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イーリーは仲間に囲まれて余程気分が良いのか…
「…王都の教会はとても美しいのね。神様なんて、私達に差別の苦しみばかり強いる不平等な存在だと思うけれど…それでも西陽が射す聖堂は美しくて、とても神聖な気持ちになったわ」
だのと言い出した。
「あらあら、貴女達はずっと王都で冒険者をしてた設定なのよ。おのぼりさんってバレるような発言は慎みなさい」
(「設定」ね…)
「ふふっ、そうね。私達の本質は姿を変えても変わらないと知ってはいても、素のままの自分として生きられない不自由はあるものね…」
「ええ。素のままの姿で暮らすのは危険だし、人間達は上面しか見えないから仕方ないのよ。素のままで生きてそれで通用するような差別のない社会をどんなに望んでも、私達はマイノリティーだから…」
「…でも、美しいものは心を豊かにするという普遍的真理は決して失われないと思うの。西陽が射した美しい聖堂のような空間で心を洗われると、その瞬間だけは、吸血鬼達によって穢されたこの世界に対しても、全てを許せるような気になったわ」
(「許せる」ね…。そういうのは「許せない」と思わざるを得ないような目に遭った者が使う言葉だと思うんだけどね…)
「刹那主義的だな。イーリーは」
「今ここにいる、という事が多分大事なのよ。過去に酷い目に遭っていて、絶対に許せないと思っていても、穢れた者達に命を脅かされていても、今も生きて此処に居て、悪を悪だと名指しできる心には、どんな巨悪にも否定され得ない真実に根差した意志の力があるのよ。
吸血鬼のような人の姿をした魔物には決して理解できない『許し』を、私達エルフは自分自身で『そう在ろう』と決めた自由な本質によって体現できる…。私達は何にだってなれるわ。神様にも吸血鬼にも決して制限される事なく、なりたい自分になれるの」
「お前は優し過ぎるから、俺達は心配だよ…」
(「優し過ぎる」って、一体誰に?その優しさとやらを少しでも吸血鬼に向けてくれるなら、吸血鬼の血を使った変身なんかしてる訳がないんだけど?)
「そうだ。学院には北部から来てる連中もいるんだろう。気を抜くなよ」
「可愛い子に会ったわ」
「北部吸血鬼の家の養女になってて、北部吸血鬼の婚約者を当てがわれてる元平民らしい」
(私の事だろうな…)
「…そういう子って既に洗脳されてるんじゃないの?」
「多分ね。北部貴族の偉い人に有能なところを示して捨てられないようにしなきゃって言ってた。きっとバカなのね」
「婚約者まで当てがわれてるなら、ただの優秀な魔力持ちって訳じゃないだろうな」
「多分、魔術師よ。吸血鬼達に洗脳されてて、こちらに悪意を向けて来るかも知れない」
「ルビー・ファレルが何かしてくるようなら容赦はしない。俺が付いてるんだ。安心しろ」
(何が「容赦しない」だ。死ねよ)
「うん。レルフは頼もしいね」
「俺達はレルフが立派に成長してくれて嬉しいよ」
そんなやり取りをしながら連中が笑い合っている。
(…頭がオカシイのかな?…うん。きっとコイツらは全員、頭がオカシイんだ…)
と思った…。
中でもーー
イーリーのナルシステックな主観表明はとにかく気持ち悪い。
他人の思想をここまで気持ち悪く感じたのは初めてだ。
イーリーが実存主義的な思考回路の持ち主に思えたのだ…。
元々、私には
「実存主義」
というものへの偏見があるのかも知れない。
「実存主義=社会的弱者の不幸を当人の自己責任へ帰するための詭弁」
と思っていたし、今もそう思うからだ。
私から見た実存主義は
「人は自分自身の存在意義を自分自身で自由に決める事ができる」
「人は皆、自分がなりたいと思う自分になれる」
という錯覚を指す。
つまりは環境影響力を相対化して捉えて
「絶対的な環境影響力下で不幸にされた人達の不幸」
の責任を
「当人の選択の結果であり自己責任だ」
と見做す社会的弱者切り捨て思想に思えるのだ。
こういう解釈が間違っている可能性もあるが、人の中には欲を土壌とする倒錯があるのは確かだ。
「人には自分自身の在り方を自分で決める自由がある」
と、そんな錯覚に浸れば
「人には社会的役割がある」
「社会的裁量権が自由へと反映する」
「社会的裁量権は誰にでも充分に与えられているようなものではない」
