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ワンダーライフ  作者: 都落 一郎
1話 -ワンダのスミカ-
10/10

10話 ワンダのココロ

 週末の騒がしい登山から一夜明け、月曜の朝。



「ぎゃああああああぁぁぁ!!」



 朝露に濡れた館の畑に、蓮の悲鳴が響いた。


「……またか」


俺が駆けつけると、そこには案の定、逆さ吊りになってブラブラと揺れている蓮の姿があった。


 ホウが木の根を編んで作った、『自動捕縛式・逆さ吊りネット』だ。

本来は害獣避けのはずだが――

なぜか、こいつだけは毎回捕まる。


「……おはよう、ワンダ。前回とは違うルートを選んだのに……無念……」


「おはようじゃねーよ!」


「ううう……、助けて……」


 ぷらんぷらんと揺れながら若干泣きそうな蓮。


 ホウの罠はそう簡単にはほどけそうにない。ホウ本人なら解けるだろうと思い、俺はポケットから新潟しゃぶしゃぶ煎餅を一枚取り出し、後ろ手に縛られている蓮の手に無理やり押し込んだ。


「これでなんとかしろ。朝飯作ってる途中なんだ」


「え!? ちょっ、ワンダ!?……こんな煎餅一枚でどうやって抜け出せばいいんだよ……」


「そのうち、ホウが来るから解いてもらえ」


「ひどい……ワンダの薄情者! 悪人面! 人間のフリした怪物!」


 蓮の罵声を右から左に受け流し、俺はキッチンに戻ってフライパンを振りながら、平和な日常が訪れますように、と願った。



今日は俺が朝食を作る番だった。


横ではアイルが「えー? じゃがいもないの~?」と、トースターから跳ね上がったパンを器用にキャッチしている。


二階からは菜々海が身支度をしている音が聞こえ、いつもの『狂者の館』の日常が動き出そうとしていた。


「ハ、ハルキさんっ! 大変です! 侵入者ですわ!」  キッチンの扉を勢いよく開けて飛び込んできたのは、シズクだった。濡れたワイシャツのボタンを掛け違えたまま、豊かな胸を揺らして詰め寄ってくる。


「おい、落ち着けシズク。蓮ならそのうち這い出てくるさ」


「いいえ、蓮さんじゃありませんわ! 人間が三人、真っ直ぐこちらへ向かってきています!敷地内の水脈の振動が……なんだか、『規則正しい』というか……迷いのない足取りなんです!」


「なにっ!?」


「あたし捕まえてくるーっ!」


 二階から階段を滑り落ちるような勢いでホウが降りてきた。


「昨日覚えた『必殺・根っ甲縛り』、実戦で試してあげるわ! あはは、あたしの天才っぷりを見せつけるチャンスね!」


「待て待て、ホウ! お前はその前に蓮の罠を解いてこい! あいつしゃぶ煎持ってるぞ!」


「そうなの? なら行くわ!」


 ホウは勢いよく「そのしゃぶ煎よこせー!」と言いながら畑の方へと走っていった。


 その後、俺はフライパンの火を止め、エプロンを脱ぎ捨てた。


「シズク、それで侵入者たちは今どこにいるんだ?」


「玄関の前で立ち止まっているみたいです」


俺は玄関へと向かった。


もし不審な連中なら、俺が実験動物にされるかもしれないし、ホウたちが捕まるかもしれない。気を引き締めて玄関の引き戸を勢いよく開け放った。


「――そこまでだ! うちの庭でこれ以上勝手な真似は……」


「…………」


「…………」


「やあ、ワンダ君。いい朝だね」


 門柱の前で、場違いなほど「爽やか」に右手を挙げている男がいた。


 一瞬、誰だか思い出せなかった。どこにでもいそうな平凡な目鼻立ち。だが、その頭上には、眩しい朝日に照らされて黄金色に輝く「金髪リーゼント」が鎮座している。


「えっと、……どちらさんでしたっけ……?」


「俺だよ俺ッ!元生徒会長の渡辺だ!!」


 元生徒会長・渡辺博。――究極の一般人でありながら全校生徒を束ねたカリスマを持つが、今は大学生デビューという魔物に食われて頭に金のバナナを生やした男だ。そして、彼の後ろには仲間と思われる二人がいた。


