第二十九章 足りない心臓
勝利のあとに訪れた数日は、奇妙なくらい静かだった。
もちろん、本当に何も起きていなかった訳ではない。
黒狼族艦隊をどう処理するかで白兎族の神官たちは走り回っていたし、神殿の中も外も、戦いの余波で慌ただしかった。
それでも、僕の主観だけで言えば、その数日はひどく静かに感じられた。
たぶん、ひとつ大きなものを乗り越えたからだ。
ナヴーピは、焼かれなかった。
神殿も、田園都市も、子供たちのいる教室も、ハチョキがうろうろしていた回廊も、まだそのまま残っている。
シャトルも半壊で済んだ。
ブライアントも生きている。
白兎族は、僕をこれまで以上に“真の神子”として扱うようになった。
それはそれで、かなり落ち着かないのだけれど。
朝、中庭へ出るだけで頭を下げられる。
回廊を歩けば、神官も侍者も、どこか気を張ったような距離で礼をする。
魔法講座にいた子供たちでさえ、前より少しだけ真面目な顔をするようになった。
その変化に、僕は、どうしても慣れなかった。
「……これ、ほんとに慣れるのかな?」
中庭の白い縁石に腰かける真似をしながら、僕は、小さく呟いた。
朝のナヴーピは相変わらず綺麗だ。
水彩絵の具で描いた薄い青色のような空、素朴な白い壁、風に揺れる独特な草の匂い――
こういう景色だけ見ていれば、神子だの機怪人形だのという話は、どこか遠いもののように思えた。
『完全に慣れる必要はないと思われます』
耳元で青葉が静かに言った。
「そういう言い方、前にもしたよね」
『はい』
「青葉、最近ちょっと優しいね」
『必要なことを述べています』
「それを、優しいって言うんだよ」
そう返すと、青葉は一拍だけ黙った。
言葉を選んでいるのか、それとも単にその話題を処理しきれていないのかは、まだよく分からない、と思った。
『本艦は、現在も修復工程を継続しています』
少しだけ話題を変えるみたいに、青葉が言った。
「うん?」
『白兎族から、ステーションBでは購入できなかった資材の提供を受けました。それと、ナヴーピ周辺で回収可能だった素材の組み合わせにより、かなり進捗しています』
「かなり?」
『はい』
その返答に、僕は、少しだけ顔を上げた。
『青葉』は、ここ数日の間、ずっと軌道上で動いていた。
白兎族の整備修理設備による支援と併せて、青葉自身の分子機械群、それから分子プリンターによって再構成をしていたようだ。
もともと“生きているように自己修復する船”だったけれど、ナヴーピに来てからはその速度が前よりずっと上がっている気がする。
ただ、青葉はその“かなり”の中身を、まだはっきり言わなかった。
その時点で、少しだけ、嫌な予感がした。
これまでの経験からすると、青葉がはっきり言わない時は、たいてい、良い報せと悪い報せが半分ずつ混ざっているのだ。
***
その日の午後、ジェプラが珍しく少しだけ急いだ足取りで客室へ来た。
『弓良殿』
「どうしたの?」
『青葉様より、至急とのことです』
「至急?」
その言い方に、僕は、一瞬だけまた嫌な想像をした。
黒狼族の残党か、別の部族か、あるいはまた何か面倒な政治案件か……。
でも、ジェプラの顔には緊迫よりも、どちらかといえば戸惑いと期待が混ざっていた。
『軌道上より、神の船に、お戻りいただきたいと』
その表現は相変わらずだ。
でも、少なくとも“急襲です”みたいな顔ではない。
「了解だよ」
僕は、立ち上がった。
ジェプラも当然のように、同行する気でいる。
ここ最近、彼女は、ほとんど僕の世話役というより、もう半分くらい相棒みたいな位置にいる気がする。
太郎もピポと鳴いて、僕と一緒に歩きだす。
神殿の発着場へ向かう道すがら、ジェプラが少しだけ声を落とした。
『よい報せ、でしょうか?』
「たぶん?」
そう言いながらも、僕は、確信を持てなかった。
青葉の“かなり進捗しています”という言い方が、どうしても引っかかっていた。
例のテレポート魔法を使ってもよかったのだけど、普通に白兎族が用意してくれた小型昇降艇で軌道上へ上がった――青葉が、その方がいいというので。ちなみに、シャトル『ゼカタ』は、まだ軌道上で修理中だった。
