第五十八章 お隠れ惑星
監察艦隊と『青葉』がオッコクのある星系を離れてから、最初の数時間は、妙なくらい穏やかだった。
もちろん、何も起きていないわけではない。
艦隊は、ストライプドリープ航法で、複数の航路補正を重ねて、予定の宙域に到達した。
完全な真空の星間空間だ。近くの恒星は、何パーセクも先にある場所だった。
そこで、神殿監察部の記録艦が絶えず周辺空間の状態を測り続け、封鎖担当の艦は外縁へ散っていった。
『青葉』もまた、先行調査艦として独自の計測と系統確認を並行していた。
でも、見た目だけなら、ただ整然とした艦隊行動だった。
ガナドラのドックを食い破って飛び出した時みたいな荒々しさはない。
むしろ、静かすぎるくらいだ。
だからこそ、余計に落ち着かなかった。
機怪天国は失踪したけど、消えたわけではないらしい。
神司輸送隊は辿り着けず、魔女たちの網も取り逃がし、黒狼族とガラXFIザAの行動時期はそこへ重なる。
そういう“不在ではない不在”を探しに行くとなると、何も起きない時間が逆に気味悪く感じるのだ。
僕は、制御区画の前方表示を見ながら、小さく息を吐いた。
「……静かだね」
ナルディアが、僕のすぐ後ろの席から顔を出すように言った。
「うん。逆にやだ」
「分かる」
彼女は、ちょっとだけ顔をしかめる。
「戦う前みたいな静けさとも違うんだよね。なんていうか、見えないものの近くに行ってる感じ」
「それ、たぶんかなり合ってる」
僕がそう答えると、ナルディアは少しだけ肩をすくめた。
この子は勘がいい。理屈として全部を整理する前に、空気の変化を先に掴むことがある。
足元の太郎が、低く言った。
『静かすぎる場所は、整備工場でも危ない』
「それって、どういう意味?」
『動いていないのか、動きすぎて静かなのか、見分けがつきにくい』
太郎は、前方表示を見上げたまま続ける。
『今回のは、たぶん後者だ』
ブライアントは、制御区画脇の補助表示を見ながら低く言った。
「艦隊の陣形も、必要以上に広がっていないな」
「そうなの?」
僕が尋ねると、彼は頷く。
「見えないものを探す時に、最初から広く張りすぎると、逆に“触ってしまう”可能性がある。あいつら、本気で『機怪天国』を、刺激するのを避けるつもりだ」
その言い方は、少しだけ安心できた。
神殿監察部は、少なくともこの段階では、見つけることより壊さないことを優先している。
青葉が、静かに補足した。
『監察艦隊本隊の主計測は、受動観測中心です。こちらへも“強い能動スキャンは控えるように”という指示が来ています』
「それって、やっぱり何かあるって思ってるから?」
『はい』
『高度な自律施設が不安定な場合、過剰な能動探査は敵対認識や防衛誤作動を誘発しうるためです』
また少し長かったけれど、意味は分かる。
壊れかけたシステムへ、外から大きな声で「いるか」と叫ぶのは危ない、ということなのだろう。
ギラが、翼をたたんだまま言った。
『機怪天国が普通の遺跡やったら、もっと雑に照らしてもええんですけどな。あれは、たぶん“まだ生きてる側”やから』
「生きてる、よね?」
『せや。壊れたとしても、死んでるとは限らん、っちゅうやつですわ』
その表現は、妙にしっくりきた。
死んでいる遺跡なら、掘るだけでいい。
でも、生きているものが壊れているなら、扱い方がまるで変わる。
***
艦隊側から送られてきた基礎データを見ているうちに、僕は少しずつ“いまどこを探しているのか”の感覚を掴み始めていた。
普通の宙域探索とは違い、決まった座標へ行って、そこに惑星があるかどうかを見る訳ではない。
まず、神司輸送隊の最後の成功航路を見る。
そこから、次の便が“辿り着けなかった”時点のずれを調べる。
さらに、黒狼族とガラXFIザAの接触が疑われる宙域も探る。
それらを全部重ねた上で、“何かが外へ押し出されたのか、内へ畳まれたのか、見えなくされたのか”を探っている。
要するに、ものすごく高い精度で、“違和感”を探しているのだ。
その違和感に、普通の観測網ではあと一歩届かない。
だから、シャドーコンパスが必要になる。
僕は、その神具を手の中で軽く転がした。
