第四十六章 狐の惑星へ
ガナドラの外縁で起きた騒ぎが、ようやく“いま目の前で爆発している危機”ではなくなってからも、『青葉』の中はしばらく落ち着かなかった。
それは、当然だと思う。
ほんの少し前まで、僕たちは娯楽ステーションでナルディアを奪い返し、そのままシェリフに拘束されかけ、ドックゲートを食い破るみたいな形で脱出し、神殿監察部とグィルディ商会私設軍艦隊の間に立たされていたのだ。
しかも、その場で光輪まで公開した。
終わった、と言うには、あまりにもいろいろなものが一度に動きすぎている。
それでも、外の状況だけ見れば、盤面は整いつつあった。
神殿監察部がグィルディ商会本拠と関連区画を押さえ、シェリフ艦隊は完全に監察部の指揮系へ入った。ガナドラ側の交通規制も、今では『青葉』を囲うためではなく、強制捜査と証拠保全のためのものへ変わっている。
勝負そのものは、もう決している。
だから、“終わった”と言えば終わったのだろう。
でも、感覚としてはまったくそうではない。
むしろ、大きな扉を一枚くぐってしまった感じのほうが強かった。
オッコク行きが決まり、ガナドラ側の後始末は監察部が引き継ぐ。
言葉にすると簡単だ。
けれど、勝ったあとに片づけなければならないものの方が、むしろ多かった。
***
ナルディアは、まず『青葉』の医療区画で改めて診断を受けることになった。
この医療区画も、ナヴーピで修理したときに、しっかり修理したものだ。人類だけでなく、グラブール人を含む、主要な炭素系の異星人種族に対応できる。
逆に言うと、ナヴーピで修理するまで、地球人向けの設備はなかったから、ちょっとブライアントには悪かったかな、と思った。彼は、ナノマシンの簡易救急キットは持っていたようだけど。
ナルディア本人は「大丈夫、大丈夫、動けるし」と言い張っていたが、ショー会場で戦い、逃走し、転送され、その直後に艦内で緊張しっぱなしだったのだから、どう考えても一度はちゃんと診るべきだ。
簡易診断ベッドの上へ座らせると、ナルディアは、ようやく少し観念した顔になった。
「そこまで深刻じゃないって、ほんとに!」
「重症かどうかと、診る必要があるかは別だよ」
僕が言うと、ナルディアは少しだけ口を尖らせた。
「弓良、たまにすごい真面目だよね」
「たまに、って何?」
「いや、なんかこう、普段はちょっとふわっとしてるのに、変なところで急に正論で押してくるっていうか」
「褒めてる?」
「半分くらい?」
その答えが妙にナルディアらしくて、少し笑ってしまう。
診断結果を読み上げたのは青葉だった。
『重篤ではありません。打撲、筋疲労、軽度の神経負荷、治りかけの損傷が二箇所。外傷は管理可能です』
ナルディアが、ほらね、という顔をした。
「だから大丈夫って言ったじゃん。あたし、ナノマシン入れてるし」
「治りかけの損傷ってのは、何だ?」
ブライアントが低く聞くと、ナルディアは一瞬だけ視線をそらした。
「……前の試合とか、その前とか」
その言い方があまりにも自然で、逆に胸が痛くなった。
つまり、あそこへ出されていたのは一度きりではない。
借金返済の名目で、何度も戦わされてきたのだ。
ブライアントは、それ以上、その場では何も言わなかった。
ただ、怒っているのは、はっきりと分かった。
そういう時、この人は大声を出さない。だからこそ、逆に怖い。
ナルディアは、その沈黙を誤魔化すみたいに、少しだけ早口になる。
「でも、ほんと、死ぬような感じじゃないし。こういうの、アーマッドの訓練とか、美優の無茶ぶりに比べたら、まあ……」
「美優って、無茶するの?」
僕が聞くと、ナルディアはすぐに頷いた。
