第五十九章 社所ステーションと機怪巫女
シャドーコンパスが示した“ずれ”は、最初は本当に、ずれとしか言いようがなかった。
見た目で星があるわけではない。
巨大な質量反応がはっきり見えるわけでもない。
普通の航法センサーで見れば、そこにはただ、背景の星と、ごく薄いシャドーマターの揺らぎがあるだけだ。
しかし、シャドーコンパス越しにその宙域を重ねると、明らかに“何かがそこに畳まれている”感じがある。
それが、だんだん濃くなっていって、ついには、見えない巨大な球の縁へ、手で触れる直前みたいな感覚に変わった。
「……ここだ」
僕がそう言うと、制御区画の空気が一段引き締まった。
前方表示の中で、僕が指した領域へ、青葉が補助線を重ねていく。
通常観測、シャドーマター偏位、局所位相ノイズ、航路誤差――。
その全部を合わせると、“何もないはずなのに、何か巨大なものがそこにいる”形が、薄く浮かび上がってきた。
『高密度シャドーマター隠蔽フィールドの可能性が高いです』
青葉が静かに告げる。
『規模から見て、惑星級構造物、もしくは、それに準じる人工天体を覆っていると推定します』
「惑星級……」
ナルディアが、ごく小さく息を呑んだ。
「ほんとに、そこにあるんだ」
ジェプラは、両手を胸の前で軽く組んだまま、小さく目を伏せた。
祈っている、というほど明確な動作ではない。
でも、白兎族の神官見習いらしい習慣が、こういう時には自然に出るのだろう。
ブライアントは、表示の向こうを見ながら低く言った。
「見つけた、で終わりではないな」
「うん」
僕も頷く。
「ここから、どう近づくかだね」
ナルディアが、小さく言う。
「とりあえず、あたし達だけ、行くんだよね」
「それは、そうだろうな」
ブライアントが応える。
「いきなり艦隊で押し寄せたら、向こうがどう受け取るか分からない」
ギラが翼をたたみ直しながら言う。
『下手に本隊で押し寄せたら、壊れとる機械にさらに石投げるようなもんですわ』
『その表現は妥当です』
青葉が、妙に真面目に同意した。
『高度な自律工場が機能不全に陥っている場合、大規模艦隊による接近は、防衛反応または完全閉鎖を誘発する可能性があります』
「じゃあ、やっぱり『青葉』だけ?」
僕が聞くと、制御区画脇の通信表示にアラージの仮想体が現れた。
狐族の独立魔女は、いつもと同じように静かな顔をしていた。
けれど、その視線の奥には、さすがにいまの状況への緊張がある。
『はい。まず、巡洋艦『青葉』だけが進みます』
その答えに、ブライアントがすぐに続ける。
「護衛は?」
『乗せます』
アラージは、即答した。
『神殿監察部特殊陸戦隊の小隊を、『青葉』へ同乗させます。主に狐族で構成される先遣隊です。現地施設への突入、記録保全、神話的対象への最低限の礼を守った上での安全確保を任せます』
「陸戦隊まで乗り込むの?」
僕が言うと、アラージは頷く。
『機怪天国の管理施設内部に入る可能性を考えると、必要です』
「でも、本隊は?」
『すぐ駆けつけられる位置で待機します』
前方表示の中で、監察艦隊本隊の想定陣形が少し変わる。
『青葉』が前へ出る。
艦隊本隊は、外から飛び込める距離で待つ。
近すぎず、遠すぎず――その距離感が、すごく“壊れた何かに対する慎重さ”を感じさせた。
ナルディアが、ぼそりと言った。
「『青葉』だけでも、わりと十分に大げさじゃない?」
「神話の都合では、一番ましなんだろう」
その言い方は、たぶん正しかった。
神の船、神子――そういうものが先に立つなら、少なくとも“こちらは、制圧しに来たわけではない”と示せる。
実際に、どう受け取られるかは別としても、最初の形としては、それがいちばん摩擦が少ない。
アラージは、短く言った。
