――エナンナの物語(3) 神々が消えた日

 巡洋艦シグネアが完成した日、エナンナは、自分が本当にもう昔の人間ではないのだと、少しだけ晴れやかな気持ちで認めた。

 制御区画へ足を踏み入れた瞬間、その空気は、他の艦とはまったく違っていた。

 ジャープッカ人の艦に満ちている、湿地の底みたいな重さがなかった。

 ぬめった熱気も、生臭さも、壁の裏で何かが呼吸しているような不快さも少ない。

 もちろん、完全に人間のための艦というわけではなかった。

 深部構造にはジャープッカ人の艦に特有の有機的な気味の悪さが残っているし、シャドーマター制御層に近づけば、いまだに生き物の内臓へ触れたような居心地の悪さを覚えた。

 しかし、それでも、少なくとも表層の居住区画や指揮区画は、人が長く働くことを前提に作られていた。

 乾いた空気、蒼すぎない照明、視認性を優先した表示――。

 金属でできているのに、必要以上に冷たくない床。

 高原の村の石の家とは、もちろん比べものにならない。

 しかし、それでもエナンナは、その場へ立った瞬間に、ここなら長くいられると思った。


 ――あの頃はまだ、私は“住みやすい”と“美しい”を、ほとんど同じ意味で感じていた。

 実際には、あの艦の美しさは、兵器としての合理性が形になったものだった。

 無駄が少なく、効率がよく、指揮と戦闘に最適化されている。だが、自分には、その合理性そのものが美しく思えたのだ。


 艦橋正面の表示窓(スクリーン)には、宇宙が広がっていた。

 人工的な額縁へ収められた星々が見えた。

 その前に立っていると、昔、高原で見上げた夜空のことを少しだけ思いだした。

 違う。

 でも、どこか似ている。

 空の向こうに何かがあると、ただ信じて見上げていた頃の自分を、少しだけ思い出す。

「どうだ?」

 後ろから、キーフラスの声がした。

 彼は、また地球人の若い男の姿をしていた。

 どうも、自分と、プライベート側の会話をしたいときに、その姿になるようだった。

 もうエナンナは、その姿が仮のものだと知っている。それでも、その姿で現れてくれる時、彼女の心が少しだけ安らぐのもまた事実だった。

 エナンナは、制御区画を見回してから、正直に答えた。

「とても、好ましいです」

 その返答は、考えるより先に出た。

 自分でも少しだけ子供っぽい言い方だと思ったが、他にふさわしい言葉がなかった。

 キーフラスは、わずかに口元を上げた。

「だろうな」

 その声音には、珍しく、あからさまな満足が混じっていた。

 彼は、自分の工廠惑星『機怪天国』を誇っていたし、そこから生まれたこの巡洋艦にもまた、強い自負を持っていたのだろう。

「名前は?」

 その問いに、エナンナは少しだけ考えた。

 艦に名前をつける。

 それは、村で羊に呼び名を与えるのとも、家へ名をつけるのとも違う。

 もっと大きくて、もっと責任のある行為のように思えた。

 正面の宇宙を見ながら、彼女は答えた。

「シグネア」

「理由は?」

「わたしの一族の言葉で、若々しい新緑の葉という意味です。そんな感じがしたんです」

 その答えを口にした時、エナンナは、自分でも少し驚いた。

 なぜそんな言葉が出たのかは、よく分からない。

 けれど、それが自分にとっていちばんしっくりくる名だった。

 キーフラスは、すぐには何も言わなかった。

 彼は少しだけ目を細め、それから、ごく小さく頷いた。

 却下しない。

 それだけで十分だった。

 シグネア――その名は、そうして彼女の旗艦の名になった。


 その日から、エナンナは本格的に、グラブール人特務部隊の指揮官となった。

 グラブール人たちは、まだ後の時代ほど部族ごとに整った社会を持ってはいなかった。

 だが、既に違いははっきり見えていた。

 白兎族の原型たちは、反応が速く、命令の理解も早い。

 狐系統は、状況の読みが鋭く、目先の変化に柔軟だった。

 狸に近い系統は、雑務や現場修理への適応が異様に高い。

 狼系統は、前へ出ることを躊躇わず、戦意の立ち上がりが極端に早い。

 猫系等は、とにかく素早く、警戒心が強かった。

 どれも、ジャープッカ人が“魔法戦士”として人工進化させた存在だ。


 ――今なら、それが単なるシミュレーションではなく、バラバラに哺乳類の遺伝子を染色体に分配して、それを組み合わせた結果を因果変換を使って検証する――という、途方もないプロセスを使って行われた、ということが分かっている。


