第四十章 ラギ・ギラは笑っている
僕らは、ギラと神殿監察部と共に、グィルディ商会の「ガサ入れ」に協力することになった。
ラギ・ギラという鳥人間型の異星人は、見た目だけなら陽気だった。
大きな黄色い羽、よく動く丸い目――くちばしの端が少し上がっていて、放っておいても笑っているように見える顔つき。
しかも、喋り方まで軽い。
でも、その軽さの下にあるものは、思っていたよりずっと硬かった。
裏を取ってからの彼は、少なくとも僕たちの前では、ふざけるだけの相手ではなくなっていた。
『……裏帳簿が取れたら、一気に捜査入る算段になっとる』
ギラは、ラウンジ区画の壁際へ立ったまま、羽の先で端末の空中表示を開いた。
『ほな、手短に詰めましょか』
そこに、娯楽ステーションの簡易見取り図が浮かんだ。
観客席、試合場、舞台裏の通路、控室群、管理室、搬送路――。
それから、商会側の関係者しか使わない赤い経路があった。
「ちゃんと分かれてるんだね」
僕が言うと、ギラが笑った。
『そらそうですわ。雑多に見える場所ほど、金と責任の線引きだけはきっちりしてます』
「責任?」
『何か起きた時に、誰のせいやと言えるようにするためですわ』
嫌な話だった。
でも、いかにもありそうでもある。
ブライアントは表示を睨みながら言う。
「裏帳簿があるとしたら、管理室か、その近くの内部端末か」
『可能性は高いですな』
ギラは、頷いた。
『せやけど、裏帳簿いうても紙やない。商会側の閉鎖系にあるはずですわ。せやから、ただ忍び込むだけやのうて、開かせる時間がいる』
「その時間を、こっちが作る」
ブライアントがそう言うと、ギラは羽を軽く打ち鳴らした。
『話が早いのは助かりますなあ』
ジェプラが、慎重に口を開く。
『グィルディ商会は、こちらが何か動くと予想しているのではありませんか』
『してるでしょうな』
ギラは、あっさり認めた。
『そやから、真正面から“捜査です”言うて入っても、まず綺麗な帳面しか出てけえへん。今ほしいんは、消される前の生の証拠ですわ』
その言い方には、慣れがあった。
こういうことを、何度もやってきたのだろう。
僕は、浮かんだ見取り図の赤い経路を見つめた。
「僕たちは、さっきと同じように客席へ戻って、ただ見ていればいいの?」
『そうです』
ギラは、羽の先で客席エリアを示した。
「神子はんが客席に戻ると、警備は絶対そっちに寄る。しかも、連れが白兎族のお嬢さんと、ぬいぐるみ型の護衛やろ? 絵として目立ちすぎます」
『ぬいぐるみでは、ない』
太郎が即座に言った。
「重要なとこで、毎回、否定しないで」
『重要だからだ』
太郎は、当然のように言い返す。
ギラは、吹き出した。
『ええやないですか、かわいくて』
『かわいいは補助要素であり、本質ではない』
『その主張、今日いちばん強いですな』
その軽口で空気が少し緩んだのは助かった。
正直に言えば、僕は緊張していたのだ。
囮になること自体はいい。
あの子、ナルディアを助けるためなら、それくらいは、やる。
でも、自分が“神子”として目立つことを利用するのは、どうにも落ち着かない。
ナヴーピでは、拝まれること自体に居心地の悪さがあったけど、ガナドラでは、それがもっと別の意味を持つのだ。
……信仰だけではなく、商売と警戒と欲望の視線が混じる。
ジェプラの方は、まだ少しだけ不安そうだった。
『本当に、弓良殿が客席へ戻る必要があるのでしょうか?』
『ありますな』
ギラは真面目に答えた。
『神子はんが戻るだけで、警備の目線がずれる。あんさんらは、“珍しい客”であると同時に、“扱いを間違えると面倒な客”でもある。そこが効くんですわ』
「全然、嬉しくない役割だなあ……」
僕が、そう言うと、ギラは嘴の端を上げた。
『そういう役を、ちゃんと嫌がりながら引き受けられる人が、一番向いてるんです』
「それも、あんまり嬉しくない褒め方だ」
ブライアントが、そこで僕を見た。
「嫌なら、ちゃんと言うんだ」
「嫌だけど、やるよ」
そう返すと、彼は少しだけ目を細めた。
「そう言うと思った」
「なんか、それも癪だな」
「お前がそういうヤツだって、だいぶ分かってきた」
その言い方には、少しだけ兄貴分らしい温度があった。
