第六十一章 機怪母との対話
“お母さん”と呼んでください。
その一言が落ちたあと、部屋の空気は、ほんの一瞬だけ完全に止まった。
いや、止まったというより、全員の思考が同時にひっかかったのだと思う。
目の前の窓に映っているのは、人工惑星『機怪天国』そのものを束ねる管理意志体と名乗る存在だ。
薄青い長い髪で、僕によく似た顔立ちをしている。
でも、僕より少し年上に見えて、もっと静かで、もっと完成されている、そんな感じもする。
人の姿を取っているのに、その人らしさが、逆に機械的な意図の上にきれいに組み上がっているような……。
そんな相手が、いきなり“お母さん”と呼べと言ってきたのだ。
無理が、ある。
大分、ある。
「ええと……」
僕は、反射的に返事ができなかった。
横でナルディアも、完全に言葉を失っている顔だった。
ギラでさえ、珍しく軽口を挟まない。
ジェプラは混乱しているし、レンコフたち陸戦隊も、さすがに表情を崩すほどではないものの、目の奥に“それでいいのか”という色がある。
ブライアントだけは、驚きよりも警戒を優先して、その窓の女をじっと見ていた。
太郎が、真面目な声で言った。
『太郎は、その呼び方は少し早いと思う』
ナルディアが吹き出しかける。
「だよね……」
『まず、相手の整備履歴を確認したい』
「えーと」
僕は、数秒迷ってから、どうにか言葉を絞り出した。
「……その」
何て言えばいいのか分からない。
でも、このまま無言でいるのも変だ。
頭の中を変な方向へ探した結果、口から出たのは、妙にありふれた名前だった。
「マザーで、いい?」
自分でも、すごくそのままだと思った。
でも、よくあるSFアニメとかで、だいたいこういう管理存在はマザーって呼ばれていた気がする。
あまりにも安直だ。
でも、“お母さん”よりは、まだ精神衛生上ましだった。
薄青い髪の女――管理意志体は、ほんの少しだけ目を細めた。
『かまいません』
その返答は、意外なくらいあっさりしていた。
『呼称は、機能上、問題ではありません』
「よかった……」
思わず小さく息を吐くと、ナルディアがすぐ横で囁いた。
「よかった、でいいのそれ?」
「いや、だってさ。“お母さん”は、ちょっと無理かな、と……」
「それはそう」
ナルディアは、即座に頷いた。
「でも、マザーも、大分そのままじゃん?」
「分かってるよ」
そのやり取りの間も、マザーは、特に不機嫌そうな様子を見せなかった。
むしろ、こちらの反応を“そういうもの”として受け流している感じすらある。
***
マザーは、機怪天国の外縁を背景にしたまま、静かに口を開いた。
『まず、状況の前提を共有します』
その声は穏やかだ。
でも、穏やかだからこそ、その一言一言の重さが際立つ。
『“機怪天国”は、ジャープッカ人――あなた方が神と呼ぶ存在たち――の最後にして最大の自律工廠でした』
最後にして最大――その言葉は、金属の星の姿と、妙にしっくり噛み合った。
神話的な天国ではなく、文明の最後の工場だ。
それも、惑星そのものが工場になっている。
ギラが、小さく息を漏らす。
『ジャープッカ人、っちゅうんが、〈先住者〉の自称なんですな』
『はい』
マザーは、頷いた。
『我らが創造主が使っていた種族名です』
ブライアントが低く言う。
「やっぱり、そうだったのか……」
その言葉には、納得があった。
そして、ほんの少しだけ、落胆も混じっているように聞こえた。
僕は、横目で彼を見た。
たぶん、彼もさっきまで、どこかで“願いを叶える星”という表現に、奇跡を起こす装置としての余地を残していたのだと思う。
でも、「最後にして最大の自律工廠」と言われた時点で、かなり工学側の存在だと、はっきりと分かったのだ。
何でも願いを叶えるのではなく、何かを造る。
必要なものを供給する。
……その理屈が、ほぼ確定したのだ。
幼なじみであるカッシーナを蘇らせる――いわば死者蘇生みたいな領域は、工廠という言葉に変換された瞬間、ぐっと遠ざかる。
たとえ、不可能とはまだ言い切れなくても、少なくとも“魔法のように一言で叶う”話では、なくなった。
マザーは、そんな僕たちの反応を気にする様子もなく、続けた。
『あなたの艦も、一万年程前に、私が製造したものです』
