第九章 行き倒れのハゲオジサンと、偽りの勇者のパレード
行き倒れのハゲオジサンと、偽りの勇者のパレード
ルナミス帝国の帝都、大公邸。
邪神デュアダロス様という規格外の『クレーマー』を接待し、彼をすっかり常連客(舎弟)に変えてしまってから数日後。
大公邸のプライベートガーデンには、小鳥のさえずりと共に、いつもの平穏で温かいティータイムの時間が流れていた。
「アマネの淹れてくれる『ぽぽろ・こーひー』は、本当にいい匂いがするねー!」
聖獣の化身体である金髪の少女リンちゃんが、私がドリップしたコーヒーの香りを嗅いで、花が咲いたような笑顔を見せる。
「ふふっ。丁寧に時間をかけてお湯を注ぐと、豆が膨らんで美味しくなるのよ。甘いクッキーもたくさん焼いたから、一緒に食べてね」
私が焼き立てのバタークッキーをお皿に乗せると、茂みの陰から「クンクン」と犬のように鼻を鳴らす音が聞こえてきた。
「(……お嬢のクッキー、マジで美味そうっすね。今日の俺たちのまかないは、塩をかけただけのジャガイモ一つっすよ)」
「(アイドルの私に、炭水化物オンリーの食事を強いるなんて……! アマネ様に媚を売って、一枚くらい恵んでもらいましょう!)」
大公邸の愛すべきポンコツコンビ(ギャンブラーのフェイトさんと、地下アイドルのリーザさん)が、ヨダレを垂らしてこちらを見つめている。
私は苦笑いしながら、彼らの分のお皿にもクッキーを山盛りにして、ポンとテーブルの端に置いた。
「ほら、お二人も隠れていないで、一緒にいかがですか?」
「ヒャッホー! さすがアマネお嬢、女神っす!」
「一生ついていきますわぁぁっ!」
現金な二人が光の速度で飛び出してきて、クッキーを貪り食い始める。
私が自分のコーヒーカップに口をつけ、ふうっと一息ついた、その時だった。
「――お、お助けを……っ」
エントランスの方から、弱々しい、しかし悲痛な掠れ声が聞こえてきた。
「えっ?」
バタンッ! と、庭園に続く重厚な門が開き、一人の男が芝生の上に崩れ落ちたのだ。
その男は、全身ボロボロのみすぼらしいローブを身にまとい、年齢は五十代半ばほど。
そして何より目を引くのは、その頭部だった。
雲一つない青空の太陽光を反射して、ピカーーッ! と、まるで後光が差しているかのように眩しく輝く、見事なまでの『ツルツルのハゲ頭』であったのだ。
「な、なんすかあのオッサン!? 頭が眩しすぎて直視できないっす!」
「ひぃぃっ! 不審者ですわ! アイドルのプライベートを狙う厄介な追っかけかもしれませんの!」
フェイトさんとリーザさんが慌てて後ずさる。
「……い、胃が……痛い……」
男は、腹部を両手でギュッと抱え込み、苦悶の表情で芝生の上をのたうち回っている。
「うぅぅっ……ストレスで、胃袋に穴が開きそうだ……。誰か……私に、優しい言葉と……胃薬を……」
その悲痛な叫びを聞いた瞬間、私の前世(限界OL時代)の記憶が、ビリビリと反応した。
(あ、あの丸まった背中……。それに、あの脂汗を浮かべた表情……っ!)
間違いない。あれは、理不尽なノルマと上司からのプレッシャーに挟まれ、毎日胃薬をラムネのようにボリボリと噛み砕いていた、前世の営業部の万年係長(妻子持ち・ローンあり)と全く同じ顔だ。
中間管理職特有の、絶望的なストレスに苛まれた人間の放つ哀愁。
それに気づいた瞬間、私は自分のドレスの裾が汚れるのも構わず、彼のもとへと駆け寄っていた。
「アマネ!? 危ないよ、誰か分からないのに!」
リンちゃんが止める声も聞かず、私は倒れたハゲ頭のオジサンの背中を優しくさすった。
「大丈夫ですか!? 呼吸をゆっくり整えてください! ……誰か、温かい毛布と白湯を持ってきてちょうだい!」
私が振り返って指示を出すと、エントランスの警備をしていた騎士たちが慌てて毛布を持って駆けつけてきた。
「あ、あなたは……?」
オジサンが、虚ろな目で私を見上げる。
「私は、この大公邸を預かるアマネと申します。もう大丈夫ですよ。……毎日、本当にたくさんのお仕事をされて、たくさん悩んで、無理を重ねてこられたのですね。お辛かったでしょう」
私が、彼の手を両手で包み込み、心からの労いの言葉をかけると。
「――ッ!!」
オジサンの目から、滝のような大粒の涙がボロロッ!とこぼれ落ちた。
「う、うぅぅぅっ……! そ、そうなんだよぉぉっ……! 誰も、誰も私の苦労を分かってくれないんだ! 予算をよこせとタメ口を叩く金遣いの荒い部下や、ジロジロ見るなと冷たくする部下ばかりで……っ! 私はただ、世界の調和を守りたかっただけなのにぃぃっ!」
