第七十四章 オッコクの夜~次の行き先
オッコクの軌道エレベーターリングにあるステーションに停船したあと、結局、一同はラウンジで落ち合って、打ち上げのパーティーをすることになった。
“パーティー”といっても、どこかの豪華な晩餐会みたいなものではない。監察部施設の上層にある、眺めのいいラウンジを一角借りて、簡単な料理と飲み物を並べて、戦いを生き延びた者たちが少しだけ肩の力を抜く、そういう会だ。
それでも、十分すぎるほど賑やかだった。
大きな窓の向こうには、オッコクの夜景が広がっている。
狐族の本拠地らしく、塔状の建物と、橋のようにそれをつなぐ通路が、柔らかな金色と青白い光で照らされていた。遠くでは、軌道エレベーターの基部へ艦が出入りし、そのたびに小さな光の列が上下する。
ラウンジの中では、グラブール人向けと人類向けの料理が混じって並んでいた。
果物に似たものと、香草の強い焼き物があった
肉とも魚ともつかないが妙に美味しそうな一品もある。
あと、ギラ向けには、別の種類の料理が出されていた。
それと、明らかに“打ち上げだから酒も置いておこう”という感じの瓶類もあった。
太郎は、料理の並んだ卓を見ながら呟いた。
『戦闘後の食事は重要だ。打ち上げは、任務の一部かもしれない』
「それ、任務に入れるんだ」
『入れてもよいと思う』
たしかに、今は、そう思えた。
僕は、グラスを手にしながら、少し離れた位置にいるブライアントのところへ行った。
彼は、窓際に立って外を見ていた。ザラスターIIの到着を確認していた時と同じ、少しだけ遠くを見る顔だ。
「ブライアント」
「ん?」
彼は、グラスを少し持ち上げて応じた。
僕は、少しだけ迷ってから言った。
「またナヴーピに行こうかなとも思ったんだけど……」
そこで一度、窓の外のオッコクの光へ目をやる。
「でも、もっと色々なところを見てみたい」
その言葉を口にした瞬間、自分でも、少しだけすっきりした気がした。
ナヴーピは、確かに大きかった。白兎族の都市で、グラブール人の世界の入口で、僕にとって最初の“異世界らしい異世界”だった。
でも、もうそこだけへ戻りたいわけでは、ない。
機怪天国を見た。
オッコクを見た。
因果の路も、過去の僕も、宇宙の意志の気配すら見てしまった。
だったら、もっと先を見たいと思うのは、自然な流れだった。
ブライアントは、それを聞いて、ゆっくり頷いた。
「了解した」
それから、少しだけ笑う。
「君は、まだ俺の研修中ということになっているから、一緒に行くよ。船が二隻あった方が、なにかと都合がいい」
その言い方は、軽い。
でも、“これからも一緒に行く”と明言してくれている。
僕は、少しだけ胸があたたかくなるのを感じた。
「ありがとう」
「礼を言うのはまだ早い。こっちは君の面倒を見ながら、新型探査船の慣熟もやらなきゃならん」
「それ、結構大変そうですね」
「だろうな」
ブライアントは苦笑した。
「だが、まあ、退屈はしない」
その時、後ろから明るい声がした。
「見つけた!」
振り向くと、ナルディアが手を振りながら近づいてくるところだった。
彼女は、戦闘中の鋭さとは違って、今は、もう完全に年相応の元気な女の子の顔だ。先程から、何人かと乾杯して回っていたらしく、頬が少しだけ赤い。
「あたしは、チーム・ラシードに戻るよ」
彼女は、僕たちの前でぴたりと止まると、そう宣言した。
「短い間だったけど、ありがとう!」
その言い方が、妙に真っ直ぐで、僕は少しだけ笑ってしまう。
「こっちこそ、ありがとう。いろいろ助けられたし」
「ほんとだよ、ナルディアがいなかったら、かなり詰んでた場面、何回かあったしな」
ブライアントがそう言うと、ナルディアは少しだけ得意そうに胸を張った。
「でしょ?」
でも、次の瞬間には、少しだけ真面目な顔になる。
