第三十章 見送られて、ガナドラへ
ガナドラ市場へ向かうと決まってから、ナヴーピでの空気は少しだけ変わった。
それまでの僕たちは、白兎族の神殿に滞在している“特別な客”だった。
神子として扱われる居心地の悪さはあっても、少なくとも行き先のない滞在者ではなかった。
でも今は違う。
『青葉』に足りない心臓――イハァトパー機関を手に入れるために、僕たちはナヴーピを離れなければならない。
つまり、ここはもう“途中の居場所”になる。
そう思うと、まだ出発してもいないのに、少しだけ寂しさを感じた。
***
出発の話が正式にまとまったのは、神殿の小会議室だった。
いつもの白い壁と低い卓の上に、星図が投影された。
そこに、第三十五魔女ゲラバ、ジズゥ、ジェプラ、僕、それから回線越しの青葉とブライアントが揃っていた。もちろん、太郎も、僕の横に侍っている。
ブライアントは相変わらず山師っぽい顔をしながらも、今はかなり真面目な目でガナドラ方面の航路情報を見ている。
ゲラバは最初に、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
『本来であれば、神の船と神子の出立には、白兎族として護衛艦隊をつけたいところですじゃ』
その言い方だけで、もう難しい事情があるのだと分かった。
「無理なんですね?」
僕が先に結論を言うと、ゲラバは静かに頷いた。
『はい』
その一言には、長としての歯がゆさがにじんでいた。
『黒狼族は、今回の失態をそのまま呑み込むとは考えにくいですじゃ。ヅゴダの強襲魔法艦隊を拘束した以上、報復や揺さぶりへの備えが必要ですのじゃ』
ジズゥが低く補足する。
『白兎族本隊がナヴーピを離れれば、それ自体が次の誘因になり得ます』
つまり、僕たちの護衛に大きな艦隊を出すことは、そのままナヴーピの防衛を薄くすることになる。
それは、流石に僕でも分かった。
「そこは、仕方ないと思います」
僕は、頷いた。
ゲラバは、ほんの少しだけ目元をやわらげた。
『そう言っていただけると救われますじゃ』
ブライアントが回線越しに口を挟む。
「艦隊護衛がなくても、“白兎族の後ろ盾がある”ってだけで意味がある」
「意味?」
「ガナドラみたいな市場は、力だけじゃなくて看板も効くんだよ」
彼は、少しだけ指先で星図の一点を弾いた。
「正面から手を出してきたら、白兎族と揉める。それを嫌がる連中もいるだろう。特に、商会筋は」
ゲラバも頷いた。
『その通りですじゃ。白兎族は大部族ではありませんが、神の船と神子を迎えた部族として、いまや無視しにくい立場にありますじゃ』
その言葉には、少しだけ複雑な感じがした。
僕たちは、彼らに後ろ盾になってもらっている。
でも同時に、彼らもまた僕たちが後ろ盾になっている。
最初は、それが打算の取引みたいにも思えた。
でも今はもう少し違う――少なくともナヴーピを守ったあとでは、単なる利害だけでは片づかない気がした。
***
護衛艦隊が出せない代わりに、ゲラバは別のものを用意していた。
その日、僕達は、初めて神殿の奥にある格納殿へ通された。
白い石と金属でできた、半ば神殿の祭壇、半ば格納庫みたいな不思議な建物だった。
中は、高い天井で、祈祷紋と保守ラインが壁面を走っていた。
そして、その中央には、一機の機体が鎮座していた。
最初に見た印象は、鋭い、だった。
白と銀を基調とした機体で、細長い機首、後方へ流れる主翼と、曲線的な尾翼があった。
人類圏の戦闘機より少し生き物じみていて、洗練された獣、という感じだった。
『超空間戦闘機です』
ゲラバが、静かに言った。
『白兎族神殿に祭られてきた機体の一つですが、神の船の旅に従うのが、今はふさわしいですじゃ。能力を引き出せさえすれば、突撃艦の百艦くらい、余裕で相手できるでしょうて』
僕は、思わず言葉を失った。
「……これを、頂けるんですか?」
『はい』
ゲラバはあまりにも自然に頷いた。
『神子が行くなら、牙の一つも持たぬ旅では心もとないですじゃ』
その言い方が、いかにも白兎族の長らしかった。
穏やかだけれど、現実を見ていると思った。
