第二十三章 黒狼族の通告
郊外の見学から急いで神殿へ戻るころには、ナヴーピの空は、もう夕方の色に沈みかけていた。
ほんの少し前まで、僕たちは田園の水路や風受け塔を見て、魔法が生活の中へどう溶け込んでいるのかを話していた。
白兎族の〈先住者〉に対する考え方と、人類の前のめりな利用思想の違いについて、ブライアントとジェプラが珍しく正面から議論して、太郎がその横から妙にもっともらしい整備者理論を差し込んできたりもした。
その空気が、青葉の緊急連絡ひとつで、ひっくり返った。
「どこの艦隊なの?」
「魔女ゲラバの艦隊じゃないのか?」
僕の言葉に被せて、ブライアントが問いかけた。
『現時点では一致しません』
青葉の返答は短い。
『加えて、通常のストライプド・リープ航法での出現ではありません。この惑星の近くに、突如、現れました』
その一言で、ジェプラの顔色が変わった。
『そんな……本当に……』
その声は小さいのに、震えがはっきり伝わった。
「そんなにまずいの?」
僕が聞くと、ジェプラはすぐには答えられなかった。
喉を鳴らすみたいに一度黙ってから、やっと言う。
『……粗転送魔法かもしれません……』
「?」
僕が首を傾げると、青葉は即答する。
『はい。シャドーマターの変位を観測しています。何らかの魔法が使われた可能性が高いです』
ジェプラは、震える声で、告げた。
『……粗転送魔法は、秘術中の秘術です。瞬間的に、ある空間自体を他の場所にあるように変更します。強大な魔力を持つ一部の上位魔導士だけが扱える術で……艦隊規模で使うなら、相応の意思と準備が必要です』
グラブール人も、通常はストライプド・リープ航法を使う。
特殊な魔法で艦隊ごと現れたというなら――ただの巡回でも訪問でもなく、本気で何かの意図をもって来ている。
『神殿側へ状況共有を』
青葉がそう言った瞬間、ジェプラはもう動いていた。
『こちらへ』
案内役というより、神殿所属の者としての足取りだった。
神殿に車が着いた後、僕たちは、急いで実務会議区画へ向かった。
***
小会議室へ入ると、ジズゥはすでに呼ばれていた。
白い壁の部屋で、低い卓の上に青葉からの戦術投影が立体的に浮き出ている。
星系外縁の簡易図と、出現点、艦影が表示されていた。
ジズゥは、それを見た瞬間、静かに言った。
『黒狼族ですな……』
その声音には、説明より先に嫌悪と警戒があった。
ブライアントが腕を組んだまま、低く言う。
「やっぱりか」
「分かるんですか?」
僕が聞くと、ジズゥはうなずいた。
『艦影の意匠と、配置、それに転移後の陣形から見て、間違いありません』
『貰ったデータを元に、暫定照合しました。黒狼族の強襲魔法艦隊である可能性は、高いです』
青葉も、補足する。
ほんの数秒の沈黙のあと、新しい表示が卓の上に開いた。
『先方より一方的映像通信を受信しました』
青葉が告げる。
『白兎族神殿宛です』
「……出すしかないよね」
『はい』
次の瞬間、卓の上の星図が薄れ、荒っぽい映像が立ち上がった。
最初に見えたのは、黒い毛並みだった。
狼に似た顔立ちで、細く鋭い目をしているグラブール人だった。
そして、重そうな装甲の肩当てを着て、胸元には雑にぶら下げた戦功飾りみたいなものをつけている。
そして、その男は――艦隊司令官というより、場末のならず者集団の頭目みたいな座り方をして、こちらを見ていた。
『おう、白兎のヤロウども』
第一声から、品がなかった。
いや――翻訳越しとはいえ、完全に愚連隊の頭のような口調だ。
ジェプラが思わず息を呑み、ジズゥの耳がぴんと硬く立った。
『黒狼族の最恐魔法士、ヅゴダだ。聞こえてんだろ?』
あまりの乱暴な言葉に、一瞬、理解が遅れた。
黒狼族の男――ヅゴダは、肘をついて卓へ乗り出すみたいに言った。
『お前ら白兎のヤロウが、野蛮人の地球人と接触を持ってて、地球人を匿ってるのは、知ってんだよ!』
その言い方に、一切の外交的な配慮や何かはなかった。
僕は、無意識に、横のブライアントを見た。
彼の顔から、血の気が引いていた。
『地球人を引き渡せ』
脅迫口調だった。
ヅゴダは続ける。
『引き渡さねえなら、極大火球魔法でナヴーピの都市ごと焼く』
その一言で、部屋の空気が凍る。
極大火球魔法――グラブール人の言い方ではそれで済んでいるけれど、要するに都市ごと焼き払う規模の戦略級魔法攻撃、ということだろう。
ナヴーピの神殿も、田園都市も、ジェプラが案内してくれた郊外の生活区画も……。
『期限は二時間だ』
ヅゴダは、にやりとも言わずに吐き捨てた。
『分かったか、白兎ども!』
その時だった。
