第二十七章 光輪と本物の神子
黒狼族の艦隊は、統合して艦隊レベルでの相互接続を試みていた。
しかし、僕が『青葉』の中枢と繋がった瞬間、視界の奥で何かが切り替わった。
いや、視界だけじゃなくて、感覚そのものの解像度が、一段階上がった感じだった。
前方に展開する黒狼族の艦隊――突撃艦。護衛艦。旗艦――先程まで、ただの“敵の群れ”として見えていたそれらが、今は違う形で見えていた。
一本ずつの糸だ。
各艦が独立しているようでいて、実際には深いところで同じ振動へ揃おうとしている。
命令系統――戦術リンク――シャドーマター場を同期させようとしている。
群として戦うための、網のように見えない接続が形成されていた。
しかも、かなり乱暴に、けれど強引に噛み合わせた網だ。
「……見える」
思わず、そんな声が漏れた。
『何が見えていますか、弓良』
青葉が、問いかけてくる。
「つながり。艦隊全体の、まとまり方」
『続けてください』
青葉の声は、静かだった。
でも、その静けさの下で、僕の言葉を一つも取りこぼさないように拾い上げているのが分かった。
「ただの通信じゃない。もっと深い。各艦が、何を優先するか、どの命令を先に通すか、どこに従うか……そういうのが、全部、うっすら重なっている。おそらく、黒狼族の魔法を使う人達の思考が繋がって、シャドーマターを制御している」
言いながら、自分でもぞっとした。
そんなものが“見える”こと自体が、多分、普通じゃない。
でも、見えてしまうものは仕方がない――さっき極大火球魔法のシャドーマターを取り込んだことで、敵側の術式構造が一段深く理解できるようになってしまったのだと思う。
向こうが群で戦うなら、その群れ方そのものに触れればいい。
「青葉」
『はい』
「これ、壊すんじゃない。閉じるんだ」
『閉じる』
「うん。輪みたいに、外から包んで、優先順位を変える。暴れさせないように」
数秒だけ、沈黙が落ちた。
青葉は、きっと今の言葉を内部で別の形式へ変換しているのだろう。
術式の抽象概念を、巡洋艦『青葉』が扱える工学的な補助へ変えているのだ。
そして、次の瞬間、返答が来た。
『可能です』
その一言で、背筋がぞくっとした。
『本艦を増幅器として使用します。弓良のシャドーマター制御を、広域展開用の場として変換可能です』
「できるんだね?」
『やります』
青葉の返答は短かった。
でも、その短さが頼もしかった。
ブライアントの回線が入る。
「おい、何をする気だ?」
「まだ、うまく説明できない」
僕は、正直に言った。
「でも、たぶん、相手の艦隊を“戦えなくする”」
「戦えなく、って?」
「撃ち落とすんじゃなくて、止める」
ブライアントは、一瞬だけ黙った。
それから、低い声で呟く。
「……とんでもないことを、すごく簡単に言うね」
「僕も、そう思う」
ジェプラが、後ろで、酷く緊張した気配を漂わせていた。
それでも逃げずにここにいるのは、多分、彼女なりに何かを見届けようとしているからだ。
太郎は、いつになく静かだった。
その代わり、短く一言だけ言う。
『弓良、ぶれるな』
「うん」
その一言で、少しだけ、気持ちが落ち着いた。
***
僕は、両手を前へ出した。
接続座から流れ込んでくる『青葉』の場が、僕の意識の中で一気に広がる。
さっきまでは“前面装甲を支える船”だった。
でも今は違う。
今の『青葉』は、一つの巨大なシャドーマターの術式の基盤だった。
艦首から艦尾までを走るシャドーマター導路が、僕の中の新しく開いた知識層へ接続してくる。
光のイメージが、最初にきた。
