第二十四章 置いていけない
シャトルが夕方の空へ上がっていくのを、僕は、しばらく見上げていた。
白い機体は、最初は神殿の上空に浮かぶ小さな鳥みたいに見えた。
それがゆっくり高度を上げ、やがてナヴーピの淡い青の中へ溶けていく。
遠ざかるにつれて輪郭が曖昧になるのに、その存在だけは逆にはっきりしていく気がした。
ブライアントが乗っている。
そう思った瞬間だけ、心臓がないのに、胸が苦しくなるような気がした。
『弓良殿……』
ジェプラが、少しだけためらうように声をかけてきた。
僕は、振り向かなかった。
「まだ、見えるかなと思って」
自分でも意味のないことを言っていると思った。
でも、あの機体が視界から完全に消えたら、何かが決まってしまう気がした。
ジェプラは、それ以上何も言わなかった。
その沈黙がありがたかった。
やがてシャトルは、完全に見えなくなった。
そこで、ようやく、僕は、小さく息を吐くような気分になって、視線を下ろした。
――風が吹いて、草が揺れて、神殿の白い壁が夕方の光を受けて、薄い金色に染まっている。
景色は、穏やかだった。
なのに、その穏やかさが、今は、やけに残酷に感じられた。
「……青葉」
『はい』
耳元の端末から、すぐに返事が返ってきた。
『青葉』は、まだ軌道上だ。
「ブライアントの機体、追えてる?」
『はい。シャトルの上昇軌道は追跡中です』
「黒狼族側は?」
『現在のところ、攻撃行動なし』
その答えを聞いても、安心はできなかった。
いま攻撃していないだけだ。
ヅゴダは、二時間の猶予を与えた。
つまり、すぐ撃たないのは当然でもある。
僕は、ようやく発着場から離れ、神殿の回廊へ戻った。
ジェプラとジズゥ、それに太郎もついてくる。
『神子弓良殿』
回廊の影へ入ったところで、ジズゥが低く言った。
『ここから先は、我ら白兎族の責でもあります。どうか、御身を危険に晒されませんよう』
その言い方は丁寧だった。
でも、その実、半分は懇願なのだと分かった。
ジズゥも、僕を巻き込みたくないのだ。
あるいは、巻き込むことで、更に大きな災厄になるのを恐れているのかもしれない。
「……ジズゥ」
『はい』
「ブライアントを出せば、本当に終わると思う?」
直球で聞いた。
ジズゥは、少しだけ目を伏せる。
すぐには、答えなかった。
『終わる保証は、ありません』
やっぱり、と思った。
僕の中で引っかかっていたものが、そこではっきり形になった。
「だよね……」
『ですが、現状の神殿防衛戦力だけで、黒狼族の本気を退けるのも困難です』
「まだ、あのゲラバさんの艦隊が戻ってないから?」
『はい。急報しておりますが、周辺の神殿防衛艦隊を呼び寄せても足りないでしょう。本隊も、二時間では、駆けつけられません』
それもまた仕方ないと思った。ストライプドリープ航法は、とても速いけど、星の間の距離は広大だ。
ちなみに、この「二時間」は、この惑星ナヴーピの自転周期――実は、ナヴーピと地球の大きさは、ほぼ同じで、自転周期も大差ない――から翻訳された地球時間だ。
僕は、回廊の壁へ寄りかかるようにして、少しだけ目を閉じた。
頭の中に、さっきまでの光景が浮かぶ。
ブライアントの蒼白な顔――それでも、冗談みたいに“戻ったらちゃんと受け取る”と言ったこと。
そして、シャトルへ乗り込む後ろ姿。
ちょっとずるいな、と思った。
……あんな感じで頼もしく、少しだけ兄貴ぶって、でも本気でこちらを守ろうとする顔を見せられたら、黙って見送るのが辛くなる。
……僕は、あの人に少し騙された。GDCの使者の件も、最初から知らされてはいなかった。
しかし、彼は、大事なところでは真面目で、大体は誠実で、現実的で……頼もしい奴だった。
