EP 4
戦神の絶対零度と、誇り高き妻への誓い
ルナミス帝国の帝都、大公邸。
客室で行き倒れのオジサン(主神オリン)に特製の胃薬と卵雑炊を振る舞い、彼を夢の中へと送り出した後。
私は、炊き出しの片付けをするために、再び前庭へと戻ってきていた。
「アマネ様、お疲れ様ですわ。スープの寸胴鍋は、すでに厨房へ運ばせましたの」
「ありがとう、リーザさん。領民の皆様も、無事に帰られましたか?」
私がエプロンの紐を解きながら尋ねると、リーザさんは「ええ、皆ホクホク顔でしたわよ」とアイドルの笑顔で答えてくれた。
ひと仕事終えて、ホッと息をついたその時だった。
「おっ、戻ってきたね、美しき大公夫人」
庭園のアーチの陰から、ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべた青年――契約勇者ゼロスが歩み寄ってきた。
彼の背後にいたカメラマンたちは、今は機材を下ろして休憩しているようだ。つまり、今は『配信外』の素の彼である。
「……勇者様。まだいらっしゃったのですね。何かご用でしょうか」
私は、先ほど彼が庭に葉巻をポイ捨てしたことへの怒りを腹の底に隠し、営業用の作り笑いを浮かべた。
「いやさ、さっきはちょっと言いすぎたかなって思って。……それにしても夫人、近くで見ると本当にすげぇ美人だよね。その辺の女優やアイドルが裸足で逃げ出すレベルだわ」
ゼロスは、私の顔を値踏みするようにジロジロと舐め回した。
前世のブラック企業時代、接待の席で下心丸出しで近づいてくる取引先のオジサンと全く同じ、粘り気のある視線だ。
「単刀直入に言うよ。夫人、俺の配信に『コラボ出演』しない?」
「コラボ……ですか?」
「そう! 俺がこれから、この領地に現れるロックバイソンの群れをド派手にぶっ飛ばす配信をやるんだけどさ。ただ倒すだけじゃスパチャ(投げ銭)が跳ねないんだよね。やっぱり『守るべきヒロイン』が必要なんだよ」
ゼロスは、自分の完璧にセットされた前髪をかき上げながら、ゾッとするような提案をしてきた。
「夫人は、わざと魔物の前に立って、恐怖に顔を歪めて泣き叫んでくれればいい。ドレスも少し破いて、悲惨な感じを演出してさ。絶望の淵に立たされた絶世の美女……そこへ、俺が颯爽と駆けつけて命がけで救い出す! どう? 最高の『悲劇と感動のシナリオ』だろ? 絶対にPVが爆発するぜ!」
――本気で、この男は言っているのだろうか。
わざと悲劇の状況を作り出し、私を「見映えのいい悲劇のヒロイン役」として魔物の前に立たせる。すべては自分のPVと、投げ銭を稼ぐためだけに。
「……お断りいたしますわ」
私は、営業スマイルを完全に消し去り、冷ややかな声でキッパリと告げた。
「魔物は恐ろしいものです。人々を危険に晒し、恐怖をエンターテイメントとして消費するような『やらせの悲劇』に、私が加担することは絶対にありません」
「はぁ? なにマジレスしてんの?」
ゼロスの顔が、途端に不機嫌に歪んだ。
「俺のスキル【マネー】でステータスを爆盛りすれば、ロックバイソンなんざ指先一つで消し炭にできるんだよ。お前はただ、俺の引き立て役として泣いてりゃいいだけだろ? 金にならない炊き出しなんかやってるより、俺の配信に出たほうがよっぽど世界のためになるんだぜ?」
「あなたの言う『世界のため』が、ご自身の承認欲求と小銭稼ぎのことであるなら……私は、金にならない偽善のままで結構です」
私は冷たく言い放ち、彼に背を向けて立ち去ろうとした。
「チッ、調子乗んなよ、平民上がりが……!」
苛立ったゼロスが、私の肩を強引に掴もうと、乱暴に手を伸ばしてきた。
――しかし。
その手が、私のドレスに触れることは、永遠になかった。
ガシィッ!!!
「――ッ!?」
「気安く我が妻に触れるな。……薄汚い三下が」
ズォォォォォォォッッ!!!!