オジサンは、私の手におでこをこすりつけるようにして、わぁぁぁん!と情けない声を上げて号泣し始めた。
(……よっぽど、職場の人間関係で苦労されているのね。可哀想に……)
私は彼を客室へ運び、ふかふかのベッドに寝かせると、彼のお腹を冷やさないように毛布を何重にも掛けてあげた。
この行き倒れのオジサンこそが、天界のトップである主神オリン(お忍びの姿)であることなど、限界OLの私には知る由もなかったのである。
*
「……アマネ。君はまた、素性の知れないヤカラを屋敷に引き入れたのか」
午後。軍議から帰還したオルフェウス様が、客室の前で呆れたようにため息をついた。
「申し訳ありません、オルフェウス様。でも、あの方は本当に胃を痛めて苦しんでいらっしゃったのです。追い出すなんて、私にはできませんわ」
私が申し訳なさそうに上目遣いで見上げると、オルフェウス様はフッと口元を緩め、私の頭をポンポンと優しく撫でた。
「謝ることはない。……それが、君の最大の美徳であり、私が愛してやまない部分なのだからな。だが、もしあの男が君に少しでも危害を加えようとすれば、私が即座に首を刎ねる。それだけは覚えておきなさい」
「も、もう……オルフェウス様ったら、すぐ物騒なことをおっしゃるんですから……っ」
彼の不器用で、けれど誰よりも甘い過保護な言葉に、私は顔をポッと赤く染めた。
どんな不測の事態が起きても、この人が絶対に私を守ってくれる。その確固たる信頼関係が、私を何よりも安心させてくれていた。
「アマネ様! 大変ですわ!」
その甘い空気をぶち壊すように、リーザさんがバタバタと廊下を走ってきた。彼女の背後には、ルナミス新聞を握りしめたフェイトさんも続いている。
「どうしたのですか、お二人とも。そんなに慌てて」
「帝都のメインストリートで、今、ものすごいパレードが行われているんですの! 見てください、これ!」
リーザさんが自身のエンジェルすまーとふぉんを差し出す。
そこには、ゴッドチューブの生配信の映像が映し出されていた。
画面の中で、白馬に跨がり、キラキラと輝く純白の鎧を身にまとった一人の青年が、沿道の民衆に向かって手を振っている。
整った顔立ち(※極めて人工的な美しさ)と、眩しいほどに白い歯。
沿道からは「キャーッ! 勇者様ぁぁっ!」という黄色い歓声が飛び交い、画面には投げ銭のエフェクトが滝のように流れていた。
「……勇者?」
オルフェウス様が、怪訝そうに眉をひそめる。
「ええ! 今、天界が猛プッシュしている大人気ゴッドチューバーにして、『契約勇者』のゼロス・ディバインですわ!」
リーザさんが、アイドルの専門家としての目で解説を始める。
「彼は、どこの国にも属さず、魔物が現れた場所に颯爽と現れては、華麗な魔法で魔物を倒して人々を救うんですの。その様子を配信して、莫大なPV(再生数)と投げ銭を稼ぎ出している、今一番勢いのあるインフルエンサーですわ!」
「へぇ、すごい人なんですね。……でも、どうしてそんな有名な方が、ルナミス帝国に?」
私が首を傾げると、フェイトさんが手元の新聞を指差した。
「ここ数日、ルナミス領の辺境で、野生の『ロックバイソン』の群れが凶暴化してるって噂があるんすよ。たぶん、その討伐(ネタ作り)のためにやってきたんだと思うっす」
「でも……俺のギャンブラーの勘が告げてるっすよ」
フェイトさんが、新聞に載っているゼロスの笑顔の写真を見て、チッと舌打ちをした。
「こいつの笑顔、なんか胡散臭いんすよね。……俺みたいに、裏でイカサマのサイコロを握りしめてるような、底知れねぇ『嘘つき』の匂いがするっすよ」
ゴッドチューブで大人気の、正義の勇者ゼロス・ディバイン。
画面の中の彼は、完璧な聖人君子のように振る舞い、人々に愛と勇気を語りかけていた。
しかし。
私はまだ知らなかった。
彼が語る『正義』も『悲劇』も、すべてはPVを稼ぐために仕組まれた、胸糞の悪い『やらせのシナリオ』に過ぎないということを。
そして、その偽りの勇者が、やがて大公邸と私の『本物の善意』を鼻で笑い、そして完膚なきまでに自滅していくことになるとは。
客室でいびきをかいて眠る『お忍びの主神』と、帝都を熱狂させる『やらせの勇者』。
二つの大きな厄介事が、限界OLの平穏な日常に、新たな嵐を巻き起こそうとしていたのである。
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