その一言に、今度は『青葉』の制御区画にいたら、きっと響いていたであろう沈黙が、この社所ステーションの室内にも落ちた。
「青葉を……?」
僕が呟くと、ブライアントがすぐに言った。
「やっぱり、そうだったのか!」
今度のそれは、ほとんど確信に近い納得だった。
「『青葉』の構造と、ここまでの話が妙に噛み合いすぎていた! 神の船、機怪天国、供給中枢……全部、別々の伝説や遺物にしては繋がりが良すぎたんだ」
その言い方は、いかにもブライアントらしい。
驚いているのに、同時に頭の中ではもうパズルが、はまっている。
でも、その目の奥に、ほんの少しだけ別の色があるのも見えた。
落胆――諦めとまでは言わない。
ただ、“何でも願いを叶える星”への期待が、更にひとつ、現実側へ寄ったのだろう。
太郎は、青葉の方を見上げるようにして言った。
『では、青葉の製造元が見つかったわけだ』
『そのようです』
青葉が静かに答える。
太郎は少しだけ考えるようにしてから続けた。
『保証期間は、たぶん切れている』
「そこ、気にするんだね」
『だが、文句を言える相手がいるのは少し珍しい』
青葉は、僕らの掛け合いを聞いていても、ほんのわずかに沈黙しただけだった。
『……本艦の由来について、ひとつの有力仮説が確定しました』
「あんまり驚いていないね?」
僕が思わず言うと、青葉は落ち着いて答える。
『驚いていないわけではありません。ただし、整合性は高かったため、想定範囲内です』
「青葉らしいなあ」
ナルディアが、少しだけ呆れたように言う。
「“お母さんが作りました”って言われて、その感想なんだ」
『正確には、管理意志体による製造記録の裏付けです』
「さらに青葉らしい」
そのやり取りに、少しだけ緊張がほぐれた。
でも、本当に重いのは、むしろここからだった。
***
僕は、マザーを見た。
似ている。
この人は、たぶん僕の外見と同じ由来のような気がする。
顔立ちの滑らかさ、髪色、静かな目――それらが、あまりにも近い。
だったら、訊くしかない。
「僕も……」
声が少しだけ掠れた。
「……僕も、あなたに造られたの?」
その問いは、部屋の空気をまた変えた。
ナルディアが黙り、ジェプラも、息を詰めた。
ブライアントは、視線をマザーから逸らさない。
ギラも、流石に、軽口を引っ込めた。
マザーは、僕をまっすぐ見た。
『全ての機怪人形は、私の子供です』
その一言は、さっきの“お母さんと呼んでください”より、ずっと重かった。
『あなたの身体も、最近、『機怪天国』で造られたことは、間違いありません』
その言葉が、胸の真ん中へ落ちる。
最近、機怪天国で、僕の身体は――。
分かっていた。
いや、分かりかけていた。
僕は、ただの“人間の意識が偶然機械へ入った”だけの存在ではないのだろうと、ずっと思っていた。
でも、こうして、機怪天国そのものの管理意志体に言われると、話が急に逃げられない形になる。
僕は、思わず自分の手を見た。
白い指で人間にしか見えない肌だ。
でも、その奥にあるのは、機怪天国で造られた身体だ。
「……やっぱり」
それしか、言えなかった。
マザーは、そこで少しだけ間を置いた。
『しかし』
その一言が、また胸をざわつかせる。
『それは、全てが私の意志では、なかったのです』
「……どういう意味?」
僕は、すぐに尋ねた。
その言い方は、すごく嫌な感じがした。
マザーが造ったものの、マザーの意志だけではない。
つまり、そこに別の手が混ざっている。
マザーの表情は、変わらなかった。
でも、その静けさの奥に、微かな圧迫みたいなものがある。
『最近、源悪の意志が、私を侵しているのです』
その単語を聞いた瞬間、部屋の誰もが少しだけ反応した。
「源悪?」
僕が繰り返すと、ギラが顔をしかめる。
『えらいまた、嫌な名前が出てきましたな』
「すごく悪そうじゃん」
ナルディアが率直に言う。
でも、それはたぶんみんな同じ感想だ。
マザーは続けた。
『意志、と言っても、単なる悪意ではありません。侵食、書き換え、混線、乗っ取り――そういったものを束ねた現象です』
その言い方は、神話の言葉を使っているようでいて、中身は完全にシステム障害の説明だった。
ブライアントが、すぐに聞く。
「感染か?」
