45.アダムの昔話
「どうぞ」
ビビアンが私とアダムの前に紅茶を置いた。湯気が立ち上るカップに両手を添えると、かじかんでいた手がじんわりと温まってくる。さすがに外に長くいるのは寒すぎて口がまわらないということで、アダムと二人で室内へと戻ってきたのだ。
「アンジェリーナはね、記憶をなくす前はアイスノワブルの氷の女王だったんだ」
「アイスノワブルですか?」
聞いたことのない名前に首を傾げる私に、小さな国だから知らなくても不思議じゃないとアダムは言った。
「一年中雪と氷に覆われたとても美しい国なんだ。ノースローザンヌの貴族にもファンが多くてね。母も毎年アイスノワブルに遊びに行ってるんだ」
それでアンジェリーナとの婚約が決まったのだと言うアダムは、とても柔らかな瞳をしている。
「アンジェリーナは氷の女王で国から出ることはできない。だから私がアイスノワブル王家に入ることになってたんだ」
氷の女王というのは国を守る力を持つ王族のことだとアダムは教えてくれる。百年以上前、ノースローザンヌがアイスノワブルを占領しようとしたことがあったらしい。その時捕らえられた女王が国を出ると、一夜にして氷と雪が全て溶けて何もなくなったそうだ。
それ以来ノースローザンヌはアイスノワブルを占領するのではなく友好関係にあるのだとアダムが言った。
「正直始めは嫌だったよ。雪ばっかりで何もないところに行かされるのはね……」
アダムがいつもの貼り付けたような笑顔ではなく、少年のような顔で笑った。
「まぁ第三王子だし、兄達みたいに期待もされてなかったから国を出されても仕方ないってあの頃は思っていたっけな」
どこか遠くを見るような瞳をしながらアダムは話し続ける。
「でも初めてアイスノワブルを訪れた時、こんなにも美しい国があるのかと感動したんだ。太陽の光を浴びて輝く氷の城や雪山は忘れられないよ」
「私も見てみたいです」
そう言う私にアダムは微笑んだ。
「アンジェリーナに初めて会ったのも雪の中だったんだ。あの時は本気で……」
アダムが少しだけ照れ臭そうな顔をして言葉を詰まらせた。
「私も子供だったんだろうね。アンジェリーナの事を雪の妖精だと思ったんだから」
アンジェリーナの話をするアダムの顔は、今までに見たことがないくらい生き生きしている。いつもの胡散臭いつくり笑いなんかより数百倍も魅力的だ。
「二度目にアイスノワブルに行った時、お土産に花を持って行ったんだ。小さな花束だったんだけど、アンジェリーナがすごく喜んでくれてね。それからだったかな……アンジェリーナの為に何かしたい。もっと笑顔を見たいって思うようになったのは」
このアダムを夢中にするんだから、アンジェリーナはとてもステキな女性なのだろう。夕食会で会ったアンジェリーナは、空色の瞳が印象的な美しい女性だった。
「アンジェリーナは国から出たことがなかったからね。私が持って行く物も、私の話も、全てが新鮮だって言っていたよ。私は今まで兄弟の中でも出来損ない扱いだったし誰からも必要とされてなかったから……アンジェリーナが自分の訪れを心から喜んでくれているのを見て、自分の居場所を見つけた気がしたんだ」
「アンジェリーナ様のこと、とてもお好きだったんですね」
アダムはイエスともノーとも言わなかった。ただひどく切ない表情で微笑んだだけだった。
「それがどうして……?」
アダムではなくデイビッドと婚約したのだろう?
そもそもアンジェリーナは国から出られないのではなかったのか?