「する。すっごいする。見た目だけなら、お嬢様っぽくて綺麗で、ふわっとしてそうなのに、いざとなると全然引かないし、たまに“そこ行く?”って方向へ真っ直ぐ行くんだよね。しかも時々、妙に勘が鋭いから止めづらいの」
「……ちょっと、会ってみたいかも」
「会ったらびっくりすると思う!」
ナルディアのその言い方に、少しだけ複雑な気持ちになる。
美優。
ナルディアが僕を見て「美優! じゃない!」と反応した、機怪人形の少女――。
同じなのか、似ているだけなのか、まだ何も分からない。
でも、いずれにせよ、彼女の存在は、もう僕にとって他人事ではなくなっている。
***
ガナドラ側の後始末は、主にギラと青葉が回していた。
監察部から送られてくる文面の確認、押収データの扱い、『青葉』の停泊記録と離脱記録の整理、シェリフ側への最低限の説明、商会側からの抗議文の受信拒否設定など。
最後のものは、どう考えても青葉が嬉々としてやっている気がしたが、指摘しないことにした。
「青葉、いま何件来てるの?」
『正式抗議七件、抗議予定通知三件、意味の薄い感情的文書十四件です』
「感情的文書って何?」
『文面の大半が罵倒です』
僕は、少しだけ顔をしかめた。
「そんなカテゴリ分けあるんだ……」
『作成しました』
「だよね」
その返答の妙な速さに、横でギラが吹き出した。
『いいAIさんですなあ』
『ありがとうございます』
「褒めてへんような、褒めてるような」
『どちらでも受理可能です』
その会話を聞いて、ナルディアが半分呆れたように言う。
「兄さん、この船、思ってたよりずっと面白いんだけど」
「面白いだけで済むならいいんだけどな……」
ブライアントは、そう言いながらも、少しだけ口元を緩めた。
ナルディアが『青葉』に乗ってから、船内の空気は少し変わった。
正確に言えば、変えられた、というほうが近いかもしれない。
ブライアントだけだと、どうしても物事は重く、現実的な方向へ整理される。
ジェプラは、真面目で、空気を引き締める。
太郎は太郎で、ズレているようで肝心なところでは本質を突く。
そこへナルディアが入ると、良くも悪くも反応の速度が上がる。
感じたことをそのまま言うし、変だと思ったらすぐ口に出す。
そのおかげで、こっちも黙り込んだまま沈みにくい。
たぶん、そういう意味では助かっていた。
***
押収された裏帳簿の照合――。
神殿監察部から送られてくる確認事項への応答――。
グィルディ商会関連で押さえた区画と、ナルディアやルゴルの証言との照合――。
失踪者リストとの突き合わせ――。
ガナドラのシェリフに残す最低限の報告文面――。
そういう実務は、僕やナルディアが考え込んでいても進まない。だからこそ、青葉とギラの相性は思ったよりよかった。
『こういう細かいもんは、神殿監察部に投げる前に一回きれいにしとかんとあきませんからな』
ギラはそう言いながら、羽の先でいくつものデータ窓を滑らせていく。
『わてらラギの行方不明者は、もう“売られた”後だったようですわ。それで、神殿監察部に、捜索と奪還を頼んでます』
黄色い大きな鳥人間型の見た目に反して、仕事は、やけに細かい。
「ギラって、ほんとに探索人なんだね」
僕が言うと、ギラは嘴の端を少し上げた。
『どういう意味ですのん?』
「最初、賭けに負けて大騒ぎしてる鳥の人って感じだった」
『それは、まあ、そう見せてた部分もありますわ』
あっさり認めたので、逆にちょっと驚く。
「見せてたんだ」
『グィルディさんとこの娯楽ステーションで、最初から“捜査してます顔”してたら、そら一時間も保ちません』
その言い方に、ブライアントが小さく頷いた。
「現場だな」
『現場ですわ。あと、ほんまに賭けは外してましたけど』
「そこは本当なんだ」
『そこは本当です』
