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婚約破棄されたので、辺境で善行通販をしたら冷酷な大公に溺愛されました~無能令嬢は、癒やしの力で国を動かす~  作者: 月神世一


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EP 8

「気づけば大公邸の女神になっていた」

 私がオルフェウス様の屋敷に身を寄せてから、数日が経過した。

 その間、私は相変わらず【善行ポイント通販】を活用して、屋敷の人々にちょっとした地球のアイテムを配り続けていた。

「アマネ様、おはようございます! 今日も素晴らしいお天気ですね!」

「おはよう、アンナ。あら、少し手が赤く荒れているわね。水仕事が続いたの?」

 朝の回廊ですれ違った若いメイドのアンナは、手元を隠すようにして恥ずかしそうに頷いた。

「はい……。大公閣下のお屋敷を常に清潔に保つのが私の誇りですから。でも、最近少し乾燥してしまって……」

 前世の私も、冬場にオフィスの給湯室で冷たい水を使って洗い物をさせられ、手がひび割れていた時期があった。あの頃、誰一人として私の荒れた手を気遣ってくれる人はいなかった。

 私は迷わず【善行ポイント通販】を開き、ポイントを使って地球の『高保湿・無香料ハンドクリーム(10pt)』を取り出した。

「これを水仕事の後に塗り込んでみて。すごくしっとりして、手荒れを防いでくれるから」

「こ、こんな貴重なお薬を、私のような下働きに……!?」

「いいのよ。あなたの頑張る手が、少しでも休まると嬉しいわ」

 私がアンナの手にクリームを少し出し、優しく馴染ませてあげると、彼女の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。