そして、気づけば、僕は、その頼もしさを少し好ましく思っていた。
本当に少しだけだけど――
「ホント……嫌だ」
小さく呟くと、ジェプラが不安そうにこちらを見る。
『何が、ですか?』
「一人で行かせたこと」
その言葉は、すっと出てきた。
ジェプラは、何も言わなかった。
ただ、耳を少しだけ伏せて、僕の隣に立った。
太郎は、珍しく無言で、何か考えているようだった。
***
その後、僕は、神殿の小部屋へ戻った。
戻ったけれど、座って待つことができなかった。
部屋の中央には、まだ青葉からの星図投影が残っている。
黒狼族艦隊の位置と、シャトルの上昇軌道だ。
白兎族神殿の周辺の防衛範囲も表示されていた。
それを見ていると、ただ待つという選択がますます苦しくなった。
『弓良』
青葉が静かに呼ぶ。
『精神負荷が上昇しています』
「うん」
『まず整理してください』
「整理、ね……」
言われた通り、卓の上の投影を見つめた。
現状はこうだ。
ブライアントは単独でシャトルに乗り、黒狼族側へ出頭するつもりで上昇中。
ヅゴダは、彼を要求している。
白兎族本隊は、遠く、ナヴーピにある戦力だけでは心もとない。
そして、僕と『青葉』の存在は、まだ相手に知られていない。
そこまで考えて、また同じところへ戻る。
隠し札。
ブライアントは、そう言った。
確かに、今の僕は、そうかもしれない。
でも、隠し札って、最後まで使わないためにあるんじゃないよね?
「青葉、あの艦隊が使った魔法の――分析結果みたいなもの、ってある?」
『はい。神官ジズゥが呼称した名称、粗転送魔法による出現ログ、表示します』
そう言われて視線を向けると、卓の左側に、計測結果がでた。
ゴシロック第四惑星を探査するために、いくつか高精度なセンサーを買っていた。その内容が、青葉からの知識の転送で“分かって”いる。
黒狼族艦隊が現れたときの空間歪曲の残滓と、空間の位相のズレ――局所空間の折り畳みが見えた。
開いた扉――“魔法”の知識層――を基に、それらを分析することができた。
「そっか……理屈としては“ある座標から別の座標へ、存在をまとめて渡す”術式なんだね」
……この機怪人形の能力は、本当に凄いと思った。郊外に行った時にも思ったけれど、“魔法”の意味が、すらすらと分かった。
『はい。概ね、そのような分析をしています。物質のホログラフィック平面ブレーン上の位置情報を、シャドーマターにより“平面ブレーン上で”書き換えているようです。それにより、三次元空間での物質の位置だけが、エネルギーを消費せずに変わります』
「ふむ……」
それを見た瞬間、昨日の魔法講座の感覚が、また胸の奥でひりついた。
光――集束――位相――移動――接続――点と点を、結ぶ。
「……あ」
小さく声が漏れた。
青葉が、すぐに反応する。
『知識層へのアクセスを検知しました』
「青葉、これ……」
うまく言葉にならないけど、何かが“できる”ことがはっきりと分かった。
バルクトランスファー魔法そのものは無理だ。そんな大規模なシャドーマターの制御を、いきなり再現できるとは思わない。
でも、もっと小さく――もっと近くて、もっと細いなら。
“人を一人か二人、別の場所へ飛ばす”くらいなら。
その考えが浮かんだ瞬間、喉の奥が熱くなる。
「テレポート……」
『可能性を検討します』
青葉の声が、一段低くなった。
この低さは、本気で解析に入るときのものだ。
『バルクトランスファー残滓、弓良の知識層、既存の物体移送魔法履歴を照合』
卓の上の光が細かく組み替わる。
位相線が引かれ、弧が重なり、点がつながる。
ジェプラが戸惑ったように言う。
『弓良殿……?』
「まだ、分からない」
僕は、そう言った。
「でも、『青葉』へ戻れるかもしれない」
その一言で、部屋の空気がはっきり変わった。