「……チーム・ラシードは、やっぱり戻る場所だから」
その言い方の中には、アーマッドへの信頼も、仲間への愛着も、きっと全部入っているのだろう。
僕は、素直に頷いた。
「うん。いいと思う」
その時だった。
ラウンジの入口の方が少しだけざわついた。
何となく視線がそちらへ向く。
源一郎と、一緒に美優が入ってきた。
僕は、思わず見入ってしまった。
美優は、やっぱり僕と少し雰囲気が似ていた。
同じ機怪人形だからだろう。シャドーマターの流れ方とか、視線の置き方とか、人外の静けさがふっと出る瞬間がある。
でも、細部は全然違う。顔立ちも、表情の出方も、立ち方も、まるで違う。
僕の方が柔らかく見えるなら、美優の方はもっと細く鋭い。
僕が迷いをそのまま顔に出しやすいなら、美優は意地でそれを隠す感じだ。
彼女は、僕の前まで来ると、ほんの少しだけ息を整えてから言った。
「天河先輩――」
そこで、一瞬だけ言葉が止まる。
それから、言い直した。
「いえ、弓良さん。地球で、助けてくださってありがとうございました。ご迷惑をかけて大変申し訳ない」
そして、頭を下げた。
その姿に、僕は慌てて首を振る。
「いや、そんなの……」
僕は、グラスを近くのテーブルへ置いてから、ちゃんと彼女の方を向いた。
「過去では、天河弓良も、君も救われているから、大丈夫」
美優が、ゆっくり顔を上げる。
その目に、強い関心と、少しの戸惑いが混じる。
アーマッドと源一郎も、後ろで明らかに興味深そうな顔をしていた。ナルディアなんて、もう半分は食い入るように見ている。
彼女は、路を通して少し見ていたらしいけど――僕は、少しだけ言葉を選びながら、機怪都市での出来事――因果の路を辿り、夕暮れの通学路へ入り込み、トラックを止め、過去の自分を見て、最終的に路を断ち切ったことを、なるべく分かりやすく話した。
話している間、美優は一言も挟まなかった。
ただ、じっと聞いている。
自分の過去と、僕の過去が、そんな形で交わっていたことを、きっと今、彼女なりに噛みしめているのだろう。
源一郎が、途中で低くぼそりと言った。
「なるほどな……」
それから、少しだけ眉をしかめる。
「やっぱ、普通の事故じゃなかったってことか」
「うん。少なくとも、今の僕たちから見たあれは、もう“ただの事故”ではなかった」
アーマッドも、グラスを持ったまま低く言う。
「だが、結果としては救われたのだな」
「たぶん」
僕は、頷いた。
「少なくとも、あの因果の路の先では、そうなった」
そこで、美優が小さく息を吐いた。
「……そう」
その声は、いつもの彼女よりずっと静かだった。
僕は、少しだけ迷ってから、手を差し出した。
「だから、僕たちは、この姿で、ずっとここで生きていくんだ」
その言葉は、口にしてみて、思っていたより重かった。
でも、今の僕には、それが一番しっくりくる言い方だった。
過去の天河弓良も、美優も、たぶんどこかで救われた。
だったら、今ここにいる僕と美優は、過去の残骸ではなく、現在を生きていく存在だ。
そう思いたかったし、そう言いたかった。
美優は、その手をじっと見た。
一瞬だけ、迷うような顔をする。
でも、やがて彼女も手を出して、僕の手を握った。
細い手だった。
けれど、握り返してくる力はちゃんとある。
「はい」
それだけだった。
でも、それで十分だった。
そのやり取りを、青葉の機怪人形ボディーが、少し離れたところで温かい笑顔のまま見つめていた。
いつもの青葉らしい無表情寄りの落ち着きではなく、今はほんの少しだけ、柔らかかった。
そこへ、ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。
「わたし、ずっと離れません」
その声と同時に、僕の腕へ別の腕がするりと絡んだ。
