第三十六章 願いの星の値段
グィルディの“家”から戻ったあと、『青葉』の中はひどく静かだった。
物理的には、別に何も変わっていない。
ドックに停泊中で、外部警戒は強化済み。
市場で拾った情報は増えたが、イハァトパー機関そのものが見つかったわけではない。
それでも、船内の空気だけが前より少し重くなっている気がした。
理由は、分かっている。
グィルディが持ち出した“願いを叶える星”の話だ。
あれは、多分、ただの甘い餌ではない。
少なくとも、全部が嘘という感じではなかった。
問題は、本当であることと、安全であることは全然別だ、という点にある。
そして、その話が一番、深く刺さったのが、ブライアントだった。
僕は、自分の部屋へ戻ってからも、しばらく、そのことを考えていた。
正直に言えば、少し気になっていたのだ。
帰りのゼカタの中でも、ブライアントは、いつもほど軽口を叩かなかった。
普段なら「グィルディは胡散臭いな」で終わるところを、彼は“危険だと分かっているのに、切れない”顔をしていた。
その理由は、もう分かっている。
ブライアントにとって“願いを叶える星”は、ただの、うさんくさい伝説ではないのだ。
カッシーナ――ウォルデックの風土病で亡くなった幼なじみを復活させるための。
彼が、宇宙へ出て、GDCに所属してまで追い続けている理由でもある。
だからこそ、放っておくと危ない気がした。
僕は、少し迷ってから、ブライアント用に整備された居住区画へ向かった。
ナヴーピを出る前に『青葉』はかなり修復が進んでいて、ブライアント用の与圧区画や食料プラントを含む居住区画も前よりずっと“船の中の部屋”らしくなっている。
宇宙船の客室というより、無骨な小型アパートみたいな感じだ。
ドアの前で少しだけ立ち止まってから、軽く叩く。
「ブライアント」
中から、すぐに声が返ってきた。
「開いてる」
入ると、彼は簡易卓の前に座っていた。照明は落とし気味で、手元にはガナドラの取引網を映した投影が開いていた。
いくつかの商会名、航路、権利取引の断片らしき記録……見ただけで、まともなルートの記録ではないのが分かった。
「……仕事中だった?」
「半分は、ね」
ブライアントはそう言ってから、少しだけ表情をゆるめた。
「どうしたの?」
「ちょっと、気になって」
そう答えると、彼は何も言わず、卓の上の投影を消した。
それだけで、今から話す内容が軽くはないのだと分かった。
「“願いの星”のことかい?」
先にそう言われて、僕は、小さく頷いた。
「うん」
「そうだろうね」
彼は、背もたれへ少し体重を預けた。いつもの気安い兄貴分っぽい顔ではあるのに、その奥に疲れが見えた。
たぶん、グィルディの話が出てからずっと、頭の中で何通りも計算していたのだろう。
「危ない話だってのは、分かっている」
「うん」
「グィルディが、こっちの“困ってるところ”に針を刺しに来たのも分かる。あいつは、最初からそこを狙ってたんだ」
「それでも、無視できない」
「無理だな」
即答だった。
僕は、しばらく何と言えばいいのかわからなかった。
変に慰めるのも違う。軽く流すのは、もっと違う。
だから、結局そのまま聞いた。
「そんなに……なんだね」
曖昧な言い方になったのに、ブライアントは意味をちゃんと受け取ったらしい。
少しだけ息を吐いてから、静かに言った。
「そんなに、だよ」
それは、これまでよりずっと素直な声音だった。
「カッシーナのこと、前にも少し話しただろ」
「うん」
「カッシーナは、幼なじみだった。気づいたら、ずっと近くにいた」
彼は、遠くを見るでもなく、目の前の何かを思い出すように言った。
「ウォルデックは、きれいな星じゃない。少なくとも、人類圏の中心部から見たら、厳しい環境の田舎だ。風土病のことも、誰だって知ってる。けれど、そこで育つと、それが“普通”になる」
僕は、何も言わなかった。
たぶん、ここで変な相槌を打つと、流れが壊れる気がした。
「子どもの頃は、本当に、何でもないことで競っていた。走るとか、採集の手伝いとか、ちょっとした機械いじりとかな。俺は、年上だったから、勝って当然だと思っていたけど、あいつ、変なところで負けず嫌いでさ」
彼は、そこで少しだけ笑った。
その笑いは、今のブライアントの軽口とは少し違った。
もっと昔の記憶の中にだけある笑い方なのかもしれない。
「で、ある年に、急に悪くなった」
「……急に」
「そう見えた、ってだけかもしれない。たぶん、その前から身体の中では進んでたんだろう。でも、分からない。昨日まで普通に笑ってたやつが、数か月で、手の届かないところへ落ちていく」
