第六十六章 霧の中の大佐、その罪
次の瞬間、僕と青葉は霧の中にいた。
機怪都市の広場も、中心塔へ流れ込む青白い光も、静かな循環音も、全部がすっと遠ざかっていた。気づいた時には、足元も空も輪郭が曖昧な、白い霧の世界へ立っていたのだ。
地面らしきものはある。踏みしめる感覚もある。
しかし、それが石なのか土なのか、それともただ“ここに立っていられるように見せられている何か”なのかは分からない。
霧は濃いのに、不思議と息苦しさはない。
ただ、やけに静かだった。
静かすぎて、自分の思考まで薄くなる気がする。
「接続先が変わりました」
青葉が、すぐ隣で静かに言った。
その声だけが、霧の中で妙にくっきりしている。
「ここ……どこ?」
「機怪都市の内部であることは間違いないですが、先ほどまでの対話層とは異なる区画と推定します」
「異なる区画って、そんな簡単に……」
言いかけたところで、霧の奥に人影が見えた。
ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
長髪の男だった。
細い眼鏡をかけていて、背は高い。
痩せているわけではないが、無駄のない立ち方をしている。
服装は、この霧の世界の中でも妙にきちんとして見えた。軍服に近いのに、威圧的ではなく、どこか昔の映画に出てくるダンディな紳士みたいな雰囲気がある。
その人は、僕たちの少し手前で立ち止まると、まず静かに言った。
『良かった。因果の道は、断ち切られた』
その言葉は、霧の中にすっと溶けるように広がった。
僕は、思わず目を見開く。
「どちら様ですか?」
男は、少しだけ口元を緩めた。
『私は、この『機怪天国』計画の責任者、ジャープッカ技術装備部、キーフラス技術大佐という者だ』
その名乗りに、胸の奥が小さく跳ねた。
「マザーが言っていた“大佐”ですか?」
『そうだ』
あまりにも、あっさりとした肯定だった。
僕は、キーフラスと名乗った、その男を、改めて見つめた。
見た目だけなら、どう見ても地球人の大人の男だ。
細い眼鏡に、長い髪に、少し気障なくらい整った立ち姿だ。
〈先住者〉とかジャープッカ人とか言われても、今のままではあまりにも“人間”すぎる。
「なんで、地球人の姿なんですか……?」
そう訊いた瞬間、キーフラスは少しだけ眉を上げた。
『なるほど、そこが気になるか……』
そして次の瞬間、その姿が、音もなく変わった。
細い眼鏡をかけた長髪の男の輪郭が、するりと崩れる。
背格好は大きく変わらない。けれど、皮膚の質感が変わり、顔の骨格が横へ広がり、目の位置も、人間のそれとは少し違う位置へずれていく。
ぬめった半透明の鱗にも見える肌に、水棲生物を思わせる輪郭――地球の人間とは明らかに異なる、異星的な顔立ちになった。
僕は、思わず息を呑んだ。
「……うわ」
『これが、よりジャープッカ人に近い』
キーフラスは、落ち着いた声でそう言った。
『しかし、完全な“本来の姿”というわけでもないが』
そして、彼はまた、元の人間の姿へ戻る。
変化はあまりにも自然で、逆に気味が悪いくらいだった。
『この機怪都市は、意志体の意識を、強力な高次元計算機により維持している実装型の空間だ。つまり、君の意識により、どんな姿でもなれる』
その言い方に、僕は、自分の手を見た。
細い指、白い肌、薄青い髪が肩口へ落ちている――。
僕は、相変わらず、元々のマザーに似た女の子の姿のままだった。
そこで、ふいにさっき見た男子高校生の姿を思い出した。
夕暮れの通学路で、美優へ駆け寄っていた、あの時の僕……。
今なら、少しは思い出せるはずだ。そう思って、僕はその姿を強く意識した。
制服、髪型、肩幅、視線。全部を思い出して、自分の今の姿へ重ねようとしてみる。
でも、変われなかった。
「あれ……?」
僕は、自分の腕を見る。
細いままだし、声も変わらない。
どれだけ男子高校生だった頃の自分を思い描こうとしても、この姿はびくともしなかった。
困惑して顔を上げると、キーフラスが静かに言った。
『君の意志体の無意識の部分が、君は、そういう姿だと信じているのだ』
「信じている……?」
『そうだ』
キーフラスは、霧の中でまっすぐ僕を見る。
