9話 ワンダとライメイ
「……なあ、シズク。ホウ。ちょっと真面目な相談があるんだが」
蘭から忠告を受けた日の夜。俺は二人の精霊に向き合っていた。
アイルと菜々海が二階で寝静まった後、俺の頭を離れないのは、昼間に蘭から聞いた「不審な連中」の話だ。
休みの日に蓮から聞いた話も合わせると、山神の力を狙う組織が俺のすぐ近くまで探りを入れているらしい。 知らないうちに平穏な農業生活を脅かされるのは御免だった。
窓の外では雨粒が激しくガラスを叩き、遠くで雷が低く唸っている。
まるでこの相談を予感しているかのような、不気味な天気だった。
「あら、ハルキさんが私に相談……? もしかして、夜の……ふふ、特別なお時間のお誘いかしら?」
シズクが頰をほんのり赤らめ、ぐにゃりと水の体を優しくくねらせる。
相変わらずワイシャツのボタンを全開にして、しっとりした肌を晒している。けしからんな!
「そんな誘いは一生しねぇよ。この館のセキュリティーの話だ」
「セキュリティー……? あら、なんだか難しいお話ですわね~」
ソファで『新潟しゃぶしゃぶ煎餅』をふにふにと貪っていたホウが、口の周りをカスだらけにして漫画を読んでいる。煎餅の粉がソファに落ち、ホウはそれを指でつまんでぺろりと舐めている。
「おい、ホウも話を聞け。どうにもこの館を勝手に調べてる悪い奴らがいるらしいんだ。もし、そんなやつらが入ってきたらと考えると、俺らの身の安全のためにも家の防衛力を上げたいんだよ。ホウ、お前も協力しろ」
「えっ! 悪いやつを捕まえるの!? それ、おもしろそう~! あたし悪を成敗して『ひかえおろ〜ひかえおろ~』ってやつやりたいわっ!」
ホウはしゃぶ煎を放り出し、話に食いついた。漫画をぱたんと閉じ、目をキラキラさせている。
「そうですね……ハルキさんは山神様になられたんですもの。厄介ごとも増えますわ。そのお力を利用しようとする不届き者が現れるのも無理はありません。……もし、そんな者たちがこの館に侵入してきたら、お仕置きが必要ですねぇ……」
「なにか、案があるのか?」
シズクが優しく目を細め、提案し始めた。
「まずは門番として『マッスルエンドウ』と『ヒマワリちゃん』を配置しましょう。玄関の警備はそれで充分ですわ。あとは、私が庭中に透明な水溜まりを張り巡らせます。誰かが侵入すれば、その振動で即座に感知できますわ~」
「感知したら、あたしの出番ねっ! とにかく捕まえて縛りあげればいいのよねっ!」
ホウは鼻の穴を膨らませ、見えない敵を捕まえるジェスチャーをしている。
「おお! そんなことできるのか!! よし、それでよろしく頼む!」
「ハルキさんの命令ならもちろんですわ~。その代わり……なにかハルキさんには対価をいただきたいですわねぇ」
「はっ?……聞くのも怖いが……例えば?」
「それはもちろん、ハルキさんがSで私がMな……」
パシィィン!!
