EP 2
インテリ極道神の襲来と、鳴り響く哀しき『腹の虫』
ルナミス帝国の帝都、大公邸のプライベートガーデン。
夜の帳が下り、庭園には魔法のランタンの柔らかい光が灯されていた。
しかし、その光に照らされた庭園の空気は、張り詰めた弓の弦のようにピリピリと緊張していた。
周囲を完全武装の精鋭騎士たちが何重にも取り囲み、大公であるオルフェウス様も、漆黒の軍装に身を包んで腰の魔剣に手を置いている。
無理もない。昨日の朝、『シマ(領地)に血の雨が降るぞ』という物騒な血文字(※正確には激辛のトマトチリソース)の矢文が打ち込まれたのだ。
指定された「明日の夜」である今、いつ伝説のダンジョン『天魔窟』から邪神の軍勢が押し寄せてきてもおかしくない状況である。
「アマネ、私の背後から絶対に離れるなよ。相手が何者であれ、空間の歪みを感知した瞬間に私が首を刎ねる」
「オ、オルフェウス様、どうか落ち着いてくださいませ。ですから、相手は軍勢などではありませんわ。ただの『出前を要求しているクレーマー』ですってば」
殺気立つオルフェウス様の背後で、私はメイド服風のドレスの上にフリルのエプロンをキュッと締め直し、トングを片手に【極上バーベキューセット】の炭火の加減を確認していた。
前世のブラック企業時代、怒鳴り込んでくる柄の悪い取引先を接待の席で丸め込むのは、私の得意分野の一つだった。
相手が怒っている時こそ、こちらが冷静に、そして完璧な『おもてなしの準備』をして待ち構えるのが、クレーム対応の絶対の鉄則なのだ。
「お嬢、マジでバーベキューなんかやってる場合じゃないっすよ! 俺のコイントスが『今日は死ぬほどヤバい奴が来る』って告げてるっす!」
「アイドルが血の雨を浴びたら、ファンシーなイメージが崩壊してしまいますわ! 私、みかん箱の中に隠れていますの!」
茂みの陰で、フェイトさんとリーザさんがガタガタと震えながら身を寄せ合っている。
その隣で、聖獣のリンちゃんだけが「お肉、まだ焼けないのー?」とのんきに炭火を見つめていた。
その時だった。
――ゾワァッ……!!!
庭園の中央。何もない虚空が、突如としてドス黒い紫色のオーラと共にグニャリと歪んだ。
「来たぞ! 全員、武器を構えろ!!」
オルフェウス様の号令と共に、騎士たちが一斉に槍を突き出す。
空間の裂け目から、コツン……と、磨き上げられた高級な革靴の足音が響いた。
次いで姿を現したのは、魔物の大群でも、恐ろしい異形の怪物でもなかった。
「……おうおう。随分と物騒な出迎えじゃねぇか。俺のシノギ(挨拶)を断るってのかい、大公さんよぉ」
そこに立っていたのは、人間の姿をした一人の男だった。
しかし、その放つ威圧感は異常だ。
地球のイタリア製『アルマーニ』の最高級スーツをだらしなく着崩し、開いた胸元からは、極彩色で描かれた見事な『登り龍の刺青』が覗いている。
オールバックに撫でつけられた髪と、切れ長の紫の瞳。その手には、魔法で生成された黒光りする『トカレフ(拳銃)』が握られ、指先でクルクルと器用に回されていた。
「ひぃぃっ!? ヤ、ヤクザですわ! 異世界なのに、完全に昭和のインテリヤクザですのぉぉっ!」
「嘘だろ!? なんであの手のプロがこの世界にいるんすか!」
茂みの中から、ダメ人間二名が悲鳴を上げる。
「貴様が手紙の主か。……天魔窟の邪神、デュアダロスだな」
オルフェウス様が、魔剣を半ば引き抜きながら低く唸った。
伝説の邪神。かつて女神ルチアナと世界を二分して争った、元・世界神。その圧倒的な神気と、ヤクザ映画に影響されすぎた物騒な出で立ちに、騎士たちは恐怖で後ずさった。
「御名答だ。……だがな、俺は今日、ケンカをしに来たわけじゃねぇ。ただ、テメェらが隠し持ってる『極上の酒とツマミ』を、俺のシマに上納してもらいに来ただけだ」
デュアダロスは、チャキッ!とトカレフのスライドを引き、その銃口をオルフェウス様へと向けた。
「いいか? さっさと俺の要求を呑まねぇと、この庭がテメェらの血で……」
邪神が不敵な笑みを浮かべ、極道映画の決め台詞を言い放とうとした、まさにその最高のクライマックスの瞬間だった。
――ギュルルルルルルルルルルゥゥゥゥッッ!!!!!
