第四十五章 神子は誰のものか
グィルディの叫びが回線から消えたあとも、その声だけは、しばらく『青葉』の制御区画に残っているような気がした。
なんで神子が、野蛮人の地球人なんぞの味方をするんや。
その姿かて、どうせ仮のもんやろうが。
なんで神の側のもんが、あっちへ立つんや。
勝負そのものは、もうついている。
光輪で私設軍艦隊は止まり、神殿監察部が制圧に入り、シェリフ艦隊も従う側へ回った。グィルディ自身も、もう逃げ切れないだろう。ガナドラでの勝負は、少なくともこの局面では、こちらが取り返したと言っていい。
なのに、胸の奥には、勝った後の軽さが少しもなかった。
むしろ、そこへ重い楔を打ち込まれたみたいだった。
僕は、接続席から手を離した。指先にはまだ、光輪を流したあとの青い痺れみたいなものが残っている。実際に痛いわけではない。ただ、『青葉』と深く繋がった時だけ感じる、身体の奥へ何かが沈んでいくような感覚だ。
その感覚のせいで、余計に、さっきのグィルディの言葉が、ただの負け惜しみでは済まない気がしてしまう。
仮のもの。
その一言が、嫌に引っかかった。
僕は、今、女性型の機怪人形の身体を使っている。
――白い肌、薄青い髪、地球人の男だった頃の自分とは、外見だけ見れば別物だ。
それは、自分でも分かっている。
分かっているのに、他人に、しかもああいう“知っている側”みたいな言い方で突きつけられると、胸の奥が妙にざわつく。
いや、そもそも、機怪人形というのは、グラブール人の姿をしているらしい。
それが、人類と殆ど同じ姿――そこが、謎だった。
しかも、ナルディアから聞いた、美優という、別の人類型の機怪人形もいるらしい。
いったい、それは、何でなんだろう?
***
前方表示の中では、神殿監察部の艦隊がグィルディ商会関連区画へ散っていた。
シェリフ艦も、それに従い、ガナドラの交通網には緊急封鎖の通知が流れ始めている。
秩序そのものは、むしろ戻りつつある。
でも、僕の中のほうは、逆に不安定になっていた。
「……あいつ、何言ってんのさ」
最初に沈黙を破ったのはナルディアだった。
その声には、怒りと、素直な戸惑いがそのまま混ざっていた。
彼女は分かりやすい。分かりやすいからこそ、その反応に少し救われる。
こちらが言葉を飲み込んでしまっている時に、ちゃんと「それおかしいでしょ」と口にしてくれる人間がいるのは助かる。
「神子が誰の味方とか、何その言い草。ていうか、あたしたちを野蛮人って何よ。そっちが人を売ってるくせに。しかも、私設軍まで持って、あれだけ好き勝手やっといて、なんで最後にそんな偉そうなこと言えるわけ?」
そこまで言ってから、ナルディアは少しだけ顔を顰めた。
「いや、いまさらそこじゃないのかもしれないけど、でも普通にムカつくんだけど!」
その勢いに、僕は、少しだけ肩の力を抜いた。
「うん。僕もムカついた」
「でしょ!」
ナルディアはすぐそう返して、それから僕の顔を見た。
興奮した時の勢いは強い。でも、その目の奥には、別の色もあった。
心配しているのだ。
さっき自分を助けてくれた僕が、あの言葉で妙に静かになったことに気づいている。
ブライアントは、前方表示を睨んだまま、低い声で言った。
「ただ、ムカつくだけで済ませるには、少し気になる言い方だった」
その一言に、制御区画の空気がまたわずかに硬くなる。
「そうだね……」
僕も、そう思っていた。
単なる負け惜しみなら、ああは言わない。
侮辱に見せかけているが、その中には、あいつの中にある何かしらの前提が混じっていた。
神子は、本来は、自分たちの側に立つべきものだと、グィルディは思っていた。
しかも、それは商人の思い込みというより、もっと古い層の知識から来ている言い方だった。
侮辱だけでなく、“そういうものだと知っている側の前提”が混ざっていた。
ジェプラが、小さく、少しためらいながら言った。
『グィルディは、機怪人形と神子について、一般の白兎族よりも、もっと古い伝承を知っているのかもしれません』
「商人のくせに?」
ナルディアがそう尋ねると、ジェプラは、真面目な顔で頷いた。
『大商人は、物だけでなく伝承や神殿系の知識にも触れます。特に、〈先住者〉由来の遺物を扱う家ならなおさらです』
