第五十二章 弓良と青葉の位置づけ
アラージは、U級特別監察協力者についての説明を終わらせた後、卓上表示の一部を消して、別の画像を浮かび上がらせた。
『グラブール人には、人類連邦でいう「憲法」はありません』
「うん」
『ですが、それに近い働きをする不文律はあります』
『魔女たちの不文律、ですね』
ジェプラが静かに言う。
『そうです』
アラージは頷いた。
『その不文律の中で、神の船と神子については、最大限、その意志を尊重するよう定められています』
その言葉に、僕は少しだけ目を瞬いた。
「最大限、意志を尊重する?」
『はい』
アラージは答える。
『つまり、本来であれば、神子弓良と青葉に対して、“U級特別監察協力者”などという肩書きすら不要なのです』
「え?」
ナルディアが素直に驚く。
『本当は、そういう肩書きなしでも、神話的存在として最大限に扱われるべきだ、ということです』
アラージは、説明した。
『白兎族のような部族の神殿にとっては、なおさらそうです』
ジェプラが、少しだけ強く頷く。
『はい』
彼女にとっては、むしろその方が当然なのだろう。
でも、アラージはすぐに続けた。
『ただし、現実には、商人だけでなく、神殿関係とは異なる立場の者もいます』
その一言で、話がまた現実側へ引き戻される。
『市場の論理で動く者。部族間の力学を優先する者。宗教的不文律より、制度上の明文を重んじる者。あるいは、そのどちらにも属さず、純粋に戦略資産として見る者』
「……戦略資産」
僕は、その言葉に少しだけ顔をしかめた。
『はい』
アラージは、そこだけは少しも曖昧にしなかった。
『神子弓良と青葉は、今や、神話的尊崇の対象であると同時に、別の立場から見れば“極めて重大な戦略存在”でもあります』
その言い方は、ひどく冷静で、ひどく正確だった。
僕は、そこでようやく、あの光輪のことを思い出した。
ガナドラ、私設軍艦隊、神殿監察部の支援――。
そして、僕が“秩序を執行するため”に光輪を使ったこと。
あれは、たしかにただの珍しい魔法ではなかった。
艦隊を、まとめて制圧しうる。
場合によっては、部族間戦力の均衡そのものを崩しかねない。
「……まあ」
僕は、少しだけ苦い気分で言った。
「たしかに、あの光輪が表沙汰になった時点で、そう見られるだろうなとは思っていました」
ブライアントが横で小さく頷く。
「戦略兵器、だな」
その言い方は、かなり直球だった。
でも、否定できない。
ナルディアが、少しだけ顔をしかめる。
「その言い方、やだけど、わかる」
『嫌でも、それが現実です』
アラージは静かに言う。
『神話的尊崇だけでは、そういう視線を止めきれません。だからこそ、公的な立場が要るのです』
その説明は、悔しいけれど、よく分かった。
本当なら、神子と神の船は、肩書きなんてなくても尊重されるべき存在なのだろう。
でも、全員がその不文律に従うわけではない。
商人もいれば、部族の強硬派もいる。宗教より戦略を先に見る者もいる。
そういう現実の中で、僕たちを守るには、不文律だけでは足りない。
だから、U級特別監察協力者という“制度の側の鎧”も必要になる。
アラージは、そこで少しだけ目を細めて言った。
『今後、大きな部族とトラブルになったときに、その立場が必要になるでしょう』
その言い方は、説明というより、ほとんど予言みたいだった。
僕は、思わず黙る。
大きな部族――黒狼族だけではない。
まだ見ていない他の部族や、『大集会』での立場もあるだろう。
神話や資源や戦略を巡って、本気で動く連中もいるだろう。
そこへ、僕と青葉が関わらずに済む気がしない。
いや、もうすでに関わり始めているのかもしれない。
だから、その予言めいた一言は、妙に現実感があった。
「……必要かもしれないですね」
僕は、ゆっくり言った。
「僕自身も、そう思う」
アラージは何も言わず、ただ静かに頷いた。
足元から、太郎が静かに言った。
『弓良は、急に大きい話の中心へ置かれすぎている』
「自分でもそう思う」
『なら、戸惑うのは正常だ』
「ありがとう」
僕は、太郎に微笑みかけた。
