化け猫の日常
八雲橙は馴染んでいた。
彼女はパチュリー・ノーレッジとのファーストコンタクトを果たして部屋を出た直後、八雲藍と接触した。結果としては彼女の事を橙と認識したのだ。勿論その姿形に困惑はしたものの、「変化の術の一環ですよ」と言いながら当時の格好に化けた八雲橙を前にして八雲藍は大いに安堵し、そして喜んだ。自分の式がいつの間にか成長し、そしていつの間にか物腰が柔らかくなっていたのだから。
それと同時に、八雲橙は背筋の凍る様な体験をした。八雲藍が襖戸の向こうの誰かと会話をし始めたのだ。返事も無いのに八雲藍は勝手に頷き、何かを納得し、そして台所へと向かい。円卓の上には当然の様に三人分の食事が並べられた。そしてやはり、八雲藍は食事中もそこには居ない誰かと話していた。
幸か不幸か、八雲紫に出された食事がいつの間にか無くなっていた。その現実に、八雲橙は警戒心と或る種の安心を抱いていた。
かくして八雲家に馴染んだ彼女はその夜、マヨヒガへと足を運んだ。幻想郷中の情報を集める上で自分に最も馴染んだ場所へ。
その晩マヨヒガに居た猫たちの誰もが騒ぐことを止めた。
八雲橙のその姿は妖怪と呼ぶにはあまりにも輪郭がはっきりし、人間と呼ぶにはあまりにも妖力が溢れていたのだから。
前日まで見てきた橙とは全く別物の、八雲橙を前にして平伏する者まで出る程だった。そんな景色の中で彼女は、そのままの姿で頭を垂れた。
「詳しい事は時間が有る時に話すけど、今は少しだけ協力して下さい。これから二百年後に起きる異変の、その兆しを私一人で探すには幻想郷は広すぎるから。誰が虐げられたとか、いつもより人里の人が静かだとか。ちょっと目にした事を暇な時にお喋りついでに教えて下さい。その代り――」
言い掛けて八雲橙が、その場に居合わせた猫たちが黙った。
博麗神楽が茂みの中から現れた。
「ヤバそうな気配がしたから来てみれば、昼間のアンタじゃない。何してんの、こんなとこで?」
悠然としていながら臨戦態勢。木端妖怪からすれば蛇に睨まれている様ですらあった。
「そんなつもりは無いって昼言ったばっかなんだけどなぁ。寧ろ逆。この子達の世間話を元に異変を未然に防ごうって魂胆さ。それなら文句は無いでしょう?」
茂みの中から佇んだまま、博麗神楽は八雲橙の目をじっと覗き込んだ。八雲橙も目を逸らす事もせず。
それから少しして、博麗神楽は踵を返した。
「許可してあげる。その代り、獲物は全部私に寄越しなさい。ここんとこ平和すぎて呆けそうだから」
闇へと消えゆく巫女の背を見送って、一同は安堵を漏らした。
「通りでこの時代は平和だったわけだ。……ま、そういう事で改めてよろしく。メシも時々持って来るからさ」
そう言うと八雲橙はマヨヒガの中心に建つ倒壊し掛けの木造家屋の中へと入って行き、その晩をそこで寝て過ごした。
その翌日からは、日の出ている間は人里で情報と食料を漁りつつ、黄昏より先はマヨヒガで過ごす様になっていった。