その温度があるからこそ、なおさらナルディアのことを放っておけないのだろう。
ブライアントが小さく笑った。
「だが、たぶん間違ってない」
その言い方に、少しだけむっとする。
でも、ここで役に立てるなら、それでいいとも思う。
「……了解」
僕は、小さく言った。
「やる。ただし、雑に扱われるのは嫌だからね」
『そらもちろん』
ギラは即答する。
『雑に扱われるんは、わてらも困りますわ』
「信用していいのかな、その言い方?」
『現場では、だいたいそんなもんです』
その開き直りが、変に本物っぽい。
ブライアントは、そこで椅子からゆっくり立ち上がった。
「じゃあ、俺はギラと一緒に動く」
「兄さん役、放棄だ」
ついそんな言葉が漏れてしまう。すると、ブライアントは少しだけ眉を上げた。
「役じゃない」
「分かってるよ」
「ナルディアを引きずり出すなら、いまは証拠がいる」
その声は低かった。
でも、迷いはない。
ギラが、空中表示を出しながら簡単な経路を示す。
『次の試合が始まる前に、わてとブライアントは裏へ回る。ルゴルが内側から楽屋と管理導線のタイミングをずらす。神子はんとお連れさんは客席へ戻る。警備がそっちを警戒してるあいだに、こっちは証拠を取る』
ギラが、簡潔に役割分担をまとめた。
僕、ジェプラ、太郎は、次の試合の観客として客席へ戻る。
神子がまた観戦に来た、という絵を作るのが目的だ。
警備はどうしてもそこへ注意を割く。
ブライアントは、ギラと一緒に裏側へ回る。
人類圏側の視点が必要なのと、ナルディア関連の情報が出た時に判断が早いからだという。
その理屈はもっともだったが、僕としてはちょっとだけ不安でもあった。
ルゴルは、内側から動く。
楽屋側の人間として、管理区画への人の流れを少しだけ乱す役目らしい。
ジェプラが、表情を引き締めたまま尋ねる。
『失敗した場合は?』
ギラは、少しだけ困ったような顔をした。
『走るしかないですな』
僕は、思わず顔をしかめた。
「やっぱりそこ雑なんだ」
『最終的には、だいたい現場がなんとかするもんですわ』
「その“なんとか”をするのが、だいたい僕たちなんだよなあ」
そう言うと、ギラが羽をぱたぱた振った。
『そこは、神子はんに期待してます』
「期待の仕方が重い」
ブライアントが小さく笑った。
「諦めろ。今回はそういう役回りだ」
ジェプラは、まだ完全には納得していない顔だったが、それでも頷いた。
『私は、弓良殿のそばを離れません』
「うん」
『客席でも、できる範囲で警戒します』
その真面目さは頼もしい。
ただ同時に、彼女は本来こういう汚れ仕事に向いている性格ではないとも思う。
ナヴーピの白兎族の神殿で育った見習い神官が、ガナドラの怪しい娯楽ステーションで囮作戦に付き合っている。改めて考えると、だいぶ変な話だ。
「太郎は?」
『護衛や』
ギラが迷わず答える。
『ぬいぐるみやけど』
『ぬいぐるみではない』
太郎が即座に返して、ジェプラが小さくため息をついた。
『いま、その訂正は本当に必要ですか?』
『必要だ。太郎も護衛する』
「うん、頼りにしてる」
『当然』
そのやり取りに、少しだけ空気がゆるむ。
でも、腹の底の緊張は解けない。
ここから先は、たぶん戻れない。
ナルディアの話を聞いた時点で、もうそうなりかけていた。
そして、今、ギラと組むと決めたことで、その流れは、はっきりした。
グィルディ商会の黒い部分を押さえて、ナルディアを救い出す、アーマッドたちの線も拾う――そういう意味では、これ以上なく正しい方向へ進んでいると思った。
ただし、たぶん騒ぎは大きくなる。
ギラが、少しだけ真面目な顔になった。
『ひとつだけ、先に言うときます』
その声音で、全員が自然とそちらを見る。
『グィルディは、たぶん、ただの悪徳商人やおまへん』
ブライアントが低く問う。
「どこまで見てる?」
『まだ断定はできへん。でも、人身売買まがい、違法債務、流通不明品、このへんはたぶんある。で、さっきの地球娘の話まで入れると、黒狼族や別筋の異星人勢力と、どこかで繋がっててもおかしない』
その推測は、僕たちが話し合っていたことだった。
でも、探索人組合と神殿監察部の側から同じ話が出ると、重みが変わる。
『だから、これは、ナルディアはん一人の話だけやないんですわ』