ナヴーピの白い地表が遠ざかった。
空が薄青から濃い藍へ変わり、やがて、『青葉』が見えてきた。
宇宙だと、光学的には距離感が分かり難いのだけど、僕の目は、ちゃんと距離や大きさを捉えている。
やっぱり、何度見ても、大きい。
そして、古代巡洋艦『青葉』は、前より明らかに整っていた。
外装の修復が進み、艦体表面の傷は、ほぼなくなってきた。
青い発光ラインは、以前より均一に走り、墓場で見つけた頃の“死にかけの艦”という感じは、もうほとんどない。
まだ、完全な威容ではないのかもしれないけど――少なくとも、もう“古い残骸が無理やり動いている”ような見た目ではなかった。
『本艦へようこそ』
接続ブリッジを渡った瞬間、青葉の声が静かに迎えた。
『弓良、ジェプラ、太郎』
「ただいま」
『お邪魔いたします』
ジェプラは、いまだに『青葉』の中へ入ると少しだけ緊張するようだった。
神の船だから、だけじゃない。
実際、船そのものがひどく整った威圧感を持ち始めているのだ。
太郎がピポ、と鳴いた。
***
制御区画へ入った瞬間、僕は、少しだけ目を見張った。
空気が違った。
比喩ではなく、艦内環境そのものが、前より明らかに整っていた。
照明は安定し、床を伝う微かな振動も均一だった。
制御区画の壁面に走るラインは澄んでいて、どこか“古いものをそのまま動かしている船”特有の無理な箇所が消えていた。
太郎が、いつになく得意そうに胸を張った。
『見た』
「うん、見た」
『青葉、かなり元気になった』
「それは分かる」
『太郎の整備アドバイスも効いている』
「そこもちゃんとアピールするんだ」
『重要』
その太郎の横で、ブライアントが腕を組んで立っていた。
彼は、『ゼカタ』の事情聴取のため、一足先に、別のシャトルで軌道上に上がっていたのだ。
顔色は、戦いの直後よりずっと戻っている。
ただし、やっぱり少しだけ痩せたようにも見えた。
「来たか」
「うん。何が起きたの?」
そう聞いた瞬間、青葉が静かに言った。
『修理が完了しました』
その一言で、僕は、思わず言葉を失った。
「……え?」
『巡洋艦『青葉』の現行修復工程は、一段落しました』
今度は、ちゃんと意味が入ってきた。
僕は、その場で少しだけ立ち尽くしてしまった。
墓場で見つけた時のことを思い出した――小惑星の内側に隠れ、痩せた岩塊を何千年もかけて“吸って”細々と自己修復を続けていた巡洋艦だ。
飛ぶどころか、まともに艦内を動くのだって、やっとだった。
それがいま、ここまで来た。
「……ほんとに?」
自分でも間の抜けた確認だと思った。
でも、それしか言えなかった。
『はい』
青葉は、いつも通り落ち着いて答える。
『内装、装甲、基幹配線、分子機械群の再編成、補助推進系、重力子キャパシター及びその制御回路は、現状入手可能な最良構成で復旧しました』
前方表示に、艦体模式図が開く。
以前は赤や黄で埋まっていた損傷表示が、今は、殆ど青に変わっていた。
ブライアントが横から口を挟む。
「重力子キャパシター周りは、白兎族経由で手に入った部材が当たりだった」
『ブライアントに、整備について最終確認して貰っていました』
青葉が言った。
「グラブール製は、地球製より高性能なの?」
「ああ。少なくとも、一部の制御回路は、そう見ていい」
その言い方には、現場屋らしい実感があった。
ジェプラも、少し息を呑んだように言う。
『神の船が……』
「いや、僕もまだ実感が追いついていない」
嬉しかった。
正直、かなり嬉しかった。
『青葉』は、僕にとって、ただの乗り物じゃない。宇宙で目覚めたあと、最初に“帰る場所”になったものだ。
それが、ついにここまで直った。
しかし、青葉が少しだけ間を置いたのを見て、“でも”がくるのだとわかった。
『ただし』
「……うん」
『本艦は、まだ完全状態ではありません』
やっぱり……。
嬉しさのあとに落ちてくるその一言が、思ったより重かった。
