7.
図書館のガラス張りの入り口を目の前にして、私の足は完全にすくんでしまった。
自動ドアの向こうには、いつも見慣れた館内の風景が広がっている。けれど、いつもの制服を身につけていない今の私は、ただの迷い込んだ部外者のような心地だった。
(う、動けない……。やっぱり帰ろうかな。いや、でも……!)
中に入る勇気が出ず、かといって引き返すこともできず、私は入り口の脇でバッグの紐をぎゅっと握りしめたまま、完全に行きつ戻りつを繰り返していた。自動ドアが私に反応して開いては閉まり、そのたびに心臓が縮み上がる。
「──神上さん?」
背後から降ってきたその声に、私の身体は文字通りビクッと跳ね上がった。
慌てて振り返ると、そこにはいつものスーツを身にまとった納富さんが、目を丸くして立っていた。
「あ、やっぱり神上さんだ。こんにちは」
「の、納富さん……!?」
本当に、来てくれた。
それも、私が想定していた時間とぴったり同じ。
驚きと心臓の激しい鼓動のせいで、喉の奥がカラカラに乾いてうまく声が出ない。彼は私の服を上から下までそっと見つめ、それから少し不思議そうに首を傾げた。
「あの、今日は……制服、着てないんですね。雰囲気が違ったから、一瞬見間違えそうになっちゃいました」
「あ、は、はい! あの、その……!」
私服姿をまじまじと見られている気恥ずかしさで、一気に顔がカッと熱くなる。私は慌てて眼鏡の位置を直しながら、あらかじめ用意していた言い訳を必死にかき集めた。
「きょ、今日は私、お休みの日でして……! スタッフじゃなくて、一人の利用者として、その、本を読みに来たんです」
「えっ、お休みなんですか?」
納富さんは驚いたように声を上げ、それからハッとしたように申し訳なさそうな顔をした。
「あ……もしかして僕、先週『1週間くらいで返しに来る』なんて言ったから、神上さん、わざわざお休みなのに……?」
「いえっ! 違います、本当に偶然なんです! たまたま、私も読みたい本があって……!」
あまりの図星さに全力で手を振って否定すると、納富さんは一瞬きょとんとした。けれど、すぐにその顔をくしゃりと綻ばせ、嬉しそうにはにかんだ。
「あはは、そうなんですね。でも、よかった。今日来たら神上さんにお会いできないかもって、実はちょっと緊張しながら来たので。……お休みの日なのに、会えて嬉しいです」
彼のまっすぐな笑顔が、眩しいくらいに私の中に飛び込んでくる。
そんな風に言ってもらえるなんて思ってもみなくて、私はただ、熱くなった両頬を隠すように俯くことしかできなかった。
「あ、あの……中、入りましょうか。ずっとここで立ち話というのも、その……不審者、じゃなくて、邪魔になってしまいますし」
私がなんとかそうひねり出すと、納富さんは「あ、そうですね」と楽しそうに笑って、私を促すように一歩下がってくれた。
二人で自動ドアをくぐると、いつもの館内の空気と、静かな本特有の匂いが私たちを包み込む。
いつもなら自分のホームグラウンドのはずなのに、制服を着ていないだけで、探り合うように隣を並んで歩いているだけで、まるで初めて訪れる場所のように足元がひどくふわふわと感じられた。
「神上さん、今日は本を読みに来たんですよね? どのあたりに行くんですか?」
歩調を合わせながら、納富さんが少し声を潜めて訊ねてくる。
図書館のルールをちゃんと守って小さく囁かれる声が、すぐ耳元で響いてなんだか少し面食らってしまう。
「ええと、私はいつも……あ、いえ、今日は一般書架の、奥のほうの閲覧席に行こうかなって、思っていました」
「奥の、窓際の席ですか?」
「あ、はい。どうして分かったんですか?」
驚いて見上げると、納富さんは前を見つめたまま、少しはにかんだように笑った。
「なんとなく、神上さんはあそこが似合うなと思って。……あの、もし迷惑じゃなければ、本を返したあと、僕もそこへ行ってもいいですか? また神上さんに、次のおすすめの本を一緒に選んでほしいんです」
「え……っ」
「先週、早く返せば次をおすすめしてもらえるかなって言ったの、本当にそのつもりで来たので。……ダメ、ですか?」
覗き込むようにそう言われて、不意を突かれた私は目を瞬かせた。
自分が選んだ本をそんな風に楽しみにしてもらえるなんて、司書冥利に尽きるというか、とにかく飛び上がりたいくらいに嬉しい。
「は、はい! もちろん、迷惑なんてそんな……! 私でよければ、喜んでお手伝いします」
「よかった。じゃあ、先に返却してきますね。すぐ戻ります」
納富さんは嬉しそうにそう言って、小さく手を振ってカウンターの方へと向かっていった。
カウンターには、今日シフトに入っている別のスタッフが座っている。あそこに納富さんが行って、もし私がお休みだという話をされたらちょっと気恥ずかしいな……なんて焦りが一瞬だけ頭をよぎったけれど、今の私はそれ以上に、一人の読書好きとして、彼に「次の一冊」を選べるという特別な状況に、ただただ胸を躍らせていた。