「あらぁ~、この子が噂の『山神様』? 想像してたよりも、ずっと健康そうで逞しい子ねぇ。うふふ、よしよししてあげたくなっちゃうわぁ」


 ゆったりとしたカーディガンを羽織り、聖母のような笑みを浮かべる女性。溢れんばかりの母性を醸し出す彼女が喋るだけで、周囲の空気が春の陽だまりのように塗り替えられる。


「……えっと?」


「失礼、自己紹介が遅れたね」


 渡辺先輩が、横に控えるもう一人の巨漢を指差した。


「今のが眞間ままさんで、こちらは金剛こんごう君。我々はこの近くにある農大の学生だ。実は最近、有志で『山神研究会』ってのを立ち上げたのさ」


「……金剛だ。以後、よろしく頼む」


 眼鏡をかけた知的な顔立ちとは裏腹に、白衣を突き破らんばかりの胸筋と腹筋を誇る大男。さらに異様なのは、上半身はネクタイを締めた白衣、なのに下半身は、海パンにサンダル。筋肉質な太ももが朝露でテカテカと光っている。


 玄関脇のマッスルエンドウが仲間だと思ってソワソワしてるじゃないか。


「山神研究会……?」


「そう。ワンダ君に与えられた『山神』の力。それが植物の成長にどう干渉するのか学術的に解明するのが俺たちの使命だ。もちろん、キミたちの学校側には既に許可を頂いているよ」


「山神様ぁ、怖がらなくていいのよぉ。まずは、ぬぎぬぎして体のサイズを、それから一日の排泄物の量も詳しく教えてもらえるかしら~?」


「質問の内容が怖すぎるわ!!」


 今度は金剛さんが、タブレットを高速で叩きながら畳み掛けてくる。


「……君の汗が特殊な酵素を含んでいる可能性がある。さあ脱いでくれ。そして一緒にスクワット百回だ!!」


「脱がねぇし、汗も採らせねぇよ!!」


 玄関先で始まった大学生たちの猛攻に、俺はこめかみがピクピクと跳ねるのを感じた。


 そこへ、罠から解放された蓮が、ホウに煎餅を奪われて若干ボロボロになりながら現れた。


「……ワンダ。……そいつら、昨日僕が言ってた『ネットで騒いでる連中』」


「は?この人たちがそうなのか?」


「……うん。怪しい動きをしている……突き抜けた変態の集まり」


 蓮の辛辣な評価に、渡辺先輩は「ハハハ! 最高の褒め言葉だね!」と笑い飛ばした。


「まあいい、とにかく入らせてもらうよ。俺たちの情熱を形にした自作の観測機で山神の秘密を解き明かすのだ!」


「あ、コラッ!勝手に入るな!」


 俺の制止も虚しく、大学生たちは裏庭の『山神の畑』へ物々しい機材を持ち込み始めた。


 金剛さんが海パン一丁で自作の巨大ドリルを構え、眞間さんが俺の脱ぎ捨てた靴下をシャーレに入れようとしている。


「いいかいワンダ君、この『ガイア・スキャナー(自作)』は、地脈を可視化するんだ。これを打ち込めば一発で――」


 その時、縁側から制服姿の菜々海が怒鳴り込んできた。


「ちょっと! アンタたち、そこで何してんのよ!」


 手には剪定バサミを握りしめている。どうやら、部屋に入ってきた眞間さんを撃退したようだ。


「いきなり人の部屋に入ってきて『脱ぎたての靴下をもらうわぁ』とか、勝手にもほどがあるわよ! それに、そんな機械持ち込んだら畑が荒れちゃうじゃない! なにより……何よあの海パン! 通報するわよ!」