ウサギ少女の姿になったジェプラだった。
白い耳、柔らかな髪――人間に近い顔立ちなのに、ちゃんとジェプラだと分かる表情をしている。
彼女は、僕の腕をしっかり抱き寄せながら、きっぱりと言う。
「ですから、どこへ行くにしても、わたしも一緒です!」
ラウンジの空気が、一瞬だけ静まったあとで、どっと笑いに変わった。
ナルディアが、腹を抱えるみたいに笑う。
「うわー、言い切った!」
ギラが翼を揺らして笑う。
『やー、強いなあ。これは強い』
美優は、少しだけ目を丸くしてから、ふっと口元を緩めた。
源一郎は、呆れたように肩をすくめる。
アーマッドは、露骨には笑わないけれど、目つきが少しだけ柔らかくなった。
僕は、どう反応していいか分からず、半端な顔で固まるしかなかった。
「いや、ジェプラ、その……」
「嫌ですか?」
真っ直ぐに聞かれると、困る。
困るけれど、そこで嫌だなんて言えるはずもない。
「嫌ではない、けど、ちょっと急だなって……」
「では、慣れてください」
そこまで言い切られて、また周囲が笑う。
その笑い声の中へ、最後にアラージが入ってきた。
彼女は、普段のきりっとした雰囲気を保ったまま、でも今は、ほんの少しだけ楽しそうだった。
『あなたは、立派に務めたから』
そう言って、彼女は、太郎の方を見る。
『グラブール連合認定の主任人格として認められたわ』
『主任人格』
太郎が、小さく復唱した。
「ええ、主任だから、新しい部下もいるでしょう」
そう言って、アラージはラウンジのドアの方を見た。
次の瞬間、ぶう、という妙に愛嬌のある音がして、丸っこい影が飛び込んできた。
ハチョキだった。
神殿で見た、あのブタみたいな、でもどこか愛嬌のあるぬいぐるみ調のドローンだ。太郎を見つけるなり、一直線に飛んできて、そのまましがみつく。
『太郎!』
太郎は、少しだけよろめきながらも、しっかり受け止めた。
『部下か』
その声は、妙に落ち着いていた。
『しっかり指導する』
ハチョキは、ぶう、と元気よく鳴いた。
そして、あまりにも太郎らしい宣言に、ラウンジの笑い声が、また一段大きくなった。
ほんの少し前まで、宇宙の因果と最終兵器と工廠惑星の存亡を賭けた戦いをしていたとは思えないくらい、場はもう騒がしくて、温かくて、少しだけ幸せだった。
僕は、その中心で、腕を組む青葉と、抱きついてくるジェプラと、握手を終えたばかりの美優と、主任人格になった太郎と、呆れたように笑うブライアントたちを見渡して、ようやく実感した。
全部が終わったわけではない。
これから先、行き先を決めて、また旅に出る。
黒狼族の件だって、ガラXFIザAの残党だって、宇宙にはまだ面倒なことが山ほど残っているだろう。
でも、今は少なくとも、みんなここにいる。
生きて、笑って、次の話ができる。
そのこと自体が、何よりも大きな報酬なのではないかと、僕は少しだけ本気で思った。
***
ラウンジの空気は、さっきまでより少し落ち着いていた。
ジェプラが僕の腕を抱えたまま離れないのも、青葉が当然のように反対側の腕を組んでいるのも、太郎の足元でハチョキがぶうぶう鳴いているのも、もう場の一部として受け入れられつつある。
最初こそ驚きや笑いが大きかったけれど、人は妙な状況にも案外すぐ慣れるものらしい。
窓の外には、オッコクの夜景が広がっていた。
軌道エレベーターの塔と、それを支える巨大な環状構造。そこへ出入りする艦の灯りが、ゆっくりと光の筋を引いている。
少し前まで、機怪天国の存亡を賭けた戦いをしていたとは思えないくらい、外の夜は静かだった。
その静かな夜景を背にして、アラージがグラスを置いた。
狐族らしい整った顔立ちに、いつものようにどこか人を食ったような、余裕そうな表情を浮かべている。