ただし、昨日の魔法講座で灯した小さな光ではなく、もっと静かで、もっと冷たい、輪郭だけの光だ。
熱を持たないが、確かにそこにある――導くための光、だった。
『術式形成開始』
青葉が告げた。
『弓良、対象を指定してください』
「全部」
僕は、即答した。
「旗艦だけじゃなくて、つながってるもの全部を、対象にする」
『了解しました』
その瞬間、『青葉』の周囲に青白い光が生まれた。
最初は細いリングだった。
巡洋艦の船体を囲うように、一つ。
そのすぐ外側に、もう一つ。
さらに、その外側へもう一つ。
青白い輪が、静かに、音もなく重なっていく。
回転しているようにも見えるし、止まっているようにも見えた。
ただ、確かに“層”としてそこに存在している。
ジェプラが、小さく息を呑んだ。
『光……輪……』
その呼び方が、一番しっくり来た。
光輪。
僕の中で、その名前が定着する――これは、そういう術なのだ。
壊すためではなく、上から囲い込み、優先順位を書き換え、戦いを閉じるための輪だ。
『展開可能』
青葉の声が響く。
『弓良、いつでもどうぞ』
前方の黒狼族艦隊では、各艦の同期がさらに進んでいた。
旗艦を中心にした群れの意思が、次の一撃へ向けてまとまりつつあった。
間に合うのは、多分、今だけだ。
「行け!」
僕がそう告げた瞬間、光輪が、方向性を持って広がった。
『青葉』を中心に咲いた輪が、そのまま宇宙空間を滑るように走り、黒狼族艦隊を目がけて一斉に伸びていく。
速い。
でも、光線みたいな直線ではなく、輪は輪のまま飛んだ。
そして、静かに、正確に、各艦の周囲へ吸い込まれるように重なっていった。
突撃艦の周囲へ、一つ。
護衛艦へ、二つ。
旗艦へは三重に。
それぞれ、必要なだけの輪が、それぞれ違う位置と大きさで噛み合っていく。
「……っ!」
その瞬間、僕の頭の中に凄まじい情報が流れ込んだ。
各艦ごとの違い。
積んでいる術式の癖。
乗っている黒狼族たちのシャドーマター反応。
群として揃うための優先系。
――その全部を、輪が触れた瞬間に読んでいる。
いや、読むだけじゃなかった。
書き換えている。
攻撃優先――圧殺優先――敵性対象排除――。
そうなっていたものへ、別の順番を滑り込ませる。
待機――静止――再接続保留――外部術式停止――。
その行為は、あまりにも自然だった。
自然すぎて、逆に怖いくらいだった。
『敵艦シャドーマター制御系統へ干渉開始』
青葉が読み上げる。
『各艦ごとに、成立条件と優先順位へ個別割り込みします』
前方表示の中で、黒狼族の艦が次々に反応を変えていく。
最初に止まったのは、さっきシャトルへ接近しようとしていた突撃艦だった。
艦首前方に集まりかけていた火球術式が、ふっと消えた。
次に護衛艦の一隻。艦体側面へ走っていた魔法紋が、一気に暗転した。
さらに別の艦では、展開しかけた場制御膜そのものが、まるで“いまはその動作をする必要がない”と判断したみたいに自ら閉じていった。
そして、各艦の推進自体も停止したようだった。
「止まってる……」
僕が呟くと、青葉が即座に答えた。
『はい。広域妨害ではありません。各艦が、自ら停止を選択するように制御されています』
「自ら……」
『厳密には、優先順位を書き換えています』
つまり、単純なジャミングじゃない。
相手の系統そのものへ、上から別の“正しさ”を被せているのだ。
ブライアントが、回線の向こうで息を呑む。
「おい、これ……」
「うん」
「ただの広域魔法封じ、みたいなものじゃないだろ?」
「そうみたい」
「そうみたい、で済ませるなよ……!」
その叫びはもっともだった。
