第四十八章 ジェプラの気持ちと、降りられない星
オッコクの神殿監察部本部ドックに着いて、VIP対偶の滞在場所に案内されて皆で話した後、部屋割りめいたものが自然に決まっていった。
夜――と呼んでいいのかは分からないけれど、少なくとも休息時間に入ってから、来賓室棟は本当に静かになった。
ナルディアは、先に個室へ引っ込み、ブライアントも『何かあれば呼べ』と言い残して部屋へ戻った。
ギラは『わてはちょいと、監察部側の知り合いに連絡入れときますわ』と、別室の端末区画へ向かった。そして、少し遅れて戻ってきて、『狐族は夜中でも真面目に仕事しとるんが、ちょっと怖いですな』などとぼやきながら、自分に割り当てられた部屋へ消えていった。
共用ラウンジが静かになったころ、太郎は僕の足元から少しだけ離れて、部屋の入口に近い位置へ移動した。
『太郎は、ここにいる』
「見張り?」
『半分はそうだ』
それから、丸い顔を少しだけこちらへ向ける。
『半分は、気を利かせた』
僕が何か言い返す前に、太郎はもう入口の方を向いていた。
気づけば、共用ラウンジに残っていたのは僕とジェプラだけだった。
窓の外には、オッコクの地表が遠くに見える。
光の線で区切られた都市圏。
黒く沈んだ海か、あるいは湖。
地上へ降りることは許されていない。
だから、あの光景は、手が届きそうで届かないものとして、ただ遠くにある。
ガナドラでは、どこかしらで音がしていた。
酒場――搬送路――遠くの賭場――誰かの怒鳴り声――笑い声――。
そういうものが、常に薄く流れていた。
オッコクの本部ドック客室には、それがない。
静かで、空調の音さえ抑えられている。
だからこそ、逆に、考えごとが近くなる。
僕は、一人で窓の近くへ立った。
下方には、狐族の惑星オッコクの夜景が広がっている。
整った光――道筋の揃った都市――湖か、人工の水路か分からない暗い面――。
そして、その全体が、静かに閉じている。
ここは、白兎族のナウーピとも違っていて、ガナドラとも違う。
そう考えていたところへ、僕の隣にジェプラが来た。
『綺麗ですね』
ジェプラが、僕の少し横に立って言った。
「うん」
『でも、なんだか、ちょっと寂しいです』
その言い方が、妙に耳に残った。
「降りられないから?」
僕が聞くと、ジェプラは小さく頷く。
『それもあります。でも……』
彼女はそこで少し言い淀む。
『ここは、私たちを丁重に扱ってはいますけれど、同時に、ちゃんと外には出さないのだな、とも思って』
「……ああ」
それはたしかに、その通りだった。礼は尽くされているし、部屋も上等だ。
『青葉』にも余計な手出しはない。
でも、自由ではない。
オッコクの監察部は、こちらを大事に扱いながら、同時に確実に“管理可能な場所”へ置いている。
「監察部――狐族らしいのやり方なのかな?」
僕がそう言うと、ジェプラは少しだけ微笑んだ。
『たぶん、部族の特性も、あると思います』
それから、少し間を置いて続ける。
『白兎族なら、もっと感情が先に出ると思います。歓迎したいとか、お守りしたいとか、そういう気持ちが表に出ます。でも、狐族は、きっとそれを全部、制度の中へしまってから動くのでしょうね』
「ジェプラは、そういうの苦手?」
『苦手というより……』
ジェプラは窓の外を見つめたまま、静かに言った。
『少し、羨ましいです』
「羨ましい?」
『はい。私は、あまり器用ではないので』
その答えに、僕は少し驚いた。
ジェプラは真面目だし、気遣いもできる。
少なくとも“器用ではない”という印象はなかった。
「そうかな?」
『そうです』
彼女は、珍しく少しだけ強く言った。
『私は、たぶん、思ったことが顔に出やすいですし……心配すると、すぐ分かってしまいますし……』
「それ、悪いことかな?」
僕が言うと、ジェプラは少しだけこちらを見た。
その視線が、思っていたよりまっすぐで、一瞬だけ息が止まる。
『弓良殿には、あまりそう思われたくありません』
「え?」
間の抜けた声が出た。
ジェプラは、自分でも言いすぎたと思ったのか、すぐに視線を逸らした。