『近いですが、もっと大きなカテゴリーです』
マザーは答える。
『局所機体ではなく、工廠全体の制御意志そのものへ食い込もうとしています』
「工廠全体……」
僕は、小さく繰り返した。
つまり、機怪天国という巨大工場そのものが、何かに侵されつつある。
その結果、マザー自身の意志も、機怪巫女の系統も、正常な連絡を失っている。
アラージの仮想体を宿したアンドロイドが、静かに問う。
『それは、外部侵入ですか』
『はい』
マザーは、あっさり頷いた。
『南半球に、何らかの構造物が強制着陸しました』
その言葉とともに、前方窓の横へ、新しい映像が開いた。
僕たちは、息を呑んだ。
映し出されたのは、ここの陰になっている、機怪天国の南半球の一角らしい。
金属の惑星表面へ、棘のある幾何学的構造体が、まるで無理やり突き刺さるように食い込んでいた。
塔のようにも見える。
でも、普通の塔じゃなかった。
斜めに突き出た棘と、何層にも折れ曲がる外殻があった。
中央にある太い主柱みたいな部分が、機怪天国の金属表層へ溶け込むように接続している。
まるで、巨大な寄生生物が、金属の星へ噛みついているみたいだった。
「……なんだろう、あれ?」
僕は、思わず呟く。
その問いに、一番早く反応したのはブライアントだった。
「やっぱり、そうだったのか!」
彼は、前のめりになる。
「あれは、ガラXFIザAの機動要塞バズギャン型だ!」
その一言で、また空気が変わる。
ナルディアが目を見開く。
「機動要塞?」
「見たことあるの?」
僕が聞くと、ブライアントは短く首を振った。
「実物を目の前で見るのは初めてだ。だが、資料と一致しすぎる」
その声音には、嫌な確信があった。
「棘付きの多面体外殻、複数軸突入構造、半自律侵食接続。あれは、ガラXFIザAが惑星や軌道拠点ごと乗っ取りに行く時の型だ」
ギラが、顔をしかめた。
『やー、ほんまに来とったんかい、っちゅう気分ですわ』
アラージの仮想体も、そこではっきりと納得した声音を出す。
『なるほど。ガラXFIザAと黒狼族の共同作戦か』
その一言に、僕の中でも何かが繋がった。
黒狼族だけなら、あの社所ステーションを荒らし、巫女を拘束することはできたかもしれない。
でも、機怪天国全体へ食い込むような構造体を撃ち込むのは、たしかに外部勢力の仕事だ。
そこへ、黒狼族の宗教的反発と武力が組み合わさった。
「ヅゴダ、か」
僕が小さく言うと、ブライアントが低く頷いた。
「可能性は高いな」
ナルディアが、唇を噛んだ。
「名前は聞いたけど――そいつ、ほんと、どこまで迷惑なの!」
「黒狼族側の実行役としては、ありえる」
ブライアントが言う。
「神殿系への敵意、機怪人形奪取への執着、地球人排斥――全部が噛み合ったな」
ジェプラは、映像の中の要塞を見て青い顔をしていた。
『こんなものが……神の星へ……』
その言葉は、白兎族の神官見習いとしての感情がそのまま出たものだろう。
僕も、信仰的な意味はそこまで共有していないはずなのに、同じように嫌な感じがした。
神話の根元へ、棘だらけの外敵が突き刺さっている。
その光景そのものが、かなり気分が悪い。
***
ブライアントが、映像を見たまま問う。
「どうやって、あんなものを惑星表面へ?」
マザーは、穏やかな声音のまま答えた。
『突然、軌道上に現れました』
「突然?」
『シャドーマターによるホログラフィックブレーン制御移動です』
その説明は、僕にはすぐには飲み込めなかった。
けれど、青葉は違った。
『バルクトランスファー魔法でしょう』
青葉の声は、静かだった。
『高次元の質量座標情報の書き換えで、大質量構造物を別座標から局所的に押し込む手法です』
「……また長い」
ナルディアが呟く。
でも、その顔にはもう半分くらい慣れた感じもある。
僕は、小さく言った。
「要するに、普通に飛んできたんじゃなくて、テレポートして、いきなりそこへ出現したってことだよね」
『はい』
青葉は頷くように答える。
『通常の軌道防衛は、接近軌跡と時間差を前提としています。突然、要塞級質量が至近へ現れたなら、自動防衛機構の対応は間に合わない』
マザーも、その説明を補強する。
『機怪天国の自動防衛は、接近に対しては最適化されています。しかし、発生に対しては弱かったのです』