「何が足りないの?」
『イハァトパー機関です』
聞き慣れない名前だった。
「それって、何?」
青葉は、前方表示を切り替える。
艦体中心部、主機関ブロックのさらに奥。
そこに、いくつかの空白じみた区画が示された。
『〈先住者〉の特殊部品です。特殊なエキゾチック物質を用いた、主推進、主兵装、高位場制御に用いられる中核機関にあたります。先の黒狼族との戦闘の際、本艦の航行整備マニュアルの一部が機密解除されて、その存在を知りました』
「青葉も知らないデータがあったってこと?」
『はい、高度暗号化されていて、存在自体が秘匿されていました。本艦は、〈先住者〉の何らかの特殊作戦に従事していた艦だったようです。先日の戦闘で、弓良が高度なシャドーマターの制御を行ったことが、機密解除のキーとなったと推測されます。』
「つまり、僕が、『青葉』の管理者として認められたってこと?」
『そう推測されます。〈先住者〉の機密作戦の従事者、司令権限が認められています』
「へえ……」
――つまり、僕はレベルアップして、“暫定”じゃないキャプテンになった、ってことだろうか?
ブライアントもいるし、この話題は、あまり突き詰めてはいけない気がしたので、肝心のことを尋ねる。
「ところで、その、イハァトパー、機関、って――ようするに、心臓みたいなもの?」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
青葉は、少しだけ間を置いて答えた。
『比喩としては近いです。本艦は、その機関が存在することを前提とした設計がされていたようです』
その返答で、むしろ余計に実感が出た。
外装も直ったし、内装も直った。
配線も、キャパシターも、推進系もかなり戻った。
でも――心臓だけが、実は、まだなかった。
それは、ずいぶん残酷な言い方に思えた。
「それがないと、どうなるの?」
『本艦は、これまでのように、ストライプド・リープ航法も、通常航行も可能です』
「うん」
『ただし、本来性能の半分程度しか出せていません』
青葉は、淡々と続ける。
『SERの出力も100%、発揮できません。巡航速度は、大幅に制限されます。加えて、主砲――FMSプラズマ砲は、イハァトパー機関なしでは、安定稼働できません』
「それって、主武装が使えないってこと?」
『はい。以前から、SERが修理されても主砲が撃てないことに疑念を抱いていたのですが、理由が分かりました』
ブライアントが唸った。
「要するに、“かなり強い船”にはなった。でも“本来の青葉”ではまだない、ってことだね」
「なるほど……」
その言い方が、一番わかりやすかった。
つまり、『青葉』は、ほぼ治ったけど、決定的な一個の部品が足りない。
足りない中核部品――それがないと、本当の意味での修理完成には、ならないのだ。
『最大の問題は、この“心臓”がないことで、艦にどのような負荷がかかり続けるのか分からないことです。突然、何らかの中枢パーツに不具合が発生して、艦全体が機能不全に陥る可能性を否定できません』
「そっか……。心臓がないんだものね。常に、無理して動かしている状態になる訳か」
僕は、艦体模式図の空白を見つめた。
ほぼ直ったことは、嬉しい。
でも、その嬉しさに、すぐ次の不足が差し込まれる。
それがちょっと悔しくて、少しだけ笑ってしまった。
「青葉って、ほんとに、簡単な船じゃないよね」
『本艦は、現代のどの異星人も及ばない超高度技術を誇った〈先住者〉の最終期の艦です。つまり、本来は、現在の銀河系で、最高性能に近い巡洋艦と思われます』
「うーん。そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」
僕は、頬人差し指を当てた。
***
しばらく、僕たちはその“足りないもの”について話していた。
イハァトパー機関は、単なるエンジンではない。
シャドーマター場の高位制御、主砲の安定供給、巡航時の場圧縮効率、その全部に関わる、一部が非物質的な特殊デバイスなのだ。