『先程の源悪の意志との戦いを見せてもらった。君は、表層意識では、自分は学生の男子だった、と理解している。だが、もっと深いところでは、君は今の自分を“現在の自己像”として固定している』
その説明は、嫌になるくらい腑に落ちた。
僕は、先程、過去の僕を見た。
そして、自分だとは、認識できた。
しかし、顔がぼけて見えた。そして、それは、あくまで“過去の自分”だった。
今ここに立っている僕は、どうやっても、この女の子の姿から動かなかった。
それはつまり、心の底では、もうこちらを“自分”だと受け入れているということなのだろう……。
「でも……」
僕は、少しだけ言葉を探した。
「さっきの過去が変わったなら、高校生の天河 弓良は、生き残ってるんじゃないですか? 女の子と猫も、無事で……」
そこまで言ったところで、胸の奥に、妙な感覚が走った。
青葉の“おまんじゅう”の話が、頭の中によみがえる。
――過去の一分前のおまんじゅうを食べても、“食べた”という結果は消えない。
そうであった、という情報そのものは残る。
だったら――。
「あ……」
僕は、思わず声を漏らした。
もし、あの事故の流れが変わって、高校生の天河 弓良が生き残って、美優も猫も無事だったとしても。
だからといって、今ここにいる僕が消えるわけではない。
青葉の言った、おまんじゅうと同じだった。
結果として“存在してしまった”今の僕は、過去の変化で、なかったことにはならない。
つまり、現在の僕自身が、すでに独立した“結果”なのだ。
「僕……」
言葉が、少しだけ震えた。
「僕は……青葉のいう『おまんじゅう』なのか……」
青葉が、静かにその言葉を受け取る。
「比喩としては、近いですね」
「……でも、それって」
僕は、自分の手を見た。
細い指、女の子の身体、機怪人形の器――宇宙船墓場で目覚めて、青葉と出会って、ここまで来た僕。
そうか。
もう、この現在の自分自身が、自分なのだ。
高校生だった僕が生き残ったとしても。
過去が少し違う形へ落ち着いたとしても。
宇宙船墓場で目覚め、青葉とともに旅をしてきたこの僕は、もう、それとは別に存在してしまっている。
それは、消えない。
その理解は、どこか天啓みたいだった。
誰かに理屈で言われるより先に、胸の奥で、いきなり形になった感じだった。
「……そういうことか」
そう呟いた瞬間、胸の奥が少しだけ静かになった。
でも同時に、どうしようもなく複雑でもあった。
僕は、まだ諦めきれずに、必死で高校生の頃の自分を思いだそうとした。
制服、自分の声、男だった頃の肩の重さ、歩き方、教室の席、放課後の帰り道――さっき見た過去の自分の顔。
でも、やっぱりうまくいかない。
断片的なものは浮かんだ。
過去の情景も、感情も、かなり近くへきていた。
なのに、それを“いまの自分の姿”として上書きすることはできなかった。
僕は、そこでようやく理解した。
もう、戻れないのだ。
キーフラスが、静かな声で言った。
『因果の道が断ち切られたから、路を通して情報を得ることはできなくなったのだ』
その説明は、今の僕には、よく分かった。
さっきまでなら、あの路を通して、事故の直前の自分や、美優の姿や、その時の感情へ手を伸ばせた。
でも、路はもう切った。
機怪天国へ異常を繋ぐ通路としては、もう機能しない。
だから、そこから先の細部を、さらに“今の自分へ引き写す”ことはできない。
「そっか……」
僕は、少しだけ目を伏せた。
トラックに飛び出したあの時だ。
美優を助けようとしたあの瞬間が、僕の中でひとつの区切りになっているのかもしれない。
あの時までは、高校生の天河 弓良だった。
でも、そこから先、宇宙船墓場で目覚めた今の僕は、もう別の時間の流れの上にいる。
完全に断絶しているわけではないし、記憶も、感情も、きちんと繋がっては、いる。
でも、同一ではない。
「結局……」
僕は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「僕は、“宇宙船墓場”で新たに生まれたんだね」
青葉が、静かに僕を見る。
その眼差しには、いつもより少しだけ優しさがあった。
「はい」
たった一言だった。
でも、それで十分だった。
