第五十一章 『U級特別監察協力者』~魔女とは何か
アラージが『次に説明します』と言ったあと、部屋の空気は、さっきまでとは少し違う緊張を帯びた。
尋問されるとか、責任を追及されるとか、そういう方向の緊張ではない。
むしろ逆だ。
何かを渡される前の空気に近い。
ただ、それが嬉しい贈り物とは限らない、という意味で、あまり気楽にはなれなかった。
アラージは、僕と青葉を順番に見てから、ほんの少しだけ間を置いて言った。
『一点目にお願いしたいのは、神殿監察部の「U級特別監察協力者」になっていただきたい、ということです』
その肩書きが卓の上に浮かび上がる。
狐族の役所文書らしい、無駄に整った書式だった。
識別番号、承認欄、神殿監察部、『大集会』、権限範囲、補助注記――。
そういう文字列が、薄青い光の中で几帳面に並んでいる。
「……U級特別監察協力者?」
僕は、思わず、その名前をそのまま読み上げていた。
見るからに軽そうではない。
というか、どう考えても軽くない。
でも、名前だけでは、何をどう意味しているのかまでは分からない。
ナルディアが、すぐ横で小声で言った。
「何それ。なんか、すごそう」
「うん。すごそう、で済ませるには嫌な感じがするなあ」
僕が言うと、ナルディアは肩をすくめた。
「でも絶対、普通の肩書きじゃないでしょ」
「それはそう」
ブライアントは、表示の細部へ目を走らせたまま、低く言った。
「“特別”も“監察”も、だいたい碌でもない時に付く単語だ」
アラージは、静かに頷いた。
『当然の反応です。名前だけ見れば、監察部の特務員か、あるいは下位の協力要員のようにも見えるでしょう』
「正直、ちょっとそう思った……」
『ですが、性質はかなり違います』
アラージは、卓の上の表示を指先でなぞるようにして切り替えた。
今度は、単なる肩書きではなく、いくつかの勢力図のようなものが出る。
白兎族神殿圏。神殿監察部。『大集会』。各部族――。
それらを繋ぐ線が、複数の層に分かれて走っていた。
『これは、白兎族の後ろ盾と、ある意味ではよく似たものです』
「似ている?」
僕が聞き返すと、アラージは頷く。
『はい。ただし、白兎族の後見が、部族神殿と神話的権威の側からの庇護であるのに対し、こちらは神殿監察部、さらにその背後にある『大集会』の意に沿った、制度側からの正式な後ろ盾です』
その説明に、ブライアントが低く言った。
「つまり、白兎族が“神話の側”から守るなら、こっちは“制度と広域秩序の側”から守る、ということか?」
『その理解で構いません』
アラージは、すぐに肯定した。
『白兎族の後ろ立ては、強い庇護です。特に、“神子”と“神の船”を神への崇拝の視点で守るという、大変、大きな意味をもちます』
その言い方に、ジェプラが少しだけ姿勢を正した。
白兎族の娘として、そこをきちんと認められたのが、やはり嬉しいのだろう。
『ですが』
アラージは、そのまま話を続ける。
『白兎族の後ろ立てだけで、我々グラブール人の全ての部族、全ての権力に対して、同じだけの効力を持つわけではありません』
「黒狼族とか?」
僕が言うと、アラージは視線だけで頷いた。
「つまり……」
ブライアントが継いだ。
「神子だから敬え、では押し通せない連中がいるんだな?」
『います。黒狼族を始めとして、白兎族の神話の解釈や政治的立場を、そのまま受け入れない勢力はあります。商人組合もそうですし、狐族のように、信仰そのものより制度の整合性を先に見る部族もあります』
アラージの返答は冷静だった。
『そして、今後あなた方が関わる領域は、その“押し通せない連中”と無関係ではありません』
その言葉は、かなりはっきりしていた。
今後、関わる領域――つまり、ガナドラの件で終わるわけがないと、監察部は最初から見ているのだ。
僕は、少しだけ喉が渇いたように感じた。この身体では、唾液は飲食のときしか出ないんだけど――。
『せやから、“白兎族がそう言うとる”だけやと、押し切れへん場面が出るんですな』
ラギ・ギラが、翼を軽く開きながら言った。
『神殿や市場や外交の席では、宗教的に尊い、だけやのうて、公的にどう位置づけるか、っちゅう札も必要になるんですな』