丸く薄いけど、ただの道具のようには思えない。
青葉が、僕の意識の流れを読んだように言った。
『シャドーコンパスの初期運用、始めますか』
「うん」
そう答えると、ジェプラが少しだけ姿勢を正した。
ナルディアも、だらけかけていた背中を起こす。
ギラは、翼をたたみ直した。
ブライアントは言葉こそ挟まないが、視線をこちらへ寄せてくる。
みんな、これが“本当に役に立つかどうか”の最初の確認だと分かっているのだ。
「……では、始めようかな」
僕が、言うと、青葉がすぐに返す。
『はい。弓良が前回触れた際、神具側は、弓良の応答に応えました。同じ接し方から始めたら良いと思います』
「前回みたいに、まず触る」
『はい』
「それ、だいぶ“手探り”だね」
『現段階では、それが最も正確です』
たしかに、そうなのだろう。
変に知ったかぶりで触るより、いま自分が感じるものを素直に辿った方がいい。
僕は、シャドーコンパスを両手で持ち、目を閉じた。
触れる。覗き込む。押しつけない。でも、逃げもしない。
そういう感覚で意識を向けると、すぐに前回の“応答”が戻ってきた。
ほとんど、自分の身体から拡張された一部のように感じる。
青銀色の細い線――中心から外縁へ走る幾何学。方角だけではない、何層もの“指し方”。
制御区画の空気が少しだけ変わる。
実際には変わっていないのかもしれない。
でも、僕の感覚の側では、前方の宇宙空間に薄い層が一枚増えたみたいだった。
『反応確認』
青葉が静かに告げる。
『表層安定。第二層展開。前回より移行が滑らかです』
「……やっぱり、少し慣れたのかな」
『可能性は高いです』
僕は、ゆっくりと前方表示を見た。
肉眼で見える星々と、航法表示と、その上に薄く重なる“別の感覚”があった。
何もない。
でも、完全な無ではない。
遠くの宙域に、ごくわずかな“ひっかかり”がある。
「……あれ?」
思わず呟くと、ブライアントがすぐに言った。
「何か見えたか」
「見えた、っていうより……感じた?」
自分でも曖昧な言い方だと思う。
でも、単なる視覚でも、ただの計測数値でもない。
「普通の航路の流れから、ほんの少しだけずれてる感じがある」
青葉が即座に反応する。
『方位を』
僕は、前方表示の一角を指した。
かなり広い範囲だ。
正確に座標を切れるほどではない。
でも、“この辺りに何かある”という感覚ははっきりしている。
青葉は、すぐにその方向へ補助表示を重ねる。
『通常観測上、有意な天体反応なし。航法ノイズ、標準範囲内。しかし、微細なシャドーマター密度の揺らぎが、周辺宙域より高い』
「え」
ナルディアが身を乗り出す。
「もう出たの?」
「たぶん、まだ“近い”だけじゃないかな」
僕が答えると、青葉も同じように補足した。
『現段階では、決定打ではありません。ですが、“何もないのに少しだけ違和感のある”領域です』
太郎が、珍しく少しだけ力を込めて言った。
『弓良の指す方向と、青葉の観測が合った』
太郎は、ピコと鳴いた。
『なら、そこに何かある』
「そうだと、いいんだけど……」
『太郎の経験上、合う時は、だいたい本物だ』
その経験がどこまで一般化できるのかは怪しかったが、今はその断言が少しありがたかった。
ギラが、そこで低く言った。
『たぶん、それですわ。普通の観測網ではうまいこと掴みきれんかったんです』
ジェプラも、少し興奮したように言う。
『では、本当に……弓良殿とシャドーコンパスで、追えるのですね』
その言葉を聞いて、少しだけ胸の奥が熱くなる。
まだ確定ではない。
でも、“何もできない”状態では、なくなった。
それだけでだいぶ違う。
***
監察艦隊本隊へ、その初期反応を送ると、すぐに返答が来た。
今度の通信はアラージではなく、ギースだった。
相変わらず硬い顔のまま、だが声の端にわずかな緊張が乗っている。
『神子弓良、反応の再確認を』
「はい」
『同方向を二回、別の接続深度で読めますか?』
「やってみます」
僕は、もう一度シャドーコンパスへ意識を向けた。
今度は、さっきより少しだけ慎重に、接続の深さを変える。
浅く読み、次に、もう少しだけ深く読んだ。
