第三十八章 ナルディアは檻の中
ナルディアだ、とブライアントが叫んだ瞬間、会場の空気がほんの一拍だけずれた気がした。
もちろん、観客の大半はそんなこと気にしていない。
格闘ショーを見に来た連中にとっては、今から始まる試合のほうがよほど大事だ。
それでも、僕の耳には、その一言だけが妙に大きく残った。
ナルディア――。
試合場へ出てきた少女は、確かに、ブライアントにどこか似ていた。
顔立ちの系統が近い、というだけではない。
立ち姿の芯の強さとか、ちょっとした瞬間に出る目の鋭さとか、そういうものが似ていた。
でも、僕が、まず感じたのは、それとは少し違う戸惑いだった。
地球人だ。
それも、こんな場所で、舞台の上に“見世物”として立っている地球人だった。
グラブール人の領域では、人類はほとんどいない――敵対しているからだ。
ナヴーピで僕たちが普通に歩けたのは、白兎族が後ろ盾になってくれていたからであって、そのこと自体が、かなり特殊だった。
ガナドラみたいな大市場には、もちろん人類圏から来た人間も、いた可能性はあるのだろうけれど――僕らは、見かけなかった。
そんな状況で、彼女が、ここに“普通にいる”とは、とても言えない。
つまり、ブライアントもナルディアも、この場所では、珍獣か何かみたいなものなのだ。しかも、その珍しさを娯楽として消費される側へ落とされている。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥が酷くざらついた。
隣で、あの黄色い鳥人間型の異星人が、くちばしの奥で何か言った。
『ほう、今日は“野蛮人の娘”が当たり札かもしれへんな』
賭け札らしき板を指でタップして、ひどく気楽そうに。
その後、彼は、羽の隙間から薄い端末を取りだして、何かを操作した。賭けの予測でもしているのだろうか?
僕は、そちらを向きかけて、やめた。
いま怒る相手は、たぶんこの鳥人間ではない。
怒るにしても、まずはナルディアを、ここから引きずり出す方法を考えなければならない。
試合場の中央に、ナルディアの対戦相手が出てきていた。
河馬族だった。
熊と河馬を一緒にしたみたいな、重くて分厚い身体をしている。腕も首も太く、格闘技用の簡易装備がその上へ巻きついていた。
立っているだけで質量がある、と分かるタイプだ。
「……あれとやるの?」
僕が、小さく言うと、ブライアントの顔が明らかに険しくなる。
「やらされているんだろう」
その一言に、怒りが滲んでいた。
「知ってるだろうが、GDCのVR研修には、軍事格闘の訓練も入っている。実務研修時に、身体強化用のナノマシンも導入しているだろうが……」
ナルディアは、試合場の中央まで歩きながら、ほんの一瞬だけこちらを見た。
先程の驚きの表情は、もう消えている。
しかし、意識は、しているようだ。おそらく、兄に気づいていることを顔に出すわけにはいかない、といったことを考えていそうだった。
その反応の早さが、かえって僕を緊張させた。
開始の合図が鳴った。
河馬族の男が、最初から距離を詰めてくる。
重い。
でも、鈍いわけではない。
ああいう体格の相手は、たぶん“当たったら終わり”系だ。
ナルディアは、真正面から受けなかった。
半歩。
さらに斜めへ半歩。
相手の突進の軸をギリギリで外し、組まれそうになったところを、一瞬だけ腰を落として逆に体勢を崩す。
「うまい」
ブライアントが小さく言った。
僕も、そう思った。
しかも、きれいな格闘技というより、実戦寄りだ。
無駄が少なかった。
相手を倒すというより、自分が潰されないための動きが先にあった。
河馬族の男が腕を振り回し、今度は横から押し潰すように来た。
ナルディアは、その一撃をまともには受けず、肩を滑らせるみたいにいなし、そのまま相手の腕へ体重をかけた。
次の瞬間、河馬族の男の巨大な身体が、信じられない角度で浮いた。
投げた。
会場が、一気に沸く。
どよめきと歓声が重なって、まるで舞台を見ていた観客が一斉に賭け札を握り直すような熱が立ち上がる。
隣の黄色い鳥人間が、ばさっと羽を鳴らした。
『おおっ、これはええやん! やるやん、野蛮人の娘!』