「それは、確認した。ナルディアの船は、ガラXFIザAにやられた。そして、ナルディアは、黒狼族に引き渡されて、売られた」
ブライアントが告げる。すると、ナルディアが、こくこくと頷いた。
『なるほど、せやったんか。後で、神殿監察部に、同じ話をお願いします』
ギラは、頷いて、続けた。
『ここで引っ張れたら、全部まとめて、一気に崩せるかもしれへん』
つまり、単なる身内救出では終わらない。
グィルディ商会そのものと、他の黒い勢力へ食い込める可能性がある。
ブライアントが、ゆっくり頷いた。
「了解した」
『ほんで』
ギラは、今度は少しだけ笑みを戻す。
『逆に言うと、相手も必死です。神子はん見て、うわー珍しいなあ、で終わる連中ばっかりやない』
それは、さっきの会場で十分、分かっていた。
客席へ戻れば、嫌でも目立つ。
「やっぱり、嫌な役だな」
僕が率直に言うと、ギラがぱちんと片目をつむった。
『神子はん』
「なに?」
『次の試合、ちゃんと見ててくださいや』
「それは、分かっています」
『見てるだけでええんです。見られてるだけで、向こうは勝手に警戒します』
その言い方に、また少しだけ嫌な感じがした。
神子であり、珍しい客であり、機怪人形であること――それら全部を、今は、囮として使う。
でも、ここで尻込みするわけにもいかなかった。
「……行こう」
僕がそう言うと、ジェプラが静かに頷く。
太郎は短く『護衛する』と言った。
ブライアントはギラと一緒に、もう一度だけルートを確認している。
ショー会場のほうから、次のアナウンスが遠く響いてきた。
酒と喧騒に包まれた娯楽ステーションの夜は、まだ終わらない。
でも、僕たちの中では、さっきまでの“見物”の時間は、もう完全に終わっていた。
***
ショー会場へ戻る通路は、さっきより少し長く感じた。
僕、ジェプラ、太郎の三人だけで歩いているからかもしれない。
ブライアントとギラは、途中の分岐で別れた。
その時、ブライアントは短く「無理するな」とだけ言った。
それだけの言葉なのに、妙に耳に残る。
客席が近づくにつれて、また熱気が戻ってくる。
歓声――ざわめき――賭け札の音――派手なアナウンス。
僕は、それを聞きながら少しだけ肩の力を抜こうとした。
緊張しすぎると逆に目立つ。
囮になるなら、自然に見えたほうがいい。
『弓良殿』
ジェプラが、小声で呼んだ。
「うん?」
『もし、何かあれば、私は白兎族の名で押します』
「押すって?」
『この場で、どれほど通じるかは分かりません。ですが、何もないよりはましです』
その言い方が真っ直ぐで、僕は少しだけ笑ってしまった。
「ありがとう」
『はい』
太郎は、いつになく真面目だった。
『太郎は、飛びつく』
「そこは、最終手段にして」
『わかった』
たぶん半分くらいしかわかっていない。
それでも、二人がいるだけで少し心強かった。
会場へ入ると、さっき座っていたあたりの席へ自然に案内された。
エキゾチックパスの効力なのか、警備側も僕たちを“上客”として扱わざるを得ないらしい。
そこが、この作戦の一番いやらしいところだ。神子であること、珍しい客であること、それ自体が囮として機能してしまう。
そして、さっきまでと同じような場所なのに、空気が少し違って感じられた。
照明は派手だし、歓声も大きい。
賭け札を握る客の熱も、酒場の喧騒も、さっきと同じように濃い。
でも、今の僕には、それがただの賑やかさには見えない。
人を隠すための騒音であり、視線を逸らすための色でもある気がした。
席に着くと、周囲の何人かがやはりこちらを見た。
明らかに、さっきより視線が多かった。
神子、白兎族の後ろ盾を持つ客、ニュースに出ていた機怪人形――といった噂が、既にこの会場にも流れているのだろう。
僕は、なるべく普通の顔をして座った。
普通の顔って何だろう、と少し思ったけれど、考えないことにした。
隣には、またあの黄色い鳥人間――ギラではない、別の鳥人間が座っていた。ラギという種族は、やはりこのあたりでは珍しくないのだろう。
舞台の照明が、また切り替わる。
次の試合が始まるらしい。
その時だった。
僕の視界の端で、通路側にいた青獅子族の警備が、こちらを見て何か短くやり取りした。
