第八章 極道神のクレーマー接待と、限界OLの『さ・し・す・せ・そ』
血文字の脅迫状と、限界OLの『クレーマー解読』
ルナミス帝国の帝都、大公邸。
天界の限界オタク神たち(ルチアナ様とカグヤ様)が、スパチャの請求とリボ払いの現実に直面して泣きながら帰還してから数日後。
大公邸のプライベートガーデンには、小鳥のさえずりと共に、極めて平穏な朝の空気が流れていた。
「……はぁ。やっぱり、静かな朝のティータイムは最高ですわね」
私は、純白のガーデンテーブルに肘をつき、淹れたてのダージリンティーの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
前世のブラック企業時代、私の「朝」といえば、満員電車に押し込まれながらコンビニのオニギリを胃に流し込み、上司の機嫌を窺うだけの『戦場の始まり』でしかなかった。
しかし今世では、優しい日差しと、美味しいお茶、そして……。
「アマネ! この『ほっとけーき』っていうの、すっごくフワフワで甘くて美味しいね! 上に乗ってる黄色い四角いのが、トロッと溶けて最高!」
「ふふっ。それは『バター』よ、リンちゃん。メープルシロップもたっぷりかけてね」
私の向かいの席では、第六の聖獣・麒麟の化身体である金髪の少女、リンちゃんが、私が【善行ポイント通販】で取り寄せた地球のホットケーキミックスで作った朝食を、幸せそうに頬張っていた。
「(……クンクン。甘くて暴力的な炭水化物の匂いがしますわ!)」
「(お嬢たち、また美味そうなもんを隠れて食ってるっすね……。今日の朝飯のまかない、俺たちはパンの耳だったんすけど)」
茂みの陰から、大公邸のダメ人間コンビ(極貧地下アイドルのリーザさんと、ギャンブル中毒の護衛フェイトさん)が、涎を垂らしてこちらを覗き込んでいるが、それももはや大公邸の「いつもの風景(日常)」である。
誰にも手柄を奪われることなく、私の【善行】で作った美味しいご飯を、好きな人たちと囲む日々。
これ以上の幸せはない。そう思いながら、私が二杯目の紅茶を注ごうとした、その時だった。
――ヒュッ!!
突如、空気を切り裂くような鋭い風切り音が鳴り響いた。
ドスゥゥゥッッ!!!
「ひゃあっ!?」
私が持っていたティーポットのわずか数センチ横。
ガーデンテーブルの分厚い大理石の天板に、漆黒のオーラを纏った『黒い矢』が、深々と突き刺さったのである。
「な、なんすかこれ!? 敵襲っすか!?」
「ひぃぃっ! 私のアイドル生命が狙われましたの!?」
茂みに隠れていたフェイトさんとリーザさんが、悲鳴を上げて飛び出してきた。
「アマネ、危ない!」
リンちゃんが瞬時に立ち上がり、その小さな手にパチパチと黄金の雷を纏わせる。
しかし、それよりも早く。
「――チッ。どこの三下だ、我が邸宅にこんな玩具を撃ち込んだのは」
ズォォォォッ……!!
庭園の空気が、一瞬にして絶対零度に凍りついた。
いつの間にか私の目の前に立ち塞がっていたのは、腰の魔剣を引き抜き、凄まじい修羅の殺気を放つオルフェウス様だった。
彼は私の無事を確認するように一度だけ振り返ると、テーブルに突き刺さった黒い矢を、忌々しげに睨みつけた。
「オ、オルフェウス様。私なら大丈夫ですわ。それよりも、この矢……」
私が指差した矢の柄には、何やら薄汚れた羊皮紙がくくりつけられていた。
「手紙……いや、果たし状か」
オルフェウス様が魔剣の切っ先で羊皮紙を器用に外し、バサリと広げる。
その瞬間、周囲にいた護衛の騎士たちが一斉に顔を青ざめさせた。
「た、大公閣下! そ、その文字は……まさか、『血』で書かれているのでは!?」
騎士の一人が震える声で叫んだ。
確かに、羊皮紙にはドス黒い赤色の液体で、乱暴な筆致の文字が書き殴られている。見た目は完全に、ヤクザ映画の小道具に出てくるような『血文字の脅迫状』であった。
「……ほう。随分と古典的で、悪趣味な手紙だな」
オルフェウス様は鼻で笑い、その物騒な文面を低い声で読み上げ始めた。
『ルナミスのシマを仕切る大公へ。
最近、テメェらのところで随分と美味そうな「酒とツマミ」を隠し持って、イイ思いをしてるらしいな。
いいか、明日の夜までに、俺のところにその極上の酒とツマミを「上納」しろ。
もし渋るようなら、テメェらのシマに血の雨が降ることになるぜ。
――地の底、天魔窟を統べる者より』
読み終えた瞬間、騎士たちの間に絶望的な戦慄が走った。
「て、天魔窟だと!? あそこは、古代大戦の折に邪神が封じられたとされる伝説の死のダンジョンだぞ!」
「『シマに血の雨が降る』……間違いない、天魔窟の奥底で目覚めた未知の魔王か、邪神による宣戦布告だ! 大公閣下、直ちに全軍を……!」
「アマネお嬢! 逃げるっすよ! 血の雨なんか降ったら、俺のミスリルアーマーが錆びちまうっす!」
騎士たちもフェイトさんも、完全にパニックに陥っている。