その隣で、ブライアントは難しい顔をしていた。
彼がそこで何を考えているのかは、なんとなく分かる。
白兎族の後見、神殿監察部の後ろ盾、独立魔女に近い権限――。
それは、弓良と青葉を守るために必要なものだ。
でも同時に、グラブール人社会の制度の中へ、少しずつ僕たちが“取り込まれていく”ことでもある。
地球人として見れば、それは完全に喜べる話ではない。
まして、ブライアントは、地球人のGDC関係者としての視点をまだ強く持っている。
だからこそ、ああいう顔になるのだろう。
しばらく考えたあとで、彼は低く言った。
「……こちらの立場としては、あまり喜べない」
その一言は、かなり率直だった。
ナルディアが、少しだけ彼を見る。
ブライアントは視線を卓上表示に落としたまま続ける。
「だが、弓良の立場、青葉の扱い、黒狼族との関係、今後の部族間案件。そこまで含めて考えるなら、必要なのも分かる」
僕は、その言葉を聞いて少しだけ息を吐いた。
反対しないが、全面的に喜んでもいない。
でも、現実として必要だと認めてくれている。
それは、たぶん今の僕にとってかなり大きかった。
「ブライアントも……ありがとう」
僕がそう言うと、ブライアントは少しだけ目を上げた。
「礼を言われる筋合いはない」
「でも、言いたかった」
そう返すと、彼は小さく息を吐いて、それ以上は何も言わなかった。
アラージは、そのやり取りを静かに見ていた。
***
しばし皆が沈黙した。
そして、ブライアントが最初に沈黙を破った。
「弓良」
「うん」
「これは、受けるかどうかで後の動き方がかなり変わる」
「そうだね」
「断っても、たぶんオッコクからすぐ追い出されはしない。だが、その場合は“保護される客”のままになる。受ければ、“自分で動ける立場”になる」
その整理は、ひどく分かりやすかった。
保護される客、自分で動ける立場――ガナドラまでの僕は、どちらかと言えば前者だったのだと思う。
ナウーピでは白兎族の保護下にあり、ガナドラでもゲラバやアラージの後ろ盾がなければ押し潰されていた。
でも、その一方で、実際に動いて状況を変えてきたのもまた僕たちだった。
光輪もそうだ。
逃げるためだけではなく、取り締まりのために使ってしまった以上、もう“ただ守られるだけの神子”ではいられない。
ジェプラが、静かに言った。
『私は、受けた方がよいと思います』
僕とブライアントが同時に彼女を見る。
ジェプラは、いつもと同じように真面目な顔のまま続けた。
『神子弓良殿が、白兎族の客人であることは変わりません。ですが、これから先、白兎族だけでは守りきれない場面が増える気がします。狐族の本拠で、監察部の名義で立場が与えられるなら、それは弓良殿にとっても必要なはずです』
その言葉には、白兎族の娘としての現実感があった。
ゲラバの後ろ盾が強いのは事実だ。
でも、白兎族だけで全部を押し切れるわけではない。
だからこそ、ジェプラは狐族の制度側からの立場も必要だと見ているのだろう。
ギラも、そこで頷いた。
『わても同意ですな。アラージはんの言う通り、たとえばガナドラみたいなとこにまた言ったら、“神子様です”だけでは足らん場面が出るんです。せやけど、そこに“大集会承認の監察協力者です”まで付いたら、色んなもんがぐっと扱いやすうなる』
「扱いやすう、か」
僕が言うと、ギラは肩をすくめた。
『いやあ、言い方は悪いですけど、現場では大事なんですわ。信仰は敬ってもらえる。肩書きは止めてもらえる。この二つ、別やねん』
ナルディアは、少し考えてから言った。
「……あたし、こういうの詳しくないけど、受けた方がいい気がする」
「ナルディアも?」
「うん。だって、兄さんが言ったでしょ。守られる客のままか、自分で動けるかって。弓良、たぶん前者だけだと、そのうちしんどいよ」
その言い方が妙にまっすぐで、少しだけ胸に刺さった。
たしかにそうだ。守られるだけでは、たぶん僕は足りないと感じてしまう。
ナウーピでも、ガナドラでも、結局そうだった。
青葉は、僕が意識を向ける前に言った。
『本艦としても、受諾を推奨します』
「やっぱり?」