その呼び方が、また気に食わなかったが、言っていること自体は間違っていない。
ナルディアは強い。
少なくとも、ただの見世物として殴られて終わるような子じゃなかった。
でも、次の瞬間、僕は、別の意味でぞっとした。
ナルディアが立ち上がった河馬族の男へ追撃を入れようとした、その時だった。
会場の上方で走った細い光が、相手の装備へ流れ込んだ。
瞬間的な補助。
電撃というほど派手ではない。
でも、明らかに“ショーの側”が、相手側へ何かを足している。
「……え?」
僕が、思わず声を漏らすと、ブライアントの目が細くなった。
「やっぱりか」
「何が」
「フェアな試合じゃない」
その言葉どおりだった。
河馬族の男は、次の瞬間に明らかに動きが変わった。
雑だった踏み込みが、少しだけ速く、鋭くなる。
ナルディアも、それに気づいたらしく、ほんの一瞬だけ目つきが変わった。
次の攻防は短かった。
河馬族の男が身体ごと押し込み、ナルディアが捌ききれず、肩口をぶつけられる。
完全な直撃ではない。
でも、軽くはない。
僕は、思わず身を乗り出した。
「っ……!」
ナルディアは、そのまま下がらなかった。
よろけながらも相手の内側へ潜り込み、今度は足を刈るように崩した。
河馬族の男が片膝をついた一瞬に、喉元寸前へ掌を突きつけた。
審判らしきグラブール人が、そこでようやく試合を止めた。
歓声が上がる。
ナルディアが勝ったのだ。
でも、その勝利の熱狂より先に、僕は、舞台袖から出てきた付き人らしき狸族たちが、彼女を素早く囲うのを見た。
扱いが妙だ。
勝者として称えるというより、“商品を奥へ戻す”みたいな動き方だった。
「兄さん!」
場内のざわめきに紛れそうな声で、ナルディアが一瞬だけこちらへ叫んだ。
次の瞬間には、その口元が押さえられるようにして、奥へ連れていかれた。
「行くぞ! 今しかない」
ブライアントは、もう立っていた。
その言い方は、いつもの山師っぽい軽さが完全に消えていた。兄の声だった。
「うん」
僕も、すぐに立つ。
ジェプラと太郎も続いた。
隣の黄色い鳥人間は、きょとんとこちらを見ていたが、その時点では気にしている余裕はなかった。
***
僕たちは、舞台脇へ回り込む通路へ向かった。
VIP席は見晴らしこそよかったが、裏へ出るにはかえって少し距離がある。
廊下は、先程まで見て回っていた娯楽区画よりだいぶ狭く、照明も抑えられている。客を楽しませる表の顔ではなく、演者と裏方が出入りするだけの機能通路なのだろう。壁面の装飾も簡素で、さっきまでの派手な照明の余韻だけが遠くに残っていた。
ところが、控室へ続くらしい分岐で、すぐに狸族の警備員に止められた。
『関係者以外立ち入り禁止やで』
短く太った狸族の男だった。
制服はきちんと揃っていて、腰にはショックガンめいた装備が見える。客席で見かけた警備より、少しだけ露骨に“こっち側”の人間の顔をしていた。
「今、出ていた地球人の女は、俺の家族です」
ブライアントが、間髪入れずに言った。
その言い方が、妙に強かった。
ふざけた兄貴分の調子は一切ない。
本気で怒っている時の声だった。
警備員たちは少し戸惑ったようだったが、それでも首を横に振る。
『そう言われてもなあ。ここはショーの裏方しか通されへん』
「だから、確認だけでも」
『無理や』
即答だった。
こういう対応の速さは、むしろ嫌な感じがする。最初から、何を言われても止めるつもりなのだ。
ジェプラが一歩前へ出た。
『白兎族の随行として――』
『白兎族でも、無理なもんは無理やで、お嬢さん』
その言い方には、最低限の礼儀はある。
でも、通す気はないという線が最初から引かれている。
僕は、その時ふと思い出して、懐からエキゾチックパスを出した。
グィルディが渡した、あの薄い金属板だ。
「これでも?」
そう言って見せると、狸族の警備員の顔が、はっきり変わった。
『……っ』
その反応は、単純な驚きではない。
知っている顔だった。
このパスが何を意味するのかを知っていて、しかも、軽く扱うとまずいと思っている顔だ。
『そ、それは……』
「グィルディ会頭に、貰いました」