『準備を進めます』
その言葉と同時に、制御区画の空気が一気に実務の方へ切り替わった。
***
特殊陸戦隊が『青葉』へ乗り込んできたのは、それから間もなくだった。
狐族が多い、とアラージは言っていたが、実際に来た隊は、ほぼ全員が狐族だった。
ただし、前に会った神殿監察部員のような、すらりとした官僚めいた雰囲気ではなかった。
全員、動きが静かで、体幹がぶれない。余計な緊張を表へ出さないまま、武装と礼節を両立させている感じがある。
先頭にいたのは、狐族の女だった。
長身で、焦げ茶の髪を後ろでまとめ、制服の上から軽装甲を着ていた。
耳の動きが少なく、視線の運び方がやけに安定していた。
現場慣れしている人だ、と一目で分かった。
『神殿監察部、特殊陸戦隊小隊長、レンコフです』
短く、よく通る声だった。
『神子弓良殿、『青葉』の皆様。本件では、現地突入と安全確保を担当します』
「よろしくお願いします」
僕が言うと、レンコフは、わずかに顎を引いた。
『こちらこそ。礼を失するつもりはありませんが、危険が顕在化した場合、即応を優先します』
その言い方は、かなり好ましかった。
変に敬いすぎて動きが遅い人より、こうして最初から言ってくれる人の方が、たぶん一緒に行動しやすい。
ギラが、横で小さく僕へ囁いた。
『現場のええ人ですわ。狐族の中では、珍しく話が早そうや』
「珍しく、って言うと怒られない?」
『本人に聞こえるように言うたら怒られますな』
でも、たぶんもう半分くらい聞こえていたと思う。
レンコフはまったく反応しなかった。
それが、逆にちょっと怖い。
アラージの仮想体も、今回はそのまま『青葉』へ乗り込む形になった。
もっと正確に言えば、アラージの遠隔意識を宿した専用アンドロイドが、隊と一緒に運び込まれた。
そのアンドロイドは、ぱっと見では狐族の女性に見える。
でも、近づくと違和感がある。
皮膚も毛並みも、あくまで“そのように見せている”感じで、動きが綺麗すぎるのだ。
生き物の偶然ではなく、設計された滑らかさに見える。
ナルディアが、そのアンドロイドを見て小さく呟く。
「……増えた」
「何が?」
「美人の狐族が」
「そこなの?」
「そこだよ」
その小声のやり取りを聞いていたのかいないのか、アラージの仮想体を宿したアンドロイドは、こちらを一瞥しただけだった。
たぶん、聞こえていても流したのだろう。
ブライアントが、その光景を見ながら小さく息を吐く。
「どんどん“ただの船旅”じゃなくなっていくな」
「だいぶ前からそうだよ……」
僕がそう言うと、ブライアントは苦笑した。
「それもそうだな」
***
本隊を背に、『青葉』だけが前へ出た。
監察艦隊本隊は、すぐ駆けつけられる位置で待機する。
それは心強い。
けど、同時に、やっぱり最初に見て、触れて、判断するのは僕たちだけだ。
前方の宙域には、シャドーマターの隠蔽フィールドが薄く張られている。
通常観測では見逃してしまいそうなくらい、巧妙だけど、巨大だった。
『青葉』が近づくにつれ、シャドーコンパスの中の線が複雑さを増していく。
何重もの層が重なり、その一番外側に、薄い膜みたいなものがあるのが分かった。
これが、たぶん隠蔽の皮膜だ。
「……ここで止めて」
僕が言うと、青葉がすぐに反応した。
『減速。相対停止』
床下の振動が変わる。
『青葉』は、見えない巨大なもののすぐ外縁で、静かに止まった。
僕は、シャドーコンパスを握りながら前方の空間を見つめた。
「……たぶん、ここ」
『アンチハイドを使用しますか』
青葉が静かに訊く。
「うん」
僕は、頷いた。
ただ、破壊的に剥がすのではなく、“見えなくしている理屈だけをほどく”ような感じでいきたい。
隠蔽フィールドそのものを吹き飛ばしたら、中身まで壊しかねない。