という現実との齟齬が生じていても、自分が社会的強者であるなら、事実を無視し続ける事ができてしまう。
「全ては当人次第」
「全ては自己責任」
社会的影響者やマジョリティーがそういう価値観に染まると
「社会的に周知されていないコネクションによって引き立てられている者達が更に有利になる」
「社会的に周知されていない差別で冷遇されている者達が更に不利になる」
という持つ者と持たざる者との格差に極端化が起こる。
エルフのような鬼畜に魔物扱いされて狩猟対象にされる吸血鬼の身の上では
「人はどうしたって周りからの決めつけの影響を受ける」
のが現実だ。自分の在り方にも心にも自由はない。
攻撃者が攻撃してくるのだから殺されたくなれれば殺されずに済むように足掻くしかないのだ。
どうしようもなく環境に振り回される。自分ではどうにもできない。
命を脅かされる環境で死にたくないと思う限り、人は生き方に自由などない。
自分次第で自分の存在意義や本質を選ぶなど、机上の空論過ぎて心底腹が立つし…
私の人生も精神もエルフ側の殺意で抑圧され続けてきたのだ。
当の攻撃者であるエルフ側が
「自分自身に関する自由」
をナルシシズム調で語って行使しようなど許せる筈がないし、殺意すらわく。
「未だ生きてこそいるが、これまで誰からも理解されず、助けてもらえず、惨めで悔しい、恨みしか残らないような人生だった」
ような弱者が
「恨みたくないから人々から受けた仕打ちを忘れて『自分自身にもやりようがあった筈だ』と、自発的に自分の不幸を自己責任へ帰する」
ような自発的自己責任なら、それはそれで
「周りの者達にとっては有益」
なのだろう。
逆にーー
吸血鬼を一方的に殺して人間に化けて不自由なく暮らしているエルフが
「恨みたくないから過去を忘れたい」
という思いで
「人は自分自身の存在意義を自分自身で自由に決める事ができる」
などと言い出すのなら…
「お前らには誰の事も恨む資格などない!加害者のくせに被害者気分に浸るな!クズ!死ね!」
と言いたくなる。
イーリーを含めた全員を瞬殺できる攻撃力があるなら…
本気で全員殺してやりたいくらいに思わず殺意が掻き立てられた。
そもそも愛されリア充による自己自由というのは…
「満足できる環境そのものが他者を蹴落として手に入れてきたものだ」
「他人から苦しめられたより遥かに多く他人を苦しめてきた」
という諸々の罪を背負わずに済ますためのものに思える。
つまりは
「これまで苦しめた人達への償いを放棄しようとしている」
ような勝ち逃げ正当化心理。
ノブレスオブリージュとは真逆のノブレスオブリージュ放棄。
卑怯な手を使って勝者となってるくせに
「気分だけマイノリティー」
「気分だけ弱者」
な精神的姿勢を取ることで
「勝者待遇で享受してきた諸々の幸福の対価」
として当然求められる
「勝者・強者が背負う社会的責任」
を背負う必要がないものと見做している。
環境影響力相対化と
環境影響力絶対化は
ダブルスタンダードに悪用すると
「とことん悪用が可能なのだ」
とイーリーのようなクズを観察して思った。
イーリー達は変身術で積極的に人間を騙しているくせに
「変身して暮らさなければならない可哀想な私達」
と思っている節がある。
そういう部分では
「必ずしも人々を欺く必要性がないのに人々を欺いている」
という
「自分次第」
である自己選択を
「環境によってそうさせられている」
と見做している。
ただそういう悪用が確信犯で行われているのか、無自覚・無意識で行われているのか、その辺は組織ごとに違いがあるのだろうけれど…
そういう
「主義のダブルスタンダード活用」
によって
「償っていない罪人を償う必要のない環境の産物と見做す」
「罪の有る者に罪が無いと見立てる」
「罪の無い者に罪が有ると見立てる」
「既に償い分の罰を受けた者に延々と償いを強要し続ける」
ような事をする事を
「ダブルスタンダードな外道だ」
という事実に気付かずに繰り返せるようになる。
イーリーとその仲間は自分達を
「エルフだ」
と口にしてはいないが…
私の中ではどうしても
「連中はエルフだ」
という確信が働いていて
(エルフどもを生かしておく如何なる理由も見つけてあげられない…)
と思ってしまうのだった…。