でも、今は、本当に、それ以上言いようがなかった。
僕だって、こんなことができるなんて数分前までは知らなかったのだから。
***
ヅゴダの旗艦だけは、すぐには止まらなかった。
いや、止まれなかったのだろう。
流石に、一番偉い魔法士――司令官?――が座乗している艦だけあって、術式防護も統制層も厚いかった。
光輪が三重に重なっても、なお、旗艦の周囲では抵抗が続いていた。
ヅゴダの怒号が、また回線越しに響く。
『ふざけるなァ! 動け! 撃て! 何してやがる!』
でも、その怒鳴り声とは裏腹に、艦隊は動かなかっった。
突撃艦は静止し、護衛艦は魔法紋を失い、接近用の小艇は射出口すら閉じていた。
群れとしての牙が、一つずつ抜かれていた。
ヅゴダはようやく、それが単なる不調ではないと理解したらしかった。
画面の向こうで、彼の目がこちらへ向いた。
こちらからは回線を繋いでいないのに、その視線が、僕を射抜いた。
『機怪人形……!』
それは、呪詛みたいだった。
憎しみだけではなく、っと本能的なところから出た声だと思った。
その瞬間、僕の中でまた、ぞくりとした感覚が走る。
やっぱりだ。
ヅゴダは、ただ未知の敵に怒っているわけじゃない。
もっと深いところで、“逆らいづらいもの”に触れてしまった反応をしている。
その感覚は、光輪を通じて相手の統制層へ触れている僕にも、少しだけ分かってしまった。
「……青葉」
『はい』
「これ、やっぱり、ただの魔法じゃないよね?」
『はい』
青葉の返答は短かった。
『現時点では、古い統制系技術の一形態とみるべきです』
その言葉が、ひどく重く胸へ落ちた。
でも、いまは考え込んでいる余裕はない。
旗艦がまだ抵抗している。
なら、そこへさらに深く輪をかけるしかない。
「もう一段、行く」
『増幅します』
僕は『青葉』の場を、さらに深く引いた。
さっき極大火球魔法から奪ったシャドーマターの残滓が、今度は光輪の内側へ流れ込む。
敵の火で奪ったものを、敵の群れを鎮める輪へ変える。
その構図は皮肉だったけれど、妙にしっくりも来た。
輪の光が、少しだけ強くなる。
青白かったそれが、中心に淡い金を帯びた。
まるで、ただの術式から、もっと古い“意味”を持ったものへ変わりつつあるみたいだった。
僕は、旗艦を見据えた。
「静かになれ」
その言葉は、命令だった。
自分でも、そう分かった。
次の瞬間、旗艦の周囲を包んでいた抵抗源が、一気に解けた――。
外装に走っていた魔法紋が消え、艦首前方の攻撃用の場が閉じ、船体全体のシャドーマターの振動が一段低く落ちた。
『旗艦、シャドーマター制御系、沈黙を確認』
青葉が告げた。
『黒狼族艦隊、戦術継続能力を喪失しました』
その一言と同時に、向こう側でヅゴダが、ぐらりとよろめいた。
怒りで我を失ったのか、あるいは深い統制層へ触れられた反動なのか……。
とにかく、彼はその場でがくりと膝をつき、気絶しているようだった。
横の部下が慌てて支えるのが見えた。
『お、お頭? し、し、しっかり……』
あの下卑た部下の声も、いまは完全に上ずっていた。
でも、もう遅い。
艦隊全体が止まった。
ただの故障ではなく、戦うためのまとまりそのものを、光輪が閉じてしまったのだ。
***
僕はしばらく、その光景を見つめたまま動けなかった。
勝った。
たぶん、そうなのだと思う。
ナヴーピは守られた。
シャトルも無事だ。
黒狼族艦隊は止まり、白兎族の艦が恐る恐る包囲を狭め始めている。
なのに、胸の奥には勝利の爽快感だけが残っているわけではなかった。
光輪――あれは何だったろう?