僕がそう言うと、狸族の警備員は、露骨に迷った。
もう片方の狸族も、あからさまに顔色を変える。
敬意というより、“まずいものを見た”という反応に近い。
『神子様……』
その言い方に、僕は、少しだけ引っかかった。
ガナドラ星系では、白兎族の神殿ほど露骨に拝まれることは少なかった。
でも、完全に通じないわけでもないのだ。
「通してください」
迷って、それから、かなり困った顔で後ろを振り返り、もう一人の警備員と短く視線を交わす。
『機怪人形様に変に当たって、あとで罰が当たるんも嫌やしなあ……』
その言い方が本音なのか、責任逃れなのかは、微妙だった。
でも、少なくとも“通してしまった方がまだまし”と思う程度には、このパスと僕の立場が効いたらしい。
『すぐやで。揉め事起こしたら困るからな』
「起こさない」
ブライアントが短く言った。
ただ、通れるならそれでよかった。
その声に、警備員たちは、なお少しだけ不安そうだったが、結局、脇へずれた。
僕たちは、急いで奥へ進んだ。
***
楽屋裏の空気は、表の会場よりずっと生々しかった。
汗――消毒めいた薬剤の匂い――安い香油――緊張。
それに、負けた者と勝った者が同じ通路を行き来する時の、微妙に湿った空気があった。
通路の奥へ進むと、いくつかの控室が並んでいた。
その控室の前には、衣装を直す者、怒鳴っている裏方、結果を報告しているらしいスタッフ、賭場の関係者っぽい顔をしたグラブール人までいて、華やかなショーの裏側がむき出しになっていた。
その一角で、ナルディアが河馬族の男と、ひどく焦った様子で話していた。
いや、口調としてはナルディアが一方的にまくしたてていて、河馬族の男のほうが困り顔でそれを受けている感じだった。
さっき舞台で対戦していた相手だった。近くで見るとやはり大きい。河馬族にしては首がやや長く、熊みたいな肩幅をしていて、表情は思ったより粗暴ではない――むしろ“巻き込まれている男”の顔だった。
「だから、いきなりあんな照明入れられたら、タイミング狂うって言ってんの!」
ナルディアが言う。
「俺に言うなって。俺も知らねえよ」
河馬族の男が低く返す。
その言い方に、舞台の上で見せていた“見世物の敵役”らしさはなかった。
そこへ、ブライアントが一歩前へ出た。
「ナルディア」
ナルディアが振り向く。
一瞬で、その顔が変わった。
「兄さん!」
今度は、はっきりした声だった。
次の瞬間には、彼女は駆け寄ってブライアントへ抱きついていた。
その動きが、試合の時の実戦的な鋭さとは全然違って、年相応の女の子らしい勢いだったので、僕は、一瞬だけ反応が遅れた。
ブライアントも、さすがにその瞬間だけは、兄の顔になった。
「ナルディア!」
「兄さん、なんでここにいるの? いや、いるのはよかったけど! え、ちょっと待って、何でガナドラで会ってるのあたしたち?」
早口で、感情がそのまま前へ出る感じの女の子だと思った。
驚きと嬉しさと混乱が、一つも整理されないまま全部声に乗っている、勢いのある口調だった。
ブライアントが以前少し話していた妹像と、たしかに繋がる感じがした。
「それは、こっちの台詞だ」
ブライアントはそう返しながらも、ナルディアの肩をしっかり掴んでいた。
生きているのを確認しているのだろう。
その光景を見て、僕の胸の中に、少しだけ変な感情が湧き上がった。
本物の妹なんだな、と、当たり前のことを思う。
前に話は聞いていた――ナルディアは別の冒険者チームで研修していると。
でも、こうして実際に抱きつかれているところを見ると、兄妹の睦まじさを見せつけられたように感じる。
その時の感情を、僕は、すぐにうまく名前にできなかった。
羨ましい、というのとも少し違う。
でも、胸の奥が、ちくりとしたのは確かだった。
たぶん、僕は、ブライアントのことを、頼もしい兄貴分として、少しだけ特別に見ていたのだと思う。
だから、その“本来の妹”が現れたことで、微妙に自分の立ち位置がずれたような気がしたのだ。
それが嫉妬なのか、何なのかは、自分でもよく分からない。
もともと僕は、男だったし、今は女性型の機怪人形で人外だし――と、気持ちが、あまり整理できない。