ブライアントが少しだけ声を上げる。
「おいおい、これは洒落にならないぞ」
「そんなに凄いの?」
「見れば分かるよ。少なくとも、骨董品の飾り物じゃあ、ない」
青葉も静かに補足する。
『〈先住者〉の特殊作戦機です。本艦のカタログにありました。単機で、ストライプド・リープではない光速を超えた航行ができます。推進、武装、場制御いずれも、人類標準を上回る性能と推定されます。本艦も、以前は、ほぼ同型の機体を搭載していたようです』
太郎が珍しく素直に鳴いた。
『かっこいい』
「そこは素直なんだ」
『かっこいいものは、かっこいい』
その単純さに、少しだけ笑ってしまった。
さらに、ゲラバはもう一つの贈り物を示した。
修理を終えたシャトルだ。
艦尾を裂かれた白いシャトルは、白兎族側の全力修復でかなり綺麗に戻っていた。もちろん新品ではない。しかし、傷は、ほとんど目立たず、逆に以前より少しだけ補強されたようにすら見える。
『シャトルも、贈与しますじゃ』
ゲラバが言う。
『あれはもう、一度神の船と共に戦場を越えた船ですじゃ。ならば、その後も神の船の随伴となるほうが自然でしょう』
僕は、流石に少し困った。
「いや、そんなにもらっていいのかな?」
『よいのですじゃ』
ゲラバはきっぱり言った。
『白兎族は、受けた恩義に形を返しますじゃ』
その返しが、妙にまっすぐだった。
***
超空間戦闘機とシャトルの贈与が告げられたあと、格納殿の中には、しばらく静かな熱気が残っていた。
僕としては、まだ少し現実感が追いついていない。
白兎族の神殿に祭られていた超空間戦闘機と、戦場を生き延びた白いシャトルが、“神の船の旅に従うもの”として託される……。
嬉しいけれど、少し重かった。
既に、『青葉』の修理までして貰っているのに、それだけのものを預かるということは、単に物資をもらうのとは違う意味を持つからだ。
その熱が少し落ち着いたところで、ゲラバはふと視線を横へ向けた。
『ジェプラ』
名を呼ばれた瞬間、ジェプラの耳がぴんと立った。
『は、はい、ゲラバ様』
彼女は、すぐに一歩前へ出て、深く頭を下げる。
その動きには、神殿に仕える者としての習慣がしっかり染みついている。
ゲラバは、いつもの穏やかな口調のまま言った。
『そなたは、神子弓良殿の案内役として、ここまでよく務めました』
『恐れ入ります』
『ゆえに、次も務めなさい』
その一言に、ジェプラは完全に固まった。
僕も、少しだけ目を瞬かせた。
「次、って……」
ゲラバは、僕のほうへも視線を向けてから、静かに続けた。
『ガナドラまでですじゃ』
そこで、ようやく意味がはっきりした。
ジェプラを、同行させるつもりなのだ。
ジェプラ本人は、まだその意味を飲み込みきれていないらしい。
耳を立てたまま、目を丸くしている。
『わ、私が……神子弓良殿と、ガナドラへ?』
『そうです』
ゲラバはあっさりと頷く。
『そなたは、白兎族の神殿と神子を繋ぐ役目を、既に果たしつつあります。ならば、神の船がガナドラへ向かう間も、その縁を切らぬ者が一人ついているほうがよい』
その理屈は、いかにもゲラバらしく、穏やかで実務的だった。
白兎族が艦隊護衛を出せない以上、別の形で後ろ盾と縁を持たせる。
そしてジェプラは、そのための最も自然な人選なのだろう。
『ですが、私は……』
ジェプラは、明らかに動揺していた。
『神殿の下級務めにすぎませんし、ガナドラのような大市場に出た経験も――』
『だからこそです』
ゲラバは、やわらかい声のまま遮った。
『神子弓良殿のそばで見て、聞いて、学びなさい。神の船と共にある旅を、その目に刻みなさい』
その言葉は命令だった。
でも同時に、送り出す言葉でもあった。
ジェプラはしばらく沈黙していた。
たぶん、驚きと不安と、少しの誇りが一度に来ているのだろう。
やがて彼女は、ゆっくりと頭を下げた。
『……承りました』
その返事はまだ少し震えていた。
でも、途中で逃げる種類の震えじゃない。
僕は、その横顔を見て少しだけ胸の奥が軽くなった。
正直に言えば、ジェプラが一緒に来るのはありがたかった。
白兎族の文化や事情を知っている。
