第二十八章 機怪人形についての考察
黒狼族艦隊が沈黙し、白兎族側の小型艦が慎重に拘束行動へ移り始めても、戦場の緊張は、直ぐには消えなかった。
むしろ、止まったからこそ見えてくるものがあった。
損傷したシャトルは、まだ艦尾を引きずるようにしながら不安定な姿勢を保っていた。
黒狼族の突撃艦は、魔法光を失って漂っているが、艦体そのものが消えたわけではない。
白兎族側の護衛艦は、優勢になったとはいえ、戦力差そのものまでひっくり返したわけではない。
それに、何より今、ここにいる白兎族の艦隊は、まだ少なかった。
主力ではなく、神殿防衛と近隣哨戒を兼ねた、最低限の戦力だ。
――だから、たとえヅゴダが失神し、黒狼族の攻勢が止まったとしても、それだけで、全員が安心できるわけではなかった。
『周辺宙域、広域走査を継続』
青葉が静かに告げる。
『新規リープ痕跡を警戒中』
僕は、前方表示を見つめたまま、小さく息を吐いた。
勝って、ナヴーピは守ることができた。
しかし、“終わった”というには、まだどこか不安定だ。
その時だった。
視界の端に、新たな光点列が出た。
『追加艦隊反応を検知』
青葉の声が、一段だけ低くなる。
『イシディ星系内縁側より接近』
僕は、反射的に身を固くした。
「また黒狼族?」
『識別中』
ほんの数秒。
でも、その数秒は妙に長く感じられた。
いままた別の敵が来たら。
あるいは、黒狼族の増援だったら。
そう考えた瞬間、せっかく解けかけた緊張が、また胸の奥で固まり直す。
しかし、次の瞬間、青葉の声はわずかに質を変えた。
『識別照合。白兎族主力艦隊と一致しました』
そこで、ようやく、僕は、息を吐けた。
「……ゲラバさん」
『はい。第三十五魔女ゲラバの艦隊と推定されます』
前方表示が拡大される。
白銀と淡い青を基調にした艦影と、流れるように細長い船体が見えた。
護衛艦を従え、しかし黒狼族のような露骨な威圧ではなく、整えられた儀礼のような隊列を保って進んでくる艦隊だった。
見覚えがあった。
会談したあと、惑星ナヴーピへ向かう前に見た、あの白兎族の艦隊だ。
『急報受信後、最速で反転したものと思われます』
青葉が補足する。
『到着タイミングから見て、かなり無理をした航行です』
ジェプラが、後方で小さく息を呑んだ。
『ゲラバ様……』
その声には、安堵がそのまま滲んでいた。
多分、彼女にとっては、これでようやく本当に“終わりに近づいた”のだろう。
神殿も、都市も、白兎族の人たちも、今までは細い糸で吊された剣の下にいたようなものだ。
そこへ、ようやく部族の本隊が戻ってきた。
前方表示の中で、ゲラバ艦隊の先頭艦が、拘束中の白兎族小型艦群へ通信を送っているらしいのが分かった。
隊列が少し変わり、黒狼族艦隊の周囲を包み込むように広がっていく。
僕は、その中に、何か大きなシャドーマターの流れを感じた。どうやら、ゲラバが何か、グラブール人の拘束系の魔法を使っているのではないか?というのが、おぼろげに感じられた。
『制圧完了の確度、上昇』
青葉が淡々と告げる。
『以後、黒狼族側の再抵抗は、局地的なものに限定される見込みです』
その言葉を聞いたとき、僕は、ようやく肩から少しだけ力が抜けるのを感じた。
黒狼族の戦団は止まって、白兎族の主力艦隊も戻った。
そして、ナヴーピは焼かれていない。
戦いの後には、まだ整理も、説明も、多分、面倒な政治的後始末も残っているだろう。
でも。
少なくとも、今この瞬間だけは、最悪の未来から一歩だけ遠ざかったのだと思えた。
あの艦隊にいるはずの第三十五魔女ゲラバの顔を、僕は、まだ見ていない。
けれど、あの小柄でふくよかな白兎族の老人が、急報を受けて艦隊ごと反転し、ここまで戻ってきたのだと思うと、妙に胸の奥が熱くなった。
僕たちだけが、この星を守ろうとしたわけじゃない。
ゲラバも、また、自分の部族の場所へ、ちゃんと戻ってきたのだ。
***
シャトルの収容と、黒狼族艦隊の拘束が始まると、『青葉』の中の空気も、少しずつ緊張から実務へ戻り始めた。
太郎は、格納区画へ走り、救難と整備の準備に入った。ジェプラも太郎を助けに付いて行った。
白兎族側からは感謝と確認と動揺が一気に流れ込み、青葉がそれを淡々と処理していった。
僕は、中枢接続からゆっくり手を離した。
その瞬間、少しだけくらっとした。
倒れるほどではないけれど、巨大な流れの中から自分の小さな身体へ戻るときの違和感があった。