すると、方角そのものは大きく変わらないのに、感触の密度が変わった。
浅い時は、ただ“何かおかしい”だった。
深く入ると、“何かが畳まれている”みたいな感じがする。
「……やっぱり同じ方向です」
僕は、そう言ってから、少し考えて付け足した。
「ただ、近づくと“ある”というより、“折り込まれてる”感じが強くなりました」
ギースの目が、ほんの少しだけ鋭くなる。
『折り込まれている、ですか』
「はい。消えてるとか、飛んでいったとかじゃなくて、そこにあるのに、普通の座標から半分ずれてるみたいな……」
言いながら、自分でも説明が難しいと思う。
でも、青葉はすぐに拾ってくれた。
『空間位相偏位、もしくは高密度シャドーマターによる局所折り畳みの表現として整合します』
「それ。たぶん、それ」
僕が言うと、ナルディアが小声でぼやく。
「青葉の翻訳がないと、毎回、弓良の説明、ちょっと曖昧になるね」
「自分でも、そう思う」
太郎は、前方表示の小さな光点を見ながら、ぽつりと言った。
『“何もないのに少しおかしい”は、機械では大事な兆候だ』
「放っておくと危ないやつ?」
『放置すると、あとで大きい故障になる』
ほんの少し間を置いて、太郎は続けた。
『今回は、その規模が惑星だが』
「スケールの感覚が壊れるなあ……」
ギースは、そのやり取りにも特に動じなかった。
『了解。監察艦隊本隊は現在位置を維持。先行調査を『青葉』へ集約します』
ブライアントが、そこで低く言う。
「本隊は、来ないのか?」
『まだ、待機します』
ギースは即答した。
『反応が“閉じている側”なら、大規模艦隊の接近は攪乱になります。『青葉』だけで十分に近づけるなら、その方が良い』
それは、多分、正しい。
でも、同時に、“最初に何かと向き合うのは僕たちだけ”ということでもある。
ブライアントも同じことを思ったのか、少しだけ眉を寄せた。
「つまり、先行調査というより、先行接触だな」
『そう認識して頂いて構いません』
ギースはそう言った。
『機怪天国側が何らかの応答主体を残している場合、神話的にも、『青葉』が先に立つ方が筋が通ります』
また、理屈と神話の両方が並んでいた。
でも、いまはその方がありがたかった。
***
本隊が待機し、『青葉』だけが前へ出ると決まった瞬間、制御区画の空気ははっきり変わった。
今までは、監察艦隊の一部として動いていたが、ここから先は、『青葉』が中心になる。
青葉が、制御区画の全体へ静かに告げる。
『航路変更。先行調査モードへ移行します』
床下から、ごく低い振動が伝わってきた。
艦の姿勢が微調整され、進路がわずかに変わった。
前方表示の中では、監察艦隊本隊が少しずつ後ろへ退き、『青葉』の進路だけが前へ細く伸びた。
ナルディアが、その表示を見て少しだけ息を飲む。
「……ほんとに、行くんだ」
「うん。これからが本番かな」
僕が応えると、ナルディアは、座席の背を握るみたいにして言った。
「いや、分かってたけど。なんか、改めて見るとすごい」
たしかに、その気持ちは分かる。
大艦隊を後ろへ残し、僕たちだけが前へ出る。
それは、いかにも物語っぽい。
でも、実際にその中心へ立つとなると、格好いいだけでは済まない。
ブライアントが、表示を見たまま低く言う。
「距離を詰めるほど、何か起きる前提でいた方がいい」
「そうだね」
「いきなり撃ってくる可能性は低い」
「でも、低いだけでゼロじゃないよね?」
「そういうことだ」
そのやり取りを聞いて、ジェプラが少しだけ身を固くする。
『弓良殿』
「うん?」
『もし、機怪巫女様のような存在が現れた場合……最初の言葉は、どうすべきでしょうか』
「……あ」
それは、ものすごく大事な問いだった。
何を見て、どう近づくか――そのことばかり考えていて、“最初に何を言うか”までは、正直あまり考えていなかった。
ギラが、そこへ半分冗談みたいに言う。
『おばけぇ~は、さすがにやめといた方がええですな』
「ちょっと、それまだ引っ張る?」
ナルディアがむっとすると、部屋の空気が少しだけ緩んだ。
でも、肝心の問いは残る。
僕は、少し考えてから言った。
