第49話:租借要求
元亀3年(1577年)冬
───瀬戸内海、伊予灘沖
冬の海は、鉛を流したように重く、静まり返っていた。
その海面を滑るように進む数隻の関船があった。
帆には「上」の字の紋、瀬戸内の海を我が庭とする"村上水軍"の船団である。
今回彼らは、ただの哨戒任務でここに来たわけではない。
最近、伊予の国境付近で流れる「奇妙な噂」の正体を確かめるために、当主である"村上武吉"自らが船を出したのだ。
「・・御頭、見てくだせぇ・・・・」
見張り役の男が、震える指先で南の海岸線を指し示す。
武吉は無言で船縁に足をかけ、目を細めた。
長年の海暮らしで鍛えられた彼の眼力を持ってしても、目の前の光景は、即座には理解の範疇を超えていた。
「・・・なんだ、ありゃあ?」
そこにあるはずの風景が、ない。
鬱蒼とした木々が茂り、小さな漁村が存在していたはずの海岸線が異様な白色に塗り潰されていた。
自然の岩肌とは違う。
漆喰でもないと思う。
まるで石が割れたように真っ直ぐな白い壁が、海岸線を延々と覆い尽くしている。
見たことのある城壁とは違う。
今までの人生で一度も見たことのなかった光景がそこにはあった。
また、奥に映る山からはもくもくと黒煙が立ち上っている。
「ぉぃぉぃ・・・・・山火事・・じゃねぇな。なんだありゃぁ・・・?いつから伊予は地獄に変わったんだ・・・?」
風に乗って漂う異様な匂いも含めて、伊予にかつてあった景色は武吉の中で地獄へと変わっていった。
"あれは、人外の・・鬼の住む地獄だ"
村上武吉とその部下たちは、かつての伊予は失われたことを知った。
村上たち含め、織田のことをよく知らない者たちは、この話を聞き、伊予や土佐は鬼の住む地獄だという話が広める。
密偵たちが帰らず、商人たちも立ち入りを禁じられた四国の織田領は、1世紀近い間、鬼の住む島として語られていくことになる。
「・・・手出しは無用だ。近づくんじゃねぇぞ・・」
武吉は、部下たちにそう命じた。
「言われなくとも・・・あんなおかしなとこ、行きたくありませんて・・・・・」
瞬く間に、河野家から織田家へと塗り替えられたその土地は、
一部の者たちを除き、その実態が知られぬまま噂話だけで語られることとなる。
この後、10年の歳月を掛けて織田家は四国全土を制圧する。
その頃には、織田家の四国全土のどこにも、かつての面影は無くなってしまったのだった。
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───豊後国:大友館
「やはり織田は武士の理屈では動いておらぬな」
九州の覇者:大友宗麟は、南蛮渡来の硝子杯を傾けながら側近らにそう語った。
卓上には、那古野から届いたばかりの書状と、見本として送られてきた"黄金色の調度品"が置かれている。
「武士とは土地だ。だが、織田が欲しているのはなんだ?
金、いや土地から出る何かだろう。金銀銅、あるいは鉄。はたまた我らの知らぬ何か、かもしれんな・・・」
「宗麟様。織田からの返書、如何な内容で?」
側近の一人が問うと、宗麟は書状を放り投げた。
そこには、大友からの交易の申し出に対する"織田家"からの回答が記されていた。
『交易は承知した。当家の船を豊後へ向かわせよう。
ただし、港は府内でなく、"臼杵"の湾を整備し、そこで新たに行なっていこう。
瓜生島(沖の浜)は避けたい、大友殿も瓜生島には注意されたし。』
宗麟は、その一文を思い出し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「・・・臼杵だと? あのような何もない入り江を、湊に?」
「はい。しかも、当家の重要拠点である瓜生島を避けたいなど・・・。一体全体、なんのつもりなのやら・・」
家臣たちは訝しむが、宗麟の表情は険しいままだ。
瓜生島は、現在の大友の貿易拠点として栄えている場所だ。
何かしら問題があるということは聞いたことがなかったし、今後も本拠地として使い続けるつもりであった。
だが、織田の言には、なにかしら確信を持つような響きがあった。
単なる嫌味や、エセ占いの類ではない、と思われる。
まるで、そう、まるで何か我々とは違う何かを見ているような・・・
「・・・織田の草が何か掴んだのか?・・・いやしかし、なぜ瓜生島、なのだ?人でも物でも建造物でもない・・・」
宗麟は独りごちる。
織田が密偵を放ち、大友領内を調べ尽くした可能性はある。
そんな可能性がないわけではないが、当家だとてそこまで無能というわけでもなく
底まで怪しげな行動をとっていれば、気づいたはずである。
「とすれば、外から見た何かによって判断している・・・?・・・まさか、土地に何かあるのか?」
宗麟は何かに気付いたように、真剣な表情を浮かべる。
「(調べさせるか・・?しかし、織田は我らとも南蛮とも異なる技術を持っている時く。そこからの推察であった場合、我らでは分からぬ可能性もある・・・か。)」
宗麟の直感は、この件に警鐘を鳴らし続けていた。
確たる証拠はないが、織田のいう通りにしておかねば、瓜生島は大変なことになるだろう、と。