その術式を、使えた。
でも、あまりにも自然に使えすぎた。
術式を組んだというより、最初からその使い方を知っていたものを、ようやく思い出した、ような感覚だった。
ブライアントの回線が、ようやく戻った。
「……弓良」
「うん」
「お前、後で、ちゃんと説明してくれよ」
「僕が一番説明してほしいよ……」
そう答えると、回線の向こうで、彼が小さく息を吐くのが聞こえた。
怒っているわけでも、呆れているだけでもなく、多分、本気で理解しようとしているのだろう。
ジェプラは、後ろで、まだ言葉を失っていた。
ただ、その耳の角度だけで、彼女が畏れと安堵のあいだで揺れているのが分かった。
太郎が、ようやく短く言った。
『……すごいな』
その一言が、一番、素直だった。
僕は、少しだけ笑いそうになったけれど、うまく笑えなかった。
今の自分が何をしたのか、まだちゃんと飲み込めていなかったので。
『弓良』
青葉が静かに呼ぶ。
『戦闘は、ほぼ終結しました』
「うん」
『ですが、これは終わりではありません』
その言葉に、僕は小さく頷いた。
「そうだね」
分かっている。
ナヴーピを守ることができたけど、光輪の意味は、まだ分からない。
ヅゴダたちが何に触れたような顔をしたのかも、分からない。
そういえば、青葉と僕が繋がって、なぜこんなに魔法が上手く使えるようになるのかも、まだ分からなかった。
まだ、何も答えは出ていない。
ただ一つだけ確かなのは、扉がまた一段開いたということだった。
前方表示の中で、黒狼族艦隊は、完全に沈黙していた。
その静けさの中心に、僕が放った光の輪の残滓だけが、淡く、いつまでも残って見えた。
***
戦いが終わったあと、最初に来たのは静けさだった。
音が消えた、という意味ではない。
真空の宇宙には、最初から音なんてない。
でも、さっきまで確かにそこにあった緊張が、一気に引いていくと、僕にはそれが静けさとして感じられた。
『青葉』の制御区画には、まだ青い戦況整理表示がいくつも浮かんでいる。
黒狼族突撃艦、沈黙
護衛艦群、術式系統停止
旗艦、制御混乱
白兎族側、拘束行動へ移行可能
どれも冷静な文字列だった。
冷静すぎて、いま起きたことの重さだけが、逆にじわじわ実感として感じられてきた。
――ナヴーピは、焼かれなかった。
――シャトルは落ちておらず、ブライアントも、生きている。
――神殿も、田園都市も、あの草原も、まだ残っている。
それだけで十分なはずだった。
でも、胸の奥には、別の何かも残っていた。
光輪――
あれを使ったのは僕だ。
そう思うけど、同時に“自分で発明した”とか“完全に理解して選んだ”とは、言えない。
どちらかといえば、知らない“知識層”の扉が開いて、その向こうから術式が流れ込んできた感じに近かった。
『弓良』
青葉が、いつもより少し低い声で呼んだ。
『局所戦闘は、終了と判断します』
「うん」
『白兎族側護衛艦が、黒狼族艦隊の拘束へ移行中です』
前方表示の中で、白兎族の小型艦群が慎重に前へ出ていく。
『青葉』と比べれば小さかった。
黒狼族旗艦と比べても、明らかに戦力差がありそうだ。
でも、黒狼族側の“魔法”が沈黙しているから、普通に対抗できるだろう。
シャトルも、損傷した艦尾を引きずるようにしながら、ゆっくりと、こちらの軌道へ寄ってきていた。
「……『ゼカタ』、よく保ったよね」
『操縦者の技量が大きいでしょう』
青葉は、簡潔にそう言った。
それだけで、十分ブライアントを褒めているのが分かる。
青葉は、変に感傷的な言い方をしないだけだ。
ジェプラは、制御区画の少し後ろで、前方表示を見つめたまま、まだ半分呆然としていた。
『本当に……』
声が小さく震えている。
『黒狼族の強襲魔法艦隊が、あんなふうに止まるなんて……』
「……」
僕の方は、勝ったけど――その勝ち方について、自分の中でもまだ処理しきれていなかった。
その時、シャトルからの声が響いた。
「生きてるか?」
ブライアントの第一声は、それだった。
「そっちこそ」
「生きている。今日は、二回くらい死ぬ覚悟をしたがね」
その返しを聞いた瞬間、ようやく胸の奥のざわつきが少しだけ落ちた。
生きていて、軽口を叩ける。
それで十分だった。
「……無事でよかった」
気づけば、本心で、そう言っていた。
すると、少しだけ、間があった。
ブライアントは、小さく息を吐いた。
「そう言われると、結構、危なかった実感が沸くな。ザラスターが吹っ飛んだ以来の感覚だ」
「軽く言わないでよ」
「軽く言わないと、重すぎるんだよ」
その返しに、僕は、少しだけ笑った。