ジズゥが顔を上げる。
ジェプラが目を見開く。
『神殿から直接、ですか』
「うん」
『そのようなことが可能なのですか?』
「僕にも、まだ完全には分からない」
それが正直なところだった。でも、できるかもしれない、という感触はあった。
『弓良』
青葉が告げる。
『短距離、少人数に限定するなら、理論上の成立可能性があります』
「ほんとに?」
『ただし、保証はできません』
「それでも十分」
僕は、もう、ほとんど決めていた。
じっとしていられない。
シャトルに乗ったブライアントを、そのまま一人で行かせて終わるのは嫌だ。
それが合理的かどうかはともかく、少なくとも、僕にはもう、そう思うだけの理由ができてしまっていた。
***
「ジェプラ」
僕が振り向くと、彼女はびくっとしたように耳を立てた。
『は、はい』
「一緒に来てほしい」
『え』
「『青葉』へ」
ジェプラは、一瞬で青ざめた。
いや、毛並みの下だから実際の血色はわからない。でも、顔つきがそうだった。
『わ、私が……?』
「案内が必要だし、白兎族側の事情も、ちゃんと知ってる人がいたほうがいいんだ」
ジズゥが、すぐに言葉を挟もうとした。
でも、その前にジェプラが自分で答えた。
『行きます』
その声は震えていたが、はっきりしていた。
『ブライアント殿を助けるのであれば、私も行きます』
僕は、少しだけ目を瞬かせた。
てっきり、もっと迷うと思っていた。
ジェプラは、たぶん自分でも怖いのだろう。でも、それでも決意した表情をしていた、たぶん。
その時、耳元の端末から太郎の声が入る。
『太郎も行く』
「うん」
『いや、うんじゃない。最初から行く』
その言い方が、妙に頼もしくて、少しだけ笑いそうになった。
『現場には整備担当が必要』
『太郎』
青葉が静かに言う。
『転移負荷を考えると、随伴数は絞るべきです』
『だが、必要』
『……同意します』
「青葉が折れたね」
『必要要員』
その一言で、僕の中の迷いがまた少し減った。
僕一人じゃない――青葉がいて、太郎がいて、ジェプラもいる。
ブライアントも、完全に孤立するわけじゃない。
「ジズゥ」
僕は、最後に神官のほうを見た。
「すみません」
ジズゥは、しばらく僕を見つめていた。
その目には、迷いと、恐れと、それでもどこか期待に近いものが混じっていた。
『止めるべきなのだと思います』
「うん」
『ですが』
そこで彼は、小さく目を伏せた。
『神子弓良殿が、自ら見捨てぬと決めたなら……私は、その意志を軽んじたくありません』
その返答は、重かった。そして、ありがたかった。
「感謝します」
『どうか、ご無事で』
その言葉を聞いたとき、僕は、初めて、この行動がもう完全に“勝手な思いつき”ではなくなったのだと感じた。
僕が決めて、ジェプラが同行を決めて、ジズゥが見送る。
それだけで、意味は十分だった。
***
転移の準備は、神殿の奥まった小部屋で行った。
広くはない。
でも静かで、余計な人の出入りがなく、術式を組むには向いている。
僕は、床の中央に立ち、手を開いた。
ジェプラがその少し後ろ、太郎は携行ユニットを介して接続待機。
耳元では青葉が、軌道上から座標固定と同期補助を行っている。
『転移先は、本艦『青葉』格納区画前方補助室』
「うん」
『距離、星表から軌道上。負荷は高め』
「それも分かっているよ」
『本艦は、この惑星の静止軌道上にいますので、地上との相対速度差は大きいです。適切な速度ベクトルをかけます』
僕は、頷いた。ただ空間の『座標』を変えただけだと、『青葉』の壁に凄いスピードでぶつかることになってしまう。
『転移は一点収束、短時間維持。弓良の意識がぶれた場合、術式がほどけます』
青葉の説明は冷静だ。
