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【閑話】 乙女心と桃源郷の空

 日が傾き、カラスが暇(いとま)を鳴く刻限に、天中一の小料理屋【鈴の音】は開店する。

 次期店主である華陽(かよう)は下ごしらえを。

 現店主である陽樹(ようき)はカウンターで客待ちを。

 それが、いつもの流れである。


 今日も例外なく、【鈴の音】の暖簾(のれん)は出された。

 間もなくして最初の客がやって来る。

 そうすれば、陽樹は厨房に引き下がり、華陽は接客を始める。

 このとき、下ごしらえを全て終わらせるのがプロだ。

 勿論、華陽は完璧にこなす。

 年々体調を崩すことが減った華陽は、比例するように腕を上げていった。

 それもこれも、全て葉月さんのおかげ。

 そう口にしながら。


 その葉月がある事情から仕事を一時休むことになったと、そう言われたのは、つい昨日の事だった。

 それも本人からではなく、朔矢(さくや)と名乗る新しい専属薬師から。

 急な知らせであったが、華陽はそれほど驚かなかった。

 なぜなら、月に2回は来ると約束をしたはずの葉月が、ひと月の間に一度もここを訪れなかったからだ。


 しかし、驚きはしなかったが、絶望はする。

 しばらく葉月と会えないのだから、当然だ。

(これから何を楽しみに生きていけばいいのよ)

 そう思わずにはいられない。

 それに、新しい専属薬師は気難しい雰囲気の妖(ひと)で、とても居心地が悪いのだ。


 常に笑顔で優しい葉月とは違い、無口で無表情な、とりあえず「静」を極めし男。

 それが華陽の、朔矢に対しての第一印象だった。

(今日も診察に来るって言っていたわよね……。もう、気が重いなあ)

 口先まで出かかった溜息を飲み込んで、華陽は注文表を書き留めた。


 閉店間際になり、客がいなくなった頃。

 朔矢が弟子の万咲希(まさき)を連れてやって来た。

「万咲希、準備を頼む」

「はい」

 本当に最小限の会話だけをして、二人はテキパキと診察を始める。


 ここもやはり、葉月とは違う。

 彼はもう少しゆっくりと、穏やかに準備を進める。

 決して手際が悪いとかではなく、その場の空気を和ませるために。

 患者にも他愛のない会話を振り、緊張を解いていく。それでいて診断も的確で。

 そういう所が彼の名薬師たる所以(ゆえん)だ。


(まあ、好みは人それぞれだろうけど)

 薬の用意をしている朔矢を見ながら、華陽は心の内で呟いた。

 和やかな薬師を好む者も居れば、冷静沈着のサバサバした薬師を好む者も居る。

 だからこそ、薬師はどの職業よりも働き手が多く、そして大事にされるのだ。


「今のところ問題は無い。とはいえ、油断は禁物だ。食後の薬を忘れないように」

 金糸の三つ編みを揺らして、朔矢は立ち上がる。

「ありがとうございました」

 華陽がペコリと小さく頭を下げれば、朔矢はふっと小さく笑みを浮かべた。

「お礼なら葉月に言うと良い。俺がこうして滞りなく診察を行えたことは、一重にあいつの残していた記録のお陰だ。君の診療録は、他の患者以上に細かく記載されていた。相当気にかけていたのだろう」

 そう言って、朔矢はさっさと帰路に着いた。

 ──顔を真っ赤に染めて身悶える少女の姿を見ることなく。


 乙女心と秋の空とはよく言うが、どうやら彼女には当てはまらないようである。

 彼女の心は、まるで桃源郷の空のように変わらない。

 苦い薬を飲みながら、白狐の薬師に会える日を待ちわびるのだった。

閑話三個目!

「乙女心と秋の空」をもじって、桃源郷の空に変えました。

桃源郷の空は常に晴れています。

──ということで、「桃源郷には四季がない」という設定を今更ながら追加させてもらいます( ˊᵕˋ ;)

2作目で使うので……。



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