『い、いえ、その……』
耳の先が、ほんの少し赤くなっている。
白兎族のそれは、人間の頬ほど分かりやすくはないけれど、それでも僕には分かった。
『心配しすぎるとか、頼りないとか、そういうふうには思われたくないなと……』
その言い方は、すごく控えめだった。
でも、むしろ控えめだからこそ、胸の奥へゆっくり落ちてくる。
僕は、少しだけ言葉を探した。
「……ジェプラは、頼りないとは思わないよ」
『本当ですか?』
「うん」
僕は素直に頷いた。
『むしろ、かなり助けられてる。ナウーピでも、今も』
ジェプラは、それを聞いて少しだけ困ったような顔をした。
嬉しいのに、素直に喜びきれない時の顔だ。
『ありがとうございます』
そう言ってから、また少しだけ黙る。
静かな時間だった。
オッコクの本部深部区画らしい、よく整った静けさ。
でも、今このラウンジにある空気は、昼間の会議室や通路の静けさとは違う。
もう少し柔らかくて、もう少し近い。
僕は、ふと気になって聞いた。
「ジェプラは、疲れてない?」
『疲れています』
「即答だ」
『でも、眠るには少し早い気がして』
ジェプラは、窓の方を見ながら小さく笑った。
「今日は、色々なことがありすぎましたから」
『だね』
僕も同じだった。
神殿監察部、参考人、オッコク、ギラの合流、シラトリの件――イハァトパー機関への道筋。
あまりにも多くのものが、一日で積み上がりすぎている。
ジェプラは、少しだけ迷ってから、静かに言った。
『弓良殿は……怖くありませんか?』
「怖いよ」
僕は正直に答える。
「何が一番、っていうのは難しいけど。オッコクも怖いし、神殿監察部も怖いし、自分のことがどこまで変な話になっていくのかも、ちょっと怖い」
『そう、ですよね』
「ジェプラは?」
『私も、怖いです』
彼女は素直に頷いた。
『ですが、それ以上に……弓良殿が、どんどん遠いところへ行ってしまうような気もして』
その言葉に、今度は僕が黙る番だった。
遠いところへ行ってしまう。
たぶんそれは、場所の話だけではない。
神子――神の船――光輪――機怪人形。
そういう話が大きくなるほど、僕は“普通の人”から離れていくように見えるのだろう。
「遠いところ、か」
僕が小さく繰り返すと、ジェプラは、少しだけ慌てたように言う。
『いえ、変な意味ではなくて……』
「ううん」
僕は首を振った。
「たぶん、分かる」
『……分かるんですか?』
「うん。自分でも、たまに思うから」
それは、わりと本音だった。
ナウーピで白兎族に神子と呼ばれた時から、少しずつそういう感じはあった。
でも、それを口に出す機会はあまりなかったのだ。
ジェプラは、僕の言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。
『でしたら、なおさら……』
「なおさら?」
『いえ……』
また言い淀む。
彼女は、たぶん、いま言おうとしていることの輪郭が、自分でもよく分かっていないのだろう。
それでも、何かを伝えたくて、でも、あまり踏み込みすぎるのは怖くて、言葉の手前でもどかしく立ち止まっている。
その様子を見ていると、こっちまで少し落ち着かなくなる。
「ジェプラ」
『はい』
「言いたいことがあるなら、ゆっくりでいいよ」
僕がそう言うと、ジェプラはほんの少しだけ目を見開いた。
それから、すぐにまた視線を逸らす。
『……私は』
小さな声だった。
『弓良殿が、神子であることを疑っていません』
「うん」
『でも、それだけではなくて……その、弓良殿個人のことも……大切に思っています』
言い切ったところで、彼女は耳をぴんと立て、それからすぐに恥ずかしそうに少し伏せた。
僕は、言葉に詰まった。
大切に思っている――その意味が分からないほど鈍くはない。
でも、ここで何かはっきり返すには、状況も気持ちも、まだ整理がついていない。
ただ、分かったことはある。
ジェプラは、白兎族の見習い神官として僕を守ろうとしているだけではない。
もう少し個人的で、もう少し柔らかくて、だからこそ言いにくい感情が、その中に混ざり始めている。