映像の端から、もう一人の黒狼族の男が顔を出した。
こっちはヅゴダ程、迫力はなかったが、目つきが嫌な感じに湿っていた。
口元が薄く歪んでいて、笑っているようにも見えるが、たぶん性格が悪いだけだろう。
『ヒヒヒ。お頭はよぉ……』
そいつは、妙にねっとりした声で言った。
『この間まで、地球人を捕まえる任務に就いてたんでやすが、失敗してカリカリしてるんでやす』
その言い方に、ブライアントの眉がわずかに動いた。心当たりがあるらしい。
男は、さらに続ける。
『だからよぉ、大人しく地球人を引き渡さねぇと、ホントにぶっぱなしやすぜ』
そこで、わざとらしく笑う。
『ヒヒヒ』
その笑い声は、場の空気を悪くするためだけに作られたみたいだった。
僕は思わず顔をしかめた。
ひどい。
言い方も、態度も、何もかもが酷い。
しかし、酷いからといって冗談になるわけじゃない。むしろ、こういう連中のほうが本当にやる、だろう。
ジズゥが、低い声で言った。
『……黒狼族らしいですな』
その言い方には、嫌悪がはっきり混じっていた。
ヅゴダは最後に、面倒くさそうに片手を振った。
『じゃあな。二時間だ』
映像は、ぶつりと切れた。
***
数秒の沈黙が落ちた。
誰もすぐには喋らない。
夕方の光が小部屋の白い壁を照らしているのに、その明るさだけが妙に場違いに感じられた。
「……僕と青葉のこと、言わなかったね」
最初にそう口にしたのは、たぶん現実確認のためだった。
ジズゥが、ゆっくり頷く。
『おそらく、存在を知らないのでしょう』
青葉も静かに補足する。
『現時点で、ヅゴダ側が本艦『青葉』および弓良を認識している兆候はありません』
「じゃあ、狙いはブライアントだけ?」
そう言葉がでた瞬間、僕自身が、それを信じていないのが分かった。
青葉が、すぐに応えた。
『狙いの中核はブライアントです。ですが、“白兎族が地球人と接触している”という構図そのものを潰したい意図も見えます』
つまり、ブライアントを渡して終わるとは限らない。
でも少なくとも、いま向こうがはっきり認識している標的はブライアントだ。
そして、ブライアント本人は――僕は、彼を見た。
蒼白だった。
いつもの軽い笑い方も、山師らしい余裕もない。
顔の血の気が引いていて、それでもどうにか思考を回している顔だ。
「……ブライアント?」
僕が呼ぶと、彼は、ほんの少し遅れて返事をした。
「ああ」
「さっきの、“地球人を捕まえる任務”って?」
少し迷ったが、尋ねた。
「詳しい報告は受けていないが、“魔法”攻撃を使う海賊に襲われた冒険者チームがある」
ブライアントは、一度目を閉じた。
「彼らは逃げ延びたから、黒狼族にとっての“失敗”になったんだろう」
ブライアントは、乾いた声で言う。
「その後、彼らは“白兎族が地球人と接触している”という話を、上層部から掴まされたんだろう。埋め合わせにちょうどいい」
「つまり……」
「前の失態を取り返す名目で、今回は、俺を狙ってきた」
その言い方は、あまりにも現実的だった。
ジズゥが低く言う。
『黒狼族らしい発想です』
ジェプラは、まだ少し信じきれないように呟いた。
『たった一人を……』
「違う」
ブライアントが静かに遮った。
「一人を差し出させることで、“白兎族は地球人と結ぶと痛い目を見る”って示したいんだ」
そこまで聞いて、ようやく全体像が見えた気がした。
これは個人的な恨みだけじゃない。
見せしめだ。
***
「……なら、答えは出てる」
ブライアントはそう言った。
声は、まだ少し乾いていたけれど、もうさっきの動揺だけではなかった。
自分の中で、何かを決めてしまった顔をしている。
「俺が、一人で、出る」
部屋が、また静かになった。
ジェプラが思わず顔を上げる。
『ブライアント殿』
「向こうが求めてるのは、今のところ、俺だけだ」
「でも、それで終わるとは思えないよ」
僕が、すぐに言うと、ブライアントは首を振った。
「終わらないかもしれない。しかし、終わる可能性があるなら、賭ける価値はある」
「賭けるって……」
「人類連邦が外交交渉してくれる可能性だよ」
ブライアントは、無理やり平静を保つみたいな声で続けた。
「俺は、GDC側の現場要員だ。正式な軍人ではないが、完全な野良でもない。黒狼族に拘束されたって話になれば、地球人類連邦も、少なくとも表向きは黙っていられない」
「表向き、って」
「それでも、ゼロよりは、ましだ」
その言い方が、逆に切実だった。
つまり彼自身、そんなに希望的だとは、思っていないのだろう。
それでも、いま出せる“ましな賭け”がそれしかない。
「ブライアント」
