表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青い鳥ルーレット  作者: シトラチネ
青い鳥ナイン・ダーツ
68/68

4. つかんだワラが首にからまる

 ランタンの明かりが見えて、部屋に入る前にラウーの来訪は分かってた。

 それでも昨夜のいきなりな訪問より驚いてしまったのは、鎧姿に不似合いなドレスを手にしてたから。鎧を着てなくても不似合いだろうけど。

「競技の装備だ」

 鎧の背後に控えていた女性が震えた。

「大佐、今のお言葉はわたくしの胸に突き刺さりましたわ。装備だなんて。ウェディング・ドレスを、そ、装備とお呼びになるなんて!」

 ラウーの言葉は、彼女の豊満すぎるほどの胸さえも貫通する威力があったらしい。まつ毛バサバサな目元をハンカチでぬぐっている。

「あ、マリポーサさん。お久しぶりです」

「ごきげんよう、ミセス・スマラグダス」

 ブティック店長マリポーサは瞬時にバラと蘭が咲いて蝶が舞いそうな笑顔になったが。

「おいたわしいこと。ウェディング・ドレスのお仕立てが、挙式のためでなく奥様かつぎレースのためなんて」

 再び涙にくれている。女優ばりの変わり身だ。

「わたくし、お引き受けするか悩みましたわ。ええ、とても」

 悩んでくれたんだろうな。山積みの新品ワンピース、靴、帽子、傘なんかが注文されるまでは。下着の山の頂上にあるピンクのリボンがかかった箱、『ご夫妻へささやかな贈り物 マリポーサより』って書いてある箱は開けない方がいい気がする。

「えーとつまり、レースではウェディング・ドレスを着る決まりになってて、それをマリポーサさんが作ってくださったと」

「しかもウェストは実寸より余裕をもつようにと。出来るだけ軽量にと。わたくし抵抗いたしましたのよ。ミセス・スマラグダスのご意思に沿わないのではないかしら、貧弱な装飾や薄い生地では佐官の花嫁にふさわしくありません、と」

「ありがとうございます……!」

 思わずマリポーサの手を握ってしまった。命がけでイエッサーと叫ぶ軍人たちを従える大佐・ラウーに抵抗できるだけでも、マリポーサはすごい。尊敬だ。

 でも結果は知れている。だってラウーは威厳ではイエスと言わない相手にもイエスと言わせる。視線とかカネとか腕力で。

「ごめんなさい、わたしのために怖い思いをしましたよね」

「いいえ。いいえ、ミセス・スマラグダス。大佐は、夫人のご出身であるネイティヴ一族伝統の、シンプルな花嫁衣装で迎えたいのだとおっしゃいました。我々の結婚はアダマスとネイティヴの和平の象徴だからだと。わたくし、自分の浅慮が恥ずかしくて……!」

 ラウー・スマラグダスの真に面倒くさいところは、手段はともかく正論を吐くことである。

「ご立派な殿方ですわ。ええ、ご立派な軍人さんですもの、装備とお呼びになるくらい、微笑んで受け止めなければ」

 味方に寝返られた気分だ。ぜんぜん、微笑んで受け止められない。

 そんな受け止められないいきさつで説き伏せられたマリポーサの仕立てたドレスがラウーの手にある、ということらしい。マリポーサが張り切って、ウェストに余裕のある軽量・丈夫・動きやすい装備に作り上げてくれたに違いない。なんかものすごーく深いスリット見えてるし。股関節の可動域最大化を配慮される花嫁っていったい。

 桐花もかつては人並みに、ウェディング・ドレスへの憧れを持っていた。けれど結婚への憧れをラウーのひどい扱いで粉砕された今となっては、ウェディング・ドレスなんて『なくても死なないモノ』という認識に落ちている。婚約指輪も結婚指輪も新婚旅行も、甘い新婚生活とかいうものも。

 乙女心まで破壊されてる、と桐花は嘆く。結婚のための自分みがき中なのに、これじゃむしろ自分が曇ってる。すさんでる。

 マリポーサのプレゼント、開けてみよう。百パーセントコットンの清楚な白ぱんつかもしれないじゃないか。

 いやでも相手はウェディング・ドレスを装備と呼ぶ男。白ぱんつだろうが真っ赤なシルクの勝負ぱんつだろうが、『解除すべき装備』の認識しかないに違いない。たとえふんどしだって貞操帯だって……とヤケになりつつ仮縫いを済ませた。