それは、ありそうな話だった。
「商いの知識、か」
僕が繰り返すと、ジェプラは頷いた。
『はい。白兎族にとっては、〈先住者〉由来の事柄は、本来、まず祈りや祭祀の対象です。ですが、ガナドラのような市場では、信仰の対象であると同時に、取引や交渉の札にもなります。グィルディほどの大商人であれば、神殿の崇する言葉を、敬うためではなく使うために覚えていても不思議ではありません』
その説明は、ひどく嫌な感じがした。
でも、だからこそ納得もできる。
ナウーピで白兎族が僕をどう見たか――神殿での扱い――機怪人形を前にした時の、あの“生きている神像”を見るような眼差しを思いだした。
グィルディは、それを信仰の側からではなく、値踏みの側から見ていたのかもしれない。
ギラが、翼をたたみながら言う。
『正直に言いますとな、ああいう手合いは“知ってること全部”を喋ってるわけやないです』
僕は、彼を見る。
「どういう意味?」
『追い詰められた人間の本音は、たしかに出ます。せやけど、追い詰められた商人の本音っちゅうんは、だいたい“相手に一番よう刺さる形”に整えて出てくるんですわ』
「それ、慰めになってるようで全然なってないね」
僕が言うと、ギラは少し苦笑した。
『すんませんな。せやけど、ほんまのことです。あいつはたぶん、知っとること全部を喋ったわけやない。けど、何も知らん奴の言い方でもなかった』
そこが厄介なのだ。
僕は、ゆっくりと青葉の方を見た。
「青葉」
『はい』
「……何か、言うことある?」
少しキツイ聞き方だったかもしれない。
でも、訊かずにはいられなかった。
青葉は、ほんのわずかに沈黙した。
その沈黙が、もう重い。
何も知らないなら、こんな間は空かない。
少なくとも、僕にはそう感じられた。
『現時点で、断定的な説明は推奨しません』
「断定的じゃなくていいよ」
僕は、静かに言った。
「でも、何もないふりをされると、それはそれで困る」
青葉の青い表示光が、ほんの少しだけ揺れた気がした。もちろん、実際にはただの表示だ。揺れて見えるのは僕のほうだろう。
それでも、青葉が言葉を選んでいるのは分かった。
『グィルディの発言には、既知情報と整合する部分があります』
やっぱり、と思った。
そうだろうとは思っていた。
思っていたのに、実際に言われると重い。
「既知情報って?」
『グラブール人の伝承において、機怪人形は〈先住者〉に近い上位存在として扱われています』
青葉は、静かに続けた。
『単なる奉仕体、祭具、あるいは神殿装飾ではありません。“先に立つもの”“導くもの”“命じるもの”として記録される例があります』
その言葉を聞いた瞬間、ナウーピで見てきたあれこれが、ひどく嫌な形で繋がった。
白兎族が僕へ向けた敬意――機怪人形を前にした時の“生きている仏像”を見るみたいな目――黒狼族のヅゴダが、最後に僕を“機怪人形”と呼んだ時の、本能的な何かを刺激されたみたいな顔をしたこと。
光輪が、破壊ではなく統制の形で働いたこと。
『青葉』が、僕と“なぜか異常なほど円滑に認証された”こと。
命じるもの。
僕は、少しだけ喉が渇くのを感じた。
「それって……」
言葉が少し詰まる。
「……僕が、そういう側のものだってこと?」
『そこまでは、断定できません』
青葉はそこで、はっきり線を引いた。
『ただし、これまでの状況から、〈先住者〉におけるグラブール人の地位や状況と、本艦及び機怪人形については、無関係でない可能性があります』
それは、かなり踏み込んだ言い方だった。
でも、最後の一線だけは越えていない。
青葉は、きっと、もっと知っている。
少なくとも、そう思わせるだけの沈黙と、そう思わせるだけの慎重さがある。
問題は、その“もっと”を、まだ言ってくれないことだった。
「その姿は、仮のもの、っていうのは?」
自分で言いながら、ひどく変な感じがした。
「やっぱり、そういう意味なのかな」
誰も、すぐには答えなかった。
僕は、また自分の白い手を見た。どう見ても、人間の手にしか見えない。
しかし、その感覚は、人間だった頃――まだ覚えている感覚とは、大分、違う。
ナルディアだけが、僕をじっと見ていた。
そして、少しだけ眉を寄せる。
「でもさ」
「うん?」