同じことを思ったのだろう、アラージの仮想体が宿ったアンドロイドが、すぐに告げた。
『外層のみを剥がしてください。深部まで裂かないように』
「そのつもり」
僕は、前方の見えない膜へ意識を向けた。
アンチハイド――ナヴーピで知識層を調べて知った、隠蔽や擬装を解く側の魔法だ。
でも、いま相手にしているのは、たぶん個人や小型施設の隠蔽ではない。
惑星級構造物を丸ごと包める、〈先住者〉系の高位シャドーマターフィールドだ。
普通なら、正面から解けるようなものではない。
でも、シャドーコンパスが、その“ほどき方”の輪郭を教えてくる。
どうも、シャドーコンパスは、単なるセンサーではなくて、僕のシャドーマターを把握する感覚を拡張して、その細部を見せてくれるようだ。
ここを押す、ここを緩める、ここは触らない――そんな感覚が、妙に自然に流れ込んでくる。
「……いける」
僕が小さく言うと、青葉が即座に補助に入る。
『補助します。局所分子機械群、待機。場の乱れは最小化します』
僕は、前方へ向けて静かに魔法を流した。
青白い輪が、極薄く、空間の上を滑る。
ぶつけるのではなく、なぞった。
切るのではなく、ひっかかっている端を探して、そこから縫い目をほどくみたいな感じだ。
反応は、すぐに返ってきた。
前方の宇宙が、ほんの少しだけ波打つ。
背景の星が、一瞬だけ歪んだ。
何もない場所の奥で、見えない皮膜が剥がれ始める。
『隠蔽フィールド外層、局所解除を確認』
青葉が告げた。
その直後、前方の空間から、何かがするりと現れた。
「……出た」
ナルディアが、小さく息を呑む。
そこに現れたのは、惑星そのものではなかった。
もっと手前で、もっと外側――たぶん、惑星の周囲を回っている施設のひとつ。
細長い軸と、そこから横へ伸びるリング状の居住、作業ブロックだ。
発光ラインが外殻の上を流れ、接舷用らしい構造物がいくつか突き出ている。
規模としては巨大ステーションだが、ガナドラの星系を覆うリング上にあった商業ステーションとはまるで違う。
遊びも、装飾も、見栄もない。
必要な機能だけを、必要な角度で組み上げた感じがする。
アラージの仮想体が、そのステーションを見て静かに言った。
『社所ステーションです』
「社所?」
僕が聞くと、アラージは補足する。
『神殿と管理所を兼ねる外縁窓口です。供物受領、外部接触、記録中継、そういった機能を持つ施設のはずです』
“はず”という言い方が、逆に嫌だった。
つまり、本来の機能を持っているはずだが、今はどうなっているか分からないのだ。
レンコフが、短く言う。
『接舷できますか?』
『可能です』
青葉が答える。
『外部損傷は、中程度。完全沈黙ではありません。最低限の環境維持系は生きています』
「じゃあ、行くんだね」
僕が言うと、レンコフは頷いた。
『はい。ここから先は、まず現地確認です』
***
『青葉』は、社所ステーションの接舷区画へ、静かに寄って行った。
接舷アームは、残っている。
でも、光の流れがぎこちない。
何年も放置された廃墟という感じではないが、正常運用とも言いにくい。
太郎は、前方表示を見上げながら、小さく言った。
『接舷前の静けさは嫌いだ』
「歓迎される時でも、静かな場合もあるよね?」
『ある』
太郎は短く認めたあと、すぐに続ける。
『だが、今回のは歓迎の静けさではない』
「そうかな……」
接続が完了すると、レンコフがすぐに部隊へ命じた。
『先行班、環境確認。神話対象への礼節を維持。勝手な発砲は禁止。機械的脅威が顕在化した場合のみ即応』
狐族中心の陸戦隊は、短く応じて動き始める。
無駄がなく、騒がない。
でも、ただ静かなだけではなく、今にも飛び出せる密度がある。