「ほら! 先払いだ!! この変態めっ!!」
「あはぁんッ♡ やる気出ちゃううぅぅぅ!!」
「ほんと。おまえはブレねぇよな……」
「あたしも叩く方やるっ!」
「はいはい、その元気はセキュリティーの作成に使ってくれ。でもな、やりすぎるなよ? 特にホウ、お前は加減を知らなさそうだからな」
「だいじょーぶよハルキ! あたしこれでも館の木の精霊よ? ホワチャーッ!」
自信満々に胸を張りながら謎のポーズをするホウ。
「じゃあ、今晩中に作り終えておきますわね~」
こうして、俺は一抹の不安を覚えつつ眠りについた。
――――――
―――
翌朝。
「ぎゃあああああああ!!」
という絶叫で、俺は飛び起きた。
慌てて庭に出ると、そこにはこの世の地獄を凝縮したような光景が広がっていた。
「……あ、あう、ワンダ……たすけ……て……」
庭の真ん中で、全身ずぶ濡れの蓮が、ホウの木の蔦にぐるぐる巻きにされ、無残に逆さ吊りにされていた。
それだけではない。その蓮の顔面を、マッスルエンドウたちが「ぺちっぺちっ!」と軽快なリズムで殴り続けている。さらに隣では、ヒマワリちゃんが高速回転しながら、蓮の脇腹に強烈な往復ビンタを叩き込んでいた。
「わーい! つれたつれたー! ハルキ、見て見て! さっそく悪い人間がつれたよーっ! 早く来てー!」
ホウが蓮の周りをスキップしながらはしゃいでいる。
「おいバカ! それは敵じゃねえ、蓮だ! 早く放せ!!」
「えー? せっかくつかまえたのにー。ねぇ、どうする? 食べる?」
「食えるか! 友達だっつーの!」
蔦を解くと、蓮はベチャッと地面に這いつくばった。
ずぶ濡れ、ボコボコ、そして逆さ吊り。三連コンボを喰らった蓮は、虚ろな目で宙を見つめている。
「……ワンダ……。……君の家……、……魔境、すぎ……」
「わりい蓮、本当にな……。で、お前こんな朝早くに何しに来たんだよ」
「……倫と……蘭が……ぐはっ……」
こいつ、何かを伝えに来たようだが、何も伝えられないまま気を失ってしまった。なんて不憫な奴だろう。
その時、起きてきたアイルと菜々海が真っ青な顔で駆け込んできた。
「ワンダ君! 倫ちゃんと蘭ちゃんの家が!!」
「昨日の雷で被害に遭ったみたい! 二人の畑に落ちたってグループメッセで連絡がきてたのよ!」
「幸い怪我はなかったみたいだけど、育ててた野菜が全部炭になっちゃったんだって!」
「なんだって!?」
「アタシの時といい……ワンダの知り合いばかりが狙われてるみたい……もしかして、山神関係なんじゃ?」
菜々海が推測を口にする。
俺は蓮の介抱(縁側に置いておくだけ)を済ませ、リビングで優雅に朝の水分補給をしていたシズクと、気を失っている蓮の顔をつんつんしていたホウを問い詰めた。
「落雷? ん~、やっぱりあの子が関係あるのかしらねぇ……」
シズクが困ったように首を傾げる。
「あの子?」
「この山で雷って言ったら『チルル』に決まってるわ! 雷をドカーン!ってやる精霊よ!」
ホウが楽しそうに両手を広げた。
「チルル……? お前らみたいな存在か?」
「そうですわ~。思い込みの激しい子で、すぐ暴走してしまうんですのよ~」
「チルルは昔から山神って存在が大好きなのよね。それでワンダが他の女の子と仲良くしてるから、嫉妬して『えいっ!』ってやったのよ、きっと! あはは!」
「面白くねーよ! 菜々海たちに万が一があったら洒落にならねーぞ!!」
菜々海は一瞬、目を丸くして俺を見つめ、すぐに視線を逸らした。
耳の先がほんのり赤く染まり、いつもの強気な表情の下に、照れくさそうな小さな動揺が浮かんでいる。
「チルルはね、焼き畑の精霊なんですわ~」
シズクが説明を継ぐ。
「定期的に雷で森を焼いて、土を豊かにするのが仕事なんだけど……性格がちょっと、山神様に依存しすぎた『地雷系精霊』というか……。ホウの言う通り、ハルキさんに接触した女子を片っ端から排除しようとしてるんじゃないかしら~」
勝手に惚れて、勝手に嫉妬して、邪魔な女がいれば雷を落とす?