その返答に、さすがに少し笑ってしまった。
青葉は、そういう雑談には入らず、静かに作業を続けていた。
ただ、その静けさの中に、以前より少しだけ“人を使う”感じがある。
ギラへ必要な情報を送り、神殿監察部からの問い合わせへ返し、同時に『青葉』内部の再点検と補給一覧までまとめていた。
この船は、僕が思っている以上に忙しい。
『オッコク方面への移動に先立ち、本艦外装損傷の再点検、分子機械群の再編成、補給物資の整理が必要です』
『太郎も対応する』
そこで、太郎が通信で話しかけてきた。彼は、青葉中を整備で動き回っている。
「うん。太郎もよろしく」
僕は、ふと思っていたことを尋ねてみた。
「そういえば、ギラは、この船の生命維持環境で大丈夫なの?」
『はい、わての惑星は、ここよりちょいと暑くて、蒸してます。でも、こっちに来て長いんで、もう慣れましたで。食べるもんが、ちと違うんで、そこだけお願いします』
『ラギの生体維持データは、既にガナドラ星系で取得しています。代謝に合った食料生産プログラムの調整して対応します』
青葉の言葉に頷いた。
「なるほど。個室の温度や湿度とかは変えられるから、青葉に言ってね」
『了解ですわ』
――前にブライアントが言っていたけど、グラブール人と人類は、ほとんど代謝系が同じらしい。なのに、遺伝子は、まったく異なっているんだそうだ。
逆に、ギラは、ほとんど地球の鳥を擬人化したような姿だけど、実は、代謝がまったく異なるそうだ。タンパク質に使うアミノ酸や遺伝暗号まで違っているとか。
なんか、例のガラXFIザAみたいに、炭素系じゃない連中もいるようだし、宇宙は広いと思った……。
そんなことを考えていると、青葉が言った。
『また、ガナドラ側へ残す形になる証拠記録の写しも、監察部の指定形式へ合わせます』
「それ、青葉だけで足りる?」
『足ります』
即答だった。
ギラが横で感心したように羽を鳴らす。
『ほんま、ええ船ですなあ』
『そうですすね』
『いや、そこは褒めたつもりで言うてますけど』
『承知しています』
こういうやり取りを聞いていると、少しだけ現実感が戻ってくる。
グィルディの叫びや、光輪の重さや、神子の本質みたいな大きい話も重い。
でも同時に、船は補給しなければならないし、記録も整理しなければならない。
そういう日常の側から引っ張られると、少しだけ呼吸がしやすい。
***
少し落ち着いたところで、アラージから正式な通信が入った。
中央表示に現れた狐族の独立魔女は、もう娯楽ステーションでブライアントへ絡んでいたセクシーなコンパニオンの顔ではなかった。
あれが演技だったと理解していても、こうして監察部の制服で現れると、同じ人物だと忘れそうになる。
彼女は、長い狐耳に彫りの深い端正な顔立ちのまま、余計な感情を外へ出さない目つきで、必要なことだけを切り出す者の空気をまとっていた。
『ガナドラ側の処理は、神殿監察部が引き継ぎます』
アラージは、そう告げた。
『あなた方には、事情聴取と記録照合のため、オッコクの神殿監察部の本部へ来てもらいます』
オッコクの本部――その名が正式に告げられたことで、次の行き先が、ただの“監察部のどこか”ではなくなった。
ブライアントが、すぐに本題へ切り込んだ。
「シラトリの件について、監察部は何か掴んでるのか?」
アラージは、一瞬だけ沈黙した。
無視ではなく、言葉を選んでいる感じだった。
『まさに、その点で共有したい情報があります』
その答えに、ナルディアの表情が変わる。
さっきまでの軽口が消え、完全に集中した顔になった。
「アーマッドたちのこと?」
『断定はしません』
アラージは、簡潔に言う。