『青葉』と深く繋がっていた分、その反動も少し大きくなっていた。
いや、いつでも『青葉』とは、量子結合通信というので繋がっているのだけど。
『負荷は中程度です』
青葉がすぐに言う。
『短時間の休息を推奨します』
「休んだら、多分、余計に変なこと考えるかも」
『それでも、推奨します』
その言い方が少しだけ面白くて、僕は、小さく息を吐いた。
「青葉……」
『はい』
「さっきの、何だったのかな?」
ほんの少しだけ間があった。
青葉は、こういう時、すぐ断定しないというのが分かっている。
内部でいくつかの可能性を照合し、言葉を選んでから話すのだ。
『グラブール側の用語では、“魔法”でよいのでしょう』
「うん」
『ですが、本艦の見解では、より技術的に説明可能です』
その一言に、僕は、少しだけ背筋を伸ばした。
聞きたかったのは、多分、それだ。
『“魔法”と呼ばれる現象は、シャドーマターを介した局所的な物理定数の変更現象です』
「それは、聞いているよ」
『はい』
青葉の声は落ち着いている。
『火が燃える、光が屈折する、力が伝わる。そうした現象の背後には、一定の物理条件があります』
「うん」
『グラブール人の“魔法”は、それを術式と意思で扱う体系として理解されています』
「でも、実際には?」
『〈先住者〉の技術では、シャドーマターの制御によって、この宇宙を構成している高次元のブレーンに働きかけ、狭い範囲の物理法則を一時的にずらすことが可能だったと考えられます』
「そうだね」
例の知識層が開いたせいで、その“法則のずらし方”が分析できるし、どうずらしているのか、半ば本能的に理解できるようになっていた。
そう、この世界の“魔法”は、奇跡じゃない。
でも、ただの機械工学とも違う。
『グラブール人は、生物学的にシャドーマターを制御しているようです。どのような生物的な機構がそれを可能にしているのかは分かりません。しかし、意識により、シャドーマターを介して局所法則へ干渉しています』
「そうみたいだね。でも、それで、あんなに怖ろしい巨大火球を作れたりする」
『はい。しかし、グラブール人の艦は、本艦と違って、緻密なシャドーマターの制御はしておりません。あくまでも、“魔法”の意志によるシャドーマターの制御を拡大しているだけです。いわば、乗ることができる魔法の杖、のようなものだと判明しました』
「そうだったんだ……」
『これに対して、弓良と本艦は、おそらく生物的には不可能なほど、緻密なシャドーマターの制御を行うことが可能です。これにより、本艦のシャドーマター場は、彼らに不可能な制御構造を生成できます』
「それが、あの光輪か……」
ブライアントがシャトルの回線越しに低く言う。
「要するに、グラブール人から見れば“魔法を封じられた”ってことになる。けれど、青葉から見れば、あれは、緻密な制御で、敵艦隊周辺の魔法の成立条件そのものを狂わせたってことか」
『概ね、そうです』
「すごいな……」
ブライアントの表情には、驚きと、少しだけ別の何かが混じっていた。
発掘屋、探査屋、そういう人間の表情だった――見たものをただ神秘で終わらせず、仕組みを探ろうとする目をしているのだろう。
「弓良」
「うん」
「たぶん、あれは“神秘”でもあるし、“技術”でもある」
彼は、少しだけ間を置いて続けた。
「グラブール人は、神話の側から見る。でも、青葉は、法則と構造の側から見る。で、お前はその真ん中で動かしている」
前も、同じことを言われたような気がした。
でも、今回は前より少しだけ、受け止められる気がした。
僕は、真ん中にいる――人類とグラブール、いや〈先住者〉とかいう古代種族の。
つまり、神話と技術の、漂流者と神子の、真ん中だ。
居心地は、ちょっと悪いけど、今は、そこに立つしかない。
***
ナヴーピの神殿の街へ戻るころには、もう夜に近かった。
ナヴーピの夜は真っ暗になるというより、空の青が深く沈み、神殿と都市の灯りが柔らかく浮かび上がる感じだ。
僕、ジェプラ、太郎が先に地上へ降りることになり、ブライアントはシャトルの損傷確認と、白兎族側への状況説明を済ませてから合流することになった。
発着場へ降りた瞬間、僕は、少しだけたじろいだ。
人が多い。
いや、人だけじゃない。
白兎族の神官、侍者、一般居住者、他部族らしき姿も混じっていた。
皆が発着場の縁に集まり、こちらを見ていた。
ざわめきがある。