とんだ被害妄想精霊だ。
「許せねぇ。……ホウ、そのチルルってのはどこにいるんだ?」
「お山のてっぺんのほらあなよ! 高ーい所にいるからここからはかなり遠いわね!」
「よし、次の週末に乗り込むぞ。そいつにきっちり説教してやる!」
俺は気絶した蓮を米俵を担ぐみたいな形で運んで登校した。
ちなみに蓮は、雷の件を朝一番で知らせに来ただけだったそうだ。
――――――
―――
それから週末までの数日間、学校は妙な緊張に包まれていた。
ワンダに話しかけた女子が、次々と雷被害に遭い始めたのだ。
月曜の朝、A組の女子が俺に「おはよう、ワンダ君」と声をかけた瞬間、頭上に小さな雷が落ちて髪の毛がチリチリに焦げた。
火曜日、休み時間にノートを貸そうとした別の女子の足元にピンポイントで落雷。靴が焦げ、教室中に焦げ臭が広がった。
水曜日には「一緒に実習やろうよ」と誘ってきた女子が、校庭のベンチに座った途端に小さな雷が直撃。ベンチが黒く焦げ、彼女は「ひゃあっ!」と飛び上がった。
被害に遭った女子たちはみんな「え、なんで私だけ……?」と困惑し、 クラスメイトの間では「山神に近づくと雷が落ちる」という都市伝説が囁かれるようになった。
ある女子は「ワンダ君の周りは雷注意報が出てるみたい……」と冗談めかして笑っていたが、目は本気で怯えていた。
もちろん、俺の周りだけが狙われているのは明らかだった。 菜々海は苛立った様子で舌打ちし、アイルは「わー、雷ちゃん元気だね~」とのんびりしている。 倫と蘭も心配そうに俺を見守る日々が続いた。
そして週末。
俺たちはガイド役のシズクを先頭に、俺、ホウ、菜々海を引き連れて山へ入った。
「さあ、こっちが近道……私の大好きな『茨の道』よ~!」
シズクが案内したのは、道とは文字通り植物の茨が密集した地帯だった。
山頂800mまで最初は緩やかな登山道だったが、徐々に傾斜がきつくなり、息が上がる。 30分ほど登ると、急な岩場が現れ、手を貸し合いながら慎重に進んだ。
汗が額を伝い、木々の葉が湿った匂いを放つ。
さらに20分ほどで、木々がまばらになり、風が強くなったところでようやく山頂付近に辿り着いた。
山頂の洞穴は、異様な雰囲気に包まれていた。
入り口付近の岩はことごとく黒く焦げ、空気には微かにオゾン臭が混じっている。
だが、その洞穴は大きな二つの岩がまるで扉のように置かれ、中への侵入を拒んでいた。
シズクとホウもこの中にチルルがいると断言しているので、どうにか中に入る方法を探すワンダたち。 しばらく見てもこの重そうな岩は動かせそうにない。
どうやったら中に入ればいいのかと思っていたところに——
ピンポーン。
隅の方で配達員が荷物を抱えて、見えにくい所にあったチャイムを鳴らしていた。 岩ではなく、わきに隠れていた小さな隠し扉がガチャッと開き、中から小柄な女性が出てきた。
ヘアバンドでおでこを上げ、ノーメイクの完全に引きこもりの顔。髪は濃い紫のロングで、ところどころに青白いメッシュが入っている。 服は大きく『山神様 命‼』と書かれただぼだぼなTシャツ一枚を着た、背の低い女性。目は虚ろで、クマが出来ている。
配達員は慣れたように「いつもご利用あざーっす!」と元気に荷物を渡し終わると、駆け足で山を下って行った。
少女は荷を受け取り、げへげへと笑いながら呟いた。
「げへへ……新しい山神様の自作グッズ……やっと出来たわぁ……これでますます捗るわ……ひひひ……」
家に入ろうとしたところで、チルルはこちらに気づいた。
「あっ…………」
バタンッ!!
一瞬で俺が本物の山神だと悟った少女は勢いよく扉を閉めた。
「おい、ホウ。あれがチルルだな?」
「そうよ!閉じこもっちゃったけどどうするの?」
呆気にとられていた俺たちも気を取り戻し、勢いよく扉をノックする。
ドンッドンッドンッ!!