「仮とか本物とか言われても、いまここにいる弓良は弓良でしょ」
その一言が、まっすぐ胸に入った。
「いや、だって、わかんないじゃん。神子がどうとか、機怪人形がどうとか、あたし、そういうの全然詳しくないし。でも、詳しくなくてもさ、いま目の前にいるのって、ナルディアを助けるためにショー会場へ戻ってくれて、さっきあたしたちを飛ばしてくれた弓良じゃん」
ナルディアは、少しだけ視線をそらし、でもすぐまた戻した。
「それで、十分じゃないの?」
その言い方は、理屈としては雑かもしれない。
でも、だからこそ、いまの僕には刺さった。
いまここにいる僕――機怪人形の身体で、青葉と繋がって、光輪を使う僕がいる。
それでも、ナルディアを助けたいと思って、実際に助けた僕も、いる。
その全部を飛ばして、“本当は何者か”だけで判断されるのは、たしかに変だ。
ブライアントが、そこで少しだけ目を細めた。
「ナルディアの言い方は、相変わらずだいぶ雑だな」
「えっ、ちょっと、いま褒められてる流れじゃなかった?」
「褒めてるよ。半分くらいは」
「半分しか褒めてないじゃん!」
そのやり取りに、少しだけ肩の力が抜けた。
それが兄妹のいつもの呼吸なのだろう。
僕には、多分、ああいうものが少しだけ眩しい。
ブライアントは、そんな妹の勢いをそのまま受け流しながら、僕へ向き直る。
「でも、言ってることは合ってる」
その声は、さっきより低くて、ずっと静かだった。
「グィルディが何を知ってようが、お前が何でできてようが、少なくともいま俺が見てきた弓良は、お前が自分で選んで動いてる」
「……自分で」
「ナウーピで白兎族を助けたのも、ナルディアを見捨てなかったのも、さっき光輪を使ったのも、全部そうだ。誰かに言われたからじゃない。君自身で選んでいる」
その言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ熱くなる。
選んでいる。
たしかに、そうだ。
内側に何か古い機能があるかもしれない。
巡洋艦『青葉』と異常なほど相性がいいのかもしれない。
神子という立場そのものが、最初から何かを要求してくるのかもしれない。
それでも、少なくともいままでの行動は、僕が“そうしたい”と思ってやったことだった。
ジェプラも、そこで静かに口を開いた。
『白兎族にとっても、弓良殿は、もう“ただの伝承の器”ではありません』
その言葉には、真面目な重みがあった。
『神殿にとって神子であることは確かです。ですが、それだけではありません。ナウーピへ来て、私たちと話し、悩み、笑い、怒り、助けてくださった方です。たとえ古い神話の上で、どのような位置づけがあったとしても、それだけで今の弓良殿を決めるべきではないと、私は思います』
僕は、ジェプラを見た。
彼女の忠義は、白兎族に向いている。
でも、それだけではなく、今は、僕個人へも好意が向けられている。
そのことが、ひどく、ありがたかった。
ギラは、少し離れたところで翼をたたんだまま言った。
『神殿筋の連中の中にも、これから弓良はんを“立場”として見る者は、増えますやろ』
「うん」
『せやけど、その中で、あんさん自身がどう振る舞うかは、まだあんさんが選べます』
それは、慰めではなかった。
現実的な話だった。
僕は、これからもう、ただの機怪人形ではいられないだろう。
神子として見られ、光輪を使う者として見られ、『青葉』の主として見られる筈だ。
そうだとしても、自分がどこに立つかは、自分で示し続けるしかない。
***
その時、アラージからの回線が再び入った。
表示に現れた狐族の独立魔女は、さっきと変わらず無駄のない顔をしていた。
けれど、どこか、処理の第一段階が終わった後の空気をまとっている。
『グィルディ本人の身柄を確保しました』
その一言で、制御区画の空気が少しだけ動く。
ナルディアが反射的に前へ出る。
「ほんとに?」
アラージは短く頷いた。
『はい。私設軍艦隊、商会本部中枢区画、主要補助拠点、いずれも押さえています。残るは周辺協力者の洗い出しと、押収帳簿との照合作業です』
つまり、ガナドラでのグィルディは、これで実質的に終わったということだ。
市場で出会った派手な大商人は、もう舞台の中央にはいない。
ブライアントが、静かに言う。
