第二十五章 ゼカタを巡る攻防と神の船
『青葉』がシャトルの進路前方へ躍り出たとき、僕は、あらためてこの船の大きさを思い知った。
制御区画の前方表示に映る自艦影は、白いシャトルを、普通に内部に取り込めるくらいに巨大だ。
しかも、それは、ただ大きいだけではない。
長い眠りから目覚め、墓場から這い出し、まだ完全ではないまま、それでも十分に“神の船”と呼ばれるに足る威容を備えつつある。
長い艦首、深い緑色で黒っぽい艦体、重い船腹、流麗な巡洋艦の骨格、修復途中の外装に走る青い発光ライン――その艦が静かに、しかし揺るがず前へ出た。
その映像を見た瞬間、ジェプラが小さく息を呑んだ。
『……』
言葉にならないらしい。
それは少し分かった。
僕だって、こうして戦闘機動に入った『青葉』を見て、少し胸が熱くなった。
前方では、第二の光のブーメランが放たれようとしていた。
黒狼族の突撃艦が、魔法放射の前兆をまとっている。
細い光の輪郭が艦首前方で集束し、刃の形へまとまりつつある。
『第二撃、発生まで二秒』
「青葉」
『はい』
「僕がやる」
『出力補助を行います』
それだけだった。
説明も、ためらいもない。
青葉はもう、僕が何をしようとしているか理解している。
胸の奥へ、シャドーマター制御の術式の基礎が滑り込んでくる。
昨日、魔法講座で触れた“灯”――その先にある、プラズマ生成の集束、切断、偏向の制御だ。
まだ完全な理解じゃなかった。
でも、相手の光の構造は、分かった。
見えるなら、壊せる――僕は、前方へ手を伸ばした。
『青葉』のシャドーマターの流れが、僕の意識と重なった。
黒狼族の放つ光刃が形成される瞬間、その位相の接続を掴んだ。
シャドーマターの輪郭と、そのまとまりが“見え”た。
「消えろ」
自分でも、ずいぶん乱暴な命令だと思った。
でも、そのくらいでちょうどよかった。
次の瞬間、光のブーメランは放たれた。
そして、放たれた瞬間に輪郭を失った。
白く鋭い刃だったものが、まるでガラス細工を内側から砕かれたみたいに、ふっと散った。
光は四散し、そのまま宇宙空間へ溶けていった。
制御区画が、一瞬だけ静まり返った。
『迎撃成功』
青葉が告げた。
『弓良のシャドーマター干渉により、敵光刃術式を分解しました』
ジェプラが、目を見開いている。
ブライアントの回線も一瞬無言になる。
でも、驚いている暇はなかった。
敵の本隊側で、明らかに空気が変わったからだ。
***
光のブーメランをかき消した後、黒狼族の攻撃は一瞬だけ止まった。
止まった、というより、向こうが戸惑ったのだと思う。
白兎族の儀礼シャトルを追い詰めていたつもりが、突然、その前へ古代巡洋艦が割り込んできて、攻撃が散らされたのだから。
でも、その戸惑いは、長く続かなかった。
ヅゴダの旗艦から、怒声混じりの命令が飛んだ。
『何を止まってやがる! 撃て! 焼いてでも引きずり出せ!』
その声は、開放回線越しでも耳障りだった。
前方表示の中で、黒狼族の突撃艦がまた艦首を向け直す。
さっきは、光のブーメランだった。
今度は、違った。赤い――いや、赤というより、橙と白のあいだで煮え立つような色だった。
艦首前方に、ひとつの火球が形を取り始める。
球、というには歪で、脈打つ心臓みたいでもあり、圧縮された溶鉱炉の中のもの、みたいにも見える。
『高密度火球術式、形成を確認』
青葉が告げる。
『シャトルへの直撃コース』
「また来る!」
僕は、思わず前へ身を乗り出した。
『ゼカタ』は、まだ不安定だ。艦尾を裂かれた状態で、ようやく姿勢を保っている――あれに火球が直撃すれば、今度こそ保たない。
『弓良』
青葉の声は静かだった。
『前回と同様に、術式そのものへ干渉可能です』
「やる」
そう答えた瞬間には、もう意識は火球へ向かっていた。
赤熱した球体――でも、ただの火ではない。
グラブール人の言い方なら“火球魔法”だろうが、青葉の認識では、シャドーマター制御で局所的なプラズマの熱的条件と圧力場を一気に偏らせている。
つまり、あれは火そのものではなく、火が燃えているように見えるための条件を、無理やり一点へ押し込めた塊に近い。
なら、その条件を壊せばいい。