 しかし、エナンナには、彼らが単なる兵器には見えなかった。

 それぞれが、独自の長所を持ち、得意な魔法の系統も違っているようだった。

 訓練中、白兎族の若い士官候補が、何度同じ魔法陣を展開しても左端だけ歪み、耳をしょんぼり垂らしているのを見れば、つい声をかけたくなる。

 狐系統の者が、命令されてもいないのに先回りして情報整理をしていれば、褒めたくなる。

 狸系統の整備班が、誰も見ていないところで勝手に補助具を改造し、勝手に便利にしているのを見れば、叱るべきか感心すべきか迷う。

 彼らには、性格があった。

 癖があった。

 失敗の仕方にも、その者らしさがあった。


 ――あの頃はまだ、私は、自分も彼らも“作られた兵器”なのだという言葉を、あまり真に受けていなかった。

 実際には、その通りだったのだろう。しかし、兵器ならもっと均一であるはずだと、どこかで思っていた。こんなふうに、一人一人が勝手な顔をして、失敗して、照れて、褒められて耳を揺らしたりするはずがないと。


 だから、エナンナは、彼らを兵器としてより、生きた部下として見た。

 その見方が、後にどれほど大きな意味を持つか、その時の自分は、まだ知らなかった。


***


 エナンナは、戦術を覚えるのが早かった。

 それは、機怪人形の身体へ銀河ネット由来の知識が流し込まれていたからでもあった。

 しかし、それだけではない。

 彼女自身に、もともと構造を読む頭があった。

 艦隊陣形には、必ず理由がある。

 兵站の流れには、必ず弱点がある。

 敵の配置には、恐れていることが反映される。

 味方の士気には、数字だけでは測れない癖が出る。

 エナンナは、そういうものを、知識として学ぶより少し先に“感覚として分かる”ことが多かった。


 ――あの頃は、まだ、私は、自分がたまたまうまくやれているだけだと思っていた。

 実際には、たぶん、かなり優秀な指揮官の素質を持っていた。

 文明を知らない娘として始まったにもかかわらず、複雑な艦隊運用を理解し、人と人のあいだに流れる空気まで含めて判断できていたのだ。


 それでも、エナンナは、自分に自信を持ちきれなかった。

 なぜなら、すぐ隣にキーフラスがいたからだ。

 彼は、あまりにも知りすぎていた。

 宇宙の構造も、兵器の理屈も、生命改造も、因果変換も、あまりにも遠い高さから全部を見下ろしている。

 その前では、自分の理解などいつも小さく思えた。

 それでも、時々、彼はエナンナを見て満足そうに言った。

「よく馴染んでいるな」

 ある時は、戦術模擬の結果を見てそう言った。

「お前を指揮官型にした判断は正しかった」

 その言葉に、エナンナは、やはり嬉しくなった。

 兵器計画の責任者が、作品の完成度を認めているだけなのかもしれない。

 そう思う冷静さは、彼女にもあった。

 しかし、それでも嬉しいのだから、もうどうしようもない。


 ――あの頃の私は、あの人に認められることが、自分の存在証明そのものになっていた。

 実際には、それはひどく危うい依存だった。しかし、他にどこへ自分の価値を置けばよいのか、自分には、まだ分からなかったのだ。


 戦争は、激しさを増していった。

 宿敵マルモ人――その名は、エナンナにとって最初はただの“敵”だった。

 しかし、資料を読み、映像を見て、彼らの兵器がジャープッカ人の想定を上回ることを知った。

 それにつれ、マルモ人の存在は、単なる敵意の対象ではなく、文明の果てにいる別種の恐怖として形を持ち始めた。

 隣の巨大渦巻銀河――アンドロメダ銀河から来たと推測される人魚のような種族、マルモ人は、ジャープッカ人より先にシャドーマター技術を実用化していた。

