第31話 愛情表現と事案
第七位階上位
ぎゅっと強くミルちゃんに抱き締められる。
後頭部に押しつけられる柔らかい物からは、少し高鳴った鼓動が伝わって来た。
ミルちゃんの手を、撫でるように触れる。
「……急にどうしたの?」
などと言いつつも、内容はおおよそ想像が付く。
既に情報共有も遮断済みであり、カバンに入ってるアトラや黒霧の様な例外を除いてミルちゃんの珍しい行動を見ている者はいない。
僕の問いに対し、ミルちゃんは抱き締める力を緩め、僕を持ち上げて正対した。
鋭い目付きと真剣な面持ちで、ミルちゃんは口を開く。
「……人は愛情を表現する時、キス、接吻と言う物をするそうです」
「そうだね」
僕は持ち上げられたまま、こくりと頷く。
「なんでも、する部位によって意味が異なるのだとか」
「そうらしいね」
「……ミシュカはよく、私の額にキスをしていました」
ミルちゃんは、僕を通して何処か遠い所を見ている様だった。
ミシュカと言うのは、五大賢者の1人で、既に亡くなっているとか行方不明とか言う人か。
ミルちゃんはぼんやりと僕を見つめ、そっと僕の額に唇を落とした。
ただ触れるだけの軽いキス。
離れたミルちゃんは、その凛々しい相貌を少しだけ悲し気に歪めていた。
「……」
僕は無言でミルちゃんを抱き締める。
すると、ミルちゃんも一際強く僕を抱き締め——直ぐに緩めた。
「……もう良いの?」
首を傾げつつ見上げると、ミルちゃんはふっと口端を緩め、首を振った。
僕を下ろし、地面に膝を付く。
そうして僕の手を取ると、指先に啄む様なキスをした。
続けて手の甲、手首と上がってきて、その次は胸元、鎖骨、喉。それから頬、瞼、額と来て反対の瞼に下がり、鼻先にちょんとキスを落として終わりとなった。
瞼を持ち上げると、鼻と鼻が触れ合う距離にミルちゃんがいる。
やや上気した頬。その唇は何処か物欲し気に揺れ動き——僕がちょっと背筋を伸ばした事で、唇と唇が重なった。
直ぐにひょいっと離れると、ミルちゃんは暫しきょとんと目を見開いて、唇に指を添えた。
じんわりと頬は赤らみ、実に3秒後、ミルちゃんは口を開いた。
「……キスとは、良い物ですね」
頬を朱に染めつつもクールな表情でそう言うミルちゃんに僕はにこりと微笑んで——
「——次は私の番ですね」
——突然背後から何者かに抱き上げられた。
まぁ、アトラだが。
慌てたのはミルちゃんだ。
「っ!? い、何時から起きて——」
「最初からです」
最初からなんだよね。
送還しても良かったんだけど、一番頑張ったから仕方ないね。
アトラは慌てるミルちゃんの事を気にも留めず僕を壁際に置くと、両手の指を絡め、壁に押し付けた。
そのまま手をにぎにぎしてくるが……。
「……これ、好きだね?」
「密着感が良いです」
押し付けて絡める感じが好きらしい。
骨をグリグリしたり指を握ったり摩ったり、相変わらずにぎにぎむにむにと執拗である。
むすっとした顔のミルちゃんを他所に、にぎにぎはアトラが満足するまで続いた。
◇
満足したアトラを送還し、不満気なミルちゃんの頬に軽くしてあげてから送還した。
その後、遅れを取り戻す様に高速移動し、街の中心の噴水に到着した。
「……」
ざっと見回した感じ、人はいない。
そして、そこにある噴水とやらは、噴水と言うよりも……丸い池。
多分中央とかから水が噴出される様な形の噴水なのだろう。
気になったのは、噴水の縁に置かれた……ラッパの様な物だ。
光を飲み込む様な黒のそれは、間違いなく闇属性の高位金属で、その形状は正しくは……オーボエ。
よく見ると金で細やかな細工が——
その時、風が吹いた。
とても強い風だ。
笛はコロコロと転がって、噴水の中へ——
「まったく、危ないな」
——落ちる前に念力で掴んで事なきを得た。
所有権がフリーなのでインベントリにしまおうとしたその次の瞬間、水中から手が伸びて来て、笛を掴んだ。
「……」
白魚の様な細い腕と指が必死に笛を掴み、引っ張っている。
色々と思う事もあったが、取り敢えず笛を手放してあげた。
すると——噴水が光を放った。
光と雫が宙を乱舞し、キラキラと光り輝く。
そして、輝く噴水から1人の美女が現れた。先程見た手に金と銀の笛を持って。
美女はゆっくりと目を開き、勿体ぶって口を開く。
「……貴方が落としたのは——」
「——落とした?」
「……あ、貴方が落としたのは、この金の魔笛ですか? それとも此方の銀の魔笛ですか?」
この期に及んで取り繕う噴水から出た残念美女に、僕はにこりと微笑んで一言。
「落としてません」
改めて、何言ってんだコイツと言わんばかりに此方を見下ろす美女を見る。
腰まである長い髪は、水辺をイメージさせる水色。瞳の色は僕と同じ濃い青で、女性としての魅力に富んだ体は薄青いドレスに包まれている。
よく見ると、頭部には月桂冠を模した金の輪っかが、指には銀の台座に水属性の力を宿した宝石の指輪があり、ドレスにはあちこちに青の宝石が散りばめられている。
頭部を覆う霧の様なヴェールの中で、美女は残念な笑みを浮かべた。
「……あ、あー、そんな事言って良いんですかー? これ、持って帰っちゃいますよー?」
「うん、ばいばい」
にこやかに手を振る僕に対し、美女は引きつった笑みで続ける。
「……ほ、ほんとに帰っちゃいますよー? ほ、ほんとですよー?」
僕に背を向け、チラチラと此方を確認しつつ、ゆっくり、ゆっくりと噴水に沈んで行く美女。
それは然ながら底無し沼に嵌り沈み行く哀れな仔羊。
僕は最後ににこりと微笑んで、その場を後に——
「——行かないでくださいよーっ!!?」
——しようとしたら、沈み掛けの仔羊が腰に飛び付いて来た。
「酷いですぅ〜! あんまりですぅ〜! 虐めですぅ〜! 女神虐待っ!!」
自称女神の女に組み伏せられる事案が——