しかし、今夜の彼女は、その余裕の下にちゃんと疲労も見えていた。艦隊を率いて、要塞砲を受け止め、事後の処理まで全部抱えているのだから当然だろう。
『さて』
アラージは、わざと少し改まった口調で言った。
『ここからは、お礼と、今後の整理の話です』
その一言で、ラウンジの面々が少しだけ姿勢を正す。
ブライアントは、壁際によりかかったままだったが、視線だけはこちらへ向けた。
アーマッドもグラスを置き、美優と源一郎も話を止める。
ナルディアは、まだ少し浮かれた感じを残しつつも、ちゃんと耳を傾ける姿勢になった。
ギラだけは、翼を少しだらりと下げたまま、楽しそうに成り行きを見ている。
アラージは、まっすぐ僕を見た。
『弓良殿に対して、まず申し上げます』
そう言って、小さく息を整える。
『マザーが自ら権利を行使してくれたから、当初の約束は完遂されました。しかし、それでは、『大集会』から託された分のお礼が済まないのです』
僕は、思わず少しだけ身構えた。
この流れでろくでもないものを寄越されても困る、という予感が少しある。
いや、万物プリンターと青葉の機怪人形ボディーをもらった時点で、すでに十分すぎるのだけれど。
アラージは、ほとんどさらっとした調子で続けた。
『ですから、弓良には、どこかの星を権利として与えることとなりました』
「……はい?」
思わず、間の抜けた声が出た。
星。
いま、星と言った気がする。
土地とか、特区とか、寄港権とかではなく、星、だ。
ナルディアが吹き出しかける。
ギラは、翼で口元を隠しながら笑いをこらえている。
ブライアントは、予想外ではあっても完全に驚いてはいない顔だ。たぶんグラブール人側の“神子”への扱いを考えると、あり得る範囲なのだろう。
「えっと……」
僕は、さすがにすぐには反応できなかった。
「どこかの星、って、そんな簡単に言われても」
『簡単ではありませんが、今回の件はそれだけの働きです』
アラージは落ち着いている。
『もちろん、既に定住民がいて、政治的利害が固定しているような主要惑星ではありません。未整理の権利領域や、帰属の曖昧な辺境惑星から選ぶ形になります』
そこで、僕が口を開くより先に、青葉が静かに言った。
「ゴシロック第四惑星を頂きたい」
ラウンジの空気が、一瞬だけ止まる。
――ゴシロック第四惑星は、僕達が、最初に巡洋艦『青葉』で、調査に訪れた星だ。調査中に、白兎族と接触したから、そのまま去ることになったけれど。
僕は、隣の青葉の機怪人形ボディーを見た。
「何故?」
青葉は、いつもの落ち着いた調子で答えた。
「マザーから、〈先住者〉の星図を貰いました」
その言い方が、もう既にだいぶとんでもない。
「ゴシロック第四惑星には、〈先住者〉の“惑星改造研究施設”がありました。分子機械が動作していれば、拠点として、十分、まだ使える可能性が高いです」
その説明を聞いた瞬間、ブライアントの目の色が少し変わった。
「……なるほど」
彼は、すぐに現実的な方向へ話を持っていく。
「あそこは、人類連邦の影響領域とも取れる場所だ。グラブール連合側だけで決めると、あとで面倒になる。人類連邦側の了承もあった方がいい。そちらも交渉しよう」
アーマッドが、すぐに頷いた。
「同意する。辺境とはいえ、後から縄張り争いになるのは避けたい」
源一郎も、グラスを持ったままぶっきらぼうに言う。
「せっかく拠点にできそうな場所があるなら、政治のせいで使えなくなるのは馬鹿らしいしな。話つけられるなら、つけた方が早い」
その言い方が、いかにも彼らしい。
アラージは、その流れに満足したように頷いた。
『公式の地球人類連邦との交渉の持ちかけは、こちらで対応します。もちろん、あなた方にも、対応をお願いします。交渉がまとまった後、本契約としましょう』
そして、ほんの少しだけ真面目な表情になる。