「(どちらにしても従っておいて損はない、か。)織田のいう通り、臼杵を整備しようではないか。
別段、従っておっても損はないのだ。織田からも、港湾の整備には人も金も出すというておるしの」
織田の金と技術で港湾の整備ができるのだ。
無理に反対して"瓜生島"を対象にしたところでこちらに利など欠片もないのだ。
それに、織田との交易は、支那や朝鮮、南蛮以上の利益があるのではないか?とも考えている。
織田の布幣は、日の本では人気の貨幣だ。
明人も南蛮人も、このような黒い布は見たことがないという。
それはつまり、南蛮人にも明人にも作れないということだろう。
織田のもたらす"石鹸"は、南蛮人のそれを凌駕しており、量の上でも質の上でも遥かにいい。
お陰で今では、明人・南蛮人が持ってくるものは砂糖と香辛料、硝石くらいになってしまった。
絹でさえ、最近では織田領のモノが出回っている。
既に織田家の品なしでは、日の本はやっていけなくなっているのだった。
「宗麟様、よろしいので?」
「構わん。義統がどう判断するかは知らぬが・・・、わしは構わん。
南蛮人も織田も、どちらも何を考えておるか分からんというところでは同じ。倅もこのことには承諾するだろう。」
九州でも、織田家のもたらす異様な空気が押し寄せて来ていたのだった。
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───尾張:那古野神宮城
「ふむ、これなら良さそうじゃな。」
俺は、机の上に並べられた新しい"黒い布幣"を手に取り、その感触を確かめた。
以前のものより、黒の色味が深く手触りが滑らかで、何より厚みと腰がある。
「四国の石灰石、殿のいう炭酸カルシウムのおかげですな。
中和の処理のために豊富に扱えるようになったらしく、繊維の痛みがなくなりました。これならば、使い回してもそうそう破れはしないでしょう」
信恒が、出来たての布幣の束を抱えながら、嬉しそうに報告する。
これまでは、染色に使う薬品の酸が残りやすく、経年劣化でボロボロになりやすかった布幣。
だが今では、四国から無尽蔵に送られてくる良質な石灰石のおかげで、その弱点は払拭された。
「よし!これを増産させろ。全国に出回った布幣と両替させるのじゃ。他国へとばら撒くぞ!
鐚銭も本願寺の布幣も全て駆逐してしまえ!」
経
済
侵略の準備は整った。
初期には石鹸交換札として広まったこれも、現在では実質貨幣として扱われている。
鐚銭の価値は、史実よりさらに暴落していた。
織田布幣は、今ではアイヌのものでさえ取引に使っていると聞く。
織田の経済侵略は、誰も知らぬまま、織田家の者さえも気づかぬまま進んで行った。
そして、織田信長は次の一手を打ち出す。
"琉球王国"
そこにあったのは、琉球王国への租借要求書だった。
「・・大殿、これを本気で送られるのでしょうか?」
丹羽長秀などは顔が少し引き攣っている。
松平や麻生秀吉などは、にやにやと愉悦の表情を浮かべているが。
そこには、交易要請などとは程遠い内容が記されていた。
『琉球の本島、その南半分、および周辺諸島の全てを織田家が租借する。期間は"999年間"』
「なんだ? 何か不満かの?」
「不満というか・・・無茶苦茶でしょう。999年など借りるという次元ではありませぬ。完全な降伏文章でしょうに・・・」
「当然だ。だがな?これは、琉球という国を地図から消さないでおいてやる、俺からの慈悲だぞ?」
欲しているのは、貿易協定などという生優しいものではない。
俺が求めているのは、琉球の支配だ。
南の海を抑え、そこからさらに、高砂(台湾)、呂宋、さらにその南へと伸ばしていくための確実な拠点が欲しいのだ。
「しかし、琉球王がこれを呑むはずがありません。あちらにも王としての誇りが」「当然、呑まんだろうな。」
一国の主が自国の領土を、それも他国へと半永久的に差し出すなど正気の沙汰ではない。
俺は、ただ冷酷に笑い書状に封をした。
「拒否すればどうなりますか?」
長秀の問いに、俺は事も無げに答える。
「その時は、戦だ」
長秀が息を呑むのが分かった。
「この書状は単なる口実だ。
『織田の平和的な申し出を、琉球が拒絶した』という事実があればいい。断られた瞬間に、我々には彼らを攻め滅ぼす大義名分が生まれる」
最初から、交渉などするつもりはない。
向こうが拒否することを前提とした、事実上の宣戦布告文なのだ。
俺は立ち上がり、窓の外を見る。
熱田の港には、既に新しい塗装を施された船団が集結している。
これまでの沿岸警備用の船ではない。
外洋の荒波を乗り越え、南の島々を蹂躙するために設計された、黒塗りの侵略艦隊だ。
「水軍衆には伝えてあるな?佐治と新しく鍛え上げた俺たちの海兵で行く」
「はっ、既に訓練は完了しております。」
「よし、大友との交易も始まる。四国の資源も安定した。琉球もこれで片がつく。
次はいよいよ・・・」
「えぇ、いよいよ高砂(台湾)ですな」
───織田信長の、織田家の広がりはもはや誰にも止められないところにまで広がっていたのだった。
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