ただ、少し複雑だった。
「……いいなあ」
小さくそう思った瞬間、太郎が横で、ぼそっと言う。
『顔に出ている』
「うるさいな」
『事実だ』
ジェプラは僕の横顔を見て、何とも言えない表情をした――慰めるべきか、放っておくべきか、少し迷っている顔だった。
結局、何も言わなかったので、それはそれで助かった。
ブライアントは、ナルディアの肩を軽く掴み、すぐに少し距離を取った。
感動の再会を長くやっている場合ではない、と分かっているのだろう。
ブライアントが言う。
「何があった?」
ナルディアは、その問いへ答える前に、ようやく僕に気づいた。
正確には、僕を見て、ほんの一瞬だけ別の誰かを見た顔をした。
「美優! ……じゃない!」
僕は、思わず瞬きした。
「美優?」
ナルディアは、こっちを指さしかけて、慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめん、びっくりした! 似てるから! いやでも、違う! 全然違う! でも、ちょっとびっくりするじゃん、こう、白っぽくて綺麗で、しかも機怪人形っぽい感じが!」
その慌て方に、少しだけ肩の力が抜ける。
ナルディアは、どうやら興奮すると説明も言い訳も一気に出るタイプらしい。
ブライアントが、そこで、はっとしたように言った。
「美優?」
「うん、美優! っていうか、その話もあるの! ちょっと待って、順番が多い!」
順番が多い、という言い方が妙に切実だった。
その時、僕たちの近くにいた河馬族の男が、気まずそうに身体を揺らした。
さっきまでナルディアと戦っていた相手だ。
近くで見るとやはり大きい。でも、表情はさっきの凶暴な雰囲気とは違って、むしろ“巻き込まれている人”っぽさがあった。
さらにその後ろには、狸族の付き人らしき男たちが、露骨に警戒した顔でこちらを見ている。
「ここだと話しにくい」
ブライアントが低く言うと、ナルディアは、すぐ頷いた。
「そりゃそうだよ! ここ、めちゃくちゃ話しにくい!」
その切り返しに、状況の割に、少しだけ笑いそうになった。
でも、時間はあまりなさそうだった。
付き人たちの視線が、どう見ても穏やかではない。
「手短に話して」
僕が、そう言うと、ナルディアは一回だけ大きく息を吸った。
「シラトリが撃沈された!」
その一言で、場の空気が変わった。
ブライアントの目つきが一気に鋭くなった。
僕も反射的に息を詰め、ジェプラも息を呑む。
太郎が、ぴこん、と短く鳴いた。
「シラトリが?」
「やられた!」
ナルディアは、頷いた。
その顔には怒りと焦りと悔しさが混ざっていた。
「あたし、冒険者チーム・ラシードで研修中だった。そこで美優――機怪人形の女の子に会ってさ。色々あって、美優のことを調べることになって……」
「それで?」
ブライアントが促す。
「チームでグラブール人の影響領域に入って、探査船シラトリで調べてたら、ガラXFIザAの『打擲艦隊』に、やられた」
僕は、その言葉を聞いた瞬間、頭の中でいくつかの線が一気につながる感じがした。
ガラXFIザA――人類と敵対する異星人勢力だ。
そして、ナルディアたちは、グラブール人の領域に、いたという。
「待って」
僕は、尋ねた。
「ガラXFIザAだけ?」
ナルディアは、そこで強く首を振った。
「違う。そこが変だったんだ!」
彼女は、一度だけ息を吸い、それから告げた。
「なぜか、ガラXFIザAとグラブール人が連携していた」
その一言に、僕は、黒狼族のヅゴダと戦った時のことを思い出した。
あの時、ヅゴダは僕を見て、まるで失ったものを前にしたみたいな目をした。そして、“機怪人形は、取り返されたって聞いた”と言っていた。
「そのグラブール人って……黒狼族?」
僕が聞くと、ナルディアは即答した。
「そう。黒狼族だった」
やっぱり、と思った。
黒狼族は、グラブール人の急進派で、ナヴーピで白兎族を脅していた連中――地球人を敵視していた部族だ。
あいつらが、ガラXFIザAと組んでいた。
その情報は、重かった。
――“取り返した”機怪人形というのは、おそらく、その美優という子だろう。
「アーマッドたちは?」
