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婚約破棄されたので、辺境で善行通販をしたら冷酷な大公に溺愛されました~無能令嬢は、癒やしの力で国を動かす~  作者: 月神世一


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EP 8

月夜の片付けと、戦神の不器用なジェラシー

 ルナミス帝国の帝都、大公邸のプライベートガーデン。

 狂乱の極みであった極道神の『シマ荒らし(クレーム出前要求)』の宴は、深夜を迎えてようやく静寂を取り戻していた。

「……すー……すー……。姐さん……ツマミ、最高だぜぇ……むにゃ」

「むにゃ……俺のコイントスが……ピンゾロっす……」

 サウナによる究極のデトックスと、深夜の豚骨カップラーメンのカロリー爆弾を腹に収めたデュアダロス様とフェイトさんは、インフィニティチェアの上でだらしなく口を開け、完全に夢の世界へと旅立っていた。

 神の威厳も、A級冒険者の誇りも、そこには微塵もない。ただの「飲みすぎて寝落ちしたオッサンと若者」である。

 リンちゃんやリーザさん、そして騎士たちも、満腹とサウナの心地よい疲労で、芝生の上や仮設テントの中でスヤスヤと寝息を立てていた。

「ふふっ。皆様、よほどお腹が空いていらっしゃったのね」

 私は、散乱した空き缶やカップ麺の容器をゴミ袋にまとめながら、小さく微笑んだ。

 前世のブラック企業時代、会社の飲み会の後片付けは、いつも一番下っ端の私に押し付けられていた。

 誰も手伝ってくれず、終電の時間が迫る中、吐瀉物の処理や忘れ物のチェックをしながら「なんで私だけこんな目に」と泣きたくなったものだ。

 けれど今世では、同じ片付け作業でも、全く苦にならない。

 私が振る舞ったお酒とご飯で、みんながこれほどまでに無防備な顔で満たされて眠っている。その事実が、私の心を温かい充足感で満たしてくれていた。

「……こんな夜更けまで、メイドに任せずに自分で片付けをするのか。君は本当に働き者だな、アマネ」

 不意に、背後から低く落ち着いた声がした。

 振り返ると、漆黒の軍装に身を包んだオルフェウス様が立っていた。

 彼は静かに私の背後に歩み寄ると、手からふわりと広げた上質なウールのブランケットを、私の肩から優しく羽織らせてくれた。

「あ……ありがとうございます、オルフェウス様」

「夜風が冷たくなってきた。湯冷めして風邪でも引いたらどうする。……君が倒れれば、この屋敷の機能は完全に停止してしまうからな」

 少しだけ呆れたような口調だが、私を気遣ってくれるその手つきは、信じられないほど優しかった。

 オルフェウス様は、私の隣に並んで立ち、イビキをかいているデュアダロス様を見下ろした。

「……血の雨を降らせると豪語してきた邪神が、君の用意した『カップ麺』とやらで白目を剥いて昇天し、今やだらしなく寝こけている。古代大戦の英雄たちが知れば、卒倒するような光景だろうな」

「ふふっ。どんなに偉い神様でも、美味しいご飯の前では一人の人間……いえ、生き物と同じですわ。満腹になれば眠くなる、ただそれだけのことです」

 私がクスクスと笑うと、オルフェウス様の横顔が、ふっと険しい影を帯びた。

 彼は、ガーデンテーブルの上に残されていた空のジョッキを無言で見つめ、低く、押し殺すような声で呟いた。

「……すまなかったな、アマネ」

「えっ?」

「君を、あのような無頼漢の前に立たせてしまった。相手が神であろうと、本来であれば私が力でねじ伏せ、君に不快な思いなどさせるべきではなかったのだ」

 オルフェウス様の声には、彼自身の不甲斐なさを責めるような、深い悔恨が滲んでいた。

「私がもっと早く、力で奴を排除していれば……君があのように、見知らぬヤカラに酌をし、機嫌を取るような真似をしなくても済んだ。……私の力不足だ」

 彼はギリッと奥歯を噛み締め、手すりに置いた拳を強く握りしめた。

 どうやらオルフェウス様は、私がデュアダロス様を『接待』していた間、ずっとその重責を感じていたらしい。

 彼にとって、愛する妻をクレーマーの矢面に立たせることは、戦場で敗北するよりも屈辱的なことだったのだろう。

「オルフェウス様……」

 私は、彼の握りしめられた大きな拳を、私の両手でそっと包み込んだ。

「お顔を上げてくださいませ。私は、少しも不快な思いなどしておりませんわ」

 オルフェウス様が、ハッとして私を見下ろす。

「ですが、あいつは君の腕を引こうとし……あまつさえ、君を『姐さん』などと呼び、極道の妻のように扱ったのだぞ。私が止めなければ、君に触れていたかもしれない」

「それは、少しお酒が入りすぎてしまっただけですわ。それに……」

 私は、彼の真っ直ぐな紫の瞳を見つめ返し、限界OLとしての真面目な『仕事の哲学』を語り始めた。

「もし、オルフェウス様が力で彼をねじ伏せていたら、どうなっていたでしょう。天魔窟の神を斬れば、大きな怨恨が残り、今度こそ本当に魔物の大軍勢との戦争になっていたかもしれません」