昨日の魔法講座、ここまでの戦闘、光刃を分解した時の感覚――“完成しかけた術式の輪郭だけを崩す”感触を、頭の中でおさらいする。
僕は、それを、火球へ向けた。
「ほどけて、散れ!」
言葉は、短かった。
でも、意識のほうはかなり細かく動いていた。
集束点――熱圧縮層――表面を支えている膜状構造――そのうち、一番脆い継ぎ目を探す。そこへ、こちらのシャドーマター干渉を滑り込ませた。
火球が射出された。
シャトルへ向けて一直線に走る。
けれど、その軌道の中ほどで、ふっと脈が乱れた。
外殻の赤が一瞬だけ白くなり、次の瞬間には、火球全体が内側から崩れた。
爆発ではない。
むしろ、圧縮されていた“火になる条件”がほどけて、ただのプラズマの高温の乱流になって散った感じだった。
前方表示の中で、赤い塊はシャトルへ届く前に四散し、熱だけを細かく散らして消えていった。
『術式分解、成功』
青葉が告げる。
『火球のシャドーマター流の局所結合を解体しました』
ジェプラが、後ろで小さく息を呑む。
『また……』
シャトルの回線から、ブライアントの声が入る。
「すげえぜ……!」
その声音には、今度こそはっきりした安堵があった。
でも、向こうはそうではなかった。
ヅゴダの旗艦の回線が、怒鳴り声と一緒に割り込んでくる。
『……何だ、ありゃ? ふざけやがって!』
彼の目は、いまや明確に『青葉』を見ていた。つまり、ここで初めて認識したのだ。
『ただの古代巡洋艦じゃねえな。白兎のヤロウが何を隠しているんだ?』
声が低くなる。
ところが、ヅゴダ以上にわかりやすくキレたのは、その横にいた部下だった。
前に下卑た笑い声を立てていた、あの男だ。
『お頭! もういいでやす!』
そいつは、怒気と焦りで少し声を裏返らせながら叫んだ。
『あの白いシャトルに、直接乗り込んじまえばいいんでやす! 地球人をひっ捕まえて、神殿に突き返してやれば――』
ヅゴダが一瞬だけそちらを見る。
そして、その一瞬のあとに吐き捨てる。
『やれるならやれ! 引きずり出せ!』
その命令が飛んだ瞬間、黒狼族側の小型強襲艇が二隻、急激に前へ出た。
艦というより、半ば突撃ポッドみたいな形だ。
細長く、装甲が厚く、明らかに“白兵戦用の接近艇”だった。
「乗り込むつもりだ!」
ブライアントの声が低くなる。
「『ゼカタ』に接舷して、俺を回収する気だ……!」
たしかに、それは理にかなっていた。
遠距離術式が二度も壊されたから、直接奪うつもりだ。
あまりにも乱暴だが、あの悪漢達らしい発想だと思った。
『接近艇二、接舷コース』
青葉の声が静かに鋭くなる。
『シャトルまで残り九秒』
「青葉!」
『近接防御へ移行します』
その返答と同時に、『青葉』の艦体内部で、何かが切り替わる感覚が走った。
僕は、中枢接続越しに、それを“見た”。
船腹各所の艦首側面のハードポイントに埋まっていた近接防御用の小型砲塔群――青葉は、それをDVI砲と呼んでいた――が、いっせいに起動する。
『DVI砲、準備完了』
青葉の声に合わせて、前方表示へ複数の照準円が重なる。DVI砲は、主砲みたいな派手さはない。
でも、艦を艦として成立させるための“牙”としては、むしろこっちのほうが生々しかった。
『接近艇一、二をロック』
「撃つの?」
『最小出力で迎撃し、無力化します』
その言い方に、一切のためらいがなかった。
次の瞬間、『青葉』の船腹から青白い閃光がいくつも走った。
音はない。
でも、発射の瞬間だけ、船体を伝って短い衝撃がきた。
針みたいに細い青白い線が、接近艇へ向けて一斉に伸びた。
最初の一隻が、真正面からそれを食らった。
強襲艇の前面装甲が火花のように砕け、次の瞬間には、機首が吹き飛んだ。
慣性だけでしばらく前へ出た機体は、そのままくるりと回転しながらシャトルのはるか手前を流れていった。
もう一隻は、ぎりぎりで軌道を変えようとした。
でも遅かった。
二射、三射、四射。
青い閃光が追いすがり、艇体の片側を容赦なく削り取る。
装甲が裂け、推進ノズルが爆ぜ、機体は途中で姿勢を失って回転し始めた。
『接近艇一、撃破』
『接近艇二、行動不能』
青葉が、あまりにも冷静に読み上げる。
僕は、その迎撃の早さに、少しだけ息を呑んだ。
乗り込もうとした連中を、近づく前に淡々と叩き落とす――艦としては当然でも、人として見ると少し怖いくらいに正確だった。