『はい。現在の不定形な扱いより、明確な権限と保護の方が、今後の航行と交渉に有利です』
「有利、ね」
『加えて』
青葉はほんのわずかに間を置いた。
『弓良が、今後も“自分で判断する”ためにも、一定の名義が必要だと考えます』
その言葉を聞いて、少しだけ目を瞬いた。
青葉がそう言うのは珍しい気がした。
有利だから、合理的だから、ではなく、“僕が自分で判断するため”と言ったのだ。
「……ありがとう」
『当然です』
その当然が、やっぱり少しだけ嬉しい。
***
僕は、ため息をついた。
たぶん僕は、もう“普通の地球人の巻き込まれ”という場所には戻れない。
グィルディの叫び、アラージの視線、ゲラバの後ろ盾――その全部が、そのことを示している。
「……受けます」
そう言った瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。
アラージは、ほんのわずかに顎を引いた。
『承知しました』
それから、僕だけでなく、少し視線を横へ動かす。
『『青葉』も同意すると理解してよろしいですね』
『はい』
青葉が即答する。
『本艦は、神子弓良の判断に従います』
その返答に、アラージは今度ははっきり頷いた。
『では、神子弓良と神の船『青葉』を、神殿監察部直轄U級特別監察協力者として暫定登録します』
卓の上の表示が変わった。
識別コード、認証紋、『大集会』の承認記録、神殿監察部の付帯条件――。
それを見ながら、僕は奇妙な気持ちになっていた。
何かを得た感じはある。
でも、それが“自由を手に入れた”感じかというと、少し違う。
むしろ、“自分がもう大きな話の中へ入っている”と公式に認められた感じに近かった。
「……これで、正式に面倒な立場になったな」
僕が小さく言うと、ブライアントがようやく口元を緩めた。
「最初からそうだったのが、書類上もそうなっただけだ」
「慰めになってるような、なってないような」
「事実だ」
ナルディアが、隣でひそひそ声で言う。
「でも、ちょっとかっこよくない? U級特別監察協力者」
「響きだけは、ちょっとね」
「でしょ?」
その軽さに、少しだけ助けられる。
ジェプラは、姿勢を正したまま言った。
『おめでとうございます、と申し上げてよいのか分かりませんが……』
「半分くらいは、おめでとうでいいんじゃない?」
僕がそう言うと、ジェプラは少しだけ笑った。
『では、半分くらい、おめでとうございます』
その言い方が、妙に彼女らしかった。
***
僕は、アラージに向き直った。
「義務はないということですが、何かがあったときに、特別な応対とかが必要なんですか?」
僕が聞くと、アラージは表示の別の欄を開いた。
『平時の常勤義務はありません。基本的には自由行動です。ただし、監察部が正式協力を要請する案件については、優先的な照会対象となります』
「つまり、呼ばれたら無視しにくい」
『そうです』
「それはまあ、分かりやすい」
ナルディアが横で言う。
アラージは、補足した。
『先程話したように、今後あなた方は、大部族間のトラブル、大規模輸送権問題、神具や神域案件に接触する可能性が高い』
「やっぱり、そこまで行くんだ」
僕が言うと、アラージは平然としていた。
『行きます』
断定だった。
『神子弓良と『青葉』は、既にそこへ踏み込んでいます。今後の“広域案件”の展開を考えると、ガナドラの件は、その入口にすぎません』
その一言で、また胸の奥が少しだけ重くなる。
入口――つまり、これまでのことはまだ浅い層だったのだ。
ブライアントが低く聞く。
「大きな部族、というのは?」
『白兎族、狐族、黒狼族だけではありません。狸族は、一枚岩でなく商人中心の部族ですが、他にも有力部族で、事情がある部族があります』
「面倒の範囲が広がるな」
『そうですな』
ギラがしみじみ言った。
『ですから、立場が必要だったのです』
アラージはそう結んだ。
その説明は、理屈としてはよく分かる。
そして、分かるからこそ、重い。
僕は、気づけば指先で卓の端を軽くなぞっていた。