その視線の質が、さっきまでとは少し違う。
観客を見る目ではない。
対象を見る目だ。
僕は、ほんの少しだけ背筋を冷たくした。
ギラたちが動き始めたのか。
それとも、もうこちらの仕掛けが読まれたのか。
たぶん、答えが出るまで、そう時間はかからない。
***
「……落ち着かないな」
席へ腰を下ろしながら、僕は小さく呟いた。
「はい」
ジェプラも正直に頷く。
『この場に座っているだけ、というのが、逆に難しいです』
「そうだね」
僕は前方のリングを見た。
まだ別の試合が進んでいる。
大猫狸族と、四本腕の異星人が、かなり大味な殴り合いをしていて、客席はそれなりに沸いている。
ちょっと前までだったら、僕はまた“地球の格闘技よりちょっとぬるいな”とか思いながら眺めていたはずだ。
でも、今は、まったくそんな余裕がない。
僕がここへ戻ってきた意味は一つだ。
見られること。
警備に“神子がまだ客席にいる”と思わせること。
それ自体が囮になる。
太郎が、座席の上で小さく姿勢を変えた。
『周囲を見ている』
「うん」
『まだ近寄ってくる者はいない』
「まだ、ね」
『まだだ』
その言い方に、妙に実感がこもっていた。
僕はなるべく自然な顔をして前を見た。
自然な顔、というのも妙な話だ。
さっきナルディアが出てきた場所をもう一度見て、平然としていろというのだから。
でも、平然としていなければ、向こうに“警戒しています”と知らせるようなものだ。
ジェプラが、少しだけ身を寄せてくる。
『弓良殿』
「うん?」
『先ほども申しましたが、もし、何かあったら、私は白兎族の名を使います』
「たぶん揉めるよ」
『それでもです』
彼女は真面目な顔のまま言った。
『私は随行者です。神子弓良殿が、娯楽ステーションで一方的に拘束されるのを見過ごせません』
その言葉は、ありがたかった。
ジェプラは、こういう裏の汚い空気に慣れているタイプではない。
それでも、ここで引かないと言ってくれる。
「ありがとう」
『はい』
そのやり取りのあと、ほんの数十秒だけ、妙に長い静かな時間があった。
客席そのものは、静かではない。
試合は進み、歓声も飛び、酒の注文も飛び交っている。
なのに、僕たちの周囲だけが、何かが来るのを待つ空間みたいに感じられた。
そして、その予感は当たった。
***
最初に気づいたのは、通路側の動きだった。
青獅子族の警備員たちの視線が、観客席のこちらへ固定されていくのが分かった。
最初は一人だけだった。
その男が、少し離れた位置にいた別の警備員へ短く合図を送る。
でも、その男が短く何かを告げると、少し離れた位置にいた別の警備員まで、同じようにこちらへ目を向ける。
視線の熱が違う。客を見る目ではない。狙いを定める前の、確認の目だ。
僕は、肘掛けへ置いた手に少しだけ力を入れた。
「ジェプラ」
『はい』
「たぶん、くる」
僕が小さく言うと、太郎がすぐに反応した。
『三方向』
ジェプラが息を呑む。
『囲い込みですか』
「たぶん」
彼女はすぐに頷いた。
真面目な顔のまま、でも怯えた様子はない。ただ、耳の角度がわずかに変わる。警戒の姿勢だ。
その時点で、もう客のふりはほぼ終わっていた。
中央リングの試合は続いている。
でも、僕の意識はほとんどそこへ行っていない。
視界の端で、青獅子族の警備がじわじわと間合いを詰めてくる。
酒場の用心棒ではなく、商会直属の警備だ。
「太郎」
『見ている』
「飛びつくのは、ほんとに最後ね」
「……善処する」
その返答は、半分くらいしか信用できなかった。
舞台の中央では、次の試合の紹介が始まっていた。
歓声が起き、音楽が大きくなる。
その騒音に紛れるように、青獅子族の警備員が三人、客席通路へ入ってくる。
彼らは一応、目立たないように動いているつもりらしかった。
でも、こっちは最初から見ている。
しかも、その動き方が客を気にする警備のそれではなく、対象を囲うための動きなのだから、分かってしまえば隠しようがない。
僕は、なるべく普通の観客を装いながら、視線だけを少し動かした。
左から一人。
通路の上側から二人。
完全な包囲というほどではないが、まず逃がさない配置だ。
「……ギラたち、見つかったかも」
