EP 8
限界OLのほろ酔い夜会と、帝国最強の不器用なジェラシー
ルナミス帝国の帝都、大公邸のダイニングルーム。
極上の『蒸気ホットアイマスク』で眼精疲労を全快させた二人の女神(ルチアナ様とカグヤ様)を主賓に迎えた夜の慰労会は、最高潮の盛り上がりを見せていた。
「いやぁ〜っ! やっぱり推し活の後の打ち上げは最高ね! アマネ、この『お酒』すっごく美味しいわ! 果実の甘みがギュッと詰まってて、ジュースみたいにゴクゴク飲めちゃう!」
「ええ! ルナミス帝国のワインは渋みが強くて苦手でしたけれど、これは甘くて、それでいて喉の奥がカッと熱くなる素晴らしいお酒ですの!」
顔をほんのりと赤く染めたルチアナ様とカグヤ様が、氷の入ったグラスをカチンと合わせて笑い合っている。
私が今日の女子会のために【善行ポイント通販】で取り寄せたのは、地球の【極上とろける白桃の果実酒(5pt)】である。
完熟した白桃の果肉がたっぷりと入ったとろみのあるリキュールで、炭酸水で割ると、その甘い香りとフルーティーな口当たりで、お酒であることを忘れてしまうほど飲みやすい『悪魔の果実酒』なのだ。
「ふふっ、お口に合って何よりですわ。でも、甘くて飲みやすい分、度数はそれなりにありますから、ご自分のペースでゆっくり飲んでくださいね」
私は、女神たちのグラスにトクトクと果実酒を注ぎ足しながら微笑んだ。
前世のブラック企業時代、大きなプロジェクトが終わった金曜日の夜、OLの先輩たちと一緒に居酒屋で『あらごし梅酒』や『ピーチサワー』を飲んで愚痴を言い合ったあの頃を思い出す。
「アマネも飲みなさいよ! ほら、カンパーイ!」
「そうですわ! 今日はアマネ様も、わたくしたちと一緒に羽を伸ばすべきですの!」
ルチアナ様とカグヤ様に勧められ、私も自分のグラスに口をつける。
シュワッとした炭酸と共に、白桃の濃厚な甘みと、アルコールの心地よい熱が胃袋へと落ちていく。
(……あぁ、美味しい。たまには、少しだけ酔ってもいいですわよね……)
このところ、厄介な視察団の接待や、大公邸のダメ人間たちの調教(お世話)で、気を張る日々が続いていた。
今日くらいは、限界OLの仮面を少しだけ外して、気の置けないオタク友達と一緒にリラックスしても罰は当たらないだろう。
そう思って杯を重ねるうちに、私の視界は少しずつ、ふわふわと心地よい霞に包まれ始めていた。
「それでね! 月人君のこのライブ映像の、間奏のターンの時の伏し目がちな表情! ここが最高に『雄』の顔をしてて尊いのよぉぉっ!」
「分かりますわ! いつもの笑顔とのギャップが、わたくしたちの情緒をメチャクチャにしてくれますの!」
すっかり出来上がった二人の女神が、エンジェルすまーとふぉんの画面を囲んでキャーキャーと黄色い悲鳴を上げている。
それをニコニコと眺めながら、私は自分の頬がポッポと熱くなっているのを感じていた。
(ふふ……推しのお話をしている女性の顔って、本当にキラキラしていて綺麗ですわね……)
私の頭は完全に『ほろ酔いモード』に突入し、口元がだらしなく緩んでいた。
ガチャリ。
その時、ダイニングルームの重厚な扉が開く音がした。
「……随分と、賑やかな夜会を開いているようだな」
低く、よく響く声。
軍議を終えて帰還した、大公オルフェウス様であった。
軍服の上に漆黒のマントを羽織ったその姿は、部屋に入ってきただけで空気をピリッと引き締めるような、圧倒的な戦神の覇気を纏っている。
「ひぃっ!? た、大公閣下のお戻りですわ!」
「す、すいません! 今すぐお開きにしますから、斬らないでぇっ!」
先ほどまで月人君の映像で盛り上がっていた女神たちが、オルフェウス様の姿を見るなり、ビクッと肩を跳ねさせてグラスを置いた。昼間の広場での『殺気』が、完全にトラウマになっているらしい。
しかし、オルフェウス様の視線は、女神たちには一切向けられていなかった。
彼の深い紫の瞳は、真っ直ぐに、テーブルの端でとろんとした目をしている私だけを捕らえていた。
「アマネ。……ずいぶんと飲んだようだな。顔が赤いぞ」
オルフェウス様が、大きな歩幅で私のそばへと歩み寄り、私の頬にそっと、少し冷たい大きな手を当てた。
「ぁ……オルフェウス様、おかえりなさいませ。軍議、お疲れ様でしたわ……」
私がへにゃりと笑って見上げると、オルフェウス様は「はぁ」と短く、しかしどこか甘いため息をついた。
「君は本当に無防備だな。……こんな得体の知れない者たちの前で、ここまで隙