『ただし、黒狼族とガラXFIザA側の行動、そして神殿監察部が独自に押さえていた別件の記録を合わせると、シラトリ撃沈は局地的な事故として片付けられません』
その一言は重かった。
ナルディアが、身を乗り出す。
「じゃあ、アーマッドたち、生きてるかもしれないってこと?」
「ナルディア」
ブライアントが低くたしなめる。
期待しすぎるな、という意味なのだろう。
でも、彼自身も同じように身構えているのは分かった。
アラージは、感情を挟まずに続けた。
『生死を確定できる段階ではありません。ただし、“行方不明のまま曖昧に消えた”と扱うには、情報が増えすぎています』
それだけで十分だった。
少なくとも、何もないわけではない。
オッコクへ行くことには、はっきりした意味がある。
『それに、神子殿の目的にも関係ある情報も、あります』
僕は、その流れの中で、ずっと、引っかかっていたことを口にした。
「その情報って……“イハァトパー機関”に関係あるんですか?」
僕がそう言うと、制御区画の空気が少しだけ変わった。
ブライアントがこちらを見る。
ギラが羽を止める。
ジェプラも、ナルディアも、黙ったままアラージの答えを待った。
そして、アラージはそこで、ほんのわずかに口元を動かした。
笑ったのだ。
嘲笑ではないものの、いかにも「そこへ辿り着きましたか」と言わんばかりの、薄い笑みだった。
『はい』
それだけを言う。
僕は、思わず息を止めた。
イハァトパー機関。
『青葉』の心臓。
ずっと追っていた、でも市場の棚には存在すら確認されないような高位機関。
その問題が、いま、シラトリ撃沈や黒狼族やガラXFIザAや、神子としての僕自身にまで繋がっているのかもしれない。
ブライアントが、静かに言った。
「……もったいぶるな」
アラージは表情を戻した。
『もったいぶっているのではありません。ガナドラの公開回線で話すべきことではない、というだけです』
その返しは冷たい。
でも、筋は通っている。
ギラが小さく口笛のような音を鳴らした。
『こら、オッコク行きの値打ちが一気に上がりましたなあ』
「値打ちって言い方は、やめて」
僕が言うと、ギラは肩をすくめた。
『でも実際、そういうことですやろ。神子はんの正体、光輪、シラトリ撃沈、黒狼族、ガラXFIザA、イハァトパー?機関。これ、全部が別件に見えて、どっかで一つに絡んどる』
その言い方は軽いのに、内容はまるで軽くない。
アラージは最後に、はっきり告げた。
『オッコクでは、監察の対象としてだけではなく、神子とその力の意味そのものを確認することになります』
その一言で、神殿監察部が何を望んでいるのか、朧気に見えた気がした。
ガナドラの件は、片がついた。
でも、それはただ、表面の厄介ごとが整理されただけだ。
本当に深いところ――なぜ、僕が『青葉』と、こうも噛み合うのか、なぜ光輪を使えるのか、神子とは本来何なのか――そのあたりが、問われる。
拒否権は、ないのだろう。それは、僕と青葉がグラブール人の中で、どういう立場となるのかを決めることになりそうだ、と思った。
『移動準備を進めてください』
アラージは、そう言って通信を終えた。
***
ここでガナドラでの出来事の一通りのけじめは、つけた。
ナルディアは、助け出した。
裏帳簿を押さえて、グィルディは、逮捕された。
ギラも、こちらに正式に加わった。
次の寄港先も決まった。
なのに、終わった感じがしない。
むしろ、ようやく全員が同じ船に乗って、次の扉の前に立った感じの方が強かった。
ナルディアが、はっと息を吐いた。
「……なんか、全然落ち着かないんだけど」
「分かるよ」
僕が応えると、ナルディアは少しだけ肩をすくめた。
「ガナドラでのこと、もう十分すごかったのに、その先で“もっと大きい話あります”って言われてもさ」