「公的の位置づけ、ね」
僕が小さく繰り返すと、アラージは静かに言った。
『はい。U級特別監察協力者とは、その位置づけです。神殿単位の庇護や、部族単位の客人扱いでは足りません。『大集会』に連なる監察部の機構名義で、あなた方へ正式な立場を与えます』
卓上の図が、今度は各部族の名前へ向けて、もう少し太い線を伸ばした。
『この地位に就くことで、神子弓良と『青葉』は、グラブール人の主要部族すべてに対して、宗教的意味だけでなく、正式な立場を得ることになります』
「正式な立場……」
僕がまた繰り返すと、ナルディアが首を傾げた。
「それって、偉いってこと?」
「お前、本当に、言い方が雑だな」
ブライアントが呆れたように言うと、ナルディアはすぐに言い返した。
「でも、結局そういうことじゃない?」
『大雑把には、そうです』
アラージは意外にも否定しなかった。
『ただし、“偉い”というより、“適当に扱えない”が正確でしょう』
その言い方が、妙にオッコクらしかった。
名誉を与える、というより、制度の側が「この存在は、いい加減な枠に押し込めてはいけない」と線を引く感じだ。
それは、たしかに“偉い”とも違う。
卓の上の肩書きを見ながら、太郎が言った。
『偉そうな地位は、だいたい重い』
「それ、経験則?」
『経験というほどの件数はない』
少し間を置く。
『だが、たぶん正しい』
僕は、その通りと思いながら、ため息をついた。
「で、その立場になると、何をしなきゃいけないの?」
僕がそう聞いたのは、そこが一番気になっていたからだ。
後ろ盾、正式な札、強い立場――そこまではいい。
でも、強い肩書きにはだいたい見えない紐がついてくるはずだ。
何かを守る代わりに、何かを縛る、そういうものだから。
アラージは、その問いにかなりはっきり答えた。
『義務は発生しません』
「……ほんとに?」
『はい』
アラージは静かに頷く。
『少なくとも、常勤義務、監察部指揮系統への従属、定期任務、継続的な拘束、そのようなものはありません』
「それ、ずいぶん思い切ってるね」
僕が思わず言うと、アラージは首を振った。
『思い切っているのではなく、当然です』
「当然?」
『神子弓良と神の船に、監察部の下位協力員のような義務を課すことは、制度的にも信仰の面からも無理があります』
そこは、たしかにそうだ。
僕たちは、いまや白兎族の神話圏にも入り、ガナドラでは光輪まで見せてしまった。
そのうえ、青葉は神の船と認識されている。
そういう存在を、単純な命令系統へ押し込めるのは、たぶん誰にとっても危険なのだろう。
ブライアントが、そこで低く言った。
「つまり、“使い走りにはできないが、正式な立場は必要”という判断だな」
『そうです』
アラージは、即座に頷いた。
『神子弓良と『青葉』は、現時点で“誰のものでもない、だが無視もできない巨大要素”として扱われています。その状態は、各勢力にとっても、あなた方にとっても不安定すぎる』
「誰のものでもない、か」
その言葉が少しだけ胸に引っかかった。
ナヴーピでは、僕は神子として歓迎された。
ガナドラでは、グィルディに“なんで神子が地球人の味方をするんや”と叫ばれた。
今は監察部に、“誰のものでもない巨大要素”と整理されている。
どれも、たぶん見ている側にとっては正しい言葉なのだろう。
でも、言われる僕の側は、どうにも落ち着かない。
アラージは、そのあたりの揺れを無視せず、しかし情緒には寄せずに続けた。
『神子と神の船には、本来そんな肩書きすら不要なのかもしれません。伝承の上では、それらは制度の外にある存在です』
そこで、ほんのわずかに間を置いた。
『ですが、制度の外にあるからといって、制度の内側があなた方を放っておく理由にはなりません』
「……なるほど」
ブライアントが、小さく言う。
「制度に取り込むための名前、ってことか」
『半分はそうです』
アラージはきっぱり認めた。
『もう半分は、制度の側があなた方へ礼を失しないための名前です』
その言い方は、少し意外だった。
「礼を失しない?」