でも、それは単なる騒がしさじゃなくて、熱のあるざわめきだった。
『神子弓良殿……!』
『本当に……』
『ナヴーピをお守りになった……』
その言葉が耳に入った瞬間、僕は、一歩だけ後ずさりしそうになった。
そうか――と思った。
『青葉』が究極魔法を受け止めて、僕が光輪を放ったことは、もう地上へ伝わっているのだ。
考えてみれば、あんな火球を隠しようもない。
ジェプラが、少し後ろから小さく囁いた。
『……弓良殿』
「うん」
『もう、昨日までとは少し違いますね』
「だよね……」
その“少し”で済まないことは、僕にもわかった。
そこへ、群衆が静かに割れた。
黄色みを帯びた毛並みで、頬が赤く、黒く縁取られた長い耳の白兎族だ。
小柄で、けれど一目で長だと分かる存在感がある。
そう、第三十五魔女ゲラバだった。
彼女は急報を受けてから、本隊を反転させて戻ってきた。どうやら、先に地上に降りていたらしい。衣の裾には夜気の湿りが少しだけ残っているように見えた。
ゲラバは、僕の前まで来ると、何のためらいもなく深く頭を下げた。
『真の神子が、ついに我らの前に現れた』
その一言で、周囲の空気がさらに変わる。
歓喜。
安堵。
涙ぐんでいる者までいる。
僕は、完全に固まってしまった。
「……ちょっと待ってください」
思わずそう言うと、ゲラバは顔を上げた。
その黒い目の中には、興奮だけじゃなく、長く信じていたものが現実になった時の、静かな重さがあった。
『神の船は、究極魔法を受け止めた』
ゲラバは静かに言った。
『そして神子は、戦団の術を沈黙させた』
「それは、そうだけど……」
本当は、説明したかった。
シャドーマターだとか、局所的な物理定数変更だとか、〈先住者〉技術だとか……。
でも、その場でそんな説明をしても、たぶん意味がない。
ゲラバにとって、それは“神子が力を示した”という出来事なのだ。
――それは、周囲の白兎族たちにとっても、同じだ。
『白兎族は、今宵、この勝利を忘れません!』
そう言って、ゲラバは一礼ではなく、祈るように両手を胸元へ寄せた。
その仕草を合図にするように、周囲の者たちも一斉に頭を下げる。
嬉しくない訳ではないし、この星を守れたこと自体は嬉しい。
ナヴーピが焼かれなかったことも、シャトルが落ちずに済んだことも、ブライアントが無事だったことも、本当に良かったと思う。
でも、その結果として“本物の神子”として拝まれるのは――やっぱり落ち着かなかった。
だって、僕自身はまだ、自分が何をしたのかを、半分も理解していないのだから。
***
歓待は、その夜のうちに始まった。
神殿の大広間が開かれ、白兎族の食卓と灯りが準備され、楽隊もきた。
僕は、食べなくても平気なのに、席はきちんと用意されていた。それもかなり中央寄りで、正直少し困った。
ジェプラは、明らかに緊張しながらも、どこか誇らしげだった。
ジズゥは、忙しそうに走り回っていた。
ハチョキは、なぜかこういう場面でも、僕のそばをうろうろしていた。
太郎も、かなりうるさくなった。
『歓待されている』
「うん」
『神殿補助ドローンたちの反応も変化』
「どう変わったの?」
『太郎への敬意が増した可能性』
「絶対違う」
『だが、気配が違う』
『因果関係の確定はできません』
青葉が、事務的に返す。
そのやり取りを聞きながら、僕は、少しだけ大広間の熱から距離を取りたくなって、外縁通路へ出た。
そこへ、少し遅れてブライアントが来た。
顔色は、まだよくない。
でも、歩けるし、喋れるし、軽口も叩ける。
「英雄様は、静かなとこに逃げてたのか?」
そう言って近づいてくる顔を見て、僕は、ようやく本当に無事なんだと実感した。
「そっちこそ、大丈夫?」
「今日は――死に損なったから、大丈夫さ」
「また、軽く言わないでよ」
「重くしすぎず、常に平常心、ってやつさ」
その返しは、いかにもブライアントらしかった。
彼は、僕の横へ並び、大広間の灯りを横目で見ながら少し声を落とした。
「……で、改めて聞く」
「うん」
「あれ、本当のところは、何だったと思う?」
僕は、さっきの説明を繰り返した。
「青葉的には、シャドーマターを使って、生物的な“魔法”では、できないシャドーマターの制御をしたんじゃないかって」
ブライアントは、少しだけ眉を動かした。
「そこなんだよな。魔法士――それも、あのヅゴダって奴は、おそらくグラブール人でも最強クラスの筈だ。あんな極大火球魔法は、初めて見た。それに勝っている……」
