EP 7
食の防壁(クレーム対応)と、平和のモグモグ
ズゴゴゴゴゴォォォッ……!!
大公領の国境付近に広がる平原。
大地を揺るがすような恐ろしい地響きと、空を覆い隠すほどの土煙が、すぐそこまで迫っていた。
土煙の正体は、理性を失い、完全に暴走状態に陥った数十頭の『ロックバイソン(牛型魔獣)』の大群である。岩のように硬い角を突き出し、血走った目で一直線に農村へと猛進してくる。
「あぁ……おしまいだ……! 畑も家も、全部踏み潰されちまう!」
「逃げろ! 子供たちを連れて早く高台へ!」
農村の人々が、絶望に顔を歪めて逃げ惑う。
――そして、その悲劇の光景を、少し離れた安全な崖の上から見下ろしている男がいた。
「(オーケーオーケー、最高の絵面だ! 泣け! もっと絶望して泣き叫べ平民ども!)」
偽りの勇者ゼロスは、カメラの画角に映らない位置で下劣な笑みを浮かべ、配信開始のタイミングを計っていた。
村の半分が破壊され、犠牲者が出るギリギリの瞬間。そこで自分が飛び降り、スキル【マネー】で限界突破した魔法を放ち、魔物を一網打尽にする。
「(俺の完全復活のシナリオだ。……さあ、最高の『やらせの悲劇』の幕開けだぜ!)」
彼がそう思って、マントを翻そうとした、まさにその時である。
「――止まりなさい! 村の人々には、指一本(蹄一つ)触れさせませんわ!」
平原と農村の境界線。
逃げ惑う村人たちの前に、小柄な一人の女性が立ちはだかった。
エプロン姿の限界OL、アマネである。
そして彼女のすぐ背後には、抜刀した漆黒の魔剣を構え、絶対零度の殺気を放ちながら『鉄壁の盾』として寄り添うオルフェウス大公の姿があった。
「なっ……なんだあいつら!? あんな前線に立って、死ぬ気か!?」
崖の上のゼロスが目を剥く。
「アマネ。私の合図でしゃがめよ。先頭の五頭は、私の剣圧で吹き飛ばす」
オルフェウス様が、私を背後に庇いながら低く鋭く告げた。
「お待ちください、オルフェウス様。……剣は不要です。私の『おもてなし』の準備が、整いましたわ」
私は、目前まで迫るバイソンの大群を前にしても、一歩も引かなかった。
前世のブラック企業時代、電話口で理不尽に怒鳴り散らし、会社に乗り込んできたモンスタークレーマーの群れを一人で応対した修羅場に比べれば。
ただ走ってくるだけの牛さんたちなど、ちっとも怖くはない。
(クレーマー対応の基本。それは、彼らの『怒り(暴走)』の理由を強制的に上書きし、矛先を逸らす『最高の接待』を用意することですわ!)
私は、脳内で展開していた【善行ポイント通販】の『購入ボタン』を一気に押し込んだ。
今回展開するのは、ただのアイテムではない。地形と魔物の習性を利用した『平和的鎮圧の仕組み(システム)』である。
「さあ、お腹を空かせた牛さんたち! こちらが本日のフルコースですわ!」
ドンッ! ドドォォォォンッ!!
私の号令と共に、平原のど真ん中――バイソンの進行ルートを扇状に塞ぐようにして、突如として『巨大な壁』が出現した。
それは、石の壁でも魔法の障壁でもない。
地球の最新農業技術が生み出した【極上・超高栄養プレミアム乾燥牧草(巨大ロール状・10pt×30個)】である。
さらに私は、その牧草ロールの山に向かって、追加の『トッピング』を上空からブチ撒けた。
大公邸の厨房から持ち出した【ハニーかぼちゃの濃厚ペースト】と、地球の【マヨ・ハーブ特製ソース】である。
バシャァァァッ!
風に乗って、暴力的なまでに甘く、そして食欲を刺激する『濃厚な飼料の匂い』が、平原一帯に爆発的に広がった。
「な、なんだあの草の山は!?」
崖の上のゼロスが戸惑いの声を上げる。
ロックバイソンの群れは、怒り狂って突進を続けていた。
しかし、その『極上の牧草とハニーかぼちゃ』の匂いが、彼らの鼻腔を直撃した瞬間。
ズザザザザザザァァァァッッ!!!!
