EP 3
極上の胃薬と、無償の卵雑炊
ルナミス帝国の帝都、大公邸の客室。
庭園で偽りの勇者ゼロスが「金にならない偽善なんてゴミだ」と吐き捨てて去っていった頃。
客室のベッドの上では、行き倒れのハゲ頭のオジサン(お忍びの主神オリン)が、窓の隙間からその一部始終を覗き見て、ギリッと奥歯を噛み締めていた。
「……ワイズのバカ神め。PV(再生数)を稼ぐために、あんな見栄と金に塗れたクズを『勇者』に仕立て上げおって……!」
オリンは、自らの頭を抱えて呻き声を上げた。
天界の新人神であるワイズが、裏で魔王軍と結託し、意図的に悲劇を起こしては勇者に解決させるという『やらせ配信』を行っていることは、主神であるオリンも薄々感づいていた。
しかし、その配信が叩き出す莫大なPV(天界の予算)と、スポンサーからの高評価の前に、中間管理職である彼にはそれを強く咎めることができなかったのだ。
「結果主義、利益至上主義……。それが今の天界を回しているとはいえ、あんな傲慢な若造が、人々の純粋な善意を足蹴にするなど……主神として、情けなくて涙が出てくる……っ!」
――キリキリキリッ!!
「ぐっ、あぁぁぁっ……!!」
激しい自己嫌悪と、部下の不祥事に対する強烈なストレスが、オリンの胃壁を容赦なく抉り取った。
あまりの激痛に、オリンはベッドの上でエビのように丸まり、脂汗を流して呼吸を荒らげた。
「い、胃が……! 胃酸が逆流して、穴が開きそうだ……! 天界の薬草をいくら噛んでも治らないこの慢性胃潰瘍が……また……っ!」
ガチャリ。
その時、客室の扉が静かに開いた。
「……やっぱり。お腹を押さえて苦しんでいらっしゃったから、ストレス性の急性胃炎ではないかと思っていましたわ」
お盆を手にした私が、急いでベッドのそばへと駆け寄る。
「ア、アマネ殿……。すまない、みっともない姿を……っ」
「喋らなくて大丈夫ですよ。今、すぐに痛みを抑えますからね」
私は脳内で素早く【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
前世のブラック企業時代、大きなクレーム処理の後や、理不尽な上司の説教の後に、私の荒れ狂う胃袋を何度も救ってくれた『地球の叡智の結晶』を空間から実体化させる。
「はい、これを一気に飲んでくださいな。少しスーッとしますよ」
私が取り出したのは、【極上・胃腸粘膜修復液(即効性リキッドタイプ・3pt)】である。
錠剤や粉薬よりも吸収が早く、荒れた胃の粘膜を直接コーティングして炎症を鎮める、急性胃痛の最強の味方だ。
「こ、これは……?」
「一気にグイッといくのがコツですわ」
オリンは震える手で小瓶を受け取ると、蓋を開けて、青みがかったドロッとした液体を喉の奥へと流し込んだ。
「……ん?」
ごくりと飲み込んだ瞬間。オリンの瞳が、驚きに大きく見開かれた。
「な、なんだこの、胸の奥を吹き抜けるような爽やかな感覚は……!?」
オリンは、自分のお腹をペタペタと触りながら目を見張った。
「ドロリとした液体が、まるで氷の盾のように、焼けただれた胃壁を優しく、そして完璧に包み込んでいきやがる! 荒れ狂っていた胃酸の海が、一瞬にして凪のように静まり返った……! い、痛くない! 全く痛くないぞ!?」
「ふふっ。即効性のコーティング薬ですからね。でも、それはあくまで応急処置です。空っぽの胃袋には、優しくて温かいエネルギーを入れてあげないと、根本的な回復にはなりませんわ」
私は、お盆の上に乗せていたもう一つの『特効薬』の蓋を開けた。
モワァァァッ……。
部屋の中に、カツオと昆布の極上の和風出汁の香りが、湯気と共にふわぁっと広がった。
「こ、この信じられないほど食欲をそそる匂いは……!?」