『はい。神子弓良と『青葉』は、ガナドラで既に明白な働きができることを確認しました。白兎族での件もあります。今後、さらに大きな案件へ踏み込むなら、ただ“便利だから使う”では済ませてはならない。だから、我々は、公的な名義で向き合う必要があります』
その論理は、オッコクらしいと思った。
力を利用するけど、雑には利用しない。だから、先に立場を作る。
ジェプラが、静かに言った。
『敬意と制度を両立させる、ということですね』
『そうです』
その説明は、かなり納得しやすかった。
制度の外にありすぎる――という表現は、ちょっと嫌でもあった。
でも、同時に、その通りでもある。
白兎族の神話案件として片づけるには大きすぎし、狐族の監察案件として囲い込むには、神話性が強すぎる。
地球人の探索者案件として処理するには、グラブール人社会側の意味が大きすぎる。
だから、神話と制度のちょうど境目に、新しい受け皿を作る。
それが、この肩書きなのだ。
『白兎族の後見に、『大集会』と神殿監察部の後ろ盾が重なる形になります』
アラージは、さらにそう補足した。
『白兎族の神話的庇護と、神殿監察部を介した制度的庇護。その両方を持つことで、神子弓良と青葉は、部族間対立の中で片側へ押し込められにくくなる』
『やー、ようできてますな』
ギラが感心したように言った。
『白兎族だけの神話案件、で閉じられへんようにするわけや。狐族さん、こういう仕組みづくりはほんま上手いですわ』
『狐族は、そういう“片づけ方”を防ぐ制度づくりが得意ですから』
アラージは、少しも気負わずにそう言った。
「自分で言うんだ」
僕が思わず言うと、アラージは平然としている。
『事実ですので』
やっぱり、この人には少し調子が狂う。でも、事実でもあるのだろう。
僕はもう一度、卓の上の肩書きを見た。
「……それって、どのくらい強い立場なの?」
アラージはほんの少しだけ間を置いてから言った。
『独立魔女と、ほぼ同じ権利が得られます』
その一言で、空気がまた変わった。
ナルディアが「え」と声を漏らし、ジェプラがはっきりと目を見開く。
ギラは、翼を半分開いたまま止まり、ブライアントは目だけが鋭くなった。
「……ほぼ同じ?」
僕は、慎重に聞き返した。
『はい』
アラージは頷く。
『少なくとも、対部族交渉、神殿圏立入許可、広域監察案件への正規立会い、記録閲覧の一部、魔女ネットワーク経由の正規呼出権限、そのあたりにおいては、独立魔女に、かなり近い位置が与えられます』
「それ、めちゃくちゃ強いよね?」
ナルディアが率直に言う。
『強いです』
アラージはそこは隠さなかった。
『だからこそ、“U級”です』
僕は、その瞬間にようやく、この話がどれだけ重いかを本当に理解し始めた気がした。
グラブール人の政治権力の中核であるらしい『大集会』と神殿監察部の制度的後ろ盾で、独立魔女に近い権利――それはもう、ちょっとした便宜や優遇ではない。
グラブール人社会の中で、“最初から無視できない立場”になるということだ。
ナルディアたちが驚いている横で、太郎が静かに呟いた。
『強い立場だ』
「そうだね……かなり」
『だが、強い立場は、整備が面倒だ』
「立場にも整備って使うの?」
『使いたい気分だ』
僕は、首を振って、またアラージに向き直る。
「……でも」
僕は、まだ気になっていることを言った。
「独立魔女と同じくらいの権利があるなら、同じくらいの義務もありそうだけど……」
『そこが、今回の特例です』
アラージの声が、少しだけ硬質になる。
『魔女としての義務は、ありません』
「本当に?」
『はい。どちらにせよ、あなた方は、魔女ネットワークにも接続できますから』
その一言に、さっきの話が、また別の形で戻ってくる。
僕は少しだけ肩を強ばらせた。
「……そこ、やっぱり前提に入るんですね?」
『そうです』
アラージは、きっぱりと頷いた。
『神子弓良も青葉も、既に魔女ネットワークに連なる神の通信網に接続できる。独立魔女と同等に近い権利を与えることが、完全な破格というわけではないのです』
ブライアントが、そこで低く言う。
「制度側から見ても、“魔女に近いが、魔女そのものではない高位接続存在”として整理できるわけだ」