ブライアントの声が、今度は少しだけ硬くなる。
「分からない」
ナルディアは、唇を噛んだ。
「ナルディア?」
「ほんとにわかんないの!」
彼女は、少しだけ声を荒げ、それから息を整えるように続けた。
「リーダーのアーマッドが、戦闘機アエリミアスであたしを脱出させてくれたの。たぶん、あたしだけ先に逃がしたかったんだと思う。でも、その後で、あたしは、グラブール人に捕まった。そこから先は、見てない」
ブライアントは黙っている。
その黙り方が重い。
ナルディアは、その沈黙を埋めるみたいに早口で続けた。
「アーマッド、メカニックの白石源一郎、それから美優。ガラXFIザAに捕まったのか、黒狼族に回されたのか、それとも別のところへ落ちたのか、本当に分からない」
僕は、すぐに青葉へ意識を向けた。
「青葉」
『はい』
「いまの件、白兎族へ問い合わせて。黒狼族の動きも含めて」
『了解しました』
青葉の声は静かだったが、即座に回線処理へ入った気配があった。
『白兎族経由で、黒狼族の最近の異常移動、ガラXFIザAとの接触記録、該当宙域の監視情報を照会します』
「お願い」
そこで、さっきナルディアと話していた河馬族の男が、ぼそっと言った。
「……俺も、黒狼族の名が出るとは思わなかった」
ブライアントが、初めてその男へ視線を向ける。
「お前は誰だ?」
『ルゴル』
河馬族の男は短く答えた。
『今は、ここの選手をやっている』
その“いまは”という言い方が妙に引っかかった。
ナルディアがすぐに補う。
「ルゴルは、相手としてはまだマシな方。さっきも、照明のタイミング狂わされたって話してたの」
ルゴルは嫌そうに鼻を鳴らした。
『俺だって、好きでここにいるわけじゃねえ。ここ、まともな場所じゃねぇからな』
「じゃあ、なんでいるの?」
僕が聞くと、ルゴルは一瞬だけ視線をそらした。
『グィルディの商会に騙されて借金を負った』
その一言で、ナルディアが苛立ったように言う。
「ほら! やっぱりそうなんだって!」
『最初は、運びの仕事だったんだよ』
ルゴルは低く続けた。
『給料はいい、飯も出る、寝床もある。で、ちょっとした違約金が積み重なって、気づいたら借金持ちだ。逃げるより、ここで働いた方が早いって言われて、そのまま試合に回された』
「あたしもそう。あたしは捕まって、そのまま、ここに売られた」
「売られた?」
「うん」
その一言を、ナルディアは、ひどく腹立たしそうに吐き出した。
「グィルディの商会に。借金を背負わされて、返すまでこのショーで戦えって」
僕と太郎が、ほぼ同時に反応した。
「それ、人身売買じゃん!」
『悪い』
太郎が短く言い切る。
「かなり悪い」
僕もそう続けた。
ブライアントも、はっきり憤怒の顔になっていた。
「グィルディ……!」
でも、その怒りをそのまま爆発させる前に、青葉が耳元で冷静に言う。
『注意。ここは、まだ敵側勢力圏です』
そうだった。
怒るのは正しい。
でも、いま怒鳴ってどうにかなる場所ではない。
青葉も、はっきり“敵”と言った。
そう、ナルディアから聞いた状況だけで、そう判断できるだろう。
ブライアントは、声を落として言った。
「人類圏なら、完全に違法だ」
「じゃあ、ここでも違法じゃないの?」
僕が聞くと、ブライアントは苦い顔をした。
「たぶん、グラブール領域では“合法”に寄せてる」
「え?」
「この領域では、人類は人類圏と同じ意味での権利主体じゃない。少なくとも、敵対種族相手ならなおさらだ。債務拘束も、雇用契約も、うまく文面を作れば合法扱いにされるだろうな……」
その答えが、ひどく嫌だった。
ナルディアが、顔をしかめる。
「じゃあ、あたし、ほんとに“商品”扱いされてても、おかしくないってこと?」
「おかしい」
僕は、すぐに言った。言葉に怒りが乗る。
「おかしいけど、向こうの法がそうなってるなら、なおさら厄介だ」
「そうだな……」
ブライアントも、怒っていた。でも、その怒り方はさっきまでとは少し違う。殴り込みたくて仕方ない怒りではなく、ひどく冷えた怒りだ。
青葉も静かに補足する。
『現時点の情報では、その推定が妥当です。グラブール領域における地球人の法的位置は、人類圏内より著しく低いと考えるべきです』