先頭を走っていた巨大なボス牛が、目をひん剥いて、四本の足で大地に急ブレーキをかけたのである。
後続の牛たちも、次々と玉突き事故のようにぶつかり合いながら、牧草の壁の数十メートル手前で、完全に停止した。
「ブモォ……?」
「モォォォ……」
闇商人の『凶暴化の香炉』による強制的な暴走状態。
それを、圧倒的な地球の『食欲(旨味)』が、一瞬にして上書きしてしまったのだ。
ロックバイソンたちは、血走っていた目をすっかりトロンとさせ、ヨダレを滝のように垂らしながら、目の前の『極上の餌の山』へとフラフラと歩み寄っていった。
そして。
モシュッ。モグモグモグモグ……。
「「「「…………え?」」」」
村人たちも、構えていた騎士たちも。
そして、崖の上のゼロスも。
全員が、完全にポカンと口を開けてフリーズした。
ほんの数秒前まで、大地を揺るがして村を滅ぼそうとしていた恐ろしい魔物の大群が。
今や、まるで牧場の平和な牛たちのように、アマネの用意した牧草とハニーかぼちゃペーストを、夢中になって「モグモグ」「ムシャムシャ」と咀嚼しているのである。
「ブモォォォォ〜(う、美味ぇぇぇ〜)」
「モシュ、モグモグ(ハチミツの甘みがたまらんモォ〜)」
美味しいご飯の前では、魔物も人間も(神様も)同じ。
怒りや暴走の感情など、満腹中枢が満たされる快感の前に、綺麗さっぱり消え去ってしまうのだ。
「ふふっ。お口に合ったようで何よりですわ。……皆さん、たくさん食べて、ゆっくり休んでいってくださいね」
私は、ホッとしてエプロンのポケットで小さくガッツポーズをした。
剣も魔法も使わず。一滴の血も流さず。
ただ『極上の干し草の壁』を展開しただけで、暴走する大群を無傷で制圧(餌付け)してしまったのである。
「……信じられん」
私のすぐ背後で、オルフェウス様が呆然と呟いた。
「かつて、これほどの魔物の大群を、武力を一切使わずに鎮圧した者がいただろうか。……私の妻は、軍隊の防壁よりも強固な盾を、『干し草とカボチャ』で作り上げてしまったというのか」
オルフェウス様は、魔剣を鞘に納めると、私の肩を後ろから誇らしげに抱き寄せた。
「た、助かった……! 大公夫人様が、俺たちの村を救ってくれたぞーっ!」
「魔物を殺さずに、大人しくさせちまった! まるで女神様の奇跡だ!」
村人たちが我に返り、私に向かって割れんばかりの歓声と拍手を送り始めた。
平和と、歓喜に包まれる平原。
しかし、ただ一人。その状況を絶対に受け入れられない男がいた。
「は……? はぁぁぁっ!?」
崖の上。ゼロスは、エンジェルすまーとふぉんを握りしめ、顔を真っ赤にしてワナワナと震え上がっていた。
「な、な、なんなんだよあのふざけた草の山はぁぁっ!! 俺の……俺の命がけの魔物討伐の『最高の見せ場』が……!! 村がぶっ壊されて、俺が颯爽と登場するはずだったのに! どうして牛どもが大人しく草食ってんだよぉぉっ!!」
彼の練り上げた『やらせの悲劇』は。
限界OLの『見返りを求めない本物の優しさ』の前に、配信のボタンを押すことすらできず、根本から完全に崩壊してしまったのである。
「ふ、ふざけるな……! 許さねぇ! だったら、あの草食ってる牛どもごと、俺の魔法で吹き飛ばしてやる! 配信開始だ! すぐにカメラを回せ!」
ゼロスは発狂したように叫び、スタッフからカメラを奪い取った。
「スキル【マネー】発動! ワイズ様のアカウントから、100万ゴールド課金してステータスを……!!」
ゼロスが、システム画面を狂ったように連打する。
しかし。
彼がどれだけ画面をタップしても、魔力は微塵も上がらなかった。
『エラー:指定された口座は、天界監査局により凍結されています。決済は承認されませんでした』
冷酷なシステム音声が、崖の上に虚しく響き渡る。
「……は?」
ゼロスの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
アマネの無償の善行が人々の心を救う裏側で。
見栄と金に塗れた偽りの勇者のメッキが、今、無惨に剥がれ落ちようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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