大公邸の庭園の空気が、いや、世界そのものの温度が一瞬にして絶対零度に凍りついたかのような、凄まじい『殺気』の爆発。
いつの間にか私の背後に立ち塞がっていたのは、漆黒の軍装に身を包み、腰の魔剣の柄に手をかけたオルフェウス大公だった。
彼は、ゼロスの伸ばした腕の手首を、黒い革手袋に包まれた万力のような手でガッチリと掴み止めていたのだ。
「い、痛ぇぇぇっ!? て、てめぇ……大公か! 離せ! 俺は天界公認の契約勇者だぞ!」
ゼロスが、見栄えだけは立派なミスリルアーマーをガチャガチャと鳴らして悲鳴を上げる。
彼の腕の骨が、オルフェウス様の握力によってミシミシと嫌な音を立てていた。
「天界がどのような道化を雇おうが、私の知ったことではない。だが……」
オルフェウス様の深い紫の瞳が、獲物を睨みつける猛禽類のように鋭く細められた。
「我が領地で、私の命よりも大切な妻に無礼を働き、あまつさえ『見世物』の道具にしようとした罪。……万死に値する」
「ひぃぃっ……!」
ゼロスは、オルフェウス様から放たれる本物の『戦神の闘気』を前に、完全に顔面を蒼白にしていた。
彼がどれだけ【マネー】のスキルでステータスを一時的に水増ししていようと、数多の修羅場を潜り抜けてきた本物の強者の前では、ただのハリボテに過ぎないことが露呈してしまったのだ。
「オ、オルフェウス様。もう十分ですわ」
私がオルフェウス様の腕にそっと触れると、彼はギリッと奥歯を噛み締めながら、ゼロスの腕を乱暴に払いのけた。
「……チッ。覚えてろよ、大公! 脳筋の時代遅れが! すぐにロックバイソンの大群がこの領地に押し寄せてくるからな! その時になって、俺に土下座して『助けてくれ』って泣きついても、絶対に配信で笑い者にしてやるからな!!」
ゼロスは、腕を押さえながらダサい捨て台詞を吐き、カメラマンたちを急き立てて逃げるように大公邸から立ち去っていった。
「……身の程知らずの小童が。次にアマネの視界に入れば、配信ごと消し炭にしてくれる」
オルフェウス様は、忌々しげにゼロスの背中を睨みつけた後、ふっと殺気を収め、私の方へと向き直った。
「アマネ。怪我はないか? 怖い思いをさせてすまなかったな」
「いいえ、私は何も。……それより、オルフェウス様。お仕事はよろしかったのですか?」
「ああ。君が怪しい男に絡まれているという報告を受けて、軍議を中座してきたのだ」
――えっ?
つまり、私がピンチだと知って、帝国の最重要会議をすっぽかして(あるいは秒で終わらせて)、飛んできてくれたということだろうか。
「私としたことが、屋敷の警備を甘くしていた。君のその美しさは、あのようなハイエナ共を引き寄せてしまうというのに……。私が片時もそばを離れるべきではなかったな」
オルフェウス様は、私の頬にそっと手を添え、親指で優しく撫でた。
先ほどまでの絶対零度の殺気が嘘のように、その紫の瞳には、私への底なしの愛情と、隠しきれないほどの『不器用な独占欲』が溢れていた。
「オ、オルフェウス様……」
「君は、誰かの悲劇を演じるような女ではない。君が笑ってくれるなら、私はこの身を盾にしてでも、すべての厄災を君から遠ざけてみせる。……だから、君は私の腕の中だけで、その優しい笑顔を見せていればいいのだ」
――ドクンッ。
私の心臓が、肋骨を突き破りそうなほど大きく跳ね上がった。
限界OLとして、前世では誰の庇護も受けられず、理不尽な要求にも一人で耐えるしかなかった私。
でも、今の私には、どんな権力者や勇者が相手でも一歩も引かず、私の誇りを守り抜いてくれる最強の夫がいる。
彼から注がれる、少し重たいくらいの絶対的な愛情(溺愛)が、私の心の奥の柔らかい部分を、これでもかというほど甘く溶かしていく。
「……はい、オルフェウス様」
私は顔から火が出そうになるのを必死に堪えながら、彼の手の上に自分の手を重ね、こくりと頷いた。
「私、ちっとも怖くありませんでしたわ。だって、あなたが必ず助けに来てくださると、分かっていましたから」
私が上目遣いでそう告げると、オルフェウス様は言葉を失ったように息を呑み、たまらなくなったように私を強く、しかし壊れ物を扱うような優しさで抱き寄せた。
偽りの勇者が残していった不快な空気など、彼の一途な愛情の前に、一瞬にして浄化されてしまったのだ。
……しかし。
私たちがいちゃいちゃと甘い時間を過ごしている裏で。
大公邸のポンコツコンビ(フェイトさんとリーザさん)もまた、偽りの勇者に対して、彼らなりの『最悪のカウンター』を仕掛ける準備を整えようとしていたのである。
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