僕は、慎重に言葉を選んだ。
「……ありがとう」
結局、それしか言えなかった。
でも、ジェプラは、その返事だけで少しだけ救われたみたいに、小さく頷いた。
『はい』
それから、また静かな時間が流れる。
窓の外には、狐族の惑星オッコク。
ここは地上へ降りることもできない、半ば閉じられた深部区画だ。
けれど、その閉じた空間の中で、ジェプラと交わした今の会話は、昼間のどんな情報よりも、妙に胸に残るものだった。
やがて、ジェプラが少しだけ笑って言った。
『すみません、変なことを言ってしまいました』
「変っていうか……」
僕は少し考える。
「びっくりはしたけど、嫌じゃないよ」
その言葉を聞いた瞬間、ジェプラの耳がまた少しだけ赤くなった気がした。
『そ、そうですか』
「うん」
『……それなら、よかったです』
“よかった”と言いながら、彼女はあまり僕の方を見ない。
でも、その横顔は、さっきより少しだけやわらかかった。
僕も、窓の外へ視線を戻した。
オッコクの夜景は、相変わらず遠い。
でも、さっきまでより少しだけ、その遠さが気にならなくなっていた。
しばらくして、ジェプラが小さく言う。
『明日から、また大変になりますね』
「うん」
『しんどいと思います。でも、弓良殿が何者なのか、なぜ『青葉』とこうも深く結びついているのか、その答えに近づくには、必要なことかもしれません』
その言葉に、少しだけ胸が痛む。
僕自身、知りたいと思っている。
でも、知るのが怖くないと言えば嘘になる。
「ジェプラ」
『はい』
「もし、あんまり嫌な答えだったら、どうしよう?」
自分でもずいぶん弱いことを言ったと思った。
でも、今の気持ちはそれに近かった。
ジェプラは、少しだけ考える顔をしたあとで言う。
『その時は、その答えの後で、弓良殿がどうするかを一緒に考えます』
僕は、思わず彼女を見た。
「一緒に?」
『はい』
ジェプラは、きっぱり頷いた。
『白兎族の見習い神官としても、ジェプラ個人としても、そうしたいと思っています』
その言葉は、静かだった。
でも、すごく強かった。
「……ありがとう」
『はい』
短いやり取りだった。
でも、それだけで、少しだけ気持ちが落ち着いた。
『今夜、少しお話できてよかったです』
僕は、その言葉に素直に頷いた。
「僕も」
その返事を聞いて、ジェプラは今度こそちゃんと僕の方を見た。
ほんの一瞬だけだけど、その目には、見習い神官としての真面目さだけじゃない、もっと個人的な、温かいものがあった。
そして彼女は、静かに頭を下げた。
『では、おやすみなさい、弓良殿』
「おやすみ、ジェプラ」
彼女が個室へ戻っていくのを見送りながら、僕はしばらく、その場から動けなかった。
いろいろと大きな話の中にいるのに、今の会話だけは、妙に普通の夜みたいだったからだ。
でも、その普通さが、たぶん今の僕には必要だった。
僕は、最後にもう一度だけ、窓の外のオッコクを見た。
地上へは行けない。
それでも、今夜は、この部屋に通されたことを少しだけありがたく思った。
“神の船”、“神子”という肩書きが、ちゃんと尊重されているらしいことに、ようやく少し安心できたのだ。
***
翌朝――という扱いでいいのだと思う。
客室の照明が、ゆるやかに明度を上げた。
部屋の空気が、休息モードから活動モードへ切り替わる。
ナルディアは、半分寝ぼけた顔でソファに転がりながら言った。
「……今日だっけ」
「今日だよ」
僕が言うと、彼女は目元をこすった。
「取り調べ、って響き、やだなあ」
「そうだね」
「でも、参考人なんだよね?」
「一応は」
「一応、って付くのもやだ」
そのやり取りに、ギラが翼を整えながら笑う。
『ええやないですか。少なくとも、ガナドラみたいにいきなりショックガン向けられる流れではないんですから』
「比較対象が酷い」
ナルディアが言い返す。
ブライアントは、すでに起きていて、いつもより少しきちんとした格好に整えていた。
こういう場へ出る時、この人は外見の作り方を分かっている。
山師然としていすぎず、かといって官僚に見えすぎもしない。