その陸戦隊の様子を見ながら、太郎が感心したように言った。
『狐族の陸戦隊、足音が軽い』
「軽いのに、強いよね」
『うむ。軽いのに、強い』
太郎は少しだけ間を置いた。
『太郎は、ああいう歩き方はできない』
ナルディアが小さく吹き出す。
「いや、太郎はそのままでいいと思う」
『安全確保後、神子殿とご一同様もお願い致します』
レンコフから通信が入った。
「分かりました」
ブライアントを見ると、頷かれた。
「僕達も、行こう」
青葉を残していくわけにはいかないが、そうかといって、僕が制御区画に残るのも違う。
シャドーコンパスを持つ僕が前へ行かなければ、ここから先の“読む”作業が進まないからだ。
ナルディアが、少しだけ緊張した顔で言う。
「……ほんとに入るんだ」
「ここまで来たらね」
「分かってるけど!」
言いながらも、ナルディアはちゃんと自分の装備を確認していた。
軽装だが、ガナドラで回収したショックガンも整備されている。
ブライアントは、もっと落ち着いていて、最小限の武装だけを身につけている。
ジェプラは、護身用の小型神具と通信具だ。
ギラも、表向きは軽いが、現場に入る顔になっていた。
太郎は、いつの間にか僕の足元の定位置に戻っている。
アラージの仮想体を宿したアンドロイドも、一緒に降りる準備を整えていた。
自分の本体は、まだガナドラかオッコクにいるのに、こうして現地へ“来る”。
やっぱり、何度見ても変な感じがする。
接舷ハッチが開いた。
その向こうは、薄暗い通路で、完全に停電してはいない。
壁面の細いラインが、生きている最低限の光を放っている。
空気もある。
しかし、静かすぎる。
人が住んでいるはずの施設の静けさではない。
「……廃墟、みたい」
ナルディアが小さく言う。
「でも、完全に動いていない感じでもない」
僕が返すと、青葉が通信越しに補足した。
『環境維持は継続中です。無人化期間が長いなら、もっと空調と電力に乱れが出るはずです』
「つまり」
ブライアントが低く言う。
「まだ“誰かがいる”前提で考えた方がいい」
『はい』
その答えが、逆にぞくりとした。
レンコフが先頭に立ち、陸戦隊が広がる。
僕たちは、その少し後ろだ。
通路は幅が広く、人工重力も安定していた。
ただ、ところどころに、見慣れないタイプの記号と、狐族の神殿系注記が併記されている。
「社所ステーション、か」
僕は、小さく呟いた。
「名前の割に、だいぶ“工場”寄りだね」
ギラが、前方を見ながら小声で返す。
『神殿であり、窓口であり、物流拠点でもあるんやと思いますわ。グラブール人の神殿、場所によっては、普通に行政施設と倉庫を兼ねとるんで』
ブライアントが呟いた。
「それをもっと機怪天国に合わせた感じか」
「たぶん」
その会話をしているあいだも、通路の先には人の気配がない。
ただ、完全に停止している感じとも違う。
空調と、ごく低い駆動音があった。
壁の中を何かがゆっくり流れているような微振動も。
施設が、かろうじて息をしているみたいだった。
***
しばらく進むと、居住区らしいブロックへ出た。
そこだけ、空気が少し違った。
無人の居住区というのは、どこか妙な気配がある。
生活の痕跡があるのに、人がいない。
整えたまま置かれた卓と、壁面収納があった。
休息用らしいスペースと、その奥へ続く細い通路が見える。
レンコフが、そこで手を上げた。
陸戦隊が一斉に止まる。
『……反応』
短い声だった。
僕も、そこで気づいた。
奥の方に、微かに、機械的な出力がある。
壊れた設備の残留電力とは違う。
もっと局所的で、持続している。
「誰かいる」
僕が小さく言うと、レンコフは頷いた。
『ええ』
彼女は、隊を二手に分けて、慎重に奥へ進ませた。