僕が、低く呼ぶと、彼は少しだけ視線をこちらへ向けた。
「弓良、お前は手を出すな」
「え?」
「少なくとも、今のヅゴダは、お前を知らないようだ。青葉も知らない」
その一言で、胸の奥が少しだけ冷えた。
確かにそうだ。
今のところ、向こうの通告の中には僕も『青葉』も入っていない。
「俺がシャトルで上へ出る」
ブライアントは、言った。
「白兎族側は、“要求された地球人を引き渡す”形を作れる。あとは向こうの艦まで行って、どこまで時間を稼げるかだ」
「時間を稼ぐって……戻る前提じゃないの?」
僕がそう言うと、彼は少しだけ苦く笑った。
「戻る前提では、ある」
その言い方は、半分本気で、半分嘘だった。
僕には分かった。
完全に諦めているわけじゃないけれど、楽観もしていないのだ。
「だめだよ」
思わず、そう言っていた。
でも、声に強さが足りなかった。
僕自身、何が“だめ”なのか、まだ言葉にしきれていない。
ブライアントは、そこで、少しだけ年長者の表情――時々思っていたけど、兄貴っぽい感じ――になった。
「弓良」
「……うん」
「ここで、お前まで顔を出したら、たぶん話が別の方向に行く」
彼の声は、静かだった。
「だから、今は動くな。お前は、まだ知られてない」
その言葉が、妙に重かった。
戦術としては正しいと、僕だって、頭では分かった。
でも、だからといって、簡単に飲み込めるものでもない。
***
結局、ブライアントは、本当に動き始めた。
白兎族のシャトルに乗り込んだのだ。
儀礼用でもあり、神殿と軌道上を繋ぐ足でもある。
その白く流れるような機体が、急ごしらえの出頭船になるなんて、誰も想像していなかっただろう。
神殿側は、止めた。
ジェプラも、ジズゥも、形式上は止めた。
でも、完全に止めきるだけの代案がないことも、皆、分かっていた。
発着場へ向かうあいだ、僕は、何も言えなかった。
夕方の空はまだ高く、薄い青のままだ。
こんな色の空の下で、誰かが一人で敵の艦隊へ向かおうとしている。
それが妙に現実味がなくて、でも現実だった。
ブライアントは搭乗前に、一度だけ振り返った。
「弓良」
「うん……」
「死ぬつもりはない」
その言い方は、軽くも重くもなかった。
ただ、今の彼に言える範囲で一番まっすぐな言葉だったのだと思う。
「だから、お前は、動くな」
「でも……」
「でも、じゃない」
何というか、近しい身内の人が、諭すような口調だった。
「今のお前は、隠しておける切り札だ。切り札ってのは、手札が全部、尽きるまで見せないもんだろ」
その理屈は、分かる。だから、嫌だった。
僕は、唇を噛んだ。
この数日で、ブライアントのことを完全に信用した訳ではない。
少し騙されたし、GDCの非公式接触の使者として、半ば利用されたのも事実だ。
でも、それでも。
この人は、真面目だ。
少なくとも大事なところでは、変なごまかしをしない。
大体は誠実で、現実的で、頼もしくて、少し困ったところもあるけれど、なんだかんだで、こっちを守ろうとする。
そういう人だと、思い始めていた。
たぶん、少しだけ。
本当に少しだけだけれど、好意に近い感情もあったのだと思う。
だからこそ、いま一人で行かせるのが嫌だった。
「……僕、あんまりこういうのは、好きじゃない」
気づくと、そんなことを言っていた。
ブライアントが、一瞬だけ目を細める。
「何が?」
「なんか、ここは俺に任せて、お前は逃げろ、みたいな」
その言い方に、彼は少しだけ、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「それは褒めてるのか? なら、今は受け取っとくよ」
「今じゃなくても受け取ってよ」
「じゃあ、戻ったらちゃんと受け取る」
その返しは、ずるいと思った。
戻るつもりだと信じたくなるから。
ジェプラが、息を詰めたままそのやり取りを見ていた。
ジズゥは何も言わず、ただシャトルの起動確認を進めている。
ブライアントは、指を立てると、最後にもう一度だけ言った。
「弓良、絶対に手を出すな」
そして彼は、シャトルへ乗り込んだ。
白い機体のハッチが閉じて、駆動光が灯った。
シャトルは、ゆっくり浮上し、ナヴーピの夕空へ上がっていく。
僕は、その機影を見上げたまま、動けなかった。
止めたい。
でも、止める言葉がない。
行かせたくない。
でも、代わりに何を出せばいいのかも、まだ見えていない。
そして、そんな自分自身に、少しだけ腹が立った。
シャトルは上昇し、やがて夕方の光の中へ溶けていくように小さくなった。
ここで見送って終わるのか。
それとも――
その問いだけが、胸の中に残った。