「アマネ様……っ、ありがとうございます……! 私、アマネ様のためなら、たとえ火の中水の中、命を懸けてお仕えいたします!」

「ふふ、命なんて懸けなくていいから、これからもよろしくね」

 アンナが何度も頭を下げて去っていくのを見送りながら、私は小さく息を吐いた。

 この屋敷の人たちは、本当に真っ直ぐだ。少しの親切に対して、何倍もの感謝と誠意を返してくれる。

 庭に出れば、訓練を終えたばかりの護衛騎士たちが、木陰で肩で息をしていた。

 私は通販で取り寄せた『スポーツ用・冷感湿布(15pt)』と『ミネラル補給スポーツドリンク(10pt)』の入ったボトルを持って、彼らに歩み寄った。

「皆様、お疲れ様です。少し冷たいお飲み物はいかがですか? あと、肩や腰の痛むところがあれば、この冷たい湿布を貼ると楽になりますよ」

「ア、アマネ様! わざわざ我々のようなむさ苦しい者のために……!」

 屈強な騎士たちが、まるで聖遺物でも受け取るかのように、震える両手でボトルと湿布を受け取っていく。

「うおおお……っ! この飲み物、乾いた体に染み渡る……!」

「こ、この湿布という布を肩に貼ると、氷魔法をかけられたようにスゥッと痛みが引いていくぞ……! なんという奇跡だ!」

 騎士の一人が、感極まったようにその場に膝をついた。

「アマネ様……! 貴女様は、殺伐とした我々の人生に舞い降りた女神です! 我ら大公邸騎士団、アマネ様に絶対の忠誠を誓います!」

「いやいや、女神だなんて大袈裟よ。皆さん、いつも屋敷を守ってくれてありがとうね」

 私が微笑むと、騎士たちは一斉に「おおおおっ!」と野太い歓声を上げ、ますます訓練に熱を入れ始めた。

 誰も蹴落としていない。特別な権力を使ったわけでもない。ただ、相手の頑張りを認めて、ほんの少しの癒やしを提供しただけだ。

 それなのに、私の【善行ポイント】はカンストしそうな勢いで貯まり続け、屋敷の中はかつてないほどの温かさと活気に満ち溢れていた。

「アマネお姉ちゃーん!」

 背後から元気な声が聞こえ、振り返ると、厨房から飛び出してきたリンが、私の腰に抱きついてきた。

 彼女の手には、焼き立てのクッキーが握られている。

「リン、また厨房でおやつをもらったの?」

「うんっ! ここのシェフのおじさん、すっごく優しいの!『リンちゃんが美味しそうに食べてくれると、作り甲斐がある』って!」

 天真爛漫なリンは、すでに屋敷のアイドルとしてすっかり馴染んでいた。

 彼女の屈託のない笑顔は、軍隊のような規律で縛られていた使用人たちの心を和ませる、最高のカンフル剤になっているらしい。

 私たちは本当の姉妹のように手をつなぎ、中庭のベンチに腰を下ろした。

「お姉ちゃん、ここ、すごくいい場所だね。みんなお姉ちゃんのこと大好きで、ニコニコしてる。前のバカ男のところとは大違い!」

「そうね……。本当に、夢みたい」

 前世では、誰かに必要とされるために身を削り、それでも「都合のいい道具」として捨てられた。

 でも今は、私が私らしく、誰かに優しくしているだけで、こんなにも温かい居場所をもらえている。

 リンが私の肩にコテンと頭を乗せてくる。その温もりを感じながら、私は静かにこの幸せを噛み締めた。

「――私の部下たちを、すっかり手懐けてしまったようだな」

 ふいに、頭上から穏やかな声が降ってきた。

 見上げると、黒い軍服を隙なく着こなしたオルフェウスが、深い紫の瞳を細めて私を見下ろしていた。

「あ、オルフェウス様。申し訳ありません、私が出しゃばりすぎたでしょうか……」

「とんでもない」

 オルフェウスは私の隣に腰を下ろし、まるで壊れ物を扱うかのような優しい手つきで、私の髪を撫でた。

「執事長から報告を受けている。メイドの手荒れは治り、騎士たちの疲労も劇的に回復しているそうだな。何より、皆の顔つきが全く違う。軍事施設さながらだったこの屋敷が、本来の『家』としての温かさを取り戻した。すべて、君のおかげだ」

「私は、地球……いえ、特別なところから取り寄せたお薬や飲み物をお渡ししただけです。皆様の本来の力が引き出されただけですよ」

「謙遜するな。君のその『純粋な思いやり』こそが、彼らの心を動かしているのだ。……私も、君に癒やされている人間の一人だからな」

 オルフェウスは微かに微笑み、私の手を取って、その甲にそっと唇を落とした。

 ちゅっ、という微かなリップ音と、彼の吐息の熱さに、私の顔が一気に火のように熱くなる。

「オ、オルフェウス様……っ」

「エギルは本当に愚かだ。これほど愛おしく、価値のある君を、己の手で手放すとは」

 彼の紫の瞳には、一切の打算のない、純粋な愛着と熱が込められていた。

 重すぎず、けれど確実に私を大切に想ってくれているのが伝わってくる、極上の甘さ。

 前世では絶対に知ることのなかった「特別に扱われる」という事実に、私の胸は甘く締め付けられた。

     *

【幕間:絶望の夜と崩壊の足音】

 大公邸が温かな空気に包まれていたその日の夜。

 ルナミス帝国軍、エギルの駐屯地の兵舎は、不気味な静けさと、重苦しい空気に支配されていた。

「……痛い……胃が、痛くて眠れない……」

「俺もだ……。靴擦れが化膿して、熱を持ってきた。明日の行軍なんて、とても無理だ……」

 暗闇の中、ベッドに横たわる兵士たちの口から、呻き声が漏れる。

 エギルの『二郎系超回復理論』による過酷な訓練と、豚神屋の超特盛りラーメンの強制給餌。

 これまでは、アマネが裏で配っていた地球の『胃腸薬』や『医療用絆創膏』、『栄養ドリンク』があったからこそ、なんとか耐えることができていた。

 しかし、アマネが追放されてから数日。備蓄されていた薬は底を尽き、彼らの肉体と精神はついに限界を迎えていた。

「もう……限界だ。アマネ様のあの甘い飴と、温かい言葉がないと……俺はもう、心が折れそうだ……」

「ああ……アマネ様……どうして少将は、あんなに優しくて素晴らしい方を追放してしまったんだ……」

 兵舎のあちこちで、アマネを求める悲痛な声が囁かれる。

 翌朝。

 訓練広場に集まった兵士たちの顔は、まるで死人のように青ざめ、まともに立つことすらできない者が続出していた。

「貴様ら! なんだその無様な姿は!」

 視察に現れたエギルが、信じられないものを見たという顔で怒鳴り声を上げた。

「昨夜も豚神屋のラーメンを食わせ、回復魔法をかけたはずだろう! 俺の完璧な理論になぜついてこられない! 気合いが足りない証拠だ、すぐに腕立て伏せを千回――」

「む、無理です……っ!」

 その時、一人の若い見習い兵士が、涙を流しながらエギルに抗議の声を上げた。

 かつて、駐屯地の裏手で嘔吐していたところを、アマネに助けられたあの少年だった。

「俺たちは……もう限界です! 俺たちがこれまで倒れずにやってこられたのは、少将の理論のおかげじゃない! アマネ様が、裏で俺たちに特別なお薬を渡し、励ましてくれていたからです!」

「な、なんだと……?」

 エギルは目を丸くした。

「アマネ様が追い出されてから、俺たちは胃の激痛と不眠でボロボロです! アマネ様のお薬と、あの優しい気遣いがなければ、俺たちはもう一日たりとも戦えません!」

「そうだ! アマネ様を返してくれ!」

「アマネ様がいなければ、訓練なんて無理だ!」

 次々と上がる兵士たちの反乱の声に、エギルは顔面を蒼白にさせた。

「ば、馬鹿な……。あの1馬力の無能女が、俺の部隊を裏で支えていただと……? そんなこと、あり得るわけがない!」

 自分の完璧な理論が、実は「無能」だと見下して捨てた女の【善行】によってのみ成立していたという残酷な真実。

 エギルは震える声で否定したが、兵士たちの冷ややかで絶望的な視線は、もはや彼を「有能な指揮官」としては見ていなかった。

 慢心と傲慢で築き上げられた砂上の楼閣が、今、完全に崩れ去ろうとしていた。

お読みいただきありがとうございます!


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