「今の僕は、リボーンした新しい僕ってことか……」
自分で口にしてみると、その言葉はひどく軽くも聞こえるし、重くも聞こえた。
簡単な転生譚みたいに言ってしまえば、それで済むのかもしれない。
でも、本当はそんなに単純ではない、と思った。
事故があって、因果の路があって、空の機怪人形があって、青葉がいて、源悪の意志がいて、それでもなお、今ここにいる自分を、自分として受け入れなければならない。
複雑な思いがした。
胸の奥が、じくじくと痛んだ。
それでも、僕は、ゆっくり頷いた。
「……うん」
すぐに、晴れやかな気持ちになれるわけではない。
でも、受け入れるしかない。
今の自分は、自分だ。
高校生だった天河 弓良の延長であり、同時に、宇宙船墓場で新たに生まれた存在でもあり――そのどちらか片方だけでは、ないのだ。
霧の中で、キーフラスは静かに僕を見ていた。
その表情は、慰めるでもなく、突き放すでもない。何かの答えに辿り着いた人間を、ただ確認しているような顔だった。
そして、青葉だけが、いつもの落ち着いた様子で、すぐ隣にいてくれた。
それだけで、僕は何とか、この複雑な理解を、自分の中へ沈めていける気がした。
***
キーフラスは、しばらく僕の顔を見ていた。
霧の中で、自分がいまの自分を受け入れかけているのを、どこか静かに見届けていたように思う。
やがて彼は、ふっと息を吐くと、さっきまでの霧の世界の輪郭を、ゆっくりと変えた。
次の瞬間、周囲は、先程まで見ていた機怪都市の外見へ戻っていた。
高い天井で、青白い光が中心塔へ向かって流れている。
発光体が遠くの歩廊を巡っていた。
そして、広場の端に細長いベンチがあった。
キーフラス自身も、さっき半魚人めいたジャープッカ人らしい姿を見せたのが嘘みたいに、またダンディなおじさんの姿へ戻っていた。
長い髪を後ろへ流し、細い眼鏡をかけた、少し昔の映画にでも出てきそうな理知的な中年男だ。
こうして見ると、やはり、どうしても“地球人の姿”の方が、僕には馴染みやすい。
『まあ、ちょっと昔話でも聞いてくれないか』
キーフラスはそう言って、広場の端のベンチへ腰掛けた。
言い方は軽かった。
でも、その一言の中身が軽いはずがないことは、もう十分すぎるほど分かっていた。
僕は、青葉と顔を見合わせた。
青葉は、人型の姿のまま静かに頷く。
「弓良。聞くべきです」
「そうだね……」
困惑しながらも、僕と青葉も、そのベンチへ腰掛けた。
青葉は、いつものように僕のすぐ隣へ座る。キーフラスは少し向かい側に寄った位置で、膝の上へ手を組んだ。
しばらく、誰も何も言わなかった。
機怪都市の光だけが、静かに流れていた。
その静けさの中で、ようやくキーフラスが口を開いた。
彼は、膝の上で指を軽く組んだ。
『では、順に話そう。私は、最初から『機怪天国』を作っていたわけではない』
そこからか、と僕は思う。
でも、たぶんその順番でないと意味が崩れるのだろう。
『最初に手をつけたのは、因果変換の技術だ』
そう言うと、キーフラスの指先の前に、薄い光の板が何枚か浮かんだ。設計図にも、数式の断片にも見える。複雑な記号の列が、静かに流れながら組み替わっていく。
『『雪の姫』が存在すると言われる幻雪の領域に存在する純粋情報粒子をシミュレートする微細情報媒体素子を開発した』
「『雪の姫』の領域?」
僕は、あのシャドーコンパスで見た、シャドーマターの流れが行き着く、銀河の先の不思議な空間のことを思いだした。
あの特別な空間にいるという『雪の姫』についての〈先住者〉の伝承を、ブライアントが語っていた。
『そうだ。私は、軍事方面で、その領域の研究をしていた。そして、微細情報媒体素子を作り出し、因果そのものを作るのではなく、すでに存在する可能性の枝へ干渉して、望む結果が出やすくなるよう偏りを与えることに成功した』
「望む結果って、誰が望むの?」
『そこが最初の誤りだった』
キーフラスは、淡々と言った。
『私は、そこへ“自分の願い”を持ち込んだ』
その一言が重い。
『技術者がもっとも警戒すべきは、目的関数へ感情を混ぜることだ。だが、私は、混ぜた。混ぜていることを理性で理解しながら、それでも止めなかった』
青葉が静かに補足する。