シャトルの回線から、ブライアントが低く言う。
「マジで……助かった」
その声は、今度こそ、かなり本気だった。
ヅゴダ側の回線では、部下の怒鳴り声と罵声が重なっている。
さっきまで下卑た笑いを浮かべていた男も、今は何か喚いているだけで、もう余裕の欠片もなかった。
僕は、前方表示の中でゆっくり回転しながら離れていく強襲艇の残骸を見つめた。
『青葉』は、ただ大きくて古いだけの船じゃない。
今は、ちゃんと、守るための牙も持っている――その事実が、いまさらのように胸へ落ちてきた。
そして、その牙を使わなければならない場面が、これから先もたぶん増えていくのだろうと思うと、少しだけ背筋が冷えた。
***
その後、戦場の空気が一段だけ変わった。
いや、空気なんて本当は、ない。
でも、それでもそう言いたくなるくらい、向こう側の“やり方”が変わる気配がした。
さっきまでの黒狼族は、まだどこかでシャトルを少し痛めつけて奪えば済むと思っていたのだろう――場合によっては、撃沈してやろう、くらいの。
地球人を引きずり出し、見せしめにして、白兎族へ恐怖を刻みつける――そういう乱暴な筋書きだったはずだ。
でも、それがもう二度も崩れた。
最初の光刃と火球は、届く前に分解した。さらに、直接乗り込もうとした接近艇は、『青葉』の近接防御で容赦なく落とされた。
つまり、向こうの“手加減込みの脅し”は、全部失敗したのだ。
『敵艦隊内通信、急増』
青葉が告げる。
『黒狼族側の戦術階梯が変化しています』
「階梯って……」
『局地的威圧から、制圧、殲滅寄りの判断へ移行しつつあります』
その説明は、静かなのにひどく冷たかった。
僕は前方表示へ視線を固定したまま、無意識に手を強く握っていた。
シャトルは『青葉』の後方へ回り込みつつある。
ブライアントは生きている。
ジェプラも、制御区画の後ろでまだ息を詰めたまま立っている。
でも、だからこそ分かる。ここから先は、“脅して終わり”では済まない。
ヅゴダの旗艦から、開放回線が、また割り込んできた。
映像の中のヅゴダは、もう前みたいな余裕じみた凄み方をしていなかった。
怒っていた――ちょっと表情が分かりづらいグラブール人であっても、はっきりと怒りの表情が現れていた。
『……ナメた真似しやがって』
その声は低く、獣が唸るみたいだった。
横にいた例の部下も、さすがにもう下卑た笑いを浮かべてはいない。
代わりに、ひきつった顔でお頭の横から何か早口でまくしたてている。
『お頭、あの艦、ただの古代船じゃねえでやすよ……!』
『うるせえ!』
ヅゴダは、横の男を殴って一喝した。
『だったらまとめて焼くまでだ!』
その一言で、背筋に細い冷たさが走る。
前方表示の中で、黒狼族旗艦の周囲にいた護衛艦が、少しずつ散開し始めた。
さっきまでシャトルや『青葉』へ直接圧をかける配置だったのに、今は逆に空間をあけている。
道を作っている。
いや、違う――中心へ、何か大きなものを通すための空間を空けている。
『高密度シャドーマター集束反応を検知』
青葉の声が、さらに一段低くなった。
『黒狼族旗艦を中心に、大規模なシャドーマター制御場の形成が始まっています』
「何……?」
そう聞き返した瞬間、僕にも見えた。
黒狼族旗艦の前方に、赤い光が集まり始めている。
最初は小さかった。
でも、それは火球というより、火球になる前の“条件”が寄せ集まってくる感じだった。
熱――圧力――発光――局所重力の歪みまで……。
周辺のシャドーマターが、まるで旗艦の前方一点へ吸い寄せられるみたいに流れ込んでいた。
その密度を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
さっき分解した火球なんかとは、規模が違う。
『極大火球魔法の予兆です』
ジェプラが、後ろでほとんど悲鳴みたいな声を漏らした。
『そんな……』
「極大火球?」
言葉にした瞬間、それがただの“大きい火球”ではないことがわかる。
極大――つまり、シャトル一隻を焼くためではなく、都市を焼くための魔法だった。
ブライアントの回線から、乾いた息が聞こえた。
「冗談じゃない……」
「青葉」
僕は、呼んだ。
『はい』