「それはそう」
「でも、行くしかないんだよね」
「うん」
そのやり取りが、妙に今の状況をよく表していた。
ジェプラは、少しだけ眉を潜めて言う。
『狐族は、神殿監察部の中心的な部族です。その中核に近い場所へ行く、ということは、ただ偉い人に会うというだけではありません』
「監察される側にもなる、ってことか」
「はい」
その答えは、あまり気楽なものではない。
でも、逃げ場が少ないからこそ、本当のことに近づけるのかもしれないとも思う。
ブライアントは、腕を組みながら、低く言った。
「ガナドラは雑多で、情報も金も噂も混ざったまま動いていた。おそらく、オッコクはその逆だろうな。動きは遅く見えても、一度噛まれたら逃がさないタイプだ」
「怖い言い方するなあ……」
僕が言うと、ブライアントは少しだけ笑った。
「怖い場所だろ、たぶん」
ナルディアが肩をすくめた。
「兄さん、そういうとこだけ妙に楽しそうだよね」
たしかに、少し分かる。
ブライアントは、危ない話や面倒な話ほど、妙に現実的に整理し始める癖がある。好きというわけではないのだろうが、性に合っているのかもしれない。
ギラは、翼をたたんだまま言った。
『まあ、わてが言うのもなんですけど、狐族の本拠地は堅苦しい、いうても、そこそこですわ』
「その言い方、全然安心できない」
僕が言うと、ギラは苦笑した。
『狐族の人たちは、基本、真面目ですわ。逃げも隠れもできへん、てことです』
その通りなのだろう。
ガナドラでは、良くも悪くも雑さの中に隠れる余地があった。
オッコクでは、たぶんそれが減る。
***
『青葉』の次の寄港先がオッコクに決まったことで、船内のメンバーの輪郭もはっきりした。
僕、青葉、太郎、ブライアント、ジェプラ、ナルディア、ギラ。
――ここへ来るまでに、ずいぶん増えたと思う。
最初は、僕と青葉だけだった。
そこへ太郎が加わり,ブライアントがいて、ナウーピでジェプラと白兎族に繋がり、ガナドラでナルディアを拾い、ギラが正式にこちら側へ入った。
いわゆる“パーティが広がる感じ”というのは、たぶんこういうことなのだろう。
ただ、ゲームみたいに気楽ではない。
それぞれが背負っているものがちゃんと重い。
ナルディアは、アーマッドたちの件を抱えている。
ブライアントは、カッシーナの復活のため、願いを叶える星を探している。
ジェプラは、白兎族の神殿と神子への忠義を背負っている。
ギラは、監察部との捜査線を持ち込んできた。
そして僕は、神子と光輪と『青葉』そのものを抱えている。
だから、仲間が増えたことは、少しわくわくする気持ちもあるのに、それ以上に「もう後戻りできない」という実感を強くした。
***
出航準備の最終確認の時、青葉が静かに言った。
『現時点で、イハァトパー機関の所在そのものは不明のままです』
その一言で、僕は一瞬だけ、元々の目的へ引き戻された気がした。
そうだ。
ここへ来たきっかけは、『青葉』の足りない心臓を探すことだった。
ナルディア救出も、グィルディ摘発も、光輪公開も、全部大きすぎて、途中からそちらに飲まれていたけれど、イハァトパー機関の問題は、何ひとつ解決していない。
ブライアントが、低く言う。
「だが、その目的は死んでないんだな」
『はい』
青葉は続ける。
『“願いを叶える星”に関連する権利、情報流通の存在の可能性は、高まりました。また、グィルディ関連データの一部には、神域権利移動に関する断片も含まれています』
ギラが、そこへ補った。
『ガナドラで全部回収できたわけやないですけどな。裏帳簿の端っこに見えた“妙な権利の動き”は、まだ気になりますわ』
ブライアントは少しだけ目を細める。