小さくそう言うと、ジェプラが息を詰めた。
『では』
「まだ動かない」
ここで早く立ち上がれば、逆に“何かあります”と宣言するようなものだ。
だったら、向こうに先手を切らせたほうがいい。
少なくとも、いま客席には他の観客も大勢いる。完全に乱暴なやり方は取りづらいはずだ。
その時、耳元で青葉の声がした。
『弓良』
「うん」
『商会内部ネットワークに急激な負荷変動を確認しました。ラギ・ギラとブライアントが、管理層への侵入を発覚された可能性が高いです』
「やっぱり」
『会場側でも警備再配置が始まっています。拘束準備と見ます』
それだけ聞けば十分だった。
僕たちの席のすぐ横へ、青獅子族の警備員が一人立った。
体格はがっしりしていて、腰には銃のように見える武器がある。
表向きは礼儀正しい顔をしているが、目は完全に仕事の目だ。
『失礼』
低い声でそう言った。
『お客様に、少々確認したいことがございます』
「ここで?」
『はい』
その時点で、周囲の観客の何人かがざわめき始めていた。
神子らしい客が、突然、商会警備に囲まれているのだ。
気づかないほうがおかしい。
僕は、あえて首をかしげた。
「何の確認ですか?」
警備員は、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。
つまり、本当はここで丁寧に説明したくないのだろう。
『商会管理区域への不正侵入が発生しました。その件について、事情を伺います』
会場の空気が、そこで少しだけ変わった。
僕は、その瞬間、向こうが“客席で静かに連れ出す”段階を越えたのだと理解した。
不正侵入。
そう口にした時点で、もうこちらを“上客”としてだけ扱うつもりはない。
「僕たちが?」
『事情聴取です』
別の警備員が後ろから言う。
だが、その言い方は、事情聴取だけで済ませる気がないと言っているような感じだった。
最初の警備員が、諭すように言った。
『関係者と判断されていますので』
その言い方が、いかにも向こうらしかった。
まだ“逮捕”とは言わない。
でも、連れていくつもりであることは、はっきり見えている。
ジェプラが立ち上がった。
『白兎族の神子弓良殿です。正式な説明と権限提示を求めます』
彼女の声は震えていなかった。
小柄な白兎族の見習い神官が、青獅子族の警備員を相手に一歩も引かずに言い返す。
さっきもそうだったが、ジェプラはこういう時に思ったより強い。
白兎族の神殿圏で育った見習い神官の真面目さが、そのまま“正面から押し返す力”になっている。
だが、警備員は引かない。
『白兎族の名は承知しています。ですが、ここはグィルディ商会の管理区画です』
それだけで、近くにいた何人かの観客がさらにこちらを見た。
警備員の片方が、僅かに顔をしかめた。
『白兎族の方にも、後ほど連絡は……』
『後ほど、では遅いのです』
ジェプラは食い下がった。
『神子弓良殿に手を触れるのであれば、この場で理由と権限を示してください』
その言い方には、ナヴーピで見てきた神殿側の正式な物腰があった。
僕は、少しだけ驚いた。
ジェプラは真面目で、言い合いはしても、こういう押し返しを表でやるタイプではないと思っていた。でも、いざとなると、白兎族の案内役として前へ出るのだ。
青獅子族の警備員は、それでさらに困った顔になった。
困るはずだ。
客席で、周囲の目がある中で、白兎族の名まで持ち出される。
たぶん想定より少し面倒な展開になっているのだろう。
『協力を』
警備員の声が、少しだけ硬くなった。
それと同時に、後ろから別の警備員たちも近づいてくる。
完全に囲い込む気だ。
太郎が、低く言った。
『飛びつくか』
「まだ待って」
『嫌な顔をしている』
「そりゃするよ」
僕は、席からゆっくり立ち上がった。
ここでいきなり動けば、観客の悲鳴で一気に混乱が広がる。
それを利用する手もあるだろうが、まだ向こうに先手を切らせたほうがいい。
青獅子族の警備員が、僕の腕を取ろうと手を伸ばした。
その瞬間だった。
会場の上方で、突然、照明が一度だけ強く明滅した。
ざわ、と観客席が揺れる。
舞台上の演出ではない。
明らかに系統側の異常だ。
その次の瞬間、遠くの通路のほうで短い悲鳴が上がった。