 それは、キーフラス自身が、何度も認めていた。

 だからこそ、彼はグラブール人を作り、魔法戦士計画を走らせ、『機怪天国』を造ったのだ。

 つまり、自分たちは、遅れている側なのだ。

 追いつき、追い越さなければ、いずれ押し潰される側なのだ。

 そのことを知った時、エナンナは少しだけ、気持ちが冷えた。

 神々は、全能ではなかった。

 ジャープッカ人も、負けうるのだ。

 その現実を、彼女は理解していた。


***


 決戦の場に選ばれたのは、失敗した原始惑星系円盤が広がる星系だった。

 恒星の周囲に、石と氷とガスの残骸が濃密に散っている。

 地球で言えばカイパーベルトに近いのかもしれないが、それよりずっと密で、もっと近い。

 微惑星、氷塊、まだ惑星になりきれなかった微惑星と、それが破壊された欠片が、幾重にも散っている。

 天然の遮蔽物としては、優秀だった。

 しかし、そのぶん航路は複雑で、艦隊同士の正面決戦には向かない。

 だからこそ、ここで勝てば補給線の要を押さえられるし、負ければ一気に後退を強いられる。

 『機怪天国』は、まだ、艦隊の本格生産には至っていなかった。キーフラスは、もう少し時間があれば、と嘆いていた。

 シグネアの制御区画で、エナンナは何度も戦術図を見直していた。

 前衛は囮になる。

 本隊は、あえて正面に圧をかけて敵の目を引く。

 自分の特務艦隊は、微惑星群の濃い影を使い、横から敵中列へ食い込む。

 目標は、中程にあるポイントだ。

 そこへFMSプラズマ砲と超火魔法を叩き込み、陣形を崩す。

 その瞬間、本隊が押し込む。

 危険な作戦だった。

 しかし、うまくいけば、唯一、勝ち筋が見える。

 制御区画の空気は張り詰めていた。

 表示窓の向こうでは、微惑星群が静かに流れていく。

 しかしその静けさの向こうに、マルモ人の艦隊がいた。

 白兎系統のネルという若い士官が、報告を上げた。

「司令官殿、全艦配置完了であります」

 まだ若く、少しだけ声が硬い。しかし、反応は早く、判断も悪くない。エナンナが副官として気に入っていた者の一人だった。

 エナンナは、頷く。

「各艦、隠密状態維持。火器解放は、私の号令を待って」

「了解であります」

 その返事に、わずかに緊張が混じっている。

 彼だけではない。

 制御区画全体に、それは広がっていた。

 もちろん、エナンナも緊張していた。

 しかし、その緊張の中には、奇妙な高揚もあった。

 もし勝てば。

 もし、この作戦が成功すれば。

 キーフラスの理論も、自分の指揮も、間違っていなかったことになる。


 ――あの頃は、まだ、私は、大きな戦いの前でも、どこかで“あの人に見せたい”という気持ちを捨て切れていなかった。

 実際には、司令官としてそんな感情は邪魔だったのだろう。しかし、その未熟さがあったからこそ、最後まで前へ出る力を失わずにいられたのかもしれない、とも思う。


 表示窓の外で、敵艦の反応が揺れた。

 いよいよ始まる。

 エナンナは、小さく息を吸った。

「いける」

 それは、自分に向けた言葉だった。

 あるいは、遠くどこかで見ているかもしれないキーフラスへ向けた言葉でもあった。


***


 攻撃開始の瞬間、シグネアの勇姿に、心が躍った。

 乾いた艦内環境を持つ巡洋艦でありながら、その核には、機怪天国で生み出された〈先住者〉技術が詰め込まれている。FMSプラズマ砲の砲口が青白く開き、高次制御層へ接続したグラブール人魔法戦士たちの意識が、艦全体の動力と一体化していく。