もう“神子であるかもしれない機怪人形”ではなく、“神殿監察部がそういうものとして扱う者”になってしまった。
「……で」
ナルディアが、そういう空気を半分だけ無視するように言った。
「その立場になったら、次は何なの?」
『ガナドラでお話しした件です。あなた方に、協力をお願いしたい件があります』
アラージは、その問いを待っていたように見えた。
***
U級特別監察協力者という立場の説明がひと段落したあと、アラージは卓の上に広がっていた権限図を、指先でそっと払うように消した。
光の線が消えていく。
白兎族の後見。神殿監察部。大集会。魔女ネットワーク――。
それらをつないでいた表示が消えると、逆に、部屋の空気が少しだけ重くなった気がした。
今までの話は、立場と制度の整理だった。
かなり重要だったし、十分に重かった。
けれど、それでもまだ“話すための土台”に近いものだったのだろう。
アラージが、今度は一人ずつの顔を確かめるように視線を移した時、僕は自然と背筋を伸ばしていた。
ブライアントも同じだった。
ナルディアでさえ、今度はさすがに口を挟まない。
ジェプラは少し緊張した顔のまま、でも逃げずに卓の向こうを見ている。
ギラだけが、いつものように肩の力を抜いているように見えたが、その目だけはさっきより鋭かった。
アラージは、静かに言った。
『二点目は、ガナドラでお話しした件です』
その声音は、それまでよりもさらに低く、慎重だった。
その一言だけで、ブライアントの目つきが少し変わる。
ナルディアも、反射的に身を固くした。
ガナドラ、グィルディ、シラトリ――。
そこへ繋がる線なら、二人が一番敏感になるのは当然だった。
アラージは、卓上へ新しい図を出した。
今度の図は、さっきまでの制度図より、もっと不穏だった。
ガナドラ商会圏、黒狼族、ガラXFIザA――。
いくつもの矢印が、見えない中心へ向かって収束している。
『現状の分析によると、この“広域案件”において、ガナドラの件も、単独の商会犯罪や人身売買案件だけの問題ではなかったのです』
グィルディの事件は最低だった。
でも、最低な商人が最低なことをしていただけなら、ここまで話は大きくならない。
「黒狼族やガラXFIザAを含めて、何か大きな流れがあったんだね?」
『はい。グィルディ、黒狼族、ガラXFIザA――その全てが、現在、我々の追っている最重要案件に関係していることが明らかになりつつあります』
「……最重要案件?」
僕が小さく言うと、アラージは頷いた。
『そうです』
その言い方は、かなりはっきりしていた。
アラージは、そこでほんの少しだけ間を置いた。
それは、次の言葉の重さを知っている人の間だった。
『あなた方は、“願いを叶える星”のことは、聞いたことがありますか?』
その問いが落ちた瞬間、ブライアントの顔色が、目に見えて変わった。
ほんのわずかだ。
でも、いままでのどの話題よりも、はっきりと反応していた。
ナルディアが、その横顔を見て目を瞬かせる。
「兄さん?」
ブライアントは、すぐには答えなかった。
視線だけを卓上の表示へ落とし、呼吸を整えてから、低く言う。
「……ある」
その声には、平静に押し込めた何かがあった。
「冒険者の間じゃ、半分は与太話、半分は都市伝説だ。だが、まったく聞いたことがないわけじゃない」
その言い方に、僕は少しだけ胸の奥がざわついた。
願いを叶える星――僕にとっては、まだ名前だけの伝説に近い。
でも、ブライアントにとっては違うのだろう。カッシーナの件……つまり、もっと個人的な願いに結びついている。
アラージは、その反応を見てもすぐには続きを言わなかった。
代わりに、卓上の表示をもう一段暗くして、部屋の内側へだけ閉じるような処理をした。
その動作だけで、これから先の話が、今までより一段深い秘匿階層へ入るのだと分かる。
『こちらは、魔女間協定による特級A機密に相当します』
その声は、さっきまでよりずっと事務的だった。
たぶん、わざとそうしているのだ。
感情や物語性ではなく、まず“秘密指定”として認識させるために。