『その解釈は、かなり良い線をいっています』
アラージは、即答した。
『そして、その“魔女そのものではない”という点こそが、重要でもあります』
「重要?」
僕が聞くと、アラージは、ここで少しだけ説明のための間を取った。
『魔女は、各部族の立場を背負っています』
その声は、さっきまでより少しだけ講義めいた調子になる。
『白兎族の魔女は白兎族の神殿を背負い、狐族の魔女は狐族の制度と監察を背負い、黒狼族の魔女は黒狼族の統率と戦を背負っています。独立魔女であっても、その出自や接続系統から、完全には自由ではありません』
ジェプラが、小さく頷いた。
『はい……』
白兎族の娘である彼女には、その説明がとても自然に入るのだろう。
アラージは続ける。
『ですから、魔女同士はしばしば対立します。信仰解釈、部族利害、神殿圏の運用、資源配分などですね。立場を背負う以上、それは避けられません』
「仲良し同盟、みたいなものではないんだ……」
ナルディアが小さく言う。
『全く違います』
アラージは、そこはかなりはっきり言った。
『ただし、それでも、魔女たちには最低限の接続規範があります』
その言葉で、流れが少し変わる。
『基本は、話せば、協力が得られます』
「……話せば」
僕が繰り返すと、アラージは頷いた。
『ええ。すぐに全面協力、という意味ではありません。そこには当然、部族間の警戒や利害が挟まります』
そして、卓の上の線を指先で軽くなぞる。
『ですが、魔女ネットワークに正規接続でき、正式な立場を持ち、しかも特定部族の利害をそのまま背負っていない存在として現れるなら、少なくとも最初から門前払いされにくい』
『ああ、なるほどですわ』
ギラが感心したように翼をたたみ直した。
『“どこの部族の手先でもないけど、話を通す資格はある存在”として、前に立てるわけですな』
『そうです』
アラージは頷く。
『神子弓良と青葉が、独立魔女に近い立場でありながら、通常の魔女としての部族に対する義務や関係性が少ない。そのこと自体が、今後の対部族交渉では大きな意味を持ちます』
僕は、その説明を聞きながら、少しずつ分かってきていた。
これは単なる偉い肩書きではない――もっと実務的で、もっと戦略的な立場だ。
白兎族だけの神子で終わらせず、狐族の監察部の管理下だけに押し込めもしない。
黒狼族を含む他部族に対しても、“最初から話ができる窓口”として立てるようにする。
神話と制度の間に、僕と青葉が立てる場所を、ちゃんと用意する――。
そういうことなのだ。
だからこそ、ここでようやく、僕の中に別の疑問が自然と浮かんできた。
「……その」
僕は少し考えてから言った。
「そもそも、“魔女”って、どういう存在なんですね?」
アラージは、その問いを待っていたみたいに頷いた。
『我々にとっても、“魔女”が本質的に何を意味する存在なのか、詳細を知る者は少ないです。特に、あなたのように人類の知識しか持たない場合、“魔女”は曖昧な呼称でしょう』
「はい。白兎族のナヴーピでは、神殿の一番上の人たち、という感じだったし、ガナドラでは監察部と大集会の話が出てきて、狐族の本拠ではまた空気が違うみたいだし……何というか、宗教の偉い人なのか、政治の人なのか、通信の中枢なのか、その全部なのか、まだうまく飲み込めてなくて」
横でナルディアが、ちょっと安心したように息をつく。
「よかった。あたしも正直、けっこうそこ曖昧だった」
「ナルディアは、だいたい全部“すごい人”でまとめてるだろ」
ブライアントが言うと、ナルディアはすぐに言い返した。
「いや、だって実際すごいじゃん」
「雑だなあ」
「兄さんよりは、素直な理解だと思うけど?」
「それは褒めてない」
そのやり取りを聞きながら、ギラがくつくつ笑う。
『でも、現場ではわりと大事ですで。“なんかすごい人”と思っとくんは』
「ギラまで、そっち系の人なの?」
僕が言うと、ギラは肩をすくめた。
『いや、細かい制度知ってる方がええ時もありますけど、よう分からん相手に余計な口きかんようにするには、“なんかすごい人”くらいの認識の方が安全なこともあります』
それはそれで、だいぶ現場寄りすぎる理屈だった。