「私のせいなんだ……」
「えっ?」
アダムの小さな声がうまく聞き取れず聞きかえした。
「全部私が悪いんだ」
北風がカタカタと窓を鳴らす。窓の外はどんよりとした冬の空が広がっている。自分のせいだと告げたまま黙ってしまったアダムの表情は暗い。
「何があったんですか?」
アダムにとっては話しにくいことなんだろう。でも誰かに聞いてほしそうにも見える。ただ何となくだけど……
ふぅっと小さなため息をついてアダムが口を開いた。
「花を見せてあげたいと思ったんだ」
「お花ですか?」
「そうだよ。アンジェリーナは花が咲いているのを見たことがなかったんだ」
アイスノワブルには氷の花や雪の花などはあるけれど、綺麗な色のついた普通の花は咲かないらしい。アイスノワブルから出ずに咲いている花を見るためには、南の国境付近から隣の国の草原を眺めるしかないそうだ。
「遠くからだけど、実際に咲いている花を見てアンジェリーナは興奮していたよ。二人して浮かれてたんだろうな。自分達が国境を越えたことに全く気づかなかったんだから」
「国境を越えたって……それって……」
「完全に油断してたんだ。国境って言ったって小さな国だ。ノースローザンヌみたいに塀で囲まれてるわけでもない。雪がある場所まではアイスノワブルの領地だと勝手に思いこんでしまっていたよ」
「アンジェリーナ様は氷の女王で、国から出られなかったんですよね?」
アダムは小さく頷いた。
「異変はすぐに起きたよ。国境内の雪が急に溶け始めた事に気づいて急いで王宮に戻ったが遅かった。すでにかなりの雪と氷が解けてしまった後だった」
アダムは淡々と言葉を続ける。
「急激に解け始めた雪は大規模な雪崩を引き起こした。アンジェリーナはその雪崩から国を守るために力を使ったんだ」
アンジェリーナの力はすごかったらしい。国中すっぽりドーム型の氷のバリアで覆ったそうだ。雪崩はそのバリアに覆いかぶさるようにしておさまった。国民には何の被害も起こらず無事だったが、全てが片付いた時にはアンジェリーナの氷の女王としての力は消えてなくなっていた。
「その時に記憶もなくなったんですね?」
アダムは無言のまま頷いた。
「記憶って言っても、忘れてしまったのは私のことだけだったんだけどね」
悲しげな表情のまま、アダムは何か言いたげな瞳で私を見た。自分の事だけ忘れられてしまったのは私も一緒だ。
「だから私をここに連れて来たんですか?」
「何のことだい?」
くすっと笑ったところを見ると、やっぱりアダムはエイデンが私だけを忘れてしまった事を知ってるんだろう。全くアダムってば。言ってくれなきゃ、私を気遣ってくれてる事に気付かないところだったわよ。
「それでどうしてアンジェリーナ様はアダム様ではなくデイビッド様と結婚することになったんですか?」
昔のアダムが私と同じ状況だと知った途端、興味本位で聞き始めたアダムの恋物語が、いつの間にか他人事じゃなくなってしまった。
アダムがカップを持ちあげ紅茶を一口飲んだ。私も同じようにカップに口をつける。話に夢中になっている間に、紅茶はすでに冷たくなってしまっていた。
「アンジェリーナが私のことを忘れてしまった時、記憶を取り戻す方法を調べるのに夢中になってしまってね。結局アンジェリーナをほったらかしにしてしまったんだ。その結果がこの状況さ」
少しだけ肩をすくめて、アダムが小さく笑った。
「私のすべきことはアンジェリーナの記憶を取り戻すことではなく、アンジェリーナの心をもう一度掴むことだったんだと今なら言えるよ」
アダムの言葉が心に刺さる。真っ直ぐな瞳で見つめてくるアダムを、私も真っ直ぐに見つめ返す。
「今はアンジェリーナ様の記憶が戻ってほしいとは思わないんですか?」
私の問いかけにアダムは優しくて切ない笑みを見せた。
「思わないって言ったら嘘になってしまうかな。でも今アンジェリーナの記憶が戻ったら、彼女は苦しむと思うんだ」
それなら自分を忘れたまま幸せになってくれた方がいい。アダムははっきりと口にはしなかったが、その思いが伝わってきた。
私は……? エイデンがこのまま私を思い出すことなく、他の誰かと結婚するのを笑ってお祝いできるだろうか?
「アダム様はすごいですね。私はまだエイデンを諦められそうにありません」
「本当言うと、やっぱりまだ辛い時はあるよ。だから半分は自分に言い聞かせてるのかもしれないね」
あんな顔でアンジェリーナのことを見つめていたのに。アダムはこれからもアンジェリーナがデイビッドと幸せになるのを側で見続けなければいけないなんて辛すぎる。
デイビッドとアンジェリーナの結婚式まであと少し。アダムは明るく振る舞っているけれど、きっと心の中では色々と思うことがあるはずだ。
私が記憶をなくした時、エイデンはどんな風に思っていたんだろう? アダムのように苦しんだのかしら?
私は大切な人を忘れてしまうことも、大切な人から忘れられることも、どちらも経験した。私がアダムを分かってあげなくてどうするの。
デイビッドの結婚式が終わってフレイムジールに帰るまで、少しでもアダムが明るく過ごせるよう精一杯協力しよう。
いつもより弱々しいアダムの作り笑いを見ながらそう心に決めたのだった。