「試験装置は、限定条件下では動作したのですね?」
『ああ』
キーフラスは、頷いた。
『最初の試作は、実験用だった。局所的な結果偏位は起きた。だが、安定しなかった。介入の揺り戻しが大きすぎたし、観測者の望みの混入も想定より深かった。そのせいで、試験を行っていた惑星自体が不安定化し、放棄せざるを得なかった』
彼は、そこで小さく息を吐いた。
惑星自体が不安定化――それは、凄まじい副作用だと思った。
『その技術自体は、その後、上手く行き、惑星改造用には、有望だと思われた』
キーフラスは、手を組んで、前屈みの姿勢になった。
『そのあと、私は同じ技術を、別の方向で発展させることにした』
「機怪天国ですね?」
『そうだ』
彼は頷く。
『微細情報媒体素子の応用研究だ。因果変換を、単発の戦略装置としてではなく、恒常的な創発機構として運用する。必要な結果を、必要なだけ、持続的に引き出す工廠へ落とし込む。それが『機怪天国計画』の骨子だ』
光の板が、今度は巨大な工場惑星の模式図へ変わっていく。
中枢――微細情報媒体素子を用いた創発炉――外部供給系――保守層――出力系――いくつもの層が幾何学的に重なり合って、描かれていた。
『必要な部品、必要な装備、必要な兵器、必要な艦隊。そうしたものを、通常の資源採掘と製造だけに頼るのではなく、因果変換を介した創発で支える究極の工廠だ』
「それが、“願いを叶える星”の正体なんですね?」
『神話化された後の呼び方としては、そうなる』
キーフラスは、言った。
『この工廠を作ったとしても、宿敵マルモ人に大攻勢をかけるためには、供給される艦隊を操る兵士も必要となる。そこで、私は、後のグラブール人、魔法戦士計画の責任者もしていた』
その声は、淡々としていた。
淡々としているのに、感情がないわけではない。あふれないように細く絞っているだけだと、僕にも分かった。
『私達は、地球人類と各種の地球の哺乳類の遺伝子とが融合するよう人工進化させて、グラブール人を造りだしたのだ』
その一言は、頭では意味が分かるのに、感情の方がそれを拒絶した。
「え……?」
僕は、思わず間の抜けた声を出してしまった。
グラブール人の創世――白兎族も、黒狼族も、狐族も、狸族も、青獅子族も。
これまで旅の中で出会ってきたあの人たちが、そういう形で“作られた”種だったなんて、流石に、すぐには飲み込めなかった。
しかし、キーフラスは、続けた。
『地球人の意志体――魂は、高次空間との融合親和性が強く、シャドーマター制御に都合がよかった。よりその親和性の高い個体を、進化で選んだのだ』
青葉が、横で静かに補足する。
「つまり、グラブール人は、単なる生物学的改造種ではなく、高次空間干渉と魔法戦を前提として設計された生体兵士、ということですね?」
『そうだ』
キーフラスは頷いた。
『私は、彼らをそのように創造したことは、済まなかったと思っている』
その“済まなかった”という言い方は、妙に素朴だった。
一万年前に滅んだ種の悔恨を抱えた技術大佐の言葉としては、あまりにも平易だった。
だからこそ、逆に重かった。
僕は、唖然としていた。
グラブール人たちは、神に作られた民だと、自分たちでは信じていた。
それが、あながち間違っていなかったどころか、もっと嫌な方向で正しかったなんて……。
『私は、グラブール人の魔法戦士の艦隊を統率する教導督戦艦も造った』
キーフラスは、前を見たまま言う。
『その教導督戦艦とともに人格的な存在として指揮を行い、指令をグラブール人に伝えていたのが、機怪人形だ』
その説明は、僕の中で、これまでの旅の記憶とぴたりと噛み合った。
神子、神の船、機怪人形――グラブール人たちが向けてきた、あの宗教的な畏れ。
あれは、後付けの信仰でもあり、同時に、本当にそういう位置づけだったのだ。
教導督戦艦が艦隊を統率し、機怪人形が人格的な端末として命令を伝える。
僕と青葉の組み合わせが、彼らにとって“神話の再来”みたいに見えたのも、無理はない。
キーフラスは、少しだけ目を伏せてから続けた。
『君がマザーと呼ぶ存在は、連れてきた地球人で最もシャドーマターの制御に向いていた女の子の意識体を元に創造された人工意識体だった』