 ウェストにまだまだ余裕のある恐ろしいドレスを持って、マリポーサは帰っていった。あれがぴったりフィットしちゃうのは避けたい。

「いいこと思いついた。体重を無理に増やさなくても、砂袋とかくくりつければ解決だよね!」

「重心が乱れる。おまえの重心はテスト・フライトで確認済みだ」

 本人も知らないモノを勝手に確認しないで欲しい。

「わたし、テスト・フライトに同行してないけど」

「した」

「いつ」

「昨晩。この部屋で。レースに最適なかつぎ方を試行した」

 待て。

 昨夜、やけにアクロバティックなやり方にこだわってた理由ってまさか……。

「ダイエットしてやるー!」



「朝食は用意してくださったので頂きますが、昼食以降は自分で! 済ませますので! やせてみせます! ありがとうございました!」

 翌朝。ラウーは泊まらずに仕事へ戻っていったから、しっかり眠れた。充填された元気を原動力にして、軍食堂にて高らかに宣言すると、鞠姐さんが深々と頭を下げた。

「申し訳ございません。わたくしの不徳で大佐さまの命に添えないとなれば、この自ら研ぎ澄ました合口にて」

「自害だめー!」

 懐剣を抜こうとした手を慌てて止める。鞠姐さんの場合、ポーズではなく本気で言ってるからこっちも必死だ。小刀をぎゅうぎゅう引っ張り合いながら、あせって見回した。青くなって息を飲んでいるシュテファンは役に立ちそうにない。

 周囲で朝食をむさぼっていたはずの軍人たちは、すでに金を飛び交わして賭けを始めている。自害しない、が優勢のようだ。そうあって欲しい。っていうか誰か止めるの手伝えー!

 そうだ、こんな時こそ護衛に助けてもらおう!

「ルキアさん、鞠さんを思いとどまらせて!」

「了承しました」

 ラウーの妹、ルキアはつかつかと鞠へ歩み寄る。海軍の制服を思わせる白いスーツに、編み上げブーツ。着物姿の鞠の横へ膝をつけば、宝塚の様相。ラウーと同じ異色の涼しすぎる瞳が鞠を見据えた。

「鞠さま。食堂を血で汚すべきではありません。別に場所を用意しますので」

「場所の問題じゃないー!」

「日本人の自害スタイルは割腹でしたね。献体のご意思があるなら、腸を傷つけないでいただけますと」

「やり方の問題じゃないー!」

 だめだ! この二人、思考が姉御すぎるー!

 ルキアが説得に入った瞬間、軍人たちの賭けは自害するしないじゃなくて、どこを切るかに変わった。喉が優勢のようだ。知れ渡っているスマラグダス兄妹の有言実行確率が怖い。

 ふと、鞠の険しかった眉間が緩んだ。

「失礼いたしました。おっしゃる通りです。お見苦しい真似をお許しください。頭を冷やして出直して参ります」

 懐剣を収め、しゃきりと姿勢を正してから、鞠は一礼して下がっていった。わんこご飯用のしゃもじはシュテファンに託された。軍人たちが喝采とブーイングの中で清算を始める。食堂は急速に平常へと鎮静化した。

 さすがラウーの妹、結果的にはお仕事キッチリ。去り行くたすきがけの背中にルキアは声をかける。

「介錯はいつでもお引き受けします」

「鞠さんを止めてくれてありがとう……」

 幸い、虫嫌いにはおぞましい、苦虫を噛みつぶすという経験をしたことはない。けれど、今まさにそんな顔をしてる自信がある。

「夫人、ご心配なく」

 シュテファンは苦虫も惚れそうな花の笑顔だ。

「鞠さまの不手際ではなく減量のためと、こちらからも説明いたしますので」

「協力してくれるの? シュテファンさんは、わたしに食べさせたいんじゃないの?」

「教科書の無償配布を諦めれば済む話です。タダで学べるなど、虫のいい話はありません」

 それってカレッジ・ソングなんかより優先されるべき話じゃないだろうか。

 惚れた苦虫が寄っていったら、食虫植物だったみたいな。

「さあ、本日は麦とろ飯でございます。乗っているのは産みたての初卵でございます」

 ぷりん、と小高く盛り上がった濃い黄身が、とろろの中央から見上げてくる。

「今朝、大佐が仮眠なさっている隙に、鞠さまと掘りだした自然薯のとろろでございます」

「そ、そうですか。嬉しいです」

「芋掘りなどとわたくしども文官には苦手な肉体労働ですが、やってみれば楽しいものでした。わたくしの顔についた泥を、鞠さまが拭ってくださいました。しかし鞠さまの指もまた泥だらけで、ますます汚れてしまい、二人で顔を見合わせて笑いました。夫人の食事でつながっていたわたくしと鞠さまの接点は、もう、途絶えるのですね……」

 とろろが喉を通らない……。

「わたくしもそろそろ、身を固めてもいい頃。ですが、わたくしども文官は結婚相手として人気職ではございません。まして白魔と恐れられるスマラグダス大佐専属と聞いて、縁談は会う前に断られます」

 恐れられる白魔の妻本人の前で言うな。

「独りさまよう暗い闇に差した光は、たとえこの手でつかむことが出来ずとも、わたくしを癒してくださいました。それだけで充分でございます。恋愛結婚に賭けたのがただ一人という大佐に起きた奇跡に、わたくしもあやかれるかと……ふふ、出すぎた望みでした」

 さびしくも爽やかな笑顔を崩さず、シュテファンは妙な作業を始めた。

「えっと……なんでマッシュド・ポテトを腸詰めにしてるんですか」

「ああ、お気になさらず。カレッジ・ソング保守のための試作です。これをあちこちの穴にバランスよく詰め込めば重心を崩さず体重を増やせると、大佐のご指示です」

 密輸犯か囚人しかしない最終手段じゃないんですかそれは?