“こちらも軽くはない”と思わせる感じだった。
僕も、自分の外装と髪を整えた。といっても、ただ念じるだけだから、簡単だ。
女性型の機怪人形であることは変わらない。
でも、ガナドラへ入った時とは、見られ方そのものが違うだろう。
神子――光輪を使った者――『青葉』の主――そして、もしかしたら、もっと別の何か、だ。
青葉が、静かに告げる。
『取り調べ室への案内が来ました』
ついに来たか、と思った。
僕は、小さく息を吐く。
「行こう」
ブライアントが短く頷く。
ジェプラは背筋を伸ばし、ナルディアは「うわあ」と小さく言いながらも立ち上がる。
太郎は、最初から動ける姿勢だ。
ギラは、少し楽しそうですらあった。翼を少しはためかせる。
客室の扉が開いた。
その先には、静かな通路が伸びていた。
ここから先、多分、また、いろいろと複雑な話が始まるのだろう。
僕は、そう思いながら、一歩前へ出た。
***
取り調べ室へ向かう通路は、驚くほど静かだった。
『青葉』が停泊している神殿監察部本部ドックの内部は、ガナドラの喧騒と比べると、まるで別の世界みたいだった。
向こうでは、どこを歩いても誰かの声や、運搬機の駆動音や、酒場から漏れる音楽が耳に入ってきた。
でも、オッコクの本部ドックには、それが、ほとんどなかった。
もちろん、完全な無音ではない。
空調は動いているし、遠くで大型設備が低く唸っている感じもある。
ただ、それら全部が、必要以上に耳へ入ってこないよう調整されている。
人が大勢いるはずなのに、人の気配だけが、あまりなかった。
「……歩いてるだけで緊張するな、ここ」
僕が、小さく言うと、ナルディアが、すぐに頷いた。
「分かる。なんか、ちゃんとしてる場所って、それだけで疲れる」
「すごく雑な言い方だけど、たぶん合ってる」
「でしょ?」
ナルディアはそう言って、少しだけ肩をすくめた。
彼女は、ガナドラで無理やり戦わされていたばかりなのに、こういう時には妙にいつもの調子へ戻る。
強いのか、ただ反応が早いだけなのか、まだよく分からない。でも、その軽さには助けられる。
案内役の狐族は、僕たちの少し前を静かに歩いていた。
背筋がまっすぐで、足音もあまり立てない。
こちらへ無駄に話しかけることもなく、必要な時だけ「こちらです」と短く案内する。
ブライアントは、歩きながら小さな声で言った。
「ここは、本当に、わざと音を消してるな」
「やっぱり?」
僕がそう聞くと、彼は頷いた。
「足音も、設備音も、反響しにくいんだ。話し声も遠くへ漏れにくいだろうな。記録と監察の場所らしい作りだね」
「うわ、そうはっきり言われると、余計やだ」
ナルディアが顔を顰める。
「ガナドラみたいに騒がしい方が、まだ隠れられる感じしたのに」
「そういうことだろう」
ブライアントは淡々と言った。
「ここでは、余計なノイズに紛れられない」
たしかに、“整いすぎていて逃げ場がない”という感じはあった。
ジェプラも同じようなことを感じているらしく、耳を少しだけ伏せていた。
『白兎族の神殿も静かですが、こことは違います』
「どう違うの?」
僕が聞くと、ジェプラは少し考えてから答えた。
『白兎族の神殿の静けさは、祈りのためのものです。ここは、観察と判断のための静けさに思えます』
その表現は、すごくしっくりきた。
祈りの静けさと、観察の静けさは、似ているのに――全然違う。
ナウーピの静けさは、こちらを包むものだった。
オッコクの静けさは、こちらを見通すためのものみたいに感じる。
太郎は、その間、通路の継ぎ目や照明の角度を見ていた。
『保守性が高い』
「感想がいつも通りで、安心するよ」
『安心したか』
「ちょっとね!」
『よかった』
太郎の“よかった”は、たぶん本気なのだろう。
だから、変に笑ってしまう。
***
取り調べ室、と呼ばれた部屋は、僕が想像していたものとだいぶ違っていた。
もっと狭くて、硬い卓がひとつ置かれていて、向こう側に怖い人が座っていて、こちらへ無表情に質問を投げてくるような場所を想像していたのだ。
実際に通されたのは、かなり広めの会議室に近かった。