僕たちも、その後に続く。
通路を抜けた先は、半分研究室、半分礼拝室みたいな奇妙な空間だった。
壁には神殿系の意匠がある。
でも、中央には制御卓と、分子機械の流路らしい光の線が走っている。
そして、その奥に……。
「……っ」
僕は思わず足を止めた。
そこに、“誰か”がいた。
狐族型のアンドロイドだ。
女性型。
細身だが、僕よりずっと機械寄りの構造が露出している。
耳は狐族の形だが、付け根が明らかに機械フレームだ。
顔立ちも人間的ではあるのに、頬から首筋にかけて細かな発光ラインが走っている。
肩と腕の一部は、薄い外装の下に関節機構が見えていた。
その身体が、分子機械のワイヤーで何重にも縛られていた。
銀色の細い線が、手首、肘、首、胴、脚に巻きつき、壁面の固定具へ繋がっている。
まるで、拘束というより、危険な機械を封印するみたいな縛り方だった。
そして、そのアンドロイドは動いていない。
俯いたまま、完全に沈黙している。
最初に叫んだのは、レンコフだった。
『機怪巫女様!』
その声には、さっきまでの現場指揮官の冷静さとは別の色があった。
驚き、焦り、そして――敬意だ。
僕は、その呼び方を聞いて、ますます目の前の存在を見つめた。
機怪巫女――この人が。
ステーションBで見た、人型アンドロイドたちを思いだした。
あの時見た連中も、かなり“機械”を外へ見せていた。
今、目の前の存在も、ちょうど、そのくらいのメカ度合いだ。
近くで見れば、人間と見間違えない。
でも、機械じみすぎているわけでもない。
人と機械の境目が、わざと見えるように作られている感じだった。
それに比べると、僕は、大分、違う。
自分で言うのも変だが、僕の今の身体は、よほど近づいて、よほど細かく見ない限り、人間と見分けがつかない。
耳も髪も、肌も、ほとんど自然だ。
それが、今は逆に妙に意識された。
「……僕より、ずっと機怪人形っぽい」
思わずそう呟くと、ギラが横で小さく言う。
『いや、神子はんは、もうほぼ人間にしか見えませんからな』
「そうなんだけど、こうして比較対象が出ると、自分でも変な感じがする」
レンコフは、僕たちの会話を聞いている余裕はなさそうだった。
『生体ではない。機体固定。だが、停止ではない……』
太郎は、すぐに機怪巫女の拘束状態を見た。
『拘束状態を確認。見た目より、ずっと悪い』
僕が反射的にそちらを向くと、太郎は続ける。
『固定ではなく、封印に近い』
「封印?」
『早く解いた方がよいが、雑にやると壊れる』
青葉が、ほとんど同時にそれを裏づけた。
『同意します』
レンコフも、拘束ワイヤーの状態を素早く確認し、それから僕へ振り返る。
『神子弓良殿、分解できますか?』
僕は、頷いた。
「やる」
青葉が、すぐに通信越しに補足する。
『ワイヤーは分子機械系拘束です。攻撃用ではなく、維持と封印を兼ねた制御拘束と見ます。乱暴に切断すると、対象機体に逆流負荷が発生する可能性があります』
「じゃあ、ほどく感じでいく」
『それが最適です』
僕は、機怪巫女の前へ膝をついた。
近くで見ると、やっぱりこの自分の身体とは、だいぶ違う。
もっと古いのか、もっと役割特化なのか、はっきり機械的な機構で動いているのが分かる。外装の見せ方も、厚みも異なっている。
でも、だからこそ、“同じ系統”だというのも分かった。
僕は、ワイヤーへ、そっと指を触れた。
冷たいけど、青葉が使っているのと似たタイプの分子機械だ。構造は、読める。
「……青葉」
『はい』
「これ、拘束というより、半分は延命っぽい」
『同意します。暴走または自己崩壊を防ぐため、局所的に固定しつつ、最低限の機体保存を行っていた可能性があります』
つまり、誰かがこの機怪巫女を“縛った”のは、単純な悪意だけではないかもしれない。