「それは……」

「武力を使えば、必ず血が流れます。誰も傷つけず、血を流さずに問題を解決すること。それが、私が前世で学んだ『おもてなし(接待)』という戦い方なのですわ」

 私が微笑むと、オルフェウス様は少しだけ言葉に詰まった。

「……だからといって、君が矢面に立つ理由にはならない」

「いいえ、私が前に出られたのは、オルフェウス様がいたからですわ」

 私は、彼の手に自分の手をしっかりと重ね合わせ、心を込めて告げた。

「私がどんなにヤカラの前で強気な営業スマイルを作れたのも……私のすぐ後ろに、オルフェウス様がいてくれたからです。オルフェウス様の殺気が背中から伝わってきて、『この人は、何があっても絶対に私を守ってくれる』と確信していたからこそ、私は安心して、最前線(クレーム対応)に立つことができたのですのよ」

 ――ドクン。

 オルフェウス様の肩が、微かに跳ねたのが分かった。

「私が無事に接待を成功させられたのは、私の後ろに『帝国最強の戦神』という、世界で一番頼もしい盾があったからです。……だから、謝らないでくださいな。私は、オルフェウス様に守られながら、自分の得意な仕事ができて、とっても楽しかったですわ」

 私がニッコリと笑って締めくくると、オルフェウス様はしばらくの間、呆然としたように私を見つめていた。

 そして。

「……アマネ」

 グイッ!

 次の瞬間、私の体は、彼に強く腕を引かれ、その逞しい胸の中へとすっぽりと閉じ込められていた。

「きゃっ……オ、オルフェウス様!?」

「……君という女は、本当に……」

 オルフェウス様の低い、少し掠れたような声が、頭上から降ってくる。

 彼に抱きしめられるのは今日で二度目だが、今度の抱擁は、先ほどの広場での牽制とは全く違った。

 強く、痛いほどに背中を抱きしめられ、彼の顔が私の肩口に深く埋められる。

 軍服越しのトクトクという激しい心音が、私自身の心臓の音と重なり合って、どちらのものか分からないほど大きく鳴り響いていた。

「オ、オルフェウス様、皆が寝ていますわ……。もし起きたら……」

「起きない。あいつらは、サウナと君の飯で完全に気絶している。……今は、私と君だけだ」

 オルフェウス様の腕に、さらにグッと力がこもる。

「……君は、本当に狡い。そのような言葉を向けられて、私がどれほど理性を保つのに苦労しているか、君は分かっていないだろう」

「り、理性……?」

「そうだ。……私は、君が思っているような、寛大で出来た夫ではない。君が他の男に愛想笑いを向けるだけで、相手が神であろうと八つ裂きにしてやりたくなるほど、心が狭く、独占欲にまみれた醜い男だ」

 彼の告白に、私は息を呑んだ。

 いつも完璧で、冷徹で、帝国中の誰もが畏怖する戦神。

 その彼が、私の肩に顔を埋めながら、隠しきれないジェラシーと、どうしようもないほどの熱情を、まるで告解するように吐露している。

「本当は、君のその美しい笑顔も、誰かを癒やすその優しさも……すべて、私だけのものにしてしまいたい。誰の目にも触れないよう、深い寝室の奥に閉じ込めておきたい衝動に、何度も駆られているのだ」

「オ、オルフェウス様……」

「……怖いか?」

 彼が顔を上げ、至近距離で私を見つめ下ろした。

 紫の瞳には、炎のように揺らめく情熱と、私が拒絶することを恐れるような、わずかな不安が入り混じっていた。

「……怖くなんて、ありませんわ」

 私は、顔から火が出そうになるのを必死に堪えながら、ブランケット越しに彼の広い背中に腕を回した。

「……だって、オルフェウス様のその気持ちは、私をそれだけ大切に思ってくださっている証拠でしょう? 独り占めしたいと思っていただけるなんて……女性として、こんなに嬉しいことはありませんもの」

 私が消え入るような声で本音をこぼすと、オルフェウス様の瞳がハッと大きく見開かれた。

 そして。

「……アマネ」

 彼の大きな手が、私の顎をそっと持ち上げる。

 夜の冷たい風を遮るように、彼の顔がゆっくりと近づき……。

 重なる唇から、彼のものである微かな葉巻の香りと、大人の男性特有の熱が、私の内側へと甘く溶け込んでくる。

「んっ……ぁ……」

 先日の広場での軽いキスとは違う。

 もっと深く、切実で、私のすべてを奪い尽くすかのような、熱を帯びたくちづけ。

 私は彼の首に腕を絡め、完全に力が抜けそうになる足を、彼に支えられながら必死に立っていた。

 夜の静寂の中。

 いびきをかいて眠る極道神やダメ人間たちのすぐそばで。

 限界OLの私と、帝国最強の戦神は、誰にも邪魔されることなく、月明かりの下でひっそりと、甘く濃密な夜の慰労会イチャイチャを交わし続けていた。

 彼から注がれる重すぎるほどの愛情と、不器用な独占欲。

 それが、ブラック企業で搾取されてボロボロになっていた私の心を、地球のどんな癒やしグッズよりも完璧に、温かく満たしてくれていたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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