オルフェウス様も、ギリッと奥歯を噛み締め、その紫の瞳に冷酷な光を宿した。
「……天魔窟の底の這いずり虫が、我が妻との朝の時間を邪魔しおって。よかろう、奴らが血の雨を望むなら、私が直接ダンジョンに出向き、最下層ごと消し炭にして――」
「お待ちください、オルフェウス様。皆様も、少し落ち着いてくださいな」
殺気立つ男たちの中心で。
私、限界OLアマネ(戦闘力1馬力)は、至って冷静な、むしろ少し呆れたようなため息をつきながら、オルフェウス様の手からその『血文字の脅迫状』をひったくった。
「アマネ? 触ってはダメだ、呪いがかかっているやもしれん」
「呪いなんてありませんわ。それに、これ……『血』じゃありませんもの」
私は、羊皮紙の赤い文字にスッと鼻を近づけた。
「……クンクン。間違いないですわ。これ、完全に『激辛のトマトチリソース』の匂いですの」
「「「……はい?」」」
オルフェウス様と騎士たちの動きが、ピタリと停止した。
「そ、ソースですって? なぜそのようなものが……?」
「おそらく、赤いインクか血の代わりにしようとして、手元にあったものを適当に使ったのでしょうね。舐めたらピリッとするはずですわ」
私は呆れ顔で羊皮紙をパタパタと振った。
「それに、この文章。……皆様は『宣戦布告』だとおっしゃいますが、私には全くそうは読めませんわ」
「どういうことだ、アマネ。シマ(領地)に血の雨が降ると脅しているのだぞ?」
「オルフェウス様。よく読んでくださいませ」
私は、前世のブラック企業で、理不尽な取引先や、モンスタークレーマーからの『脅迫めいたクレームメール』を何百通と処理してきた、カスタマーサポートの真髄を起動させた。
「『美味そうな酒とツマミを隠し持っているらしいな』……これはつまり、先日の神様たちの宴会の話を聞きつけて、ただ羨ましがっているだけです。『俺のところに上納しろ』……これは、要するに『俺のところにも出前を持ってこい』という要求」
「で、でりばりー……?」
「そして、『シマに血の雨が降るぞ』という物騒な脅し文句ですが……これは、クレーム対応の現場でよくある『誠意を見せないと、ネットに悪口を書き込んで炎上させるぞ』という、典型的な『構ってちゃんの拗ねた脅迫』に過ぎませんわ」
私は、指をパチンと鳴らして結論を告げた。
「つまり、この手紙の送り主は、魔王でも邪神でもありません。ただの『めちゃくちゃお腹を空かせていて、美味しいお酒とおつまみが食べたくてたまらない、タチの悪いクレーマーのオジサン』ですわ」
――シーン。
大公邸の庭園に、カラスの鳴き声すら聞こえそうな静寂が落ちた。
「お腹を空かせた……クレーマー……?」
オルフェウス様が、毒気を完全に抜かれたような顔でポカンと口を開けている。
「はい。文章の端々から、プライドは高いけれど、ものすごくお腹が鳴っている哀愁が漂ってきますわ。……こんな頭に血の上った空腹の相手に、軍隊を向けて武力で制圧しようとすれば、かえって火に油を注いで『クレーマーの意地』を刺激するだけですのよ」
私は、羊皮紙を綺麗に折りたたみながら、一流ホテルのコンシェルジュのような、完璧な『営業スマイル』を浮かべた。
「クレーム対応の基本は、相手の『本当の要求』を正確に満たしてあげることです。今回の要求は、暴力でも領地でもなく、ただ『美味い酒とツマミ』。……ならば、お安い御用ではありませんか」
「ア、アマネ……。君は、この得体の知れないヤカラを、もてなすつもりか?」
「もてなすのではありませんわ。『処理(接待)』するのです」
私は【善行ポイント通販】のウィンドウを脳内でチラリと確認した。
ポイントの残高は十分にある。地球の『極上のジャンクなおつまみ』と『キンキンに冷えたアルコール』。これらを使えば、どんなに柄の悪いオジサンだろうと、一撃で胃袋を掌握して黙らせることができる。
「オルフェウス様。軍隊の出動はキャンセルしてくださいませ。明日の夜は、大公邸の庭を広く空けて、バーベキューの準備をお願いいたしますわね」
「バーベキュー……? アマネ、君は一体何を……」
「クレーマーには、直接こちらから『最高のおもてなし』を叩きつけて、二度と文句が言えないようにして差し上げるのが、限界OLの流儀ですの」
私は、黒い矢をゴミ箱にポイッと捨てながら、自信満々に胸を張った。
天魔窟から送られてきた、ヤクザな邪神からの宣戦布告。
しかしそれは、戦闘力1馬力の限界OLにとって、ただの『少し柄の悪い取引先への接待ミッション』へと変換されてしまったのである。
明日の夜。大公邸に現れるであろう『極道神』を待ち受けているのは、血の雨などではなく、地球の悪魔的な『おつまみと酒』の暴力であることなど、今はまだ誰も知る由もなかった。
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