だからこそ、青葉の分子機械群や分子プリンターでも、簡単には再現できない。
『本艦単独での再製造は非現実的です』
青葉は、冷静に言った。
『理論上は可能性があっても、時間資源が不足しています』
「どのくらい?」
『特殊なエキゾチック物質を補給できたとして、最適条件でも、数百年単位が必要です』
「そりゃ、長いね」
『はい』
その一言が、逆に少し可笑しかった。
数百年単位――機怪人形になってから、時間感覚が少しおかしくなっている気はする。
でも、それでも、流石に、長い。
ジェプラが、少しだけ考え込みながら口を開いた。
『ジズゥ様なら、何かご存じかもしれません』
僕とブライアントが同時に彼女を見た。
『イハァトパー機関そのものではなくとも、そうした神様の部品の流通先や、扱う市場について』
その言葉で、ブライアントが少しだけ顔を上げた。
「市場、か」
そこは、彼の本領なのだろう。
山師、探査屋、資源屋――そういう男の目に、少しだけいつもの熱が戻った。
僕達は、地上へ戻ってジズゥへ相談することにした。
***
神殿の小会議室で話を聞いたジズゥは、最初かなり真面目な顔をしていた。
『イハァトパー機関……』
その名前を聞いた時点で、彼も簡単なものではないと分かっているのだろう。
『白兎族の神殿備蓄には、ありませんな』
「そうですよね……」
『ですが』
そこで、彼は少しだけ耳を動かした。
『手に入る“かもしれない”場所はあります』
その一言で、ブライアントが一段だけ前のめりになる。
「どこですか」
『大蛇枝市場です』
その名前に、部屋の空気が少しだけ変わった。
「ガナドラ?」
僕が繰り返すと、ジズゥは頷いた。
『グラブール最大の市場スペースコロニーです』
彼は、静かに続ける。
『白兎族だけではなく、多くの部族、多くの商会、そして他種族も集まります。違法なものまで含めて何でもある、とは申しません。ですが、古代部品、高位場制御材、失われた遺物断片、そういったものが最も集まりやすい場所の一つです』
つまり、宇宙の交易拠点で、かなり大きい場所なのだろう。
ブライアントが、少しだけ笑った。
「話が早いな」
「知っていたの?」
「名前だけは」
彼は、肩をすくめた。
「でも、“行くことになる”とは、考えていなかったな」
その言い方に、少しだけ次の旅の匂いがした。
『青葉』に足りない心臓がある以上、ここでずっと止まるわけにはいかない。
「……ガナドラ、ね」
僕が呟くと、ジズゥは頷いた。
『そこなら、可能性があります』
その“可能性”という言い方が、妙に大きく感じられた。
***
その夜、僕は、『青葉』の制御区画で一人、艦体模式図を見ていた。
修理完了だけど、完全ではない。
足りないものが一つあるだけで、船の意味まで少し変わる。
それは、少しだけ人間に似ていると思った。
僕だって、いまの自分が“動いている”のは間違いない。
考えられるし、笑えるし、怒れるし、守りたいものもできた。
でも、元の人生に戻れるか、といえば違う。
何かが足りないまま、別のものとして進んでいる。
「……似てるかも」
小さくそう言うと、青葉がすぐ返した。
『何がですか』
「僕と、青葉が」
少しだけ間があった。
『本艦は、巡洋艦です』
「そういう意味じゃなくて、さ」
僕は、少し笑った。
「ちゃんと動いてるのに、まだ足りないものがあるってこと」
青葉は、また少しだけ黙った。
そして、静かに言う。
『それでも、前進は可能です』
その返答が、いかにも青葉らしかった。
足りないから終わり、ではなく、足りないなら次へ行くのだ。
「……うん」
僕は、小さく頷いた。
ガナドラ市場――そこで、青葉の心臓が見つかるかもしれない。
あるいは、また別の面倒ごとが待っているだけかもしれない。
でも、少なくとも次に向かう理由は、はっきりした。
『青葉』は、かなりリカバリーした。
そして、だからこそ、最後の不足が目立つようになったのだ。
足りない心臓を探しに行く。
そう思った瞬間、また一段先へ進んだ気がした。