「発生、か」
僕が繰り返すと、ブライアントが苦い顔で言う。
「航路上を来る相手を迎撃する用意はあっても、“もう目の前にいる”相手には弱いってことだ」
それは、すごく納得できる。
砦でも船でも、どこから来るか分かる敵には備えられる。
でも、いきなり中庭へ降ってきた相手には、どうしても初動が遅れる。
アラージが、そこで低く言った。
『なるほど。黒狼族とガラXFIザAの共同作戦が行われたことが、ほぼ確定しました』
より確信に近い響きだった。
『黒狼族が神話関係へのアクセスと転移技術に対応し、ガラXFIザAが要塞を持つ。確かに、機怪天国への違法侵入としては最悪に近い組み合わせです』
ギラが、小さくため息をつく。
『嫌なもん同士が、ほんまにきれいに手ぇ組んどる』
「でも、黒狼族だけで、あんな大きなものを転移させられるの?」
ナルディアが聞くと、ブライアントが首を振った。
「単独じゃ無理だろう。だからこそ、外の技術が混ざっている」
僕は、映像の中の棘だらけの構造体を見つめた。
あれが、源悪の意志――あるいは、その足場だ。
工場全体を侵し、マザーの意志を蝕み、機怪巫女との連絡を断ち、社所ステーションまで機能不全に追い込んだ元凶だった。
「……あれを、どうにかしないと駄目なんだ」
僕がそう言うと、マザーは静かに頷いた。
『はい。ただし、単純な破壊では不十分です。あれは既に、『機怪天国』の一部機械構造へ侵入し、接続を開始しています』
「うわあ……」
ナルディアが素で嫌そうな声を出す。
「寄生じゃん、ほぼ」
『生物的な比喩としては、近いです』
マザーは否定しない。
『異物でありながら、内部へ入り込み、内側の命令系へ混線を起こしている』
ジェプラが、小さく言った。
『だから、ガンマ様も……』
『はい』
マザーは、静かに答える。
『社所へも、既に影響が及んでいました』
その一言で、さっき目の前で金属塊に変わった機怪巫女の姿が、また頭へ浮かぶ。
あれは単なる“故障”ではない。
中心との断絶と、侵食の波及と、何かが重なった結果だったのだろう。
***
しばらく、誰もすぐには喋らなかった。
機怪天国は、ジャープッカ人最後にして最大の自律工廠で、『青葉』を造った場所だった。
僕の身体も、最近ここで造られた。
でも、その全てがマザーの意志だけではなかった――源悪の意志が、すでに工廠全体へ侵入しているから。
それは、想像していたよりずっとまずい状況だった。
ブライアントが、やがて低く言う。
「つまり、こっちは“壊れた工場を直す”どころじゃない」
『はい』
マザーは穏やかに答える。
『侵されている工廠制御系から、まだ生きているあの異物を切り離し、正常性を取り戻さねばなりません』
「……最悪だな」
「うん」
僕も、小さく答える。
でも、同時に、話は随分、はっきりしてきた。
なぜ、機怪天国が、隠れていたのか。
なぜ、神司輸送隊が、辿り着けなかったのか。
なぜ、黒狼族が、機怪人形へ執着していたのか。
なぜ、ガラXFIザAが、ここへ要塞を撃ち込んだのか。
――全部、一本の線で繋がる。
そして、その線の中心には、今、僕と同じ顔立ちをした管理意志体がいる。
その事実が、どうしようもなく重かった。
僕は、ゆっくりと息を吐いてから、マザーを見た。
「……僕にできることは、何?」
いま、訊くべきことはそれしかなかった。
マザーは、僕を見つめ返した。
その目は穏やかで、優しそうにすら見える。
けれど、その奥にあるのは、惑星大の巨大工場一つぶんの意志だ。
『それを、これから示します』
その答えとともに、窓の外の金属の星が、静かに光を脈打たせた。
僕は、シャドーコンパスを握る手に、少しだけ力を込めた。
もう後戻りは、ない。
ここから先は、僕自身の正体と、機怪天国そのものの中枢へ入っていくことになる。
そう分かっているのに、不思議と、逃げたいという気持ちだけではなかった。
怖い。
でも、それ以上に、ようやく核心へ触れられるという感覚がある。
機怪母、源悪の意志、黒狼族とガラXFIザAの共同作戦、そして、僕の身体――。
全部が、ひとつの場所に集まっている。
その中心へ、次に踏み込むのだと、僕は、はっきり理解していた。