「助かった」
『礼は不要です』
アラージはいつものようにそっけなく返した。
『神殿監察部として必要な執行をしただけです』
その“必要な執行”の中に、あの狐族コンパニオンの顔が含まれていたのだから、ギャップがひどい。
ナルディアも、まだ少し信じきれていないようで、ちらちらとアラージを見ている。
アラージは、そんなこちらの感情を脇へ置いたまま続けた。
『ただし、神子弓良、青葉、ブライアント・ウォルデック、ナルディア・ウォルデック、白兎族のジェプラ、ラギ・ギラ。あなた方は引き続き事情聴取および記録照合の対象です』
「やっぱり、事情聴取、あるんだ……」
ナルディアが顔を顰めた。
僕も内心では同じ気持ちだった。
助けられたらそれで終わり、というわけにはいかない。
僕たちは、被害者であると同時に、かなり派手に動いた当事者でもある。
アラージは、その空気も気にせず続けた。
『あります』
アラージは、即答した。
『この件は、ガナドラ単体の問題では終わりません』
「……黒狼族とガラXFIザAの関係ですか?」
ブライアントが問うと、アラージは頷いた。
『それも含みます。また、神子弓良の力の行使についても、監察部として整理が必要です』
その言葉に、制御区画の空気がまた少しだけ硬くなる。
光輪――やはり、そこは、避けて通れない。
『本件は、単なるガナドラ内の商業犯罪で終わりません。いずれも広域案件です』
その説明に、誰も反論しなかった。
できない、という方が正しいかもしれない。
さっきまでの問いは、グィルディの言葉が残したものだった。
でも、その問いそのものを、今度は監察部が正式に引き取る形になるのだろう。
『したがって』
アラージは少しだけ間を置いて言った。
『あなた方には、オッコクへ同行してもらいます』
その名前に、ジェプラがぴくりと反応する。
ギラも、今度は軽口を挟まなかった。
オッコク。
その名前に、ジェプラがぴくりと反応した。
ギラも少しだけ羽を動かす。
ナルディアは、きょとんとした顔になる。
「どこ、それ?」
彼女が聞くと、ギラが短く答えた。
『狐族の惑星ですわ。神殿監察部の本部ですな』
つまり、ガナドラよりもさらに“中枢”だ。
僕は、アラージを見た。
「事情聴取のため?」
『それだけではありません』
狐族の独立魔女は、少しも目を逸らさずに言った。
『グィルディの言葉が残した疑問も含め、あなた方は、より深い領域の案件に踏み込みました。オッコクで整理します』
神子は誰のものか、僕は何なのか、なぜ『青葉』とこれほど噛み合うのか――。
そして、なぜ光輪が使えるのか――。
そういう問いを、“ちゃんとした場所”で、ちゃんとした権威が扱うのだ。
それはたぶん、逃げられないということでもある。
ギラが、小さく口笛みたいな音を鳴らす。
『ずいぶん大きな舞台に上がりましたなあ』
「他人事みたいに言わないでよ」
僕が、言うと、ギラは肩をすくめた。
『わても呼ばれてますやろ』
それは、そうだった。
アラージは最後に言った。
『移動猶予は短く取ります。ガナドラでの後処理は監察部が引き継ぎます。準備ができ次第、同行してください』
「拒否したら?」
僕が聞くと、アラージは一瞬だけ目を細めた。
『完全にはできません』
すごく正直だった。
でも、そういうところは嫌いではない。
変に“協力をお願いします”と柔らかく包まれるより、ずっと判りやすい。
「……分かりました」
『結構です』
回線が切れた。
***
しばらく、誰も何も言わなかった。
ナルディアは助け出した。
帳簿も押さえ、グィルディは捕らえられた。私設軍も、止めた。
なのに、終わった感じがほとんどない。むしろ、もっと大きい何かの入口へ来てしまった感覚の方が強い。
ナルディアが、ようやく小さく言う。
「……オッコク、絶対めんどくさいよね?」
その一言に、思わず少しだけ笑ってしまった。
「たぶん……」
「兄さんもそう思う?」
「ああ」
ブライアントは短く答える。
「でも、行かないという選択肢も現実的じゃない」
「だよねえ」
ナルディアは、あっさり認めた。
こういう切り替えの速さは、やっぱり強いと思う。
ジェプラは、まだ少し緊張した顔だった。
『狐族の本拠に行くのですね……』
「知ってるの?」