『この場で共有する内容は、ここだけの話として扱ってください。外部、そしてグラブール人の領域外でも、公にすることは認められません』
その一言は、部屋の空気を確実に変えた。
ナルディアが、少しだけ息を呑む。
ジェプラは、緊張したまま視線を落とさない。
ギラも、ここではさすがに茶化さない。
僕自身も、自然と息を浅くしていた。
――特級A機密。
つまり、魔女同士のあいだでも、かなり上位の秘匿事項なのだろう。
ブライアントが、すぐに口を開いた。
「待て」
その声は低かったが、はっきりしていた。
「俺は、聞いていいのか?」
その問いは、すごくブライアントらしかった。
知りたいことがあるが、境界があるなら、そこを曖昧にしないのだ。
地球人として、探索者として、後で“勝手に知った”扱いになるのを避けたいのだろう。
アラージは、彼をまっすぐ見た。
『ブライアントとナルディアは、GDCとの契約により、聞く権利があります』
ナルディアが、少しだけ目を丸くする。
「え、あたしも?」
『あります』
アラージは、頷いた。
『これは単なる同行者としての便宜ではありません。あなた方は既に、シラトリ案件とガナドラ案件の当事者であり、GDCとの契約上、一定水準以上の事情開示を受ける資格があります』
「……そっか」
ナルディアは、少しだけ肩の力を抜いた。
自分が“ついてきた妹”ではなく、正式にこの話を聞く権利のある当事者だと明言されたのは、たぶん彼女にとって大きかったのだろう。
ブライアントは、それでもまだ視線を逸らさない。
「それだけか?」
『いいえ』
アラージは、今度はギラの方へ視線を向けた。
『ラギ・ギラについても、探索人組合側と、今回の協力事項と合わせて了承を得ています』
『おおきにですわ』
ギラは、そこでようやく胸を張るように翼を軽く開いた。
『わいは、独立捜査探索人の名誉に賭けて、秘密事項は口外せんのや』
その言い方は、だいぶ得意げだった。
ナルディアが、すぐに横から小声で言う。
「なんか、ちょっと偉そうじゃん」
「ちょっとだけじゃないね……」
僕も、小さく返す。
でも、ギラはたぶん、それを聞こえていても気にしない。
むしろ今のは、彼なりに“探索人として信用に足る”と示しているのだろう。
アラージは、ギラのその言い方に対しては特に何も言わず、少しだけ視線を落とした。
その沈黙が、今度は妙に長く感じられた。
そして、彼女は少しだけ、今までより人間的な声音で言った。
『本来なら、この話は、他の異星人――特に地球人には知られてはならない事項です』
その一言には、さっきまでの制度説明とは違う重さがあった。
これは、単なる秘密指定の話ではない。
アラージ自身が、それを“外へ出してはいけないもの”として、ちゃんと自覚している声だ。
『願いを叶える星の存在と、その実態に関する情報は、グラブール人社会の根幹へ触れます。神殿圏の正統性、部族間の均衡、そして大集会の正当性。その全てに関わっています』
アラージは、静かにそう言う。
『外部種族に知られれば、誤解も利用も招きます。探索、干渉、奪取、あるいは交易対象化の試みさえ起こり得る』
その説明を聞きながら、僕は、自然とグィルディの顔を思い出していた。
たしかに、そうだ。
もし“願いを叶える星”なんて言葉だけが人類圏や他の異星人社会へ漏れたら、ろくでもないことになる未来しか見えない。
夢を追う者、富を狙う者、兵器や資源として欲しがる者――きっと全部、来る。
アラージは続ける。
『ですから、通常なら、地球人へこの話を明かすことはありません』
そこではっきりと、そう言い切った。
ナルディアが少しだけ息を止めるのが分かる。
ブライアントも、視線をわずかに落とした。
たぶんその言葉は、少し刺さったのだろう。
地球人だから駄目――そういう単純な差別ではない。
でも、“通常なら教えない”ときっぱり言われれば、やはり線を感じる。
その沈黙を破ったのは、アラージ自身だった。
『ですが』
今度の“ですが”は、さっきまでよりもっと重かった。
『今回は、その通常を曲げることが、『大集会』の秘密会議で正式に許可されています』
その一言で、部屋の空気がまた変わる。
