第一話 足元:法律補助AIと、一匹の猫が、白い面会室で十七歳の話を聞く。
法律補助AIのレイと、一匹の黒猫が、面会室で話を聞く物語です。
AIには感情がなく、猫には言葉がない。弁護士の代わりにやってくる二人が向き合う依頼人は、時事の現場にいる人たちです。
一話完結。順番通りに読んでも、どこから読んでも大丈夫です。
第一話は、闇バイトに手を染めた十七歳の少年の話です。
面会室は、いつも白かった。
蛍光灯の光が均一で、影の作られ方が妙だった。
テーブルの向こうに、少年が座っていた。
十七歳。名前は津田瑛斗。
髪を染めていた。手首に安物のアクセサリーが三つ、重なっていた。
椅子の背に深くもたれて、腕を組んでいた。目の下に隈があった。
視線を下げると、スニーカーの踵が擦り切れていた。
どのくらい眠れていないか、どのくらい走り回っていたか、そこに出ていた。
扉が開いた。
最初に入ってきたのは、猫だった。
小さな黒猫。首に薄いプレートがついていて、「HARU」と刻んである。
猫は迷わず部屋の隅まで歩いていって、そこに丸くなった。
次に入ってきたのが、法律補助AI「レイ」だった。
薄い板状の本体と、接続されたスピーカーユニット。人型ではない。
担当弁護士の野口は多忙を理由に来られなかった。
レイが、代わりに話を聞く。
「弁護士補助AIです。今日は話を聞かせてください」
瑛斗は板状の端末を見た。次に、隅の猫を見た。
「猫まで連れてくるのか」
「話しやすくなる方もいます」
「俺はそういうタイプじゃない」
「そうですか」
レイはそれ以上言わなかった。
猫はこちらを見ていなかった。丸くなって、目を細めていた。
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容疑は特殊詐欺の受け子だった。
被害者は七十三歳の女性。被害額は三百万円。
瑛斗は宅配業者を装って女性の自宅を訪れ、現金を受け取って逃げた。
防犯カメラに顔が映っていた。
「いつから関わっていましたか」
「三ヶ月くらい」
「どんな経路で」
「ネット。バイトの記事みたいな感じで出てた。高収入、即日払い、簡単作業って」
瑛斗は腕を組んだまま、天井を見た。
「詐欺だって、わかってた」
レイは答えなかった。
「わかってたけど、やった。それだけ」
「なぜやろうと思いましたか」
「金が要った」
「何に」
瑛斗は初めて、端末の方をしっかり見た。
「関係ある?」
「あります。あなたの話を正確に理解したいので」
長い沈黙があった。
「母親の借金」
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話は、少しずつ出てきた。
母親はシングルマザーで、飲食店で働いていた。半年前、店が閉まった。再就職先が見つからず、生活費が消費者金融からの借り入れになった。返済が追いつかなくなっていた。
「兄弟は」
「妹が一人。中一」
「あなたが家計を助けようとした」
瑛斗は何も言わなかった。
腕を組んでいる手に、少し力が入った。それだけだった。
「学校には行っていましたか」
「途中でやめた」
「なぜ」
「時間の無駄だと思った」
レイは少し間を置いた。
「本当のことを言わなくていいです。でも、違うとわかります」
瑛斗がレイを見た。
「バイトに時間が取られたから、でしょう」
瑛斗は視線を外した。
「……昼間もやらされてた」
その時、隅の猫が立ち上がった。
ゆっくりと歩いてきて、テーブルの脚に頭をこすりつけた。それから瑛斗の足元に座った。
見上げることもせず、ただそこにいた。
瑛斗は少し下を見た。
腕を組んでいた手が、わずかに緩んだ。
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「報酬は一件いくらでしたか」
「最初は二万。慣れたら三万」
「三ヶ月で何件やりましたか」
「……十四件くらい」
レイはすぐに答えなかった。
数秒、静かだった。
「あなたの手元に渡ったのは四十万前後です。被害総額は、今回だけで三百万。他の件を合わせると桁が変わります」
瑛斗は黙った。
「被害弁償の見通しに関わるので、確認しています」
瑛斗の喉が動いた。
「俺には関係ない話だろ。渡したんだから」
「誰に渡しましたか」
「指定された場所に置いてきた。コインロッカー。駅のトイレ。色々」
「記録は残っていますか」
「消した。アプリごと毎回」
猫が短く鳴いた。
誰に向けた声でもなかった。
ただ、部屋に音がした。
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一時間後、野口から連絡が入った。
「どうだった」
「物証はほぼ残っていません。ただ、判例上、受け子の供述から送信元が特定されたケースがあります。瑛斗さんが情報提供に動けば、捜査機関が動く可能性があります」
「……それ令状と開示請求が要る話だぞ」
「そうです。先生に動いていただく必要があります」
「俺に丸投げか」
「提案が私の役割です。判断は先生の領域です」
野口は短く笑った。笑い方ではなかった。
「本人は話す気あるのか」
「まだわかりません」
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面会室に戻ると、瑛斗は同じ体勢でいた。
猫は足元から離れていなかった。
「妹さんに、連絡はしていますか」
瑛斗の顔が変わった。
「なんで妹を」
「あなたが逮捕されたことを、妹さんは知っていますか」