「そうなのかな?」
「勝ったのは、事実だ」
彼は、大広間を見たまま続けた。
「ただ、気になるのはそこから先だ」
「先?」
「あの光輪は、単なる広域妨害にしては、挙動が妙だ」
ブライアントは、探査屋の顔になっていた。
「艦ごとに止まり方が違った。全部まとめて焼き切ったんじゃなくて、それぞれの“戦える状態”を個別に止めている感じだった」
「青葉も、似たようなことを言っていたよ」
「だろうな」
彼は、少しだけ黙ってから、低く続けた。
「グラブール人の戦闘様式って、時々、個艦より上位の統制が深すぎる時があるんだよ」
「統制?」
「ただ命令が通るって意味じゃないね。もっと深い。個体判断より先に、群れとして揃って魔法を使うんだ」
その説明を聞くと、確かにヅゴダの艦隊の崩れ方が少し腑に落ちる。
単に武装停止ではなく、“芯”を抜かれたみたいな沈黙だった。
青葉が、静かに補足する。
『光輪による停止反応には、未知技術への混乱だけではなく、“逆らえない上位制御へ触れた”際のような挙動も混在していました』
その言い方に、胸の奥へ細い冷たさが落ちる。
「……つまり?」
『現時点では仮説です』
青葉は慎重に言う。
『ですが、あの術式は破壊よりも、統制、優先順位変更、上位指令の強制割り込みに近い可能性があります』
僕は、自分の手を見下ろした。
白く細い、機怪人形の手。
壊した、のではなく、止めた。
しかも、単なるジャミングではなく、もっと深い層への介入として……。
「……それって」
少しだけ言葉を探す。
「昔から、そういう使われ方をする技術だったのかな?」
これは、僕自身の推測だった。
青葉のように解析できるわけではない。
でも、頭の中でいくつかの点が繋がりかけていた。
グラブール人は、〈先住者〉を神のように崇めている。
機怪人形も、神意に近い高位存在として扱っている。
もしそれが、ただの神話ではなく、何か古い現実に由来しているのだとしたら。
たとえば――。
機怪人形が、グラブール人に対して“命じる側”だったとか。
あるいは、〈先住者〉の技術体系の中で、何かの上位制御認証体だったとか。
そこまで考えた瞬間、僕は、少しだけ寒くなった。
「……青葉」
『はい』
「僕と『青葉』って、たぶん普通の偶然より、もう少し変な繋がり方してるよね」
それも推測だった。
ブライアントは、そのへんは知らない。
青葉も、今すぐ断定するつもりはないらしい。
だからこそ、これは僕の感じている違和感としてしか言えなかった。
青葉は、少しだけ間を置いてから答えた。
『違和感としては妥当です』
「否定しないんだ」
『現時点で、完全に否定できる材料がありません』
その返答は、ほとんど肯定みたいなものだった。
ブライアントは、そこには踏み込まなかった。
ただ、僕の横顔を見てから、少しだけ声を落とす。
「いずれにしても、あれは単なる派手な大技じゃない」
「うん」
「もっと古い設計思想の匂いがする」
その一言が、妙に重かった。
神話の中の奇跡――でも実際には、もっと古い、もっと冷たい用途を持っていたかもしれない技術、かもしれない。
僕は、もう一度、大広間の灯りを見た。
白兎族の人たちは、僕を“本物の神子”として歓待している。
それは彼らにとって救いであり、誇りであり、希望なのだろう。
でも、その奥に、別の真実が眠っているかもしれない。
その可能性を考えた瞬間、祝祭の灯りが少しだけ遠く感じられた。
「……まだ、言わないほうがいいね」
僕がそう言うと、ブライアントは、すぐに頷いた。
「当然だな」
『同意します』
青葉も、静かに続ける。
『現時点では、白兎族にとって神話が先に機能しています。それを不用意に崩すべきではありません』
「うん」
僕は、小さく息を吐いた。
今夜は、勝利の夜だ。
ナヴーピは守られた。
それだけで十分なはずなのに、僕たちはもう、その次の謎に触れてしまっている。
光輪、統制、機怪人形――そして、青葉の役割。
そして、グラブール人と〈先住者〉の本当の関係。
全部が、まだ名前のつかない深いところで繋がっている気がした。
明日、歓声が収まったら、僕は、青葉に、ハローが残した痕跡――ログでも、パターンでも、何でもいいから――を見せて貰おうと思った。
だって、もしあの光が本当に“上位制御認証”を行うのなら、いつの日か、僕にも向けられる可能性があるかもしれない。