 その感覚は、エナンナにとって快かった。

 自分が艦と重なる。

 艦が艦隊と重なる。

 艦隊が、ひとつの意志を持って敵の側面へ滑り込んでいく。

「撃て!」

 その一言で、世界が裂けた。

 旗艦を始めとする巡洋艦群のFMSプラズマ砲が、敵中列へ突き刺さる。

 突撃艦から、続いて超火魔法が重なる。

 真空なのに、“燃えた”としか思えない光景だった。マルモ人の艦列の中央で構造が崩れ、熱ではない熱が広がり、隊列が乱れる。

 成功だ。

 まず、そう思った。

 敵の中列が歪めば、あとは本隊が押し込める。

 こちらの奇襲は、通った。

 読みは当たった。

 制御区画に、一瞬だけ高揚が走る。

 白兎系統の士官が息を呑み、狐系統の観測士たちが次の敵配置を読み上げる。

 しかし、その次の瞬間、戦場そのものの色が変わった。

 微惑星群の濃い影の向こうに、巨大な構造物があった。

 マルモ人の要塞艦だった。

 それは、最初からいた。

 ただ、“いることは知っていたが、対応しきれない位置”に置かれていたのだと、エナンナは、後になって理解した。

 その中央が、ゆっくり開いた。

 そこから現れたのは、紫色の炎にしか見えないものだった。

 そう、炎に――見えた。

 しかし、エナンナは本能的に、それが火ではないと分かった。

「ランページ砲だ……!」

 誰かが、叫んだ。

 まだ存在が確認されたばかりの、敵側の超兵器だった。

 その瞬間、紫の奔流が空間を舐めるように広がった。

 シグネアの重力磁場バリアーとシャドーマターを併用したシールドが、それに触れる。

 普通の砲撃なら、シールドは削られる。耐えきれなければ貫通される。

 しかし、これは違った。

 守るための位相そのものが、ほどける。

 盾が砕かれるのではない。

 盾が、“盾である意味”を失う。

 構造が裂け、機能が壊れ、存在の理屈が抜かれる。

 その感覚を、エナンナは一生忘れなかった。


 ――あの頃はまだ、私は、兵器とは威力の大きさで決まるものだと思っていた。

 実際には、最も恐ろしい兵器は、対象の“在り方そのもの”を否定する。あのランページ砲は、まさにそういう種類の破壊をもたらしたのだ。


 次の瞬間、衝撃が艦全体を貫いた。

 制御区画の人工重力が消えた。

 傾く。

 表示が弾けた。

 警報が鳴り響いた――分子機械の自己修復が、追いつかない悲鳴を上げる。

 一瞬で――この艦が大破したのが分かった。

「総員退艦。経路示して!」

 エナンナは、叫んでいた。

 司令官であり、艦長である以上、最後まで、それをやるしかない。

 部下を逃がすのだ。可能な限り脱出させる。

 それが先だった。

「司令官! ご無事で」

「あなたも!」

 生身の士官逹をどうにか送り出し、彼女自身も、最後の脱出ポッドへ乗り移った。

 ポッドが艦体から切り離され、真空へ放り出される。

 一瞬だけ、助かったかもしれないと思った。

 その直後、外部表示の端に、マルモ人のドローンが見えた。

 小さな機体だった。

「やめて!」

 叫んでいた。

 しかし、マルモ人逹は、非情だった。

 冷たい追尾と白い閃光――そこで、記憶は現在に戻った。


***


 細い光が近づいてきたとき、これが本当の死の光かと、エナンナは思った。

 しかし、それは味方の救助艦だった。

 エナンナを救ったのは、残骸のあいだを縫って伸びる回収アームだった。

 その先で、自分の身体が拾い上げられる感覚があった。

 視界が少し安定した時、最初に見えたのは、兎耳を震わせながら泣きそうな顔をしている若い士官だった。

「司令官殿!」

 ネルだった。

「ずっと探していたんであります!」

 その声が、あまりにも必死で、エナンナは一瞬だけ言葉を失った。

 戦いの後に、こんな顔で自分を探しに来る者がいる。

 その事実が、胸の奥へ重く落ちた。

 救護区画へ運ばれ、応急修復を受けながら、彼女は断片的に事情を聞いた。

 会戦に敗北した後、彼らは、泊地へ集結して、体制を立て直そうとしていた。

 艦隊が修理をしている間、彼らは、まとめて泊地のグラブール人用のステーションにいたのだという。