でも、その冷静さの下で、かなり綿密に支えてくれているのも分かった。
青葉は、元々、機怪人形の補助AIだったけど、どうも、巡洋艦『青葉』と一体化してから、そのリソースも使って、最大限、魔法のサポートをしてくれている。
僕は、目を閉じた。
昨日、術式に触れたときの感覚。
今日、バルクトランスファーの残滓を見たときの閃き。
繋ぐ。細く、鋭く、ぶらさずに。
位置変更――ベクトル付加。
『いけます』
青葉が、静かに言った。
「……やる」
僕は、手を前へ伸ばした。
その瞬間、空間の輪郭が薄くなる。
部屋の白い壁と、ジェプラの緊張した気配が一瞬だけ遠くなり、その代わりに『青葉』の内部座標が、落ちてくる。
そこへ、飛んだ。
むしろ、視界が一瞬だけ“抜ける”感じだった。
次の瞬間、僕たちは『青葉』の中にいた。
冷たい金属床、薄い青の照明、艦内を走る静かな振動が感じられた。
「おっとっと」
ちょっとだけ、相対速度を殺し切れなかったのか、ちょっと躓きそうになった。でも、振り向くと、ちゃんとジェプラと太郎もいる。
ナヴーピの地表で感じていた、草と石と夕方の匂いを含んだ静かな時間が、到着した瞬間に切り替わった。
ここは船だ。動くための場所で、選んだあとに迷っている暇を削っていく場所だ。
***
格納区画の前方補助室の照明は少し落とされていて、青い光ラインだけが床と壁を細くなぞっていた。
転移の残滓で少し膝がふらつくような感覚があったけれど、大丈夫そうだった。
『帰艦を確認しました』
青葉の声が、今度は、船全体から響く。
『弓良、成功です』
ジェプラが、小さく息を呑んだ。
『転移直後の負荷は許容範囲です』
青葉がすぐに告げる。
『弓良、ジェプラ、太郎、全員の存在位相を固定。問題なし』
「……よかった」
僕がそう言うと、ジェプラはまだ周囲を見回していた。
当然だと思う。
神殿の石造りの小部屋にいたはずなのに、次の瞬間には古代巡洋艦の金属室内にいるのだ。しかも、それが伝承の中にしかなかった神の船そのものだとなれば、平気でいろというほうが無理だ。
『ここが……』
ジェプラが小さく息を呑む。
『本当に、神の船の内側……』
「感動してる場合じゃないんだ。ごめん」
『あ、いえ……はい』
そこで我に返ったらしい。耳がぴんと立ち、すぐ緊張した顔になる。
太郎が、きびきびと動いた。
『現場要員合流を確認』
太郎は、なぜか少しだけ得意そうだった。
『転移精度、良好。太郎評価、上出来』
「自分の手柄じゃないだろ」
『現場に間に合ったので、広義には手柄』
『太郎』
青葉が、静かに割り込む。
『雑談は最低限に。状況更新を優先します』
『了解。だが、太郎は頼もしい』
「それは知ってる」
僕は、そう返しながら、補助室を出て制御区画へ急いだ。
「青葉」
『はい』
「シャトルの位置を」
『追跡済みです』
「迎えに行こう!」
僕がそう言うと、青葉はほんのわずかに間を置いて答えた。
『了解しました、弓良』
その声には、いつも以上にはっきりした推進力があった。
***
前方表示に映っていたのは、もう“向かえば間に合うかもしれない”段階の光景ではなかった。
シャトルはナヴーピ上空の遷移軌道へ上がり切る前に、進路を大きく変えていた。
いや、変えさせられていた、と言ったほうが近い。
黒狼族の小型艦――突撃艦というらしい――が二隻、白いシャトルの側面へ食らいつくような角度で接近している。
その後方には、より大型の艦影がある。ヅゴダ側の本隊はまだ距離を取っているが、逃がす気はない配置だ。
そして、そのシャトルの艦尾側を、淡く光る弧が追っていた。
「あれ、何?」
僕が息を呑むと、青葉が即答する。
『高出力収束魔法反応です。光系統――』
表示がさらに補正される。