僕は、そこでマザーのことを思い浮かべた。
薄青い長い髪、僕と似た顔立ち、青葉に似た口調――惑星全体と融合した管理意志体となった存在。
『元のマザーには、その彼女を元に設計した機怪人形の身体を与えた』
その一言で、僕はようやく、自分の今の姿が何に由来しているのかを、別の角度から理解した気がした。
「だから、僕はあのマザーに似た女の子の姿なのか……」
僕がそう呟くと、キーフラスは頷いた。
『完全に同一ではないようだな。しかし、器の設計思想と分子機械ネットワークのテンプレートが、そこから派生している』
青葉が、静かに横から言う。
「弓良の身体が、マザーに近い外見を持つのは、そこで説明できます」
僕は、自分の細い手を見た。
高校二年生だった頃の男の身体ではない。
かといって、完全に無関係な別人の身体でもない。
機怪天国の設計思想と、マザーの原型となった少女の意識体と、その延長線上にある器――そういう流れの中で、今の僕の姿も生まれているのだ。
『しかし、その個体以外には、人工意識体を造るのは、失敗した』
キーフラスの声音が、少しだけ低くなった。
『我々が「雪の姫」と呼んでいる宇宙の意志が、意志体――魂――そのものを増幅させることを許さないのだろう』
その言葉に、僕は少しだけ息を止めた。
雪の姫――ブライアントが語った〈先住者〉の伝承によれば、全ての記憶を記録する存在……。
ただの伝承ではないのかもしれない、と思った。
少なくとも、キーフラスのような技術者が、その存在を“宇宙の意志”として本気で口にする程度には。
「魂って、そんなに勝手に増やせないんですか……」
僕がそう言うと、キーフラスは、ほんの少しだけ苦く笑った。
『もし自由に増やせたなら、私は、もっと早く壊れていただろう』
その言い方に、ぞくりとする。
この人は、本気でそれをやろうとしたのだ。
人工意識体を量産し、機怪人形へ入れ、戦争と秩序の装置へ組み込むことを。
それが上手くいかなかったのは、倫理の歯止めではなく、“宇宙の意志”がそれを許さなかったからかもしれない、というのだから。
キーフラスは、そこで少しだけ手元を見つめた。
いつの間にか、その指先がわずかに震えていた。
『戦争に勝つためとはいえ、私は、罪を重ねすぎた』
その声は、今までで一番静かだった。
『その罪の意識に苛まれて、私は、ずっとこの『機怪天国』で眠りについていた』
「そうだったんですか……」
この『機怪天国』は、存在している限り、ずっと意志体――魂を生かし続けることができるのだろう。
つまり、彼は、生き延びる技術を持ちすぎ、死ぬ自由すら奪われ、時間だけを稼ぐ存在になった。
だから、眠るしかなかったのだ、と思った。
しかし、眠りは救いではなく、逃避であり、停止であり、それでも終われない者の仮の棲み処だった。
そんな思いが、今の言葉にも滲んでいた。
『しかし……』
キーフラスは、そこで初めて、ほんの少しだけ声を震わせた。
『私のせいで、本来は存在すべきであった意識に由来する情報エネルギーが、存在そのものを賭けて一つの意志に集結した』
僕は、その言葉の意味を一度では理解できなかった。
『本来の運命では、存在すべきであった魂の情報エネルギーだ』
「存在すべきであった……?」
思わず、そう問い返す。
その瞬間だった。
キーフラスは、突然、顔を覆って崩れ落ちた。
「えっ?」
僕は、思わず立ち上がりかけた。
青葉が静かに手で制する。
でも、止められても、目を逸らすことはできなかった。
キーフラスは、両手で顔を覆ったまま、肩を小さく震わせていた。
さっきまでの、理知的で、少し気障で、崩れそうになっても最低限の品位を保っていた“ダンディなおじさん”の姿が、そこで初めて、本当に崩れた。
『本来、ジャープッカ人は、絶滅する運命ではなかった』
声が、途切れ途切れだった。
『私は、魔法戦士計画に使った微細情報媒体素子の研究を進め、宇宙の因果律そのものを変換する――全ての願いを叶える装置を造った。それが暴走して、我々、ジャープッカ人とマルモ人を滅ぼしたのだ!』
キーフラスの叫びに、僕は、無言で硬直するしかなかった。
つまり、彼は、〈先住者〉の絶滅の原因の張本人だった……?