「……たぶん、こちらから名乗るのが先かな」
ブライアントが小さく頷く。
「それがいいだろうな。何者か分からないまま近づくのが一番悪い」
青葉も、静かに補足する。
『同意します。本艦としても、第一接触時は、自己識別、敵意なし、対話意思あり、の順で伝えるのが妥当です』
「うん、それでいこう」
自分で言いながら、少しだけ落ち着いた。
何も考えずに未知へ近づくのではなく、少なくとも最初にどうするかは決めたので。
***
『青葉』がさらに前へ進むにつれ、前方の宇宙空間は、見た目には相変わらず何も変わらなかった。
星、遠い塵、微かな背景光――。
普通の宙域と、ぱっと見ではほとんど区別がつかない。
でも、シャドーコンパスを通して見ると違う。感覚に、大分、慣れてきたと思う。
さっきまで“少しおかしい”程度だったものが、今は、もう少しはっきりしてきた。
何かが、そこに“乗っている”のだ。
空間の布の上へ、もう一枚別の布を重ねて、端を見えないように折り込んだみたいな感じ。
存在そのものは消えていないけれど、空間そのものが、ずれているのだ。
「……あの辺」
僕は、前方表示の中の一帯を示した。
「さっきより濃い。っていうか、そこだけ空間の厚みが違う感じがする」
『観測補助を合わせます』
青葉が即座に反応し、前方へ複数の薄い補助線を重ねる。
通常センサーでは何もない。
でも、シャドーマター偏位のグラフを、僕の指した領域へ合わせると、確かにわずかな“膨らみ”が見える。
ギラが低く言う。
「うわ……ほんまに、“ないのにある”」
「うん。そんな感じ」
ナルディアは、少しだけ顔を寄せて表示を見る。
「言われると、見えるような見えないような……」
「たぶん、それが普通だと思う」
僕が答えると、青葉が補足した。
『通常観測では、まだ“ノイズと区別しにくい偏位”です。しかし、弓良の指示位置と重ねると、連続した構造として読める可能性があります』
「つまり、もうちょっと近づけば?」
『統計処理の精度が上がります』
そのやり取りの最中、制御区画に短い警告音が鳴った。
みんなの視線が一斉に前方表示へ向く。
僕も、反射的に息を止めた。
だが、それは敵性反応ではなかった。
前方宙域に、ごく微弱な人工パターンが拾われたのだ。
『人工構造の可能性を検出』
青葉が告げる。
『ただし、出力は低い。通常の航路施設やビーコンのような明瞭さはありません』
「人工構造……!」
ジェプラが思わず声を上げる。
僕も、思わず前のめりになった。
「どこ?」
『弓良が指示した偏位領域の外縁です』
表示の中に、今度は本当に、ごく小さな光点が浮かんだ。
惑星ではなく、艦でもない。
でも、自然物の反応ではない。
ブライアントの目が細くなる。
「案内施設か、外縁ステーションか?」
「……機怪天国の入り口、みたいなもの?」
僕が言うと、青葉は少し間を置いて答えた。
『可能性は高いです』
ナルディアが、小さく息を呑む。
「ほんとに、あったんだ」
「うん」
僕は、前方表示のその小さな光を見つめた。
まだ、機怪天国そのものは見えない。
でも、ここまで来て、“何もない空間”ではなくなった。
見えない巨大なものの縁へ、ようやく指先が触れたような気がする。
ギラが、珍しくかなり真面目な声で言った。
『神子はん』
「なに」
『ここから先、ほんまに神話の内側ですで』
その一言は、変に飾り気がなかった。
だからこそ、余計に重かった。
僕は、小さく頷いた。
「……うん」
『青葉』は、速度をさらに落としながら、その微かな人工反応へ近づいていく。
監察艦隊本隊は後方で待機。
前へ出ているのは、僕たちだけだ。
前方表示の中で、かすかな光点が少しずつ形を持ち始める。
まだ全貌は見えない。
でも、それが自然の星屑ではなく、人工物であることだけは、もうはっきりしていた。
機怪天国は、やはり実在する。
そして、その入り口みたいなものが、いま僕たちの前へ姿を見せようとしている。
僕は、シャドーコンパスをそっと握り直した。
次に起きるのは、たぶん単なる観測では終わらない。
ここから先は、接触になる。
そう思いながら、僕は前方の小さな光を見つめ続けた。