***
アラージは、その軽口が一段落するのを待ってから、卓上表示をさらに切り替えた。
部族ごとの神殿圏、その上に重なる魔女ネットワーク、更にその上から全体を覆うように置かれた『大集会』――その関係図が、さっきよりもう少し詳しく描かれた。
でも、ただ線が多いだけではなく、ちゃんと意味ごとに層が分かれているのが分かる。
分かりやすい図だな、と僕は思った。
神話や信仰みたいな曖昧なものまで、きちんと整理可能な構造として見せようとしてくる。
僕は、自然と姿勢を正した。
ブライアントも、腕を組み直して表示を見る。
ジェプラは、真面目な顔で視線を上げ、ナルディアも「今度は本当に説明なんだな」という顔になった。
ギラだけは、少し面白そうにしつつも、やはりちゃんと聞く姿勢へ戻っている。
『説明しましょう』
アラージは、静かに言った。
『魔女は、基本的には、その部族内で魔力が非常に高く、なおかつ超光速思念通信を使える者が、『大集会』から任命されます』
アラージの声は、さっきよりも明確に説明のための調子になっていた。
講義みたいと言ってしまえばそうなのだけれど、ただ知識を並べているというより、“今後これを知らないと困るから、先に共有しておく”という感じがした。
「任命、なんですね」
僕が小さく言うと、アラージは頷く。
『ええ。血筋や世襲だけでは決まりません。もちろん、部族ごとに候補となる家系や系譜はありますが、それだけでは足りない。最終的には、魔力、接続適性、神殿圏の維持能力、大集会との整合性、そのすべてを見た上で任命されます』
ジェプラが、静かに補足する。
『白兎族でも、魔女様は単に偉い家の方、というわけではありません』
『そうです』
アラージは頷いた。
『強いだけでも足りない。賢いだけでも足りない。通信ができるだけでも足りない。魔女とは、部族の神殿圏と広域秩序を同時に背負える者です』
その言い方は、ちょっと重かった。
単なる高レベル能力者ではなく、背負うことそのものが条件に入っている。
だから、魔女という言葉には、強さだけではない圧があるのだろう。
太郎が、少しだけ考えるようにして言った。
『強くて、つながれて、しかも背負う』
「だいぶ大変そうだね……」
『大変そうだ。太郎は整備だけで十分だ』
その割り切り方は、妙に太郎らしかった。
ナルディアが、小さく首を傾げる。
「でも、魔女って名前なんだよね。男の人はならないの?」
その問いに、アラージはごく自然に答えた。
『なれないわけではありません』
それから、ほんの少しだけ間を置いて続ける。
『ただし、なぜか、グラブール人の男性は、超光速思念通信の魔法を扱える者が少ない。結果として、基本的には、女性が魔女になります』
「へえ……」
僕は、少し意外だった。
「そこ、文化じゃなくて、適性の偏りなんだ」
『少なくとも、現代のグラブール人社会では、その傾向が強いです』
アラージは、静かに言う。
『理由については、神話的説明と生体的説明の両方がありますが、どちらもまだ決定打には欠けます』
『やー、そらもう、“女の方が繋がる”っちゅうやつですわ』
ギラが、いかにも雑にまとめた。
「多分、そうなのかもね」
僕が言うと、ギラは翼を広げた。
『わての説明は、だいたい入口としては正しいんです』
『入口としては、ですね』
アラージが淡々と釘を刺す。
ギラは、それに構わず笑っていた。
アラージは、卓の表示の一部を拡大した。
そこには、白兎族、狐族、黒狼族などの部族名と並んで、“第◯魔女”のような表記がいくつも出ている。
『そして、もうひとつ重要なのは、魔女には、部族間の力関係とは別に、“魔女としての格付け”があることです』
「格付け」
僕が繰り返すと、ジェプラが少し緊張した顔になる。
白兎族の娘としては、その辺りの序列はかなり現実感のある話なのだろう。
『第~魔女、という呼び方がそれです』
アラージは説明を続ける。
『それは単純な魔法や戦闘の強さ――ランキングではありません。接続深度、神殿圏の運用能力、広域影響力、古い約定との結びつき、そういったものを含めた、きわめて複雑な序列です』