「最悪だな……」
僕が、そう言うと、太郎が横でぼそっと言った。
『だから脱走した方が早い』
「どうやって?」
『理屈として合っている』
「今は、駄目なんだよ」
ルゴルは、そのやり取りを少しだけ面白そうに見ていた。
でも、次の言葉は妙に実務的だった。
『逃げた異星人の話なら、一つある』
全員がそちらを見る。
『前に、仲のよかったダーキッドの男がいた』
「ダーキッド」
僕は思わず繰り返す。
宇宙船荒らしとして『青葉』に侵入してきた連中と同じ種族だ。
「そいつも借金組?」
『似たようなもんだ』
ルゴルは肩をすくめた。
『最初はここでそこそこ人気があった。動きが速いし、客受けもよかった。けど、人気が落ちてきた頃、急にいなくなった』
「逃げたの?」
ナルディアが聞く。
『そう思っていたさ』
ルゴルは、声を落とした。
『でも、俺は見た。人気のなくなった裏通路で、柄の悪い連中に連れていかれるのを』
「柄の悪い連中?」
『黒狼族かまではわからねえ。だが、商会の普通の係じゃなかった』
その言葉が、また嫌な感じだった。
グィルディ商会の中には、単なる借金拘束や見世物以上の流れがあるのかもしれない。人気が落ちた選手や、価値の変わった異星人が、別の場所へ回されている可能性――。
もしそうなら、ナルディアも危うかった。
僕は、思わずルゴルに聞いた。
「他には?」
『それ以上は知らねえ』
彼は、首を振る。
『俺はここで飯食って、戦って、負けすぎないようにしてるだけだ。深いところまで首を突っ込む気はなかった』
その割り切りは、ある意味で生き残るためのものなのだろう。
そこで、さっきの狸族の警備員たちが、もう時間だと言わんばかりにこちらへやってきた。
『はいはい、再会ごっこはそのへんで終わりやで』
口調は、軽かった。
しかし、目は笑っていない。
『次の段取りもありますさかい、客は客席へ戻ってもらわんと困ります』
「まだ話が――」
ブライアントが言いかけると、別の狸族が首を振った。
『それは後で、正式にどうぞ。いまはショーの進行優先や』
その言い方が、余計に腹立たしかった。
「いったん離れた方がいい」
ブライアントが低く言った。
「いや、でも!」
ナルディアが反射的に言い返す。
そこに、勢いのまま突っ込んでいく気質がそのまま出ていた。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? アーマッドたちもどこにいるかわかんないし、あたしここで普通に“商品”扱いされてるし、兄さんまで来ちゃってるし、状況めちゃくちゃなんだけど?」
言っていることは、全部その通りだった。
でも、だからこそ、ここでの立ち話は危険すぎる。
「分かっている」
ブライアントは、今度は、はっきり兄の声で言った。
「だからこそ、ここで全部吐くな」
その一言で、ナルディアはようやく少しだけ息を詰めた。
兄妹なんだな、とまた思う。
こういう瞬間の通じ方が、さっき抱きついた時よりむしろはっきり見えた。
「……っ、分かった」
渋々という顔で、ナルディアが頷く。
「でも、絶対置いてかないでよ」
「置いてかない」
ブライアントは、短く言った。
そのやり取りを見て、僕の胸の奥で、また少しだけ複雑なものが揺れた。
でも、いまはそこへ構っている暇はない。
ナルディア救出――ナルディアの所属するチームの他の人たちの行方――グィルディ商会と黒狼族の線――。
それら全部が、一気に繋がってしまった。
「ナルディア」
僕が、声をかけると、彼女はこっちを見た。
「何?」
「すぐには無理でも、助けるように動く」
そう言うと、ナルディアは一瞬だけ、目を見開いた。
それから、勢いを少しだけ抑えた顔で言う。
「……ありがと」
その“ありがと”は、さっきまでの早口と少し違っていた。
ほんの少しだけ、素直だった。
その瞬間、付き人の狸族たちが、もう時間だと言わんばかりに一歩前へ出た。
ここでの再会は、いったん終わりだ。
でも、もう繋がってしまった。
ここからは、単なる市場探索じゃ済まなくなる。
僕は、そのことを、はっきり理解した。




