#9 luck
例のグループは捕まった。福田直樹だけ見付かっていない。
飛び降りた先からは、脱出するためのロープやネットが出てきた。彼の言った通り、リーダーではなく下っ端だった。グループの誰も彼が逃げたとこに気付かなかった。最初から逃げるつもりだったのだろうか。グループのリーダーは私を人質にするつもりだったみたいだけれど、彼は違った。事件は解決したのに、わだかまりが残る。
「彩賀ちゃんは、どこまで予測してたんですかね」
貸切のように私達しかいない喫茶店で、若櫻木さんに尋ねた。
私達の席は奥の席で、向かい合って座っている。テーブルには、ふたり分の飲み物と小さな紙袋が置いてある。中には借りたままだった発信機つきリングが入っている。
入り口近くの席には吾妻さんと熊田さんが座っている。店内のBGMが邪魔にならない程度に会話をぼかしてくれているので、大声を出さなければ会話の内容は分からないだろう。
「さぁな。全てを知ってはいないし、……ただ、彩賀に聞いていなかったら荒っぽい対応になっていただろうな」
若櫻木さんが息を吐きコーヒーカップに口を付ける。
私は動作を目で追いながら首を傾げた。
私の反応に笑みを零し、言葉を続ける。
「随分密着してるように見えたから」
対応って、初対面のとき……か。
ようやく意味する出来事を思い出す。若櫻木さんとの初対面、初めて青のファミリーと関わったときだ。
「それは怪我をしてたから」
「……だろうな」
あまり思わしくない表情を彼がしているので、口を開いた。
「私が最初に、怪我している人に近付いたから……なんですよね」
若櫻木さんの瞳が感情を探るように動く。
「後悔してます」
告げると、ぴくりと眉が動く。感情の変化を目に留めて、私はにっと笑った。
「……なんて、言うとでも思いました?」
首を傾げれば、若櫻木さんが遅れて瞬きをした。
「全部自分で選択したことなんですよ。自分で関わって、自分で巻き込まれた。後悔なんてしていません」
彼の目には解るのだろう。嘘ではないとこが分かる。
ついでに初対面の感想も付け加えておく。
「初めて若櫻木さんのビルに連れて行かれたときは、どうやって逃げようか考えていました。私ね、不運だって言われるんです。おかしいですよね。巻き込まれているとは思っても、私は自分のことを不運だとは思わないのに。私は、それが好きだから。もちろん、怪我をするのは嫌ですよ。日常のちょっとした刺激が好きなんです。人の顔を覚えるのが得意で、視線に気付くことで困ったことがあるのは事実ですけど、誤魔化して気遣いないふりをすることは上手くなりましたし。……鈍いぐらいが可愛いんですよ」
笑って過ごしてきたから、これからも涙を流すことはない。だけど、目の前の人物は笑わなかった。
「上園さんにとっては笑い事じゃないだろ」
ひとことで私の笑みは力をなくす。
嘘を見抜くだけじゃなく、こんなところでも気付かれるのか。でも、それは案外心地よい。
「笑いごとですよ。……笑いごとにしないとやってられねーですよ」
今度は彼も笑った。穏やかな笑みで目を細められる。
「そうか。では、その不運を俺にくれ」
ぱちくり、と音がつくそうなほど目を開いてしまった。
「ボスさんは……不運になりたいんですか?」
くれと言われてあげれるものじゃないし、大体なにをあげればいいのか困る。
「それも面白そうだな」
「冗談ですか」
「半分ぐらいな」
分からない。私からなにが欲しいのか分からない。
「巻き込まれるのも、顔を覚える癖も気付くことも疲れるだろ」
休めと言っているのか。目の前で両手を広げられている感覚だ。寄りかかってもいいって言ってくれている。そんな風に甘やかされると戸惑ってしまう。
気持ちを落ち着かせるために、私の頭は別の話題を探し始めた。
「どうして……」
私の言葉を待ってくれている目が、態度が、むずむずする。
「どうして、マフィアなんですか。若櫻木さんみたいな人は仕事がしにくいと思います」
優しすぎる。初対面のときからずっと気遣われていた。この世界で生きていけるのか勝手ながら心配になる。
若櫻木さんは意図をゆっくりと飲み込んだ。
「逆だ。嘘が分かるから仕事がしやすい」
私と同じだ。世界を肯定している。言葉が若櫻木さんという人を表している。そうだった。この人はファミリーのトップなのだから意思があったんだ。
「上園さん」
躊躇うように表情を気にするように続いた。
「また、連絡してもいいか?」
私の感情が、気持ちが上がりそうになって慎重に押さえ込む。
事件は解決した。リングも返した。用事は終わっている。ということは、好意をもってということか、それとも新しい事件なのか。
「それはどう受け取ればいいのでしょうか?」
「個人的にと言うか……俺が上園さんに、また会いたい」
照れるように言われた言葉に、今度こそ気持ちが跳ね上がった。
椅子を立ち叫びたくなったので、離れた席に聞こえるように声を上げた。
「吾妻さん! ちょっと聞いてください。若櫻木さんがっ!」
「上園!」
止める声が聞こえても、笑みが止まらない。私のことで取り乱す様子がおかしい。差し出された手に抱きついてもいいのだけれど、私は意地悪なので笑うだけにとどめる。
聞き返す吾妻さんの声を聞きながら、若櫻木さんを振り返った。
「若櫻木さん、名前で呼んでくれたらいいですよ」