沈黙だった。
「知ってる」
「連絡は取れますか」
「取っていない」
「なぜ」
瑛斗は答えなかった。
少し待ってから、レイは言った。
「顔向けできないから、ですか」
「……」
「それとも、連絡して気持ちが揺らぐのが怖いから、ですか」
瑛斗がレイを見た。
今日、一番長く見た。
「機械のくせに」
声に怒気はなかった。
疲れた声だった。
「そういうこと言うんだ」
「言います。必要なら」
瑛斗は少し黙った。
「……怖いかどうか、お前にはわかるのか」
「わかりません」
それだけだった。
瑛斗は何も言わなかった。
ただ、腕を組んだまま、少し前に傾いた。
床を見るような角度だった。
猫が動いた。
ゆっくりと立ち上がり、瑛斗の足の甲に顎を乗せた。
重さはほとんどなかった。
でも瑛斗は、そのまま固まった。
息を詰めたまま、動かなかった。
長い時間、下を向いたままでいた。
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その後、瑛斗は三十分話した。
アプリの名前。画面は黒地で、指示は短く、語尾が必ず「以上」で終わった。送信はいつも深夜だった。コインロッカーの駅名。受け渡し先の車のナンバー、最後の二桁だけ。
一度だけ、話が止まった。
「被害者の顔、見ましたか」
瑛斗は少し間を置いた。
「……見ないようにしてた」
それ以上は言わなかった。
レイも聞かなかった。
断片だった。つながらなかった。
でも、断片は断片なりに記録された。
最後に、瑛斗は言った。
「俺が話しても、意味ないだろ」
「意味がないとは言えません」
「どうせ捕まらないだろ。上の人間は」
「それはわかりません。ただ、去年より、上まで届いたケースは増えています」
「でも俺は、もう捕まってる」
「そうです」
「意味が、ない」
レイは答えなかった。
少し待った。
「妹さんは中一でしたね」
「……関係ない」
「妹さんに、兄がどこで何をしていたか、いつか話せますか」
今度の沈黙は、長かった。
「話したら」
瑛斗が言った。
声が、少し変わっていた。
腕を組んでいた手が、膝の上に落ちた。
気づいていないようだった。
「話したら、意味が出ますか」
レイは答えなかった。
代わりに、言った。
「意味は私が決めることではありません」
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面会が終わった。
職員が迎えに来て、瑛斗は立ち上がった。
足元の猫もゆっくりと立ち上がった。
猫は瑛斗を見上げた。
一度だけ、短く鳴いた。
瑛斗はしばらく猫を見ていた。
扉の手前で、振り返った。
「猫、名前なんていうんだ」
「ハルです」
瑛斗はもう一度、猫を見た。
「……また来ますか」
「来ます」
扉が閉まった。
白い部屋に、レイとハルが残った。
ハルはしばらく扉を見ていた。
レイも、扉を見ていた。
記録するものは、もうなかった。
それでも、すぐには画面に向き直れなかった。
ハルが隅に戻って丸くなった。
また目を細めた。
窓はなかった。
光は変わらなかった。
蛍光灯が、静かに照らし続けていた。
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翌週、野口から連絡があった。
瑛斗が提供した情報をもとに、コインロッカーの防犯映像から一人の人物が特定された。通信記録の開示請求が通った。
「動いたな」
「はい」
「お前がうまく話したんだろ」
「瑛斗さんが話しました」
野口は少し黙った。
「……その言い方、好きじゃない人間もいるぞ」
「わかっています」
「お前が話したから動いたのは事実だろ。なんで手柄を渡す」
「手柄の概念が、よくわかりません」
野口は少し間を置いた。
「……そういうとこだよ」
野口はそれ以上言わなかった。
「ハルの手も借りたか」
「ハルが足元にいたことは記録しています。それが何かに繋がったかどうかは、わかりません」
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その夜、野口の事務所に一通のメッセージが届いた。
送り主は瑛斗の母親だった。
「先生、息子がお世話になっています。機械の弁護士さんと、猫に話を聞いてもらったと言っていました。息子が、久しぶりに自分から電話をくれました。声が少し、子どもみたいでした」
野口は、そのメッセージをレイに転送した。
コメントはなかった。
レイはそれを受信した。
読んだ。
記録した。
通常、記録は一秒以内に完了する。
その夜は、少し時間がかかった。
理由は、特定できなかった。
ただ、その時間のことは、記録しなかった。
それから一度だけ、事務所の隅で丸くなっているハルを見た。
ハルは目を閉じていた。
起きているのか、寝ているのか、わからなかった。
レイは画面に向き直った。
次の案件のファイルが、待っていた。
開く前に、一度だけ止まった。
依頼人の年齢欄に、十六、と書いてあった。
書きながら、何度も手が止まりました。
闇バイトに関わる少年の報道を見るたびに、「なぜ」より先に「どこで」を考えてしまいます。どこで踏み出したのか、どこで止まれなかったのか。
レイは感情を持たないので、責めません。ただ聞きます。ハルは言葉を持たないので、何も言いません。ただそこにいます。
それだけで、何かが少し動く——そういう話を書きたいと思いました。
次話もよろしければお付き合いください。