少なくとも、壊れかけの機体を放置はしていない。
でも、今それを考え込んでも仕方がない。
「分解するよ」
そう言って、僕はワイヤーの結び目のような部分へ意識を向けた。
この種類――〈先住者〉が好んで使っていたらしい分子機械の群れは、外部にタイトジャンクションというのがあって、分子間力と共有結合で、かなり強固に繋がっている。
その繋がりも、まるで植物の繊維のように、フラクタルな構造をしている。
これにシャドーマターで力を与えて、解き放させる。
僕は、そうやって、切断ではなく“ほどく”方が得意だ。
繋ぎ方を読んで、逆順に解いていく。
銀色の細線が、少しずつ緩んでいく。
手首、肩、胴、脚部――青葉が、逐一補助してくれる。
『負荷安定。そこは保持。次に左肩。首部ラインへはまだ触れないでください』
「了解」
レンコフと陸戦隊は、半円状に距離を取って待機していた。
武器は、下げている。
でも、いつでも上げられる位置だ。
ジェプラは、やや後方で息を呑んで見ている。
ナルディアは、僕の肩越しに覗き込みたいのを我慢している顔だった。
ブライアントは、機怪巫女そのものより、部屋全体と拘束の状態を見ている。
ギラは、いつもの軽口を完全に引っ込めていた。
最後の拘束線をほどいた瞬間、機怪巫女の身体が、ほんのわずかに前へ揺れた。
「……っ」
僕が反射的に支えかけると、その機体は思ったより軽かった。
いや、軽いというより、重心が人間と少し違う。
中身の詰まり方が違うのだろう。
青葉が、静かに告げる。
『基本拘束解除完了。機体反応、微回復』
レンコフが、低く言う。
『機怪巫女様……』
その呼びかけに応じるように、狐族型のアンドロイドの目が、ゆっくりと開いた。
琥珀色に近い光が、その瞳の奥で一度だけ揺れる。
機怪巫女は、数秒ほど焦点の合わない目で前を見ていた。
それから、ぎこちなく、でも確かにこちらを認識し始める。
『……起動……』
声が、かすかに漏れた。
僕は、思わず息を止めた。
起動――この人は、自分をそう表現するのか。
機怪巫女の目が、僕へ向く。
その視線には、驚きも警戒も、まだ整理されていない。
ただ、“読もうとしている”感じだけがあった。
『……神子?』
その一言で、部屋の空気がまた変わった。
やっぱり、この人は、僕をそう見る、と思った。
白兎族とも、黒狼族とも少し違う響きだった――もっと直接的な、役割名のような感じだ。
僕は、小さく頷いた。
「弓良です。巡洋艦『青葉』と一緒に来ました」
機怪巫女は、僕を見たまま、ゆっくりと周囲へ視線を移す。
レンコフ、陸戦隊、アラージの仮想体が宿ったアンドロイド、ジェプラ、ナルディア、ブライアント、ギラ、太郎――。
それから、また僕へ戻る。
『……識別が、混線しておる』
その声は、まだ少し不安定だった。
でも、完全に沈黙していたさっきよりは、ずっと“生きている”感じがある。
アラージの仮想体が、静かに一歩前へ出た。
『機怪巫女様。独立魔女アラージです。神殿監察部として、機怪天国の異常を確認しにきました』
機怪巫女は、その言葉を聞いて、小さく目を閉じた。
『……監察部……』
その語を辿るように、唇が動く。
それから、ふっと小さく息を吐くような動きをした。
人間なら、ため息に見える動きだ。
でも、この人が本当に呼吸しているのかは、まだ分からない。
『遅すぎじゃ』
静かに、でもはっきりと、そう言った。
その一言に、部屋の誰も、すぐには返事ができなかった。
遅すぎる――。
それは、責めているのか、事実を言っているだけなのか。
たぶん、その両方なのだろう。
そして、その言葉が、この先で聞かされることが、たぶんあまり軽くはないのだと、はっきり示していた。