「フッ、お嬢さん。筋肉は天然の防護服だ」


 金剛さんが大胸筋をピクピクさせた。


「気持ち悪い! どきなさい、そのドリルを止めて……」


 菜々海が機材をどかそうとした瞬間、ドリルが異常な音を立てて逆回転を始めた。山神の未知の力に安物のセンサーが過剰反応したらしい。


『警告:過負荷、過負荷』


 ドリルが合成音声らしきもので警告を発してくる。


 次の瞬間――

 ドリルの先端から青白い放電が走った。


 アームが跳ね上がる。


 菜々海の制服の裾を、巻き込んだ。


「きゃっ!?えっ、ちょ、離して! 引っ張られ――」


「菜々海!!」


 ドリルが爆発的な勢いで火花を散らし、その勢いのまま菜々海に向かう。


 彼女の服がドリルに引っかかり巻き込まれそうになり、俺は


 ――考えるより先に体が動いていた。


「おい……菜々海に、何してんだ……ッ!!」




 ドンッ!!




大地が震えた。


 俺の足元から、巨大な木の根が地中を泳ぐ龍のように飛び出した。


 根は瞬時に暴走する機材をがんじがらめに締め上げ、金属を飴細工のように握りつぶす。放電も、俺が放つ圧倒的な「緑の圧力」の前には無力だった。


「……あ……」


 機材から解放された菜々海が、その場にへたり込む。


 俺は咄嗟に駆け寄り、泥だらけの地面に膝をついて、菜々海の肩を抱き寄せた。


「おい、菜々海! 大丈夫か!? 怪我はないか!?」


「……ワン、ダ……?」


 菜々海が顔を上げる。いつも強気な彼女の瞳が、今は少しだけ潤んで揺れていた。至近距離。泥の匂いの中に、ふわりと彼女の石鹸の香りが混じる。


「…………っ」


 ドクン、と心臓が跳ねた。


 守らなきゃいけない。そんな、山神の力とは関係ない、ただの「椀田春樹」としての感情が湧き上がる。


「……バカ、あんた……顔、怖いんだけど……」


 菜々海が顔を真っ赤にして、俺の胸元を弱々しく叩いた。


「あ、いや……悪りぃ」


 慌てて体を離そうとしたが、指先に残る彼女の体温が、妙に熱く感じて仕方がなかった。


「……でも…………ありがとう」


 ぼそりと言った言葉は、胸の奥にじわりと熱が残った。


「……いつまで抱えてんのよ。そろそろ……放しなさいよ、このバカ!」


 菜々海が真っ赤な顔で俺の胸をポカポカと叩く。


 俺も火が出るほど顔が熱くなるのを感じながら、慌てて彼女を地面に下ろした。


 菜々海はぷいっと顔を背けたが、耳の先まで真っ赤なのは隠せていない。


 なんだか気まずい雰囲気になってしまったので、俺は咳ばらいをして辺りを見回す。


「それにしても……突然生えてきた木って俺の力?だったのか?」


 飴細工のように捻じ曲げられた金属の塊が足元に転がっていた。


 渡辺先輩たちも腰を抜かして驚いていた。


「ヒィ……。な、なんてパワーだ……。自慢の超硬質合金ドリルが、まるでもやしみたいに……」


 渡辺先輩が、へなへなと地面に腰をついた。黄金のリーゼントがショックで少し右に傾いている。


「……計算外だ。山神の力への過剰反応だけでここまでの物理干渉を引き起こすとは。ワンダ、君は……我々の想像を遥かに超える『本物』なんだな」


 金剛さんが割れた眼鏡を指で押し上げながら、感嘆の溜息を漏らした。その瞳には、恐怖よりもむしろ、未知の真理に触れた学究の徒としての熱い光が宿っている。


「ごめんなさいね、ワンダ君。……そして菜々海ちゃん。私たちの好奇心が、取り返しのつかない事態を招くところだったわ……」


 眞間さんが、いつもの聖母の微笑みを消し、神妙な顔で頭を下げた。


「……反省したなら、もう二度とこんな無茶しないでよね。死ぬかと思ったわよ、バカ!」


 その場に座り込んだまま、菜々海がようやく呼吸を整えて毒づいた。まだ顔は赤いし、体も少し震えている。


「ああ、もちろんだとも。……危険に晒してしまい、本当にすまなかった」


 渡辺先輩が立ち上がり、リーゼントをパシッと叩いて位置を直した。その顔には、先ほどまでのふざけた雰囲気はなく、奇妙な清々しさが漂っている。


「ワンダ君。君という存在の凄まじさ、そして『山神』という現象の底知れなさを、僕たちは甘く見ていたよ。……ところで今日採取したこのサンプルなんだけど、持って帰って研究したいんだが……」


