第54話:尾張塩② 〜北の黒石と亜麻色の夢〜
───白い公害(熱田港湾区画)
尾張、熱田の港湾区画
そこには、季節外れの雪が降り積もったような、異様な光景が広がっていた。
「・・・長恒様、もう限界です。倉庫は満杯、尾張領内の市場でも、各所で飽和状態です。これ以上は、もう・・・」
奉行の悲鳴に近い報告に、高市長恒は眉間を揉んだ。
彼らに悲鳴をあげさせるほど、降り積もったという"雪"の正体は、"塩"だ。
織田信長が導入した【電動製塩(流下式枝条架法+電気釜)】と、彼が日々生成する"聖水(海水由来)"の副産物。
これらによって、領内需要を遥かに超える速度で生産され続けていたのだ。
最近では、他国でも塩の価格が落ち続けているという始末。
かつては高級品だった塩も、今では、ごみ・・・いや"廃棄物"に成り果てていた。
「海へと捨てますか?」
「ならん!それをすれば、我らが漁師に恨まれるだけでは済まんぞ?!・・・アレだけの量だ。近郊の海産物にも影響が出るやもしれん・・・」
長恒にとって、八方塞がりの状況。
もはや自分の手には負えないと、信長のところにまで泣きつきに来た。
「・・・・・というわけなのです」
説明を聞いて信長は言う。
「別段、難しいことでもないじゃろ。・・・ふむ、どうせならこの機会に航路を広げるか?」
信長は、この塩を見て他国へと売りつけることを思いつく。
そして、それ以外にも・・・
「よしっ。どうせなら、商品の幅と航路も広げよう。つまり、じゃ・・・」
信長の説はこうだ。
塩が余っているのであれば、塩を使った料理や産業品をもっと増やせるよう研究させるべき。
また、塩の売り先ももっと拡大していくべきだ。
と言うことだった。
「なるほど・・。確かに、今であれば、塩を無尽蔵に使えます。新たな塩料理や塩を使った工芸品など、我々では思いつかないようなものも生み出せるやもしれません・・・」
「ま、最初は、塩漬けの魚あたりかの?それ以外にも、肉や野菜に手を広げてゆこうではないか!」
「漬物や塩釜焼きなんていうものもある」と、信長はそう言った。
「コンテ・・・いや、料理対決なんていうのもいいかもしれん。いや、塩を使った面白い案を出させて、いいものが出たら金一封なんてのもありか?」
などと、殿に掛かれば、次から次に塩を消費する案が出てきた。
だが、それ以上に消費する案が・・・
「何より、北方では塩が作りづらいと聞く。蝦夷地あたりまで行けば、欲する者も多いじゃろ。」
と、今やっている南部領での取引の他、さらに北方の蝦夷地でも取引してこいというのだ。
「(北方では塩が作りづらいというのはよく分からん。辺鄙なところだからか・・?)」
そうして長恒は、ここまで聞いて満足し、信長に礼を言ってから帰った。
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───数ヶ月後
織田領内の市場には、これまでにないほど安価で大量の"塩魚(鰯や鯖の塩漬け)や漬け物"が出回っていた。
保存食としての需要は凄まじく、特に塩の取れない甲斐・信濃・飛騨への輸出量は爆発的に増加していた。
だが、塩には恐ろしい面もあることを理解する信長は、他の地域のように、織田領内でも、塩の過剰が領民の健康被害をもたらすことを危惧していた。
「信恒、これを見ろ」
※高市信恒:高市長恒の孫
那古野城の一室で、信長は小さな瓶を取り出す。
中には、白い結晶がいくつも入っていた。
「これは、なんでしょう?」
「薬塩(塩化カリウム)じゃ。木灰と塩酸を使い作らせたものじゃな。」
そう言うと信長は、その薬塩瓶を幾つも並べていく。
「塩というのは、適量であれば身体を元気にするが、過ぎたれば身体を病む。だが、最近では
安いからと言って取りすぎるものが多い・・」
信長は、苦虫を噛み潰すような表情でそう言う。
「だが、こいつを飲めば、体に溜まった病ませる塩を、小便と一緒に追い出せる。勿論、これも飲み過ぎれば毒なんじゃがな。」
何事も過ぎれば毒となる。
信長は、領民にもそのことをわかって欲しかった。
教育でも塩の恐ろしさは教えているし、領内にも、過ぎたれば毒だということはおふれのようにして出している。
だが、そのあたりの適量というのは、現代人でさえ、調節できていないことだ。
それが戦国時代の住民ともなれば、言わずもがなである。
「適量といい、領内の学校でも教えているが、やはり、塩の害に悩まされる者は依然多いままじゃ。あまり良い方法とは言えんが、こうしたものも有用であろうよ。」
と、信長はそう言った。
遵守させたいなら、罰則を厳しくすべきだろう。
しかし、塩の過剰摂取、それをどうやって罰する?