「目標は?」
青葉は、一拍も置かずに答えた。
『シャトルではありません』
その一言で、嫌な予感が確信に変わる。
つまり――
「惑星を巻き込むってこと?」
『可能性が高いです』
ブライアントの声が、今度こそ完全に平静を失っていた。
「冗談じゃないぞ……!」
でも冗談ではない。
ヅゴダは、いま僕と『青葉』を認識したことで、むしろ“徹底的に潰す”方向へ舵を切ったのだろう。
『確認。放出予測軸線は、ナヴーピ地表神殿区画および周辺都市へ向いています』
喉の奥がひりついた。
神殿、田園都市、僕たちが歩いた郊外、風受け塔、水路、魔法講座の教室、ハチョキがうろうろしていた回廊、白兎族の人たちの生活――
それら全部の上へ、いま、極大火球魔法が落ちようとしている。
「……ヅゴダ」
僕がそう呟いたのは、怒り半分、信じたくなさ半分だった。
開放回線の向こうで、ヅゴダはぎらついた目をしていた。
『白兎どもは、地球人に付いた!』
彼は、吐き捨てるように言う。
『なら、都市ごと焼かれる覚悟くらいしてたんだろうなァ』
その言葉に、一切の迷いはなかった。
脅しではなく、本当に撃つつもりだ。
横の部下が、ひきつった笑いを戻そうとして、でも戻しきれないまま言う。
『お頭は、本気ですぜ……! もう止まんねえでやす!』
止まらない――多分、本当にそうなのだろう。
僕は、前方表示を見つめた。
黒狼族旗艦の前に、赤い“太陽の種”みたいなものが生まれつつある。
その周囲の空間は、熱で揺らいでいるのではなく、熱という現象そのものが先回りして、世界を焼く準備を始めているように見えた。
『弓良』
青葉が、静かに呼ぶ。
『本艦が、前へ出ます』
その一言で、僕は反射的に顔を上げた。
「前って」
『惑星ナヴーピと敵の火球の間です』
つまり――
「庇うの?」
『はい』
青葉の声は、驚くほど落ち着いていた。
『本艦『青葉』が、ナヴーピ地表への直撃線上へ割り込みます』
それは、理屈としては分かる。
でも、やろうとしていることの規模が大きすぎる。
「受けられるの?」
『受けます』
その返答が、強かった。
大丈夫です、ではない。
受けられる可能性があります、でもない。
僕は、青葉の言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じた。
怖かった――でも、それ以上に、『青葉』の意志があまりにも、はっきりしていた。
ナヴーピを焼かせないために、自分がそこへ入ると決めている。
青葉は、静かに続けた。
『弓良の補助が必要です』
「……うん」
『本艦の前面の重力磁場バリアーとシャドーマター場制御だけでは、偏向しきれない可能性があります。シャドーマターの局所安定化に協力してください』
「勿論」
もう、迷う理由はなかった。
シャトルを守るだけの局面は、もう終わっている。
ここから先は、ナヴーピそのものを守れるかどうかだ。
僕は、接続座へ、もう一度深く手を伸ばした。
光が指へ、腕へ、胸へ、そして意識の奥へ繋がっていく。
『青葉』の場が、船全体の構造が、まるで巨大な生き物の骨格みたいに胸の中へ入り込んでくる。
重力磁場バリアーの偏向板、シャドーマター緩衝層、そして前面装甲――それらが全部、“受けるため”の形を取り始める。
僕は、前方表示の中で、白いシャトルが『青葉』の陰、惑星の方へ滑り込むのを見た。
ブライアントはちゃんと理解している。僕たちが前に出るなら、その隙間を最大限使うしかない。
前方表示の中で、『青葉』の船体が、赤く膨れ上がる極大火球魔法と、惑星のあいだへ割り込んだ。
『青葉』は、高機動スラスターを吹かせて、ナヴーピを背に、ヅゴダの艦と正対した。
その光景は、ひどく静かだった。
でも、その静けさの中に、後戻りできない重さがあった。
『全防御系統、艦首に集中』
青葉が告げた。
『極大火球魔法、放出まで推定、残り十秒』
僕は、息を整えた。
いや、本当は息なんて要らないのに、そうするしかなかった。
ナヴーピを焼かせない――ジェプラの故郷を、白兎族の神殿を、あの朝の応接のホールを、子供たちの教室を――
焼かせない。
「青葉」
『はい』
「行くよ!」
『了解しました、弓良』
その瞬間、極大火球魔法が解き放たれた。