 その時だった、突然、神――ジャープッカ人が消えた。

 “神々”だけが、一斉に輪郭を失い、この宇宙から抜け落ちるように消えたのだ。

 最初は、幻術か新兵器かと思ったそうだ。

 しかし、違った。

 慌てて、敵側の泊地に切り込み隊が偵察したところ、マルモ人も、全て、同じように消えているようだった。

 本当に、“神々”が、いなくなったのだ。

「もっと上位の神々の怒りに触れて消されたんじゃないか、って皆言っております……」

 ネルは、そう告げて、首を傾げた。

「それで、ですね。予言に秀でている者が……」

 ネルは、修復ベッドの脇で言った。

「司令官殿は、まだ生きていると言ったのであります。だから、捜索に来たのであります」

 エナンナは、しばらく黙っていた。

 神々が、消えた。

 敵も消えた。

 そして、残されたのは、自分たちだけ。

 その事実が、重かった。

 しかし、同時に、妙にはっきりした感覚もあった。

 逃げられない――ここで壊れている場合ではない。

 グラブール人たちは、もう神の命令を待つだけでは生きられない。

 なら、自分が導くしかない。


 ――あの頃はまだ、私は、自分が“神の代わり”になるのだと思った。

 実際には、そうではなかった。彼女が引き受けたのは、神の代行ではなく、神々に置き去りにされた者たちの母になることだった。


 そこからの時間は、戦場よりも別の意味で過酷だった。

 エナンナは、自分の身体がもう長く保たないことを知っていた。

 外形はどうにか保っているが、膨大な高エネルギー放射線に曝された内部損傷が深く、シャドーマター取得効率も落ちていた。

 修復は遅れ、ネット接続も時々不安定になる。

 それでも、彼女は止まらなかった。

 既知の有人惑星圏を調べて、人類に近い環境を持つ星を選んだ。

 種族ごとに住みやすい地域を割り出す。

 白兎系統には記録と統治がしやすい場所を、狐系統には移動と交渉に適した拠点を、狸系統には商業と流通の起点になれる場所を、猫系統には温かく遺伝資源が多い場所を――。

 部下たちは皆、不安そうだった。


 神がいなくなったのだ。


 何を基準に生きればいいのか分からない。

 それでも、エナンナが命じれば、従おうとする。

 その様子を見るたびに、彼女は、胸の奥が少しずつ変わっていくのを感じた。

 昔の自分なら、キーフラスに認められることだけを考えていた。

 しかし、その時は、違っていた。

 この者たちが飢えず、怯えず、どうにか未来へ進めるようにしたい。

 そう思う気持ちが、いつの間にか自分の中心に座っていた。


 ――あの頃は、まだ、私は、あの人のために頑張っているつもりだった。

 実際には、もうその時には、私はこの子たちのために働いていたのだと思う。


***


 すべての配置と避難誘導が、どうにか形になった頃だった。

 エナンナのもとへ、ひとつの呼びかけが届いた。

 『機怪天国』からだった。

 それを受けた瞬間、彼女は少しだけ目を閉じた。

 嬉しい……しかし、嫌な予感もした。

 必死にグラブール人の生存のために働いていたので、『機怪天国』がどうなっているのかは知らなかった。

 そこにキーフラスが戻っていた。

 そう、キーフラスが無事であることは救いだった。

 しかし、ジャープッカ人が消え、マルモ人も消えた今、彼が平然としていられるはずがないことも、エナンナは知っていた。

 『機怪天国』へ向かった時、人工惑星の内部は以前と変わらず、宇宙に浮かんでいた。

 本当に何も変わらないように思った。

 光が瞬き、工廠は動いているのが分かった。

 防御系も沈黙していないから、認証を求められた。

 けれど、その完全さが逆に、ひどく空虚に感じられた。

 宇宙港に降りて、人が居住できる少ない区画を歩いた。

 すると、キーフラスは、中心制御区画の近くで待っていた。

 地球人の男の姿をしていたが、その姿が以前より酷く薄く見えた。

「わたしは、大会戦で我々が敗北したと知ったときに、まだテストが完全でなかった因果変換兵器を試したのだ」

 開口一番、彼はそう言った。

 声は乾いていた――以前のような、自分の技術を当然のように誇る響きがない。

