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【閑話】 兎の花園

 微睡みの中から抜け出すことは、今の私には少しだけ勇気がいる。

 それでもずっと寝ていることはできないから、恐る恐る起き上がった。

 周りを見渡せば、広い洋室にいることが分かる。

(……やはり慣れないな。靴で屋敷の中を歩くことも、椅子に座って食事をすることも、こうやってベッドで眠ることも)


 肩まで伸びた白銀の髪をつまんで、葉月は目を伏せた。

 族長の資格を持つ者の証。

 尊敬する父と同じ色の髪。

(本当に1人になってしまった……)


 あの悪夢のような事件から1週間。

 呪印を賜った葉月は、経過観察も兼ねてアルミラージ一族に引き取られていた。

 族長によって連れてこられた屋敷には、しかし葉月の居場所などない。

 大人たちは仕事に励み、子供たちは勉強や鍛錬に一日のほとんどを費やす。

 誰も葉月を気にかけてくれるものなどいなかった。

 そう、あの少年以外は──


「葉月! 遊びに行こう!! 」

 不意に大きな声がして、葉月はビクリと肩を震わせた。

 薄暗い部屋に一筋の明かりが差し込む。

 その方向を見れば、ドアが少し開いており、そこから長い耳がピョコンと覗いていた。


「タウフィーク……? 」

 ベッドから這い降りてドアに近づけば、短剣を腰に下げた黒兎が、満面の笑みを浮かべて立っていた。

「よっ! 」

「……鍛錬は? 私に構っている時間などないだろう? 」

 遠くの方で、剣の交わる音がしている。

 鍛錬の途中で抜け出してきたであろう目の前の少年に、葉月は思わず眉を寄せた。


「そんな寂しいこと言うなよ。それに俺は、鍛錬なんかしなくても強いんだぞ! 」

 ふふん、と得意げなタウフィーク。

 一体どこから突っ込めば良いのか。

 思わず呆れ顔になってしまう。


 そんな葉月の手首を掴んで、タウフィークは走り出した。

「わっ! 駄目だよ、外に出ては! 」

「なんで? こんなにいい天気なのに、遊ばなきゃもったいないって! 」

 子供らしい純粋な笑みに、葉月は息を詰まらせた。

(この子は知らないのだ。私がしてしまったことを。彼の掴んでいる私の手が、神力が、沢山の妖を殺めたものだということを。そうでないと、こんなにもまっすぐな笑顔を、私に向けるはずがない)


 顔を歪める葉月に気付くことなく、タウフィークは歩を進めた。

 鍛錬場とは反対の道を駆け抜け、中庭に着いたところで、タウフィークは漸く葉月の手を離した。

 色とりどりの薔薇バラの花が咲き乱れ、その中央にはガーデンテーブルが置いてある。

 甘くて濃い、薔薇の香りを肺いっぱいに吸い込ん

 で、二人はどちらともなく息をついた。


「ここ、秘密基地みたいで落ち着くんだ」

 そう静かに言ったタウフィークは、それっきり何も話すことは無かった。

 そして葉月は気づく。

 誰の目にも映らないこの場所が、とても居心地の良い所であることに。


 そう。誰もいない、あの部屋に居るよりも。

 暗くて静かな部屋は、心の安寧を得ると共に孤独を助長させた。

 それに比べ、この場所はなんて明るくて賑やかなのだろう。


 鳥のさえずり。

 暖かな風が耳元を駆け抜ける音。

 鍛錬する子供達の声。

 そして、隣に佇むタウフィークの存在。


 その全てが、自分が一人ではないと告げられているように思えて、葉月の心をざわつかせる。

 罪を犯した自分に、こんな素敵な場所は似合わない。

 そんな思いとは反対に、自然と体の力は抜けていく。


 刹那、葉月は身体を強ばらせた。

(駄目だ。ひとを殺めた私に、安らぎなどあってはならない)

 一瞬でも緩みそうになった気持ちを振り払い、葉月は固く拳を握った。

 1週間経った今でもなお、あのおぞましい事件の夢を見る。

 何度も何度も、悪夢の中で他者を殺し、何度も何度も両親や族の皆が死んだ。


 きっと、悪夢はこれからも見るだろう。

 あの光景を忘れることは生涯ない。

 だが、それで良いのだ。

 決して自分の罪を忘れてはいけないと、そう心に誓ったのだから。

(戻ろう)

 凪いだ己の心に嫌悪して、葉月は堪らず踵を返した。


 背を向けた葉月を、しかしタウフィークは良しとはしない。

 まだ大人になりきれない小さな背中に向けて、タウフィークは口を開いた。


「俺も同じことをするよ」


 その言葉に、葉月はピタリと立ち止まった。

「俺も、一族が傷付けられたら同じことをするよ」

 風に負けないよう声を張り上げれば、ようやく葉月は振り返った。

 その目が困惑に揺れている。

 口をきゅっと引き結んだ葉月に、タウフィークは続けた。


「お前のとった行動を責める者なんていない。誰だって大切なものを奪われたら悲しいし、怒りだって湧く。だから葉月、お前は悪人にならなくて良いんだ」


 見つめ合った二人の間を、風が静かに吹き抜ける。

「私が……悪人じゃない? 何故分かるの? 」

 さわさわと草木が揺れる音。

 そこに紛れるようにして、葉月は言葉を零した。

 迷子の子供のような目は、タウフィークをぼんやりと見据えている。


 タウフィークは小さく笑って、そして一歩前に出た。

 目を伏せた葉月に、優しい声色で言葉を紡ぐ。

「分かるさ。俺は何人もの犯罪者を見てきたからね。お前はそいつらとは違う」

 キラキラと輝く白銀に手を置いて、タウフィークはそっと頭を撫でた。

  大丈夫、何も怖くない。

 そう言われている気がして、葉月は無意識に身体の力を抜いた。


「ありがとう」

 小さく呟いたその声は、果たしてタウフィークに届いただろうか。

 涙で滲む視界のせいで、彼の表情はよく分からなかった。

 けれど、自分が笑っていることだけは理解した。

 あの事件から初めて浮かべた明るい表情は、とても綺麗な笑顔だった。


タウフィークさんはアルミラージの次期族長なので、葉月さんのことも知っていました。

因みに、このとき葉月さんは11歳、タウフィークさんは13歳です。

……中学生かぁ(*´ч ` *)

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