ジズゥほど老成してはいないが、そのぶんこちらに近い目線でも話せる。
それに――ナヴーピとの繋がりが、そこで完全に切れない気がした。
「……ジェプラ」
僕が小さく呼ぶと、彼女はまだ少し緊張したまま振り向いた。
『は、はい』
「僕としては、来てくれると助かるよ」
その一言に、ジェプラは少しだけ目を見開いた。
そして、耳の先をわずかに揺らす。
『そ、それなら……よかったです』
言葉はぎこちなかったけれど、その表情にはほんの少しだけ安堵が混じっていた。
ブライアントが、回線越しに低く笑う。
「これで少なくとも、ガナドラで白兎族側の案内がゼロってことはなくなったな」
「そうだね」
「あと、お前一人が神子扱いで困る場面も、多少は緩衝材ができる」
「それは、いいね」
僕がそう返すと、ゲラバは少しだけ目元をやわらげた。
『ジェプラ、そなたは案内役であると同時に、白兎族の目でもあります』
『はい』
『神子弓良殿と神の船『青葉』が、白兎族にとって変わらず大切な縁であることを、忘れずに見届けなさい』
『承りました』
そのやり取りを聞きながら、僕は、少しだけ思った。
これは単なる“付き添い”ではない。
白兎族が僕たちに託す、細いけれど確かな綱なのだ。
艦隊は出せない。
でも、誰か一人は共に送る。
それが、いまの白兎族にできる最も誠実な送り方なのかもしれない。
***
出発準備が進むにつれて、ナヴーピの景色が少しずつ“見納め”の色を帯び始めた。
最初は全部が異質だった。でも、いまは、もう違う。
中庭の風の冷たさも、回廊の白い反射も、ジェプラの少し真面目すぎる案内の仕方も、ハチョキが太郎へ妙に懐いていることも、全部がちゃんと“ナヴーピの記憶”として残り始めていた。
そのせいで、神殿の隅を歩くだけでも少しだけ胸が締まる。
出発前夜、僕は、中庭でジェプラと並んで座っていた。
夜のナヴーピは静かだ。
空は、深い青に沈み、神殿の灯りが白い壁をやわらかく照らしている。
「……短かったね」
僕がそう言うと、ジェプラは少しだけ考えてから頷いた。
『はい』
「でも、なんだか随分、長くいた気もする」
『それは、よい滞在だったからではないでしょうか』
その答えが、いかにもジェプラらしい。
真面目で、まっすぐで、少し照れがない。
でも、そういうところが彼女のいいところなのだと思う。
「今度は、一緒に出るんだね」
僕がそう言うと、ジェプラは少しだけ目を伏せた。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
『はい』
その返事には、まだ少し緊張がある。
でも、逃げたいという感じではなかった。
『正直に申しますと、怖いです』
「うん」
『ガナドラのような大市場に出たことはありませんし、白兎族の神殿の外で、どこまで役に立てるのかもわかりません』
「それは、僕も似たようなものだよ」
そう言うと、ジェプラは少しだけ驚いたようにこっちを見た。
「僕だって、神子扱いに慣れてるわけじゃないし、ガナドラなんて名前しか知らないし、『青葉』のことだって全部わかってるわけじゃない」
『ですが、弓良殿は……』
「たぶん、僕も途中なんだよ」
その言葉は、思ったより自然に出た。
途中――つまり、まだ完成していない。
『青葉』もそうだし、僕もそうなのだと思う。
ジェプラはしばらく黙ってから、静かに言った。
『では、私も途中の者として、お側にいます』
その一言が、妙に胸に残った。
「……うん。よろしく」
『はい』
夜の風が中庭を抜けていく。
遠くで、ハチョキがまたぶうと鳴いた。
たぶん太郎に気づいているのだろう。
そんな気配まで含めて、この場所がもう“ただの滞在先”ではなくなっているのを感じた。
***
出発の朝、神殿の発着場には思った以上に多くの人が集まっていた。
白兎族の神官、侍者、一般の居住者、講座にいた子供たち、補助ドローンたちまでいる。
ハチョキも、当然のように端のほうをぶうぶう鳴きながら歩いていた。
白い発着場の遙か上空には、『青葉』が静かに浮かんでいる。
青葉の近くのカメラを通して見ると、以前よりずっと外装が整っている。