「そして、失敗した。それが、この結果だ」

 彼は、俯いた。

「だから、ここで、ジャープッカ人を復活させられないか、あらゆる方法を試した」

 エナンナは、黙って聞いた。

「だが、それも、全て失敗した」

 その一言に、彼女は、胸の奥に怒りとも悲しみともつかないものを感じた。

 この人は、最後までそうなのだ。

 世界を作る、文明を動かす、兵器を生む、星をいじる――その全部をやっておいて、最後には、自分だけの絶望の中へ沈もうとする。

 ひどく傲慢で、ひどく孤独だ。

 それが分かるからこそ、エナンナは彼を責めきれない。

 彼を、愛していたからだ。

 あの頃はまだ、私は、あの人を見捨てられないことを、自分の弱さだと思った。

 実際には、それは弱さだけではなかった。彼の罪も愚かさも見た上で、それでも引き受けると決めたのだから。

 キーフラスは、機怪天国の中心制御盤へ手を伸ばした。

「管理権を、お前に移す」

 その瞬間、膨大な情報の束がエナンナへ流れ込んだ。

 工廠、生産ライン、供物と贈物の系、防衛権限――。

 機怪天国そのものが、自分の身体へ変わっていく感覚。

 エナンナは、身体の方で、目を閉じた。

 ため息が出た。

「本当に、あなたは……」

 責めたかった。

 泣きたかった。

 叫びたかった。

 けれど、そのどれも、最後には言葉にならなかった。

 彼を愛していたからだ。

 愛していたからこそ、彼がここで完全に壊れてしまうのを見捨てることはできなかった。

「……仕方のない人ですね」

 彼女は、そう言って管理権を受け取った。

 そして、彼女は、管理意志体と融合した――その瞬間、機怪天国が彼女へ重なる。

 惑星の表層、深部工廠、無数の分子機械、祈りみたいに届く願い――全部が、自分の身体の延長になった。

 キーフラスは、その様子を見て、少しだけ安堵したような顔をした。

 彼は、そのまま、ベッドのような、棺のようなものに横たわった。

 そして、彼の魂は、ここの超越量子構造体で眠りについた。

 その棺の中の顔が、少しだけ腹立たしかった。

 でも、同時に少しだけ嬉しかった。

 こうしてエナンナは、機怪天国と融合し、管理意志体になった。


***


 ――それから長い時間が流れた。

 機怪都市のベンチに、エナンナは、座っていた。

 隣には、薄くなったキーフラスがいる。

 もう、彼は、完全な存在ではない。

 それでも、まだ、ここにいる。

 エナンナは、そこまで思い出してから、そっと彼の方を見た。

 昔のような激しい痛みは、もうない。

 その代わり、長い時間で沈殿した、静かな愛情だけが残っている。

 キーフラスが、少しだけ困ったような顔で言った。

「なぜ、弓良たちに名前を教えなかった?」

 昔の名前――人間だった頃の名。

 あるいは、彼だけが知っている、もっと個人的な呼び名だ。

 エナンナは、少しだけ目を細めた。

「もう、私は私であるものだからです」

 彼は、黙って聞いている。

「昔の名前を覚えている方は、あなただけいればいいんです」

 その言葉を言い終えた時、エナンナは、自分の中で、高原の村の娘だった頃の自分がようやく静かに笑った気がした。

 キーフラスは、少しだけ視線を逸らし、照れたように咳払いをした。

 その反応が、ひどく彼らしくて、エナンナは小さく笑った。

 あの頃はまだ、私は、この人が好きだと気づくのが遅すぎたと思っていた。

 実際には、遅すぎたのではなく、長すぎただけなのかもしれない。

 人の娘だった時間より、機怪人形として過ごした時間の方が、もうずっと長い。

 それでも、最初の夜にこの人を見上げた時の胸の痛みだけは、少しも消えていなかった。

 機怪都市の上には、青白い光が静かに流れていた。

 過去は終わった。

 それでも、消えたわけではない。

 その余韻の中で、エナンナは、もう一人の自分――マザーとして、これからもこの星を見守っていくのだと思った。


これで幕間終わりです。次は、本編進める予定ですが、鋭意制作中ですので、もう少しお待ち下さい!

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