罰を厳しくしようが、摂取する人間は摂取するだろう。
無理に押し留めれば、反作用も生まれるかもしれない。
そうなっては逆効果なのだ。
「とりあえず、領内では安価に流通させるつもりじゃ。ただし、医者以外には決まった量しか売らんようにさせよ。」
塩化カリウムとはいえ、カリウムには違いない。
苦味が強いので、毒殺には向かないが、どんな方法で悪事に使われるかなんて想像もつかない。
それを思えば、量制限での販売というのは理にかなっているように思えた。
「そうじゃ、他国の者には売らんでも良いぞ。密輸するような者も出るじゃろうが、大規模なモノ以外は見逃してもかまわん。」
そこまで制限するモノでもないからな。とそう言った。
他国の人間には、過剰なまでに塩の供出を続ける。
その方針は、その害が増えてきても変わらないままなのだった。
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───津軽海峡:勝山館
長恒が信長へと相談しに行ってから数週間後。
海でも"塩"を消費するプロジェクトが動き出していた。
"蝦夷交易"である。
織田水軍の機帆船、『大垣』や『清洲』といった大型機帆船による交易だ。
その船倉には、溢れるほどの"塩"が積まれていた。
本来なら、バラストなどを積んで重心を下げるのだが、今回の航海では、塩をバラスト代わりに積んで調節するらしい。
そうすることで、積み込める荷の量が増えるのだ。
"北方では塩の値が高い"
そのことを釜石での取引記録でも確認した後、長恒は北方海路開拓を承認した。
とはいえ、釜石までの航路は既に開拓されており、あとは、そこから蝦夷地までの航路を調査するだけで良かったのではあるが。
長恒は、佐治氏と織田信雄にことの次第を話し、北方路開拓に向けて動き出した。
航路に不安はなかった。
今までにも、蝦夷地近くまで行ったことは幾度もあったからだ。
だが、交易となると相手がいる。
彼らの念頭にあったのは、どのアイヌと交流し、取引すべきか?
そして、先行組の蠣崎家を如何に扱うか?
それだけだった。
蠣崎家は、蝦夷地の玄関口:渡島半島を支配する国人衆だ。
安東氏の支配下にある国人で、安東家の支援のもとでその勢力を保っている。
アイヌ部族からの収奪で生計を立てている豪族であった。
───蠣崎氏の拠点:勝山館
当主:蠣崎季広は、沖合に停泊する巨大な黒船を見て、歯軋りを抑えられなかった。
「なんなのだ、あの船は!わしらの利権に嘴を入れるつもりか!?」
だが、彼の脳内は怒りを覚えつつも冷静だった。
「(くそっ!あのような船で交易されては、こちらの利益がなくなる。どのような手を使ってでも彼奴らを追い返さねば・・・)」
蠣崎家の経営は、アイヌとの交易独占の上で成り立っている。
織田が直にアイヌと結びつけば、彼らの存在価値は消え去ってしまう。
季広は、恭順を装って織田の使者を迎えたが、その要求はのらりくらりと躱した。
「水と食料?申し訳ありませぬが、今年は不漁でしてな。お分けできる分がございませぬ」
「案内人?いやはや、あなた方はアイヌをご存知でない。アイヌの者は凶暴でしてな。不用意に近づけば皆殺しにされますぞ?慣れたものでなければ、とてもとても・・・」
だが、如何に冷静になろうと、力の差がありすぎて取れる策というものも限定されてしまう。
結局、武力でなく"補給の拒否"と"情報の遮断"くらいが、関の山だった。
「(しかし、この程度では・・・。)」
季広も、このような策では時間稼ぎにしかならないとわかっていながらも、それに注力するほかなかった。
「(安東に頼るか?いや、蝦夷地のために安東が戦うはずもない。では、我々だけで攻める?それも無理だ。向こうも全く隙がない・・・。なら、降伏する、か・・?これが一番ではある、あるのだが・・・)」
降伏の選択肢は、既に手中にあった。
しかし、それを選んで果たして助かるのか?
そんな不安感だけが、彼らの心を覆っていたのだった。
"このまま、遠路はるばるきた船団を追い返す"
そんな夢想を抱きつつ、3日の時が経った。
織田家の船が停泊しているだけで、蠣崎家は既に虫の息だった。
毎日のように、支配地の和人商人から届く苦情。
織田家は、蝦夷地から出る船の全てに手を出していたのだ。
それは、単に話を聞くだけだったり、取引を持ちかけられたり、時には沈められた、という話もあった。
そんな商人からの苦情で、蠣崎家では延々と対応に追われたのだ。
蠣崎家は、農業主体で生きている家ではない。
商業収入で経営している家だ。
そんな蠣崎にとって、商人からの苦情というものは、決して無視できないものだった。
そして織田家も、アイヌへのアピールと、後々の和人追い出しを狙って、商人に対して嫌がらせを続けるつもりなのであった。
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