弧は、刃のようでもあり、湾曲した羽根のようでもあった。
細く、鋭く、光の輪郭だけで構成されているのに、そこに熱と切断力が詰まっているのがわかる。
『投擲型光刃。便宜上、“光のブーメラン”と呼称します』
太郎が低く鳴く。
『かわいくない』
「そうだけど!」
『見た目の問題ではありません』
青葉がたしなめる。
でも、その直後にはもう次の情報を出していた。
『シャトルの回避性能では、一撃目を避けきれない可能性があります』
ブライアントの音声が、今度はシャトル側の開放回線から割り込んできた。
「青葉、聞こえるか」
「ブライアント!」
その声を聞いた瞬間、胸がひどくざわついた。
彼の声は、まだ落ち着いていた。
でも、その落ち着きが逆に危うい。平静を保とうとしている声だ。
「聞こえる。位置固定してる」
「悪いな、やっぱり無事には、済みそうもない」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ」
「分かっている」
その短いやり取りのあいだにも、光のブーメランはシャトルへ迫っていた。
白いシャトルが横へ滑る。
回避挙動そのものは綺麗だった。さすがに、ブライアントは、現場の人間だと思った。
でも、シャトルは、元々、儀礼と輸送寄りの機体だと聞いている。戦闘機のように、回避できるか……。
光のブーメランが、かすめた。
次の瞬間、シャトルの艦尾で白い破片が散った。
「っ!」
僕は、反射的に一歩前へ出ていた。
『艦尾左舷ブロック損傷』
青葉が、すぐに読み上げる。
『推進ノズル一基、大破。姿勢制御、低下』
シャトルは、完全に沈黙したわけではない。
でも、尾を裂かれた鳥みたいに機体の姿勢が不安定になっていた。まだ落ちていないのが不思議なくらいだ。
ジェプラが、制御区画の入口で小さく悲鳴を上げた。
『シャトル……!』
その声は、故郷の船を傷つけられた人間の声だった。
「青葉」
『はい』
「出る」
『了解しています』
その返答が、あまりにも早かった。
もう青葉も同じ結論に達していたのだろう。
『巡洋艦『青葉』、緊急出撃シーケンスへ移行』
艦内の光が一段深くなる。
補助動力の振動が、床を通して足元へ伝わってくる。
船全体が、静かに目を覚ます獣みたいに前へ意識を向け始めた。
『現在位置よりシャトル迎撃線へ最短移動』
『ジェプラは第二補助席へ。太郎、格納区画防御待機。弓良は、中枢接続を』
「分かった」
そう答えながら、僕は、制御区画中央の接続座へ手を伸ばした。
結局、座席とは別に支持機構に保たれて立つ形式になっている。
青い光が、指先へ触れる。
ひやりとした感覚がした。
そしてそのまま、『青葉』の中を巡る情報の流れ、シャドーマター場と、自分の中の回路みたいなものが薄く重なった。
完全ではないけれど、前よりずっと繋がっていることが分かった。
補助推進、姿勢制御、前方観測、攻撃予測――それらが一気に胸の奥へ流れ込んできた。
『迎撃位置まで十七秒』
青葉が告げる。
『第二撃予測、十四秒後』
まずい。
間に合うかどうかが、もう秒単位だ。
「ブライアント」
僕は、開放回線へ呼びかけた。
「聞こえる?」
「聞こえている」
「逃げきれないよね?」
「たぶんな」
その“たぶんな”の中に、妙な軽さがあった。
諦めているわけではないが、現実は、はっきり見ている声だった。
「だから、助けに行く」
僕がそう言うと、ほんの一拍だけ沈黙があった。
「……手を出すなって言ったよな?」
「今さらだよ」
「ほんと、そういうところが……」
その返しは少しだけ、いつものブライアントに近かった。
それだけで、胸のざわつきが少し変わった。
まだ間に合うかもしれない。
少なくとも、完全に遅れたわけではない。