「【特製・黄金出汁のフワフワ卵雑炊(3pt)】ですわ。ご飯を限界まで柔らかく煮込んで、溶き卵でとじたものです。消化に良くて、弱った胃腸にはこれ以上ないご馳走ですのよ」
私が木のスプーンで雑炊を掬い、フーフーと冷ましてからオリンの口元へと運ぶ。
「さあ、あーん、して?」
「あ、あーん……」
オリンが、完全に毒気を抜かれたような顔で、パクリと雑炊を口に含んだ。
「――――ッ!!!」
その瞬間。オリンのハゲ頭に、ピカーーッ!と今日一番の凄まじい後光が差した。
「う、う、美味えぇぇぇぇぇぇっっ!!!」
オリンの目から、再び大粒の涙がナイアガラのように溢れ出した。
「なんだこの、五臓六腑の細胞一つ一つに染み渡るような、深く優しい旨味はぁぁっ! 噛まなくても、舌の上で出汁を吸った米がホロホロと解けて、卵の甘みが胃袋を温かく抱きしめてきやがるぅぅっ!」
オリンは、スプーンを受け取ると、涙と鼻水を垂らしながら、ハフハフと無我夢中で卵雑炊をかき込み始めた。
「美味しい……! 本当に、美味しい……っ! 私が天界で噛み砕いていた、あの苦くて不味いだけの薬草の塊は、一体何だったんだぁぁっ!」
天界のトップである主神が、人間の女性が作った(通販で出した)一杯の雑炊に、これまでの全てのストレスを洗い流されるようにして号泣している。
それは、権力やPVとは無縁の、ただ『美味しいご飯で誰かを癒やす』という、本物の優しさの力だった。
「……アマネ殿」
器を空っぽにしたオリンが、目元を乱暴に拭いながら、震える声で私に問いかけた。
「なぜ、そこまでしてくれるのだ。……私は、どこの馬の骨とも知れぬ、ただの行き倒れのハゲオヤジだぞ。先ほどの勇者のように、金も、知名度も、PVも持っていない。私を助けても、君には何の見返りもないというのに……」
オリンの脳裏には、先ほど庭園でゼロスが吐き捨てた「金にならない偽善なんてゴミだ」という言葉が焼き付いていた。
「見返り、ですか?」
私は、空になった器を片付けながら、クスリと微笑んだ。
「そんなもの、最初から求めていませんわ」
「え……?」
「困っている人がいたら、温かい場所で休ませて、消化に良いものを作ってあげる。……それは、PVを稼ぐためでも、お金のためでもありません。ただ、目の前で苦しんでいる人に『ホッとしてほしい』と願う、当たり前の感情ですもの」
私は、オリンの肩に毛布を掛け直し、ポンポンと優しく叩いた。
「あなたが今、こうして『痛みが引いた』『美味しかった』と笑ってくれた。……私にとっては、その笑顔が何よりの見返り(スパチャ)ですわ」
――ドクン。
オリンの胸の奥で、何かが大きく打ち鳴らされる音がした。
効率。数字。PV。予算。
そんな薄っぺらいものばかりを追い求め、疲弊しきっていた天界の主神の心に。
限界OLの『見返りを求めない、無償の善意』が、極上の胃薬以上に深く、深く染み渡っていったのだ。
「うぅぅっ……! アマネ殿ぉぉっ……!! 君は、本物の聖女だ……っ!」
オリンは毛布を頭から被り、子供のように声を上げて泣き始めた。
(……あらあら。よほどストレスが溜まっていらっしゃったのね。ゆっくり休んでいただけて良かったわ)
私は、泣き疲れて眠りに落ちていくオジサンを微笑ましく見守りながら、そっと客室を後にした。
ゼロスが鼻で笑った『金にならない偽善』。
しかし、その無償の優しさが、結果として『天界のトップ(主神)の心を完全に掌握し、味方につける』という、とんでもない最強の布石になったことなど、この時のゼロスは知る由もなかったのである。
偽りの勇者による『やらせの悲劇(魔物暴走)』の足音が、大公領のすぐそばまで迫ってきていた。
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