「……っておい、俺の靴下結局持ってくのかよ!」


「……これも大事なサンプルなのだから持っていくに決まってるだろう。それから、この捻じ曲げられたドリルもだ。植物の根が、どうやって分子構造を組み替えて金属を破壊したのか……。くっくっく、研究テーマには事欠かないな!」


 金剛さんが、壊れた機材を軽々と肩に担ぎ上げた。白衣の下の海パンの尻が、キュッと締まり決意を新たにするようにテカテカと光る。


「じゃあね、ワンダ君。次に会う時は、もっと安全で、もっとあなたの為になる機材を持ってくるわ~」


 こうして嵐のような「農大研究会」が去り、庭には再び静寂が戻った。  だが、その静寂はどこか、以前のものとは違っていた。


 ふと視線を横にやると、菜々海がまだ顔を赤らめたまま、自分の腕を気にしているのが見えた。


「……あ、あのさ」


「な、なに。……まだ何か文句あんの?」


 菜々海が少しだけ尖った声を出すが、その瞳は泳いでいる。


 いつもなら「バカワンダ!」と一蹴される場面だが、今日はその語気がどこか弱い。


「いや……ごめん。俺が先輩の調査を断り切れなかったせいだ……。先輩たちが帰ってくれたのは菜々海のおかげだ。ありがとう。巻き込んで悪かった……」


「別に。ケガがなかったからいいわよ!朝から騒がしくて困るから止めに行っただけよ。それ以上でも以下でもないんだから」


 彼女はそう言って、逃げるように「狂者の館」の中へと戻っていく。


 だが、その歩調はどこかぎこちなく、その背中からはいつものような苛立ちは感じられなかった。


「……ワンダ。顔、赤い。熱?」


 背後から蓮が、感情の読めない瞳でじっと俺を見つめていた。


「ち、ちげーよ! 暑いだけだ! ほら、飯だ飯! 準備するぞ!」  俺は誤魔化すようにキッチンへと急いだ。




――――――

―――


館に戻ると、すでにアイルがダイニングで朝食の準備をしていた。


「……ワンダくん、朝ごはん出来てるよ。今日は朝からなんだか大変そうだったね~」


「ああ、ありがとうアイル。まったく、騒がしくて疲れたぜ……」


 だが、菜々海を見た瞬間、俺の心臓は不自然なリズムを刻み始める。


「いただきまーす」


 菜々海が、パンを小さな口に運びながらこちらを見つめてきた。


 ……ダ、ダメだ。


「……ッ!」


 俺は一瞬だけ目が合うと、すぐに視線を床に落とした。 蟹みたいに横歩きで、視線を逸らしたまま席に滑り込む。


「ちょっとハルキ、なにその動き。不審者?」


 ホウがジト目でこっちを見ている。


「……べ、別に。なんでもねぇよ!」


 嘘だ。本当は菜々海の顔を直視しようとするとドキドキしてしまうのだ。


 あんなに近かった距離。彼女の震える肩。思い出すだけで顔が火照るのを感じた。


「……ワンダ?」


「ひゃ、ひゃいっ!?」


 名前を呼ばれただけで、変な声が出た。


 菜々海が不思議そうに首を傾げ、覗き込むようにこちらを見てくる。


「……顔、赤いよ? 具合悪いの?」


「いや、全然! マジで健康! むしろ絶好調すぎて困るくらいだから!あはは!」


 俺は椅子から浮き上がる勢いで立ち上がり、一気にスープを飲み干した。喉が焼ける。


「あちちちちっ!!」


「もう、ちょっと何やってるのよ」


 彼女の綺麗な瞳がこっちを向いていると思うだけで、視線のやり場がどこにも見つからない。


 俺はもう、


 まともに菜々海の顔を見られなかった。

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