「じゃあ、白兎族の第三十五魔女ゲラバっていうのは……」
『白兎族内部の魔女であると同時に、その“第三十五”という格を持つ存在です』
アラージは答える。
『部族の役職名であり、同時に、魔女としての公的識別でもあります』
「なるほど……」
僕は小さく頷いた。
つまり、部族の中での位置と、魔女としてのネットワーク内での位置が、完全に同じではないのだ。
その二つが重なったり、ずれたりするから、余計に複雑になる。
ブライアントが、そこで低く言う。
「じゃあ、独立魔女は、その格付けから外れるのか?」
『外れる、というより、独立しています』
アラージはその言葉を丁寧に直した。
『独立魔女は、第~魔女という系統とは別枠の存在です。序列そのものと無関係ではありませんが、そこへ直接は組み込まれない』
「なんで?」
ナルディアが聞く。
『役割が違うからです』
アラージは、今度は卓上の線を一本だけ太くして見せた。
『通常の魔女は、部族の立場を背負い、その部族の神殿圏を代表します。しかし独立魔女は、部族利害からある程度切り離され、公のために魔女としての力を振るうことを、ほとんど義務的に期待されている存在です』
「ほとんど義務的……」
僕は、その表現が少し引っかかった。
太郎がぽつりと呟く。
『独立しているのに、自由ではない』
「そう聞くと、ちょっと変だよね」
『役割が大きい者ほど、だいたいそうなる』
それは短いのに、少しだけ重かった。
『ええ』
アラージは頷く。
『独立魔女は、個別部族への帰属が薄いぶん、“公のために働くべき存在”として見られます。神殿監察部、広域調停、部族横断の違法案件、神話的対象の確認、そういった“誰かの部族だけでは処理できないこと”へ駆り出されやすい』
『やー、便利屋みたいなもんですな』
ギラが言う。
「それ、随分、軽い言い方だよ」
僕が言うと、ギラは肩をすくめる。
『みた感じ、そこまで外れてませんて。わてが見た限り、強くて、偉くて、広域接続できて、しかも部族の外へ出て働ける。そらもう、“じゃあ頼むわ”になりがちのようですな』
『ある意味、そのような状態に近いです』
アラージが、少しも気にせず、頷きながら、そう補った。
その説明を聞いて、独立魔女というものが、ただ“自由な魔女”ではないとようやく分かってきた。
肩書きの名前的には自由に見えるけど、実は、広い範囲への責務を背負っているのだ。
だからこそ、アラージみたいな人が、ガナドラからオッコクまで、あちこちへ仮想体を飛ばして働いているのだろう。
「……では」
僕は、少し考えてから言った。
「U級特別監察協力者は、その独立魔女に近い権利を持つのに、そういった義務がないんですか?」
『そうです』
アラージは、静かに肯定した。
『そこが、この立場の特殊性です』
卓の上の表示が、今度はU級特別監察協力者の欄だけを強調した。
『独立魔女に近い権限をもち、部族横断的な正式立場にあり、魔女ネットワークによる要請もできます。しかし、部族義務も、独立魔女としての公的義務も負いません』
「……それって」
僕は、少し首を傾げた。
「名前だけ爵位持ちの王侯貴族みたいな感じ?」
自分で言ってから、だいぶ雑なたとえだと思った。
でも、頭の中ではそのくらいのイメージだった。
アラージは、そのたとえを少し考えたあとで言う。
『ちょっと違いますが、感覚としては悪くありません』
ブライアントが低く言う。
「権利と威信はある。だが、統治責任や常設義務はない。たしかに近いな」
「だよね……」
僕が言うと、ナルディアも頷いた。
「なんか、すごくそれっぽい」
『ただし、ひとつ大きく違います』
アラージは続ける。
『これは血統や財産による立場ではなく、“神話的対象であり、かつ制度上も特別扱いせざるを得ない存在”に対して後付けされる公的識別です』
その一言で、少しだけ背筋が伸びた。
僕たちは最初からその地位を目指していたわけではない。
むしろ逆だ。
神子だの神の船だの光輪だの、そういう“制度外の大きすぎるもの”になってしまったからこそ、制度の側が慌てて受け皿を作っている。
だから、これは爵位遊びではない。
もっと切実なものだ。