大公邸の静かな夜の庭園に。
雷鳴のような、地響きのような、しかし極めて情けなく、マヌケな爆音が響き渡った。
「「「「…………え?」」」」
オルフェウス様も、騎士たちも、フェイトさんもリーザさんも。
その場にいた全員の動きが、完全にフリーズした。
「い、今の音は……なんだ? どこかの魔獣の咆哮か!?」
騎士が慌てて周囲を見回す。
しかし、その音の震源地は、他でもない。
アルマーニのスーツを着こなしたインテリヤクザな邪神・デュアダロスの『お腹の辺り』であった。
「…………あっ」
トカレフを構えたままのデュアダロスの顔から、スゥッと血の気が引いていく。
不敵な笑みは完全に崩れ去り、紫の瞳が「やべぇ」というように泳ぎ始めた。
「…………」
「…………」
十秒ほどの、痛いような沈黙。
やがてデュアダロスは、プルプルと震える手でトカレフを下ろし、もう片方の手で自分のお腹をギュッと抱え込んだ。
「ち、ちくしょうぉぉぉっ!! ルチアナのバカ女どもめぇぇっ!!」
先ほどまでのドスの利いた声はどこへやら。
邪神デュアダロスは、スーツの膝を折って庭の芝生に崩れ落ち、涙目で天を仰いで絶叫し始めたのだ。
「あいつら、自分たちばっかりシャバで美味いポップコーン食って、甘い酒飲んでキャーキャー騒ぎやがってよぉ! 俺のシマ(天魔窟)の飯がどれだけマズいか知ってんのか!? 最近なんか、フレアのバカ鳥が育児で忙しいからって、俺への差し入れのコンビニ弁当とビールを完全にサボりやがるんだぞ!」
「あ、あの……邪神、様……?」
急なキャラ崩壊に、オルフェウス様が完全に置いてきぼりを食らっている。
「俺だってなぁ! 刑務所の中の冷たい泥水じゃなくて、キンキンに冷えた炭酸とか、塩気の効いたツマミとか食いてぇんだよ! 腹減った! 腹減りすぎて胃酸で内臓が溶けそうなんだよぉぉっ!」
デュアダロスは、芝生をバンバンと叩きながら、完全に『お腹が空きすぎて駄々をこねる子供(または酔っぱらいのオジサン)』と化して号泣し始めたのである。
恐怖の邪神の襲来。
……しかしその実態は、ただ単にワンオペ育児の女神からお弁当のデリバリーを忘れられ、極限の空腹状態に陥った挙句、ルチアナ様たちの宴会配信を見て限界を迎えた『哀しきクレーマー』だったのだ。
「オ、オルフェウス様。……私が言った通りでしょう?」
私は、ポカンとしている大公の背中をポンポンと叩き、エプロンのポケットからおしぼりを取り出した。
前世のブラック企業で、納品が遅れて会社に怒鳴り込んできた取引先の社長も、まさにこんな感じだった。
最初は「テメェの会社潰すぞ!」と凄んでいるが、話を聞いていくうちに「うちの嫁が最近冷たくてよぉ……」と泣き出すオジサンたち。
こういう相手に『武力(正論)』は一番の悪手だ。必要なのは、相手の怒り(空腹と承認欲求)を全て受け止め、極上の接待で胃袋を満たしてあげること。
「ア、アマネ……。君は、これが分かっていたのか?」
「ええ。限界OLの『クレーム解読スキル』を甘く見ないでくださいませ」
私はクスリと笑うと、騎士たちの制止を振り切り、芝生で泣きわめく極道神の目の前へと優雅に歩み出た。
「――デュアダロス様。この度は、私どもの『極上の酒とツマミ』に関心をお寄せいただき、誠にありがとうございます」
「……あ? なんだ嬢ちゃん。俺を笑いに来たのか……?」
デュアダロスが、涙目で私を睨みつける。
私は、一流の料亭の女将のような、完璧で隙のない『全肯定の営業スマイル』を浮かべ、彼に向かって深く、そして美しくお辞儀をした。
「とんでもございません。冷たいダンジョンで、お一人でずっと我慢されていらっしゃったのですね。大変お辛かったでしょう。……もう、大丈夫ですよ」
「……え?」
「お客様のお席は、すでに特等席をご用意しております。極限までお腹を空かせたデュアダロス様のために、今夜は私が、世界で一番美味しくて『悪魔的』な酒とツマミを、フルコースでお出しいたしますわ」
私が炭火の燃えるバーベキューコンロと、キンキンに冷やしたクーラーボックスを指し示すと、デュアダロスの紫の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれた。
「あ、アンタ……俺に、飯を食わせてくれるのか……?」
「もちろんです。大公邸は、お腹を空かせたお客様を無下にはいたしませんわ。さあ、まずは乾いた喉を潤していただきましょう」
私は振り返り、茂みに隠れていたポンコツ護衛に向かって声を張り上げた。
「フェイトさん! リーザさん! お客様のご案内です! グラスと冷たいおしぼりをお出しして!」
「へっ!? お、俺たちがヤクザの接待するんすか!?」
「ひぃぃっ! アイドルなのに、ホステス業務なんて聞いてませんのぉっ!」
文句を言いながらも、私の「今日のまかないは特上肉ですよ」という一言で、二人のクズは光の速度で準備を始めた。
インテリヤクザな邪神の、血の雨を降らせるはずだった襲撃。
しかしそれは、限界OLの完璧な『クレーマー対応』によって、大公邸の庭を貸し切った『極道神の貸し切り宴会』へと、強制的に路線変更されてしまったのである。
クーラーボックスの中には、私の【善行ポイント通販】で取り寄せた、地球の『最強のおつまみセット』が、今か今かとその出番を待っていた。
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