『今回の件をきっかけとして、グラブール人と人類連邦との友好が深まることを期待しています。これは、『大集会』の総意と取ってくれて構いません』
その一言は、かなり重かった。
ただの個人的な礼ではない。
政治的な意味合いも、はっきり持っている。
神子弓良と神の船青葉が、グラブール連合と人類連邦のあいだの新しい接点になり得る、という判断がもう動いたのだ。
アラージは、そこで今度はブライアントとアーマッドたちの方を見る。
『ブライアントさんとチーム・ラシードの皆さんには、グラブール連合の全ての惑星に、神殿監察部の後ろ盾で、どこでも無制限に寄港でき、必要物資を二百年無料で提供することで、今回のお礼としたいのですが、どうですか?』
その条件に、ラウンジの何人かが本気で目を見開いた。
無制限寄港権、二百年の補給無料、しかも神殿監察部の後ろ盾付き――。
探索者にとっては、実質的に“どこへでも行ける大使級パス”みたいなものだ。
辺境での燃料、部品、食糧、修理、情報、それらに常にコストがかかることを思えば、金額換算すら馬鹿らしくなるレベルの価値がある。
ブライアントは、さすがに少しだけ苦笑した。
「……太っ腹すぎるな」
『それだけの働きをしていただきました』
アラージは、平然としている。
アーマッドが、短く答える。
「ありがたく受ける。断る理由はない」
「俺も同じだ」
ブライアントも頷いた。
「むしろ断ったら罰が当たりそうだ」
その返しに、ギラが翼を揺らして笑う。
『やー、罰は当たらんやろけど、損はするなあ』
アラージは、そのギラの方を向いた。
『ラギ・ギラにも、同じ条件を考えていたのですが……』
ギラは、片方の翼を振った。
『いや、わいは、個人で探索人をやってますさかい、そういうのんは』
『そう言われると思っていました。後で、また相談しましょう』
『おおきに』
ギラは、両方の翼を広げた――どうやら、これが感謝の意になるらしいと、最近、分かってきた。
アラージは、次に、ジェプラの方を見た。
その瞬間、ジェプラは、少しだけ背筋を伸ばした。
白兎族の神官として、ずっと落ち着いた立ち居振る舞いをしていた彼女だけれど、いまは、ほんの少しだけ緊張しているのが分かった。
変身杖で人間に近い姿になってから、表情が前よりずっと読み取りやすくなったせいもある。
耳の角度と、口元の固さと、指先の置き方だけで、ああ、いま少し構えているんだな、と見えてしまう。
アラージは、いつものように狐族らしい整った笑みを浮かべたまま言った。
『ジェプラ殿。あなたについては、まず、白兎族と神殿監察部との間で、特別協定が結ばれることになりました』
その言い方は、軽く聞こえる。
でも、内容は全然軽くない。ジェプラが、目を瞬かせる。
「特別、協定……ですか?」
『ええ』
アラージは頷いた。
『表向きには出ない、秘密協定です。あなた自身を名指しするものではありませんが、白兎族の神官系統と、神殿監察部のあいだで、将来的に何かあった時に、相互に便宜を図るためのものです』
ブライアントが、少しだけ眉を上げた。
「かなり重いやつだな」
『ええ、かなり重いです』
アラージは、あっさり認めた。
『今回の件で、白兎族側は神子弓良殿の随伴者としてのジェプラ殿の重要性を再確認しましたし、こちらとしても、現場での判断力、忠誠心、そして――』
そこで、アラージは、わざと少しだけ間を置いた。
『弓良殿の近くで、こちらの意図を穏当に通しやすい立場として、非常に有用だと判断しました』
「穏当に、って……」
僕が思わずそう言うと、アラージはにやりと笑った。
『褒めていますよ』
褒められているのかどうかは怪しい。
でも、ジェプラがこの旅の中で、ただの随伴神官ではなく、いろいろな意味で重要な位置へ来ているのは確かだった。
ジェプラは、少しだけ頬を赤くしながら、それでも真面目に頭を下げた。