僕が、聞くと、彼女は頷いた。
『白兎族から見ても、狐族は古い部族です。政治も、神殿運営も、白兎族よりずっと複雑です』
それは、あまり気楽な説明ではない。
『狐族の神殿の影響圏は、白兎族よりもずっと規律が厳しいと聞いています』
「つまり、息苦しい?」
ナルディアが聞くと、ジェプラは少し考えてから答えた。
『……たぶん、はい』
「うわ」
短いやり取りなのに、すごく伝わる。
ギラが、翼をすくめる。
『まあ、ガナドラより秩序はありますわ』
「それ、ぜんぜん安心材料に聞こえない」
僕が言うと、ギラは苦笑した。
『せやね』
彼は、あっさり言った。
『市場みたいに雑には流せへん、っちゅうことです』
それもまた、今の僕にはかなり重い。
ナヴーピでは神殿の静けさの中で守られた。
ガナドラでは市場の雑多さの中で揉まれた。
次は、もっと“中枢”へ行く。
それはたぶん、逃げ場の少ない場所でもある。
***
その後、少しだけ人が散ったあとで、ブライアントが僕のそばへ来た。
「弓良」
「うん?」
「グィルディの言葉、気にするなとは言わない」
「言わないんだ」
「無理だろ」
彼は、苦笑した。
「俺だって気になる。あいつが知ったかぶりで刺しに来ただけなのか、本当に何か知ってたのか、そのへんも含めてな」
「うん」
「でも、それでお前が急に“向こう側のもの”になるわけじゃない。お前がどっちに立つかは、お前が選ぶんだ」
その言い方が、ひどく静かで、そして強かった。
「……ありがとう」
そう言うと、ブライアントは肩をすくめた。
「礼を言われるほどのことは言ってない」
「わりと大事なこと言ってるよ」
そのやり取りを、少し離れた位置で聞いていたナルディアが、じっとこちらを見た。
そして、少しだけ意地悪そうに言う。
「兄さん、なんか弓良には優しいよね」
「は?」
ブライアントが、珍しく間の抜けた声を出す。
「いや、別に普通だろ?」
「普通じゃないって! あたしには、もっとこう、“動け”とか“あとで話す”とか、そういう雑な言い方するくせに」
「お前は、先に動くからだ」
「褒めてないよね、それ!」
その兄妹のやり取りに、僕は、また少しだけ笑ってしまう。
重い問いは消えていない。
でも、少なくとも、いまここにいる僕は、この人たちのいる場所に立っている。
その事実だけは、はっきりしていた。
青葉は、そのあいだ何も言わなかった。
ただ、僕が制御席から完全に意識を外したあとで、静かにひとつだけ告げる。
『オッコク行きの航路候補を整理します』
「うん」
『移動までに、艦内再点検と補給が必要です』
「分かっている」
少しの間のあとで、青葉は、さらに小さく続けた。
『……弓良』
「なに」
『本艦は、あなたの判断に従います』
その一言が、胸の奥へ静かに落ちた。
機怪人形――神子――光輪。
そういう大きな名前が外から積み上がっても、少なくとも青葉は、いまここで僕を“弓良”として扱っている。
「ありがとう、青葉」
『当然です』
その当然が、少しだけうれしかった。
すると、青葉が、少し間を置いて、言葉を告げた。
『機怪人形は、通常の意味でのメカニクスでできたアンドロイドではありません。分子機械の集合体です』
「ん?」
『その分子機械も、〈先住者〉テクノロジーの最終段階のものです。通常の物質だけでできている訳ではありません』
「シャドーマター?」
『はい。更に、それ以外のエキゾチック物質も含まれています。あなたの意志により、どんな姿にでもなれる可能性があります』
「それって、元の僕――天河 弓良にも?」
『あくまでも、情報を精査した可能性です。まだ、何故、現状で人類の女性型をしているのは、分かっていません』
「そっか……」
じっと、手をまた見てみる。
「うーん、別に、変形とかできなさそうだよ?」
『肯定します。そのような知識層は、確認できませんでした』
「なるほど……じゃあ、グィルディは、どんな文脈で言っていたんだろうね?」
『分かりません。情報が不足しています』
僕は、頷いた。
このガナドラでも、また、色々な謎が増えた。
神子は、誰のものか。
僕は、何なのか。
それでも、なお、僕はどこへ立つのか。
その答えは、たぶんオッコクで、もっと深いところまで問われることになる。




