23.エイデンの祖父
私が目覚めてからもう一か月。最初の頃は起き上がるのも辛かったけど、今は体もだんだんと自由に動かせるようになってきた。
「ん。ビビアン、この紅茶甘くておいしいわ。桃が入ってるの?」
ビビアンがいれてくれた紅茶からは、ほんのりと桃の香りが漂っている。
「桃のジャムが入ってるんです。お気に召しましたか?」
「うん。とってもおいしいわ」
なぜだかビビアンとミアがとっても嬉しそうに笑っている。
「昨夜エイデン様が持って来てくださったんです」
「エイデンが?」
「はい。このジャムはレイナ様とエイデン様の思い出のジャムなんですよ」
なんでも私とエイデンが街でデートした際、この桃ジャムをお土産に買って来たらしい。
紅茶をゆっくりと口へと運ぶ。
うーん。前にも味わったことがあるかと聞かれたら、あるような気もするけれど……
「ダメだわ。全く思い出せない。せっかく買って来てくれたのに、エイデンに申し訳ないわね」
「大丈夫よ。何も覚えてなくても、エイデン様はレイナが元気なだけで嬉しいんだから」
ミアが励ましてくれるけど、やっぱり落ち込んじゃうのよね。自分の婚約者を忘れるなんて、私ってばなんてひどい女なんだろう。
それなのにエイデンは、私を責めるどころかとても優しくしてくれる。それがまた余計に心苦しい。
思い出せなくてごめんなさいと、何度かエイデンに謝った。そのたびにエイデンは、「無理に思い出すことはない」と言って笑ってくれる。
本当にどうして何も思い出せないんだろう。
エイデンからは大規模な山火事が起こり、それに巻きこまれた私は意識を失ったと聞いてるのよね。でもそれ以上のことは何度聞いてもはぐらかされちゃうし。結局よく分からないままだ。
ビビアンやミアも同様に、私についての詳しいことはあまり教えてくれない。それが余計に不安なのよね。私って、皆が説明できないくらい悪い女だったんじゃないかしら?
「忘れてしまったのは辛いことだけど、今からエイデン様の事を好きになっていけばいいんじゃない?」
そうは言ってもねぇ……何だか恐れ多い気がして恋愛対象としては見れないのよね。だってエイデンはこの国の王様なんだし。
「前の私はエイデンの事、好きだったのかな?」
「もちろん」
ビビアンとミアが口を揃えて言うくらいだから、きっと本当なのだろう。
そうよね。なんたってあんなにカッコいいんだもん。
普段は凛々しく整っているエイデンの顔が、楽しそうに笑う時にくしゃっと崩れるのはとても魅力的だ。
「それにしても、どうしてこんな大国の王で、あんなにステキな人が私と婚約なんてしたんだろ?」
「それは……」
ビビアンとミアが顔を見合わせた。まぁ想像通り、二人は何も教えてはくれない。こういう話題になると、必ず皆私がどこまで覚えているかを確認するような質問をしてくる。
自分の記憶がどこまでかと聞かれてもあまり上手に答えられない。所々虫喰いの本のように記憶が抜け落ちているのだ。 ある時までですっぱり消えてるってわけではない。
まぁいいや、考えても仕方がない。
今の私にできることは、皆に心配されず普通の生活を送ることだけだ。
「さぁ。美味しい紅茶も飲んだし、少し散歩でもしようかしら」
カップを置き立ち上がる。窓から見える外の世界は薄暗い。
「外を散歩するのはまだ無理そうね」
冬の厳しい寒さが終わるまでは、まだしばらくかかりそうだ。
ビビアンに付き添ってもらいながら、廊下をゆっくりと歩く。エイデンから、私の部屋がある階の廊下だけは自由に歩いていいと言われている。この階は人が自由に出入りできないよう封鎖されてるから安全らしい。
「あれは……」
廊下の先にいる人物を見てビビアンが足をとめた。
知り合いかしら?
ビビアンの視線の先にいた老人が、私達に気づいて近づいてくる。
ビビアンが老人に向かって深々と頭をさげた。ひどく険しい顔をして、老人が私を睨む様に見つめてくる。
「……お前が、ガードランドの娘か……」
「レイナです。よろしくお願いします」
誰だか分からないけれど、ビビアンの態度からして偉い人に違いない。失礼のないよう、しっかりと頭を下げた。
「娘、ついてこい」
しばらくの沈黙の後、老人はそう言って歩き出した。なぜだろう。この老人には人を従わせるような力がある。誰だか分からないまま、とりあえず後に続く。
この老人は誰なのか?
小さな声でビビアンに尋ねると、エイデンのお祖父様だと教えてくれた。
連れて来られた部屋に入ると、そこにはたくさんの花や観葉植物の鉢が置かれていた。
「お花、お好きなんですね」
花瓶も多く置かれていて、飾られている花はとても綺麗だ。
「ふん。死んだ妻が飾っていたのを真似して、メイド達が飾っているだけだ」
部屋にいる中年のメイド二人と目があうと、二人はにっこりと笑って視線を壁に向けた。そこには綺麗な女性の絵が飾ってあった。
「これがエイデンのお祖母様ですか? お綺麗な方ですね」
ふんっともう一度鼻で笑う声がしたが、お祖父様の顔を見てドキッとした。壁の絵を見ている瞳がとても優しかったのだ。私を優しく見つめてくれるエイデンにどことなく似ている気がする。
「すぐに茶の用意をするから、お前はここに座れ。ビビアンだったな。お前は後で迎えに来い」
「ですが……」
私を一人にする事を心配しているビビアンを、大丈夫だからと笑って見送った。
「さぁ、茶をいれるかな」
「お祖父様がいれてくださるんですか?」
「何だ? 何か文句があるのか?」
「文句なんてありません。ただお祖父様がいれてくださるなんて思わなかったので……」
部屋にいたメイドがクスクスと笑い声を出した。
「ジョージ様はお茶をいれるのが趣味なんですよ。どうか付き合ってあげてください」
エイデンの祖父はジョージというのか。そんなことを考えていると、「余計な事を言わずに早く茶菓子を用意しろ」と、お祖父様が大きな声を出した。
「はいはい」っと言いながら、メイドはまたクスクスと笑っている。二人のやりとりに、何だか私まで楽しい気分になって来た。
「お茶だ。ゆっくり飲め」
わーお。見るからに苦そうな色をしたお茶に、一瞬躊躇ってしまう。でもせっかく用意くれたんだしっと勇気を出して飲んでみる。
んっ。何だか甘くて香ばしい。
「美味しいです。こんなに深く濃い緑色なのに、全く苦くないなんて不思議ですね」
「ワシの淹れ方が上手いからな」
お祖父様は満足そうに、自分も茶をすすった。
「これは、抹茶という特別な茶だ」
そう言って茶菓子を一つ選んで手にとった。
「抹茶ですか……はじめて聞きました」
「お前の祖父が好きだった茶だぞ」
茶菓子を口に放り込みながら、サラッと言われた言葉にひっかかる。
えっ? 今、私の祖父って言った?
「……あの……今誰の好きだったお茶って言いましたか?」
きょとんとしている私にお祖父様は言った。
「お前の祖父だよ。ガードランドの最後の国王の好きだった茶だと言ったんだ」