「身に余ることです」
『それと、もちろん、それとは別に』
アラージは、そこで本題へ入るように言った。
『機怪天国の問題解決への報奨として、ジェプラ殿個人にも、宇宙ステーション、あるいは星の一部の権益を与えることを提案します』
その場にいた何人かが、また少しだけ息を止めた。
宇宙ステーション、星の一部の権益――グラブール連合側の報奨は、やっぱり規模感が少しおかしい。
ナルディアが、半ば呆れたように口を挟む。
「ほんと、そっちの“お礼”って、毎回でかいよね……」
『安く済ませるには、今回の件は大きすぎましたので』
アラージは涼しい顔で言う。
ジェプラは、そこで少しだけ驚いた顔をした。
でも、それは長く続かなかった。
彼女は、ちらりと僕の方を見た。その視線は、確認するようでもあり、もう既に答えを決めているようでもあった。
それから、すっと背筋を伸ばして、はっきりと言った。
「私も、貸しで」
ラウンジの空気が、一瞬だけ止まる。
ギラが、翼をぴくっと動かした。
『お、同じこと言うた』
ジェプラは、少しだけ緊張した顔のまま、でも言葉はまっすぐ続けた。
「私は、弓良殿と一緒に行きます。ですから、いまここで、場所や権益を個人で頂くより、何かあった時に、お力添えいただける形の方が望ましいです」
その言い方には、欲がないわけではなかった。
むしろ逆だ――ジェプラは、自分がこれから何を望むのかを、ちゃんと分かっているのだと思う。
アラージは、その返答を聞いて、少しだけ目を細めた。
『なるほど』
それから、狐族らしい柔らかな笑みを浮かべる。
『大きな貸しになりそうです』
その声音には、感心と、少しの面白がりと、そして本気の評価が混じっていた。
ジェプラは、深く頭を下げる。
「はい。それでお願いいたします」
そのやり取りを見ながら、僕は、何だか少し不思議な気持ちになっていた。
ジェプラは、変身杖をもらって、見た目は、大分、変わった。
でも、中身はまったく変わっていない。
真面目で、まっすぐで、でも自分で決めたことは意外なくらい揺らがない。
ギラが、面白そうに肩をすくめた。
『やー、これはもう、完全に同じ発想やな。“いまもらえるもんより、後で使える貸し”いうやつや』
「あなたほど打算的ではありません」
ジェプラが即座に言い返す。
アラージも、それに頷く。
『ええ。貸しは、物より重いことがあります』
そこで、彼女は、わざと僕の方を見た。
『特に、これから神子弓良殿が、またいろいろやらかす可能性を考えると』
「やらかす前提なんだ……」
『前提ではなく、見込みです』
その返しがあまりに自然で、ラウンジに小さな笑いが広がった。
そこで、また別の通信窓がひらいた。
『こんばんは』
白兎族の第三十五魔女ゲラバだった。
白兎族らしい落ち着いた威厳をたたえながらも、どこか柔らかい顔で、彼女は言う。
『神子弓良殿と神の船青葉は、いつでもナヴーピを訪問してくださって構いませんのじゃ。故郷と思ってくだされ』
その言い方が、思っていたよりずっと温かかった。
ナヴーピ――最初に深く関わった白兎族の都市で、確かに、僕にとっては、グラブール人世界で最初に“戻れる場所”として意識し始めているところでもある。
僕は、素直に笑って頷いた。
「ありがとうございます。また、ちょくちょく訪問します」
『うむ、それがよいのじゃ』
ゲラバは、満足そうに目を細めた。
そのすぐ後に、アーマッドが、いかにも自然な調子で口を挟む。
「どうせなら、俺の拠点のバリジット星系の第二惑星ランキスも訪問しないか?」
彼は、グラスを持ったまま続けた。
「他の冒険者の拠点を見ておくのも参考になるだろ?」
その誘い方は、軽かった。
しかし、実際、かなりありがたい提案でもある。