「イヤです」

「ご心配なく。破れても無害です。砂金ですと吐くときつらいですよ」

「問題はそこじゃないです」

「存じております。万一漏れても発覚しないよう、厳重な下着をご用意しますので」

 あのアクロバティックな体勢でしがみつくだけでも恥ずかしいのに、腸詰めマッシュド・ポテトを漏らしたりしたら精神的な命綱が切れる!

「ご不満のようですね。では、他に解決法が?」

 万策尽きました、と語る困りきった眉が憎らしい。

「……結婚式には呼んで下さいね」

 涙と麦とろ飯を喉に流し入れ空のおわんを差し出すと、シュテファンは苦虫も昇天する極上な笑顔を咲かせた。

 いいんだ、とろろが美味しかったから。



 本好きは文房具好き。

 書店を営む桐花の父も例に漏れなかった。幼い頃の桐花は人形やキャラクター物を欲しがって、父のプレゼントである金箔押しの革装丁本や万年筆を疎ましく思ったこともあった。けれど今となっては、本物に触れさせてくれたありがたさが分かる。

 太市が持ってきたペン先で試し書きして黙ってしまったのは、父のくれた万年筆の書き味とつい比べてしまったからだ。

 太市は両手の指でワキャワキャと空気をかいた。

「言うな! 言わないでくれ、充分じゃないことは俺だって知ってるんだ!」

 クーラーどころか扇風機もない世界の亜熱帯で、印刷工場は窓も出入り口も全開だ。太市が訪ねて来ても密談場所なんかない。万年筆の打ち合わせは工場の隅でひっそりやるしかないのに、太市は指ワキワキで叫ぶので工場内の視線をありったけ集めている。

「太市さん静かに、これ内緒話だからっ」

「やれる、まだやれる、けど頭ん中の理想に指先がまだ追いついてないんだ」

 ふるーいスポーツ漫画で見たことある、瞳の中に炎がメラメラしてる図。自分が涙にくれてヒーローを見守るマネージャーな気分になってきた。ふ、いまさら。ラウーと出会ってからずっとそんな感じだ。

「俺にしか出来ないレベルにならないとダメなんだよな、ちくしょおぉぉ絶対満足って言わせてみせるからなー!」

 桐花の手から試作品をひったくると、太市は半泣きで走り去った。背景に夕陽をつけてあげたい。

 円圧印刷機を試運転しつつ遠くで見ていた職人たちが、ひそひそと話している。

「指使いを求めてるらしいな、スマラグダス技術顧問……」

「若さもテクニックも、だとよ。要求たけーなオイ」

「っていうかアイツ、よくまだ生きてんな」

 そう、ペン先は職人技だ。父が発泡酒片手に語ったウンチクを思い返す。圧延、成形、焼き入れ、溶接、カット、研磨と数ある工程の中でも最も難しいとされるのが、ペン先を切り割る作業。インクの道を作り、ペン先の硬度を決定付ける。機械化が進んでも、ここだけは職人の指に頼らなきゃいけない部分なんだとか。

 太市に狙わせているのは、その切り割り技術の独占的な習得。万年筆の利便性を広め、需要を増やして、太市がペン先製造に不可欠であり専属として認めざるを得ない状況を作る。これが銃火器製造から太市を引き抜くプランだ。

「技術顧問ー、ハンドルの長さを伸ばしてみたんですが、どうっすかねー?」

 円圧印刷機はほぼ形になっている。ハンドルを回すと台上の版盤がスライドし、円筒と台のあいだに印刷物を通過させてプレスする。パスタ・マシーンみたいで楽しい。

「わあ、わたしでも回せる! いいですね! 試し刷りしてみよう。組版職人さん、出来たのある?」

「へえ、ここに!」

 組版職人が重い版を大事そうに、まるで我が子を抱くように大事そうに抱えてにこやかだ。桐花の胸にふつふつと熱が沸く。

 みんな職人魂を燃やして頑張ってる。自己満足に終わらず、より良い結果を考えて手を尽くす。ラウーの言う、責任。一人ひとりの力は小さくても、無数のもやしの発芽がピアノを持ち上げるみたいに、やがて文明の底を押し上げる。働くことの崇高さなんて、だらだらと店番してた頃は知らなかった。

「総統の『妻に捧ぐ詩』を組み付けてみやした。聞いた話じゃ、詩集を印刷なさりたいとのことで」

 男は鷲で妻は巣なり、戦い終われば舞い戻り、疲れた翼を癒す場所、ああ癒す場所

「新作の執筆に励んでらっしゃるとか……技術顧問、顔が怖いですぜ」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