中から「なんでいるのっ!?お願いだから、ちょっと待って! 絶対開けるから! お願い、ちょっと待って!」という声がした。
「そうやって逃げる気かぁっ!おらぁ!開けろぉ!!」
俺たちはさらに力を込めて押したり引いたりしたが、重い岩のような扉はびくともしない。
結局、仕方なくその場で待つことにした。
十五分後。
「あ、出てきた」
とホウが気づく。
中からぬるりと出てきたのは、ゴスロリ風のドレスにツインテール、バッチりメイクをした少女だった。 手に「ワンダ様尊い」と書かれたうちわを持ち、白い推しハッピを着ている。
「あ、あ、……ほ、本物……。生・山神様……。ああああ、無理……。解像度が高すぎる……。尊すぎて空気が美味しい……窒素八割、山神様二割……。酸素なんていらない、山神様の吐息を吸わせてくださいぃぃ!!!」
チルルはもじもじしつつも俺から目は離さず、限界オタク特有の高速詠唱を唱え始めた。そのハッピの背中には、俺が農作業をしている隠し撮り写真がプリントされていた。
「……うわぁ、なんていうかワンダに夢中だな……」
菜々海は呆れたように呟いた。
そんな中、俺が口火を切る。
「お前、俺の友達の家に雷を落としただろ! 他にもクラスメイトの女子にバンバンアホみたいに雷落としやがって!何のつもりだ!」
俺が一喝すると、チルルは「ひぇっ!」と飛び上がり、その場で猛烈な勢いの土下座をかました。
「も、申し訳ございませんでしたぁぁぁ!! でも、山神様の周囲にメス猫の匂いがしたもので、つい……! 害虫駆除のつもりで……!」
「誰がメス猫よ!わ、ワンダとはべ、別にそういう仲じゃないんだからねっ!勘違いしないでよ!!」
菜々海の声が鋭く響いた。 その言葉には、怒りと照れが複雑に絡み合い、まるで嵐の前の静けさのような緊張を帯びていた。
「おい、落ち着けって。ちゃんと話し合おうぜ」
俺が低く鋭い声で割って入ると、チルルはようやく顔を上げ、震えながら頷いた。
「……あ、でも! 私、普段は山火事にならないように自然の雷が落ちてきそうな時は操作したりして山を守ってる善良な小精霊でやんすぅ……! 私の雷は、焼き畑にも使えますから……。とってもお役立ちですので今回は見逃してくださいいぃぃぃぃ。これからは、ちゃんとお仕事しますからぁぁ……!」
結局、チルルは「二度と狙って雷を落とさないこと」と「定期的に最高級の灰(肥料)を届けること」を条件に許すことにした。
「……あぁ山神様、怒った顔もマジ神……。あ、ホウ! ちょっと勝手に私の家はいらないでよ!」
そう言いながら、チルルが慌てて隠し扉を開けると、中から
「ちょっとハルキ!!この部屋すんごいわよ!ちょっと来てー!」
俺たちも気になり自然と中に入っていた。
そこには壁一面に、俺の隠し撮り写真がびっしり貼られていた。 農作業中、登校中、果ては朝食を食べている姿まで……。
さらに部屋のあちこちに、ガラス球のような透明な球体が浮かんでおり、中には館の中や通学路、教室の様子がリアルタイムで映し出されていた。まるで監視カメラのネットワークだ。
「うわぁ……」
全員が同時に引いた。
「なによこれぇ、覗きってレベルじゃないじゃない!? この引きこもり根暗オタク雷女! あんたのその安っぽいツインテール引っこ抜いて、堆肥の材料にしてあげるわよ!」
「やってごらんなさいよ! その貧相な絶壁の胸ごと黒焦げにして、木炭にしてあげるわ!」
洞穴の中で追いかけっこを始めるチルルとホウ。 シズクは「ふふ、若い子たちは元気ねぇ……」と優雅に水分補給をしながら眺めている。
どうやら、俺の平穏な生活を邪魔する最大の敵は、外の組織よりも、山神関連で増えていく「こいつら」のような気がしてならなかった。
「……帰るぞ。疲れた……」
俺の呟きは、山頂の賑やかな騒ぎにかき消されていった。
自宅に戻ったその夜から、晴れた休日にはワンダの館の周りに、ゴスロリ衣装に白い推しハッピを着たチルルの姿がたびたび見つかるようになった。