その表情を見ると、彼の中で“願いを叶える星”の目的も、まだまったく切れていないのだと分かる。
カッシーナと願い。
それは、彼にとってただの伝説ではなく、ずっと現実の選択肢なのだろう。
ナルディアも、それに気づいたらしく、少しだけ兄の横顔を見る。
「……兄さん、まだ諦めてないんだ?」
「諦める理由がない」
ブライアントは短く答えた。
「グィルディ経由の導線は汚れたが、線そのものが死んだわけじゃない。なら、別の場所で拾い直す」
その言い方が、いかにも彼らしい。
感情に引きずられながらも、なお現実的だ。
僕は、小さく頷く。
「オッコクで、その件も、何か情報がでるかも」
「かもしれないし、逆にもっと厄介になるかもしれない」
ブライアントは苦笑した。
「でも、行く価値はある」
それには、多分、全員が同意していた。
***
出航の時間が近づくにつれて、ガナドラの光は少しずつ遠いものになっていった。
実際には、まだ同じ星系内にいる。
けれど、『青葉』は監察部が確保した安全航路へ乗り、静かに外縁から抜ける準備をしている。
ドックを食い破って飛び出した時の荒々しさとは違う。
今度は、きちんと整えられた“次への離脱”だ。
それでも、ガナドラを離れる感覚はあった。
市場――雑踏――ゾンゾ――グィルディ――ナルディアのいた檻――シェリフの狸族たち――光輪を見た無数の目。
そういうものが、全部あの光の塊の中に置いていかれるように思える。
でも、本当は違うのだろう。
置いていくのではなく、持ったまま次へ行くのだ。
僕は、前方表示に映るガナドラのリング群を見ながら、小さく言った。
「すごい場所だったね」
ジェプラが、静かに頷く。
『はい。できれば、しばらくは戻りたくありません』
「分かるよ」
ナルディアが横から割り込んだ。
「あたしも。食べ物はちょっと美味しかったけど」
「そこなんだ」
僕が、そう言うと、ナルディアは少しむっとした。
「いや、大事でしょ? ああいうところって、妙に変なものばっかりあるけど、たまにすごい当たりあるし!」
その勢いに、ブライアントが少しだけ笑う。
「お前はそういうところ、昔から変わらないな」
「何それ、褒めてる?」
「半分くらいはな」
太郎が、ぼそっと言う。
『衛生は、やや不安だった』
「そこまで見てたの?」
『当然だ』
そのやり取りに、また少しだけ艦内の空気がやわらぐ。
僕は、少しだけ目を細めた。
変わらないものがある。
でも、変わってしまったものもある。
僕自身もそうだし、たぶんこの旅そのものもそうだ。
最初は、ただ『青葉』を直し、足りないものを探す話だった。
いまは、それに加えて、もっと大きな問いがついてきている。
神子は誰のものか。
僕は、何なのか。
なぜ、青葉とこれほど深く繋がるのか。
『外縁離脱、準備完了』
青葉が、静かに告げた。
『オッコク方面へストライプド・リープ航法で移動します』
ギラが、少し楽しそうに羽を鳴らした。
『ほな、次は狐の国ですな』
「軽いなあ」
僕が言うと、ギラは、肩をすくめる。
『重たく言うても、行き先は変わりまへんやろ』
その通りだった。
僕たちは、行く――狐族の本拠地オッコクへ。
監察部のある場所だ。
神子と光輪の意味が、本格的に問われる場所へ。
『青葉』の進路が静かに変わる。
ガナドラの光が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
でも、旅は少しも終わっていない。
むしろ、これまでで一番深い場所へ向かう入口に、ようやく辿り着いたのだと、僕は、はっきり感じていた。
これで、ガナドラ編は終わりで、次はオッコク編です! ~62章まで、毎日、同じような時間(多少前後あり)に投稿予定です