円形に近い卓で、座り心地の悪くない椅子に、飲み物まで用意されている。
壁面には記録用らしい薄い光の層が見えるが、むき出しの威圧感はない。
「……あれ?」
ナルディアが、小声で言う。
「思ったよりちゃんとしてる」
「昨日から、“ちゃんとしてる”しか言ってないね」
僕が言うと、ナルディアはむっとした。
「だって、ほんとにそう思ったんだ。もっと怖い取調室みたいなの、想像してたし」
「それは、僕も」
実際、同じ感想だった。
案内役の狐族は、礼儀正しく言う。
『こちらでお待ちください。監察官はすでに接続済みです』
「接続済み?」
僕が聞き返した、その瞬間だった。
「え、何?」
卓の向こう側に、薄い光の層がふわりと立ち上がった。
最初は、ただの投影装置が起動したように見えた。
でも、その輪郭が結ばれ、色が入り、衣服の皺まで見えるようになった瞬間、僕は思わず言葉を失った。
そこにいたのは、狐族の女だった。
長い耳、端正で彫りの深い少し鋭い顔立ち、長い耳、余計なものを持たない黒寄りの監察部の制服――。
アラージだった。
ガナドラの娯楽ステーションで、セクシーな装束のコンパニオンとしてブライアントに絡んでいた時とも、ガナドラ星系で監察部の独立魔女として通信に出てきた時とも、また少し印象が違っていた。
今のアラージは、それら全部を削ぎ落として、“役職そのもの”みたいな顔でそこに座っていた。
ただ、何かが微妙におかしかった。
そこに“いる”ように見えるのに、空気の重なり方が少し違っていた。
光の当たり方も、完全な実体とまでは言いきれない。
視線は合うのに、質量がほんの少しだけ世界からずれているような感覚があった。
その違和感に、僕が反応するより先に、ナルディアが、素で声を上げた。
「おばけぇ~!?」
室内の空気が、一瞬だけ固まる。
ジェプラがはっと目を見開き、ギラが翼を半分上げたまま固まり、僕は思わずナルディアの横顔を見てしまう。
太郎だけは、何が起きてもあまり動じない顔だった。
『幽霊ではない』
「太郎、分かるの?」
『たぶん通信だ。しかし、単なる通信画像ではない』
「たぶんって?」
『見た目は曖昧だが、怪談ではない』
アラージは、ほんの少しだけ片眉を上げた。
『ふふ。神殿監察部に対する第一声としては、かなり新鮮ですね』
「い、いや、違うの! 違うっていうか、違わないっていうか!」
ナルディアは慌てて両手を振った。
「だって、ガナドラにいたじゃん! いるのにいないみたいだし、いないのにいるみたいだし!」
「言いたいことは、少し分かるかも」
僕が、ぼそっと言うと、アラージの目がこちらへ向く。
『神子弓良は、どう見ていますか』
「……すごく精度の高い立体映像、ですか?」
僕が答えると、アラージはわずかに顎を引いた。
『近いですが、少し違います。これは高精度遠隔仮想体です。感覚接続と存在投射を伴うものと理解してください』
「存在投射……」
言葉の意味はなんとなく分かる。
でも、やっていることは、だいぶ意味が分からない。
ブライアントが、そこで静かに問う。
「つまり、あなた本人は、まだガナドラにいるのか」
『います』
アラージはあっさり答えた。
『グィルディ関連の後処理がまだ終わっていませんので』
「じゃあ、これは本当に“遠隔”なんだな」
『ええ』
そのやり取りを聞いて、ナルディアがまだ信じきれていない顔でアラージを見る。
「……ほんとに本人?」
『その問いは、哲学的に回答すると、長くなります』
「うわ、答えが難しい」
ナルディアが頭を抱え、ギラが横で肩を震わせた。
『やー、最初の一言がおばけぇ~は、なかなか強いですなあ』
「ギラ、笑わないでよ!」
『いや、これはちょっと笑いますやろ』
その軽いやり取りがあったおかげで、少しだけ空気が和らいだ。
でも、僕の中では別の驚きが大きかった。
これまでにも、立体映像や遠隔投影は何度も見てきた。
でも、今目の前のアラージは、それらと同じだと思えない。
視線の圧があり、存在感があった。
部屋の空気に“ちゃんと座っている”感じがあるのだ。