その言葉が、胸に残った。
病気の描写としてもそうだし、もっと別の意味でも。
昨日まで普通だった自分が、気づけば宇宙で機怪人形になっていた。
そういう飛躍を経験している僕には、“急に手の届かないところへ行く”という感覚が、少し違う方向から刺さった。
「最後のほうで、あいつ、一回だけ言ったんだ」
ブライアントの声が少し低くなる。
「もし、何でも願えるなら、次はもっと遠くへ行きたいって」
僕は、思わず小さく息を止めた。
「遠くへ?」
「そう。ウォルデックの空を越えて、もっと遠く。子どもの頃から、外へ出たいってよく言っていたな。俺より、よっぽど、そういう夢を持ってた」
彼はそこで、ほんの少しだけ口元をゆがめた。
「だからさ。“願いを叶える星”なんて話を聞いて、切れるわけないだろ」
それが、今夜のいちばん本音だった。
危険だと分かっている。
グィルディがそこを突いてきたのも分かっている。
それでも、切れない。
僕は、その言葉をしばらく胸の中で反芻していた。
「……うん」
結局、それしか返せなかった。
「現実問題として、〈先住者〉の“魔法”は、シャドーマターの制御で物理『定数』を、いくらか変更できるようだが、因果律そのものを変更できたという話は、聞かない」
僕は、“知識層”を探ってみた。たしかに――そういう魔法は、なさそうだ。
「うん」
ブライアントは、椅子に座り直して、腕を組んだ。
「ただ、〈先住者〉は、そういった“願望をそのまま叶える”技術に手が届いていた、っていう伝承がある。実際に、俺は、『冒険者』をしている友人から、その手の話を聞いている。だが……」
ブライアントは、こめかみに指を置いた。
「実際に、グラブール人が、そんな“星”を自由に扱えるなら、今頃、とっくに銀河系の覇権を握っているだろう。そうなってない、ってことは、かなりの制限があるはずだ」
「たしかに。グィルディは、イハァトパー機関が、どういう“願い”で手に入れるのか、何も言っていなかった」
ブライアントは、頷いた。
「だが、グラブール人が、種族の規模にしては、高度な武器や技術を持っているのは、確かだ。地球人のように、〈先住者〉技術を大々的に解析して利用しようとしていはいないから、今使える“星”から、何を得ているのか……」
***
少し沈黙が落ちたあとで、ブライアントの方が話題を戻した。
「ただ、勘違いするなよ」
「うん?」
「俺は、明日、グィルディに土下座しに行くつもりはない」
その言い方に、少しだけ肩の力が抜けた。
「そこまでは、思ってなかったけど」
「だったらいい」
彼は、軽く腕を組む。
「“願いを叶える星”の話は追う。でも、あいつの手の内にそのまま飛び込むのは別だ。権利の売買があるなら、他の導線もあるかもしれない。神殿筋、商人筋、監察部、部族間の貸し借り……あの手の話は、一つの口しかない、なんてことはまずない」
それを聞いて、やっぱり、この人はしっかりしているな、と思った。
カッシーナの話をすると、もっと感情に引きずられるのかと思っていた。
しかし、そうではなかった。感情で強く揺れていても、その上で危険を危険として見られているのだ。
たぶん、そこがブライアントの強さなのだ。
「じゃあ、次は?」
「少し休んで、頭を冷やす」
「娯楽ステーション?」
「そういうことになるな」
パスのことを思い出して、僕は、ちょっと微妙な顔になった。
グィルディが“今日は顔見せだ”と言って寄越した券だ。絶対に、ただの遊びではないだろう。
でも、同時に、ガナドラみたいな場所では、そういう“遊びの顔をした社交場”こそ情報が流れるのも事実なのかもしれない。
「正直、あんまり乗り気にならないなあ」
「そうだな」
「怪しいし……」
「それも分かるよ」
そこでブライアントが、少しだけ笑った。
「でも、怪しい場所に情報が落ちてることも、多いさ」
「ガナドラ、そういうの多すぎない?」
「まあな。ここは、そういう場所なんだろう」
その返しに、僕も少しだけ笑った。
***
部屋を出たあと、僕は、そのまま制御区画へ向かった。
青葉と、こっそり話したくなったのだ。
中枢接続席の前まで行くと、青い光がいつもより少し静かに見えた。市場から戻ったばかりで、青葉も外部情報の整理に忙しいのだろう。
「青葉」
『はい』
「ブライアントのこと、どう思う?」
少しだけ間があった。
でも、青葉は、いつものように逃げなかった。
『有能です』
「うん」
『同時に、願望に対して脆いところがあります』
「そこまで言うの……」
『事実です』
青葉の返答は冷たいわけではない。ただ、ひどく正確だ。