僕は、神子だの機怪人形だの特殊な事情だの、いろいろ背負ってはいるけれど、同時に、いまはまだ“宇宙の冒険者見習い”でもある。
他の冒険者の拠点を見ることは、たしかに今後の参考になるはずだった。
「うん、行ってみたいと思います」
僕がそう答えると、アーマッドは小さく頷いて、肩に腕を回した。
「なら決まりだな!」
でも、その流れへ、ブライアントが、すぐ現実的な待ったをかけた。
「いや、待て」
彼は、指を一本立てた。
「そういえば、まだ、ゴシロック第四惑星の調査の途中だった。何かあるのが確定してるなら、そこを先にやらねば」
その言い方に、青葉も即座に同意する。
「はい。マザー由来の星図情報が正しいなら、優先調査対象にすべきです」
アラージが、少しだけ考えるようにしてから頷いた。
『契約前の調査として、我々も、神殿監察部の権限で探査権を認めます』
その一言は、大きかった。
つまり、ゴシロック第四惑星の調査は、少なくともグラブール連合側からは“正当な行動”として認められる。
あとは、人類連邦側との調整が済めば、拠点化も現実味を帯びてくるわけだ。
僕は、少しだけわくわくした。
ゴシロック第四惑星――惑星改造研究施設――まだ動くかもしれない〈先住者〉の分子機械があるらしい。
そこが、自分たちの新しい拠点になるかもしれない。
旅の行き先が、ただの“どこか”ではなく、“自分たちの場所になり得るどこか”へ変わる感じがした。
そこで、アラージが、ふいにブライアントの方を向いた。
『ブライアントさん』
「ん?」
『是非、またオッコクにも来てくださいね』
そう言って、彼女は自然に、するりとブライアントの腕を取る。
その動きがあまりにも自然すぎて、一瞬、誰も反応できなかった。
僕は、そこで、ちょっと、むっとした。
自分でも、何にむっとしているのかは、説明しづらい。
ブライアントは大人だし、アラージはアラージだ。別に何か変なことが起きているわけではない。
でも、なんとなく、面白くない。
その横で、ウサギ娘姿のジェプラが、もっと分かりやすく頬を膨らませた。
「あ……?」
ナルディアが、その二人の反応を見て、心底やれやれという顔をする。
「そういうことになるんだ……」
ブライアントは、腕を取られたまま、微妙に困った顔でこっちを見た。
その顔がまた、余計に面白くない。
「いや、これは、その……外交的な、だな」
『もちろん、外交的なお誘いです』
アラージは、少しも崩れない笑顔で言った。
完全に分かってやっている顔だ。
その瞬間、ラウンジの空気が弾けた。
ギラが腹を抱えて笑う。
ナルディアも、もう堪えきれずに笑い出す。
美優は、最初こそきょとんとしていたけれど、すぐに口元を押さえて肩を揺らした。
アーマッドでさえ、露骨ではないが、視線を少し逸らしている。
源一郎は、呆れたように言った。
「……お前ら、ほんと元気だな」
その一言で、さらに笑いが広がる。
ジェプラはまだ少し頬を膨らませたままだったが、青葉が僕の反対側から腕を組んだまま、静かに言った。
「弓良。表情が分かりやすいです」
「青葉まで……」
「事実です」
太郎が、その足元で、ハチョキにしがみつかれながら呟いた。
『にぎやかでよい』
それが、この場を一番よく表している気がした。
にぎやかで、よかった。
戦って、傷ついて、ようやく取り戻した静けさのあとにあるのが、こういう騒がしさなら、それは悪くない。
むしろ、ずっとこういうものを欲していたのかもしれないと、僕は少し本気で思った。
やがて、グラスが空になり、料理もかなり片づき、話も次の行き先や船の調整や、各自の滞在手続きの確認へ移っていく。
パーティーは、そこでお開きとなった。
でも、解散する直前まで、ラウンジの中には笑い声が残っていた。
それが、これから先も続いていく時間の、最初の約束みたいに思えた。