それでも、まだ“完全ではない”ことを知っているから、逆にその威容が少し切なくも見えた。
ゲラバは、出立の前にもう一度だけ僕の前へ来た。
『神子弓良殿』
「はい」
『我ら白兎族は、そなたらをナヴーピの客として迎えたことを誇りとしますじゃ』
その言葉は、以前より少しだけ静かだった。
神子への祈りというより、一つの部族の長としての言葉に近い。
『ガナドラは、賑やかな場所ですじゃ。良きものも、悪しきものも、多く集まる』
「……らしいですね」
『ですが、白兎族の後ろ盾は有効に働くですじゃ。必要なら、ゲラバの名を出しなされ』
その一言が、思っていたより大きく感じた。
名前を貸す。
後ろ盾になる。
会談で始まった話が、今はもう少しだけ別の意味を持って戻ってきている。
「ありがとうございました」
僕がそう言うと、ゲラバはわずかに目元をやわらげた。
『次に会う時には、神の船の心臓も見つかっていることを願ってますじゃ』
その表現は、青葉にぴったりすぎて、僕は、少しだけ笑ってしまった。
「本当に、どうもありがとうございました。色々頂いているだけでなく、魔法をより使えるようになったのも、大変、ありがたかったです」
ゲラバとジズゥに、もう一度、お礼を言った。
***
最後に、僕は、もう一度だけ発着場を見渡した。
白い神殿、草原、低い都市、子供たち、ジズゥ、ハチョキ――白兎族の穏やかな人たち。
ここを焼かせたくないと思った。
その気持ちは、いまもちゃんと残っている。
だからこそ、ここから離れるのが少しだけつらい。
でも、止まるわけにはいかない。
『青葉』には足りないものがある。
僕自身にも、まだ知らない扉がある。
それを探しに行かなければならない。
「……行こう」
小さくそう言うと、耳元で青葉が静かに返した。
『了解しました、弓良』
地上に戻っていたブライアントが頷く。
「今度は市場だ。面倒も多いが、物も情報も人も集まる」
「すごい楽しそうに言うね」
「実際、嫌いじゃないからな」
その返しに、僕は、少しだけ苦笑した。
僕は、側にいる太郎――ちょっと元気がなかった――に語りかける。
「ハチョキに、挨拶しなくていいの?」
『任務優先』
太郎は、ピコ、と鳴いた。
昇降艇へ乗り込む。
ジェプラも、少し緊張しながら、そのすぐ後ろへ続いた。
白い発着場が少しずつ遠ざかる。
ナヴーピの草原が、またあの穏やかな色で広がって見える。
そこで僕は、ほんの少しだけ胸の奥が締まるのを感じた。
短い滞在だった。でも、ちゃんと別れが惜しいと思えるくらいには、ここが僕の中へ入り込んでいた。
やがて、軌道上に出た昇降艇が『青葉』へ接続する。
艦内へ戻ると、以前より整った巡洋艦の気配が迎えてくれた。
まだ完全ではないが、ほとんどの地球艦よりは性能が上になったという。
ジェプラは、ハッチをくぐったあとで一瞬だけ立ち止まり、それから小さく息を吸うようにして言った。
『……これから、よろしくお願いいたします。『青葉』』
『歓迎します、ジェプラ』
青葉が静かに返す。
『あなたは白兎族側の案内役であり、本艦の客人でもあります』
そのやり取りを聞いて、僕は、少しだけ肩の力を抜いた。
ナヴーピを全部置いていくわけじゃない。
その一部は、ちゃんとここに来ている。
そして、ブライアントと太郎もいる。最初と比べたら、賑やかになったなあと思った。
『航路設定、ガナドラ星系』
青葉が告げる。
『巡洋艦『青葉』、出航準備を完了しました』
前方表示に、新しい星図が開く。
ガナドラ市場――多種族交易圏で、賑やかな場所だろう。
危ない場所で、多分、新しい面倒ごとが山ほどある場所となるかもしれない。
でも同時に、次の扉が開く場所でもある。
「青葉」
『はい』
「ガナドラへ」
『了解しました』
その瞬間、『青葉』は静かにナヴーピ上空を離れた。
白兎族の星が、ゆっくり後方へ遠ざかっていく。
僕は、その景色を見つめながら、小さく息を吐いた。
次の旅の始まりだった。
※この『ナヴーピ編』は、ここで終わりです。次の『ガナドラ編』~46章まで毎日アップ予定です。