その言葉の意味が、ようやく胸へ刺さる。
キーフラスが造ったというの因果変換技術が、本来なら存在していたはずの未来を消し、本来なら生き、死に、記録されるはずだった膨大な魂の行き場を奪ったのだ。
その失われた“存在すべきだった情報”が、ただ消えたのではない。
何かとして、集まり続けている。
「……それが、源悪の意志?」
僕がそう訊くと、キーフラスは、顔を覆ったまま、それでもはっきりと頷いた。
その頷きは、どんな言葉よりも重かった。
僕は、先程見た、黒い半魚人の影逹を思いだした。
源悪の意志――それは、ただの侵略存在でも、ただの異常AIでもなかった。
本来あるべきだった無数の“魂”の情報エネルギーが、歪んだ形でひとつの意志へ集結したものだ。
それは、たしかに“悪”としか呼びようがないかもしれない。
でも、その悪の根っこにあるものは、怨念でも呪いでもなく、“奪われた存在の重さ”だった。
キーフラスは、しばらくそのまま動かなかった。
泣いているのだと思う。
でも、それを見ていても、さっきみたいに“涙の演出かもしれない”とはもう思えなかった。
ここでは、意志が現実を作る。
そうであるなら、この崩れ落ち方もまた、本当にこの人を壊している現実なのだ。
やがて、キーフラスはなんとか立ち上がった。
顔を覆っていた手を外し、深く息を整え、崩れた姿勢を無理やり元へ戻す。その動作がいちいち痛々しかった。
『私は、自分の罪を少しでも清算したい』
そう言った時の声は、もう完全に擦り切れていた。
『そのため、私も、源悪の意志と対峙しよう。君も、何かの縁だから手伝ってくれると有り難い』
その頼み方は、命令ではなかった。
懇願とも少し違う。
ただ、自分にはもうこれしか残っていないと知っている人間が、最後の責任として差し出す言葉だった。
僕は、すぐには応えられなかった。
手伝う――勿論、もう無関係ではいられない。
僕も、青葉も、マザーも、美優も、全部がこの機怪天国の異常へ噛み込んでいる。
でも、今知った“源悪の意志”の正体が重すぎて、軽々しく返事をすることもできない。
その時だった。
広場の空気が、ふっと柔らかく変わった。
振り向くと、マザーと機怪巫女γが立っていた。
マザーは、いつもと同じ薄青い長い髪の姿で、静かに僕たちの方を見ている。
でも、その目の奥には、ただの管理意志体の冷静さだけではない、もっと個人的な感情があるように思えた。
『お久しぶりです、“大佐”』
その呼びかけは、ひどく自然だった。
形式的な敬称のようでもあり、もっとずっと個人的な響きもあった。
僕は、その声を聞いた瞬間、胸の奥で妙な感覚を覚えた。
そこには、ただ昔の上官に挨拶するような硬さだけではない。長い時間を隔ててもなお失われなかった、深い敬意と、懐かしさと、それから、もっと言葉にしにくい感情が混じっている。
思慕――あるいは、恋愛感情に近いもの。
そう言ってしまうと単純すぎるのかもしれない。けれど、少なくとも、マザーがキーフラスを見る目は、僕や青葉や他の誰かへ向けるものとは明らかに違っていた。
マザーは、惑星の統合意志体だ。
しかし、その前に、元は一人の女の子を核にして作られた意志でもあるらしい。
その個人的な感情が、いまこの瞬間だけ、少しだけ表へ出たように見えた。
キーフラスは、ほんのわずかに目を見開いた。
その表情に、驚きと、安堵と、もっと複雑な感情が一度に混じる。
『そうか、久しぶりだな……』
マザーは、僕の方を見ると、静かに頷いた。
『確認しました。因果の路は切断されています』
先程のキーフラスの言葉の衝撃も覚めやらなかったけど、その一言で、胸の奥が少しだけ熱くなる。
ガンマも、腕を組んだまま言った。
『ようやく終わったの』
「うん……」
僕は、かすれた声で答えた。
「終わった」
その言葉は、思ったより重かった。
事故そのものがなかったことになったのか、過去がどう変わったのか、そこまではまだ分からない。
でも少なくとも、源悪の意志がそこへ食い込み続けるための足場は消えた。機怪天国を異常へ繋ぐ“路”は断ち切ったのだ。
マザーが、少しだけ目を細める。
『これで、源悪の意志の構造体を切り離せます』
その言葉を聞いた瞬間、広場の奥にいるうっすら光る意志体たちが、静かにざわめいたように見えた。
彼らもまた、ずっとこの瞬間を待っていたのだろう。
僕は、ゆっくりと自分の手を開いた。
さっきまで青葉と握っていたその手には、まだ夕暮れの温度が残っている気がした。
マザーが、広場の奥へ視線を向ける。
『では、次へ進みましょう』
「次……」
『はい』
彼女は、静かに言った。
『源悪の意志の本体側を、切り離します』
そうマザーが告げた瞬間、微かに機怪都市を流れる光が明滅した。