『それでも、現時点でブライアントは、感情と判断を分離できています』
「そうだね」
『はい。だからこそ、本件は危険です』
「……どういう意味?」
『ブライアントが完全に理性を失っているなら、切り捨てる判断も可能です。しかし、実際には、十分に警戒しながらも切れない程度に理性的です』
それは、すごく嫌な言い方だった。
でも、多分、正しい。
完全に狂っていたら、その場合は“駄目だ”と言いやすい。
しかし、ブライアントはいま、危険を理解した大人のまま、なお願いの星を追っている。だから厄介なのだ。
「青葉は、“願いを叶える星”の話、どこまで本当だと思う?」
『存在の可能性は高いです』
「そうなの?」
『はい。グラブール人の権利配分と神域管理の仕組みを考えると、“願いの場”に類する制度化された神聖領域があっても不自然ではありません』
つまり、願いそのものが何でも叶うという部分はともかく、少なくとも“そういう場所”が、政治と宗教の中で管理されていること自体はあり得る。
『その“願い”で、実際に、何かが得られるということも有り得ます。ただし』
「うん」
『願いの達成条件、対価、技術的原理、いずれも不明です。伝説を、商人が都合よく誇張している可能性も高いです』
「グィルディらしいね」
『はい』
そこで少しだけ沈黙が落ちた。
僕は、中枢席の前に立ったまま、自分の白い手を見下ろした。
機怪人形の手だ――ナヴーピで光輪まで使ってしまった。
今は、ガナドラ星系で、イハァトパー機関と願いの星と、ブライアントの過去と、その全部の中心へまた引き寄せられようとしている。
「……人って、願いがあると危ないね」
小さくそう言うと、青葉は、すぐに答えなかった。
『願いは、危険です』
やがて、そう返ってくる。
『ですが、願いがあるから前進する者もいます』
「どっちも正しい、か」
『はい』
その言い方は、前にナヴーピの郊外で、白兎族の思想と人類の思想の間で、僕が出した答えに少し似ていた。
危ないけど、否定しきれない。
だから、結局は加減と選び方になる。
――願いの星に近づくなら、どこまでを許して、どこで止まるのか。
ブライアントの願いに付き合うなら、どの線を越えないようにするのか。
そして、その入口としてグィルディが寄越したのが、エキゾチックパスだ。
***
次の日の朝、『青葉』の居住区画で集まった時には、全員、大体の方針を共有していた。
グィルディと深く組まないけど、願いの星の線は切らない。
そして、彼の言葉は鵜呑みにしない。
ただし、娯楽ステーションには行く。
ジェプラは、その方針を確認した時点でもまだ少し不安そうだった。
『本当に行くのですか?』
ブライアントが短く答える。
「行く」
『……怪しい場所なのでは?』
「怪しい」
「即答だ!」
「怪しいからこそ、何か怪しい情報が落ちている可能性も、ある。」
それは、前夜と同じ理屈だった。
ジェプラは、納得していない表情を隠さなかったが、それでも同行を拒むことはしなかった。白兎族の案内役としても、一緒に動く覚悟はできているのだろう。
太郎は、いつも通り少しズレていた。
『ショーは、整備ショーか?』
「たぶん違うよ」
『では、何を見る』
「行けば、分かるんじゃないかな……」
そう言いながらも、僕自身あまり乗り気ではなかった。
酒場、賭場、怪しい娯楽――どう考えても、休憩というよりトラブルの入口だ。
ただ、僕には別の意味でも少し引っかかるものがあった。
グィルディは、最後に僕たち娯楽ステーションのパスを渡した。
あれは単なる接待ではない。
様子を見ろ、空気を味わえ、何かに触れろ、そういう含みがあった気がする。
もしそうだとしたら、あの場所には、単に遊ぶ以外の意味がある。
それが情報なのか、人なのか、罠なのかは分からない。
でも、たぶん何かはあるのだろう。
「……行くしかないか」
僕が、小さく言うと、ブライアントが少しだけ笑った。
「そういう顔をしてる時のお前、だいぶ諦めが早いな」
「辺境向きに進化したらしいから……」
「それは、多分、合ってるよ」
その返しが少しだけ可笑しくて、僕は、肩の力を抜いた。
ここからたぶんまた一段階、面倒な方向へ進む。
でも、その面倒の中に、ブライアントの願いも、僕たちの探し物も、そしてたぶん次の事件も混ざっている。
そう思いながら、僕は、グィルディから受け取った薄い金属板の入場券を見下ろした。
翻訳によれば『エキゾチックパス』というらしい。
エキゾチック――この世界で、金よりも価値がある物質から取った名称だ。
VIP用のブラックカードみたいなものだろうか?
ただの入場券にしては、ずいぶん重く見える。