「秘密会議……」
僕が、小さく繰り返すと、アラージは頷いた。
『はい。公の議題にはできない。議事録も一般媒体には残せない。ですが、複数の独立魔女と高位魔女が参加する非公開協議で、今回の件について、ひとつの例外規定が認められました』
ブライアントが、低く言う。
「地球人に協力を求めてもいい、という例外か」
『そうです』
アラージは答える。
『やむを得ない場合に限り、地球人へ協力を頼むという選択肢を取ってよい、と』
その一言は、思っていた以上に重かった。
やむを得ない場合。
つまり、それだけ追い詰められているということだ。
グィルディ、黒狼族、ガラXFIザA――それら全部が絡み、しかも地球人側のGDC山師が既に深く巻き込まれている。
その状況でなお、“外部種族には知らせるべきではない”という原則を押し通す方が危険だと判断されたのだろう。
ジェプラが、少し硬い顔で言った。
『そこまでの決定が出たのですね』
『ええ』
アラージは静かに頷く。
『これからお話することに関係がありますが、白兎族神殿圏で神子が確認され、地球人の記憶保持の可能性があり、GDC探索者との接点もある、ということで“外部に知らせないまま内々に片づける”という選択肢は、むしろ現実的ではなくなっています』
ギラが、小さく翼を鳴らした。
『せやから、秘密は秘密のまま、でも当事者には話す、っちゅう判断になったわけですな』
『そうです』
アラージは頷いた。
『私は、これは危うい選択だと思っています』
その一言は、少し意外だった。
アラージは、制度の側の人間だ。
決定が出たなら、そのまま遂行するだけかと思っていた。
でも、今の言い方には、はっきりと本人の葛藤があった。
『本来、知らせるべきでないことを知らせるのですから』
アラージは、まっすぐこちらを見た。
『ですが、それでもなお、今回はそうするしかない。あなた方は既に十分すぎるほど深く巻き込まれており、しかも、こちら側だけでは手が足りない可能性がある』
その言葉を聞いて、僕は少しだけ息を吐いた。
アラージは、ただの開示担当者ではない。
秘密を守る側の人間でありながら、その境界を越えてこちらへ話すことの重さを、自分でもちゃんと分かった上で言っている。
だからこそ、その言葉は軽くなかった。
ブライアントが、静かに言った。
「……つまり、地球人を信じたわけじゃない」
『全面的には』
アラージは即答した。
『ですが、“信じるに足る条件がそろった当事者には話す”必要がある、と決めたのです』
その答えは、いっそすがすがしいくらい正直だった。
ナルディアが小さく言う。
「なんか、相当、大変っぽいね」
「うん」
僕も、頷く。
「信用か不信用かの二択じゃなくて、“条件が揃ったから開示する”なんだ」
『その通りです』
アラージは、少しだけ口元を緩めた。
『感情ではなく、条件を勘案した上で決めています』
その言い方を聞いて、僕は少しだけ納得した。
白兎族なら、もしかしたらもっと情でこちらへ寄ってくれたかもしれない。
狐族は違うけど、その違いは冷たさだけではなく、決めたことに対する責任の重さでもあるのだろう。
アラージは、そこで卓の上の表示を完全に閉じた。
代わりに、何もない暗い面が広がる。
そこへ、この場にいる全員の顔だけが、ぼんやり映った。
『よろしいですね』
その問いは、確認というより、最後の線引きだった。
ここから先は、本当に軽々しく聞いていい話ではない。
でも、ここまで来て引く者も、もういなかった。
ブライアントが低く言う。
「聞く」
ナルディアも、すぐに続く。
「……あたしも」
『わいもや』
ジェプラは、静かに頷く。
『私も、立ち会います』
僕は、最後に小さく息を吐いてから言った。
「お願いする」
アラージは、その返事をひとつひとつ確かめるように見たあと、静かに頷いた。
『では、共有します』
その声とともに、部屋の空気は、もう完全に次の話のためのものへ変わっていた。
アラージは、ほんの少しだけ目を伏せてから、静かに口を開いた。
『まず、“願いを叶える星”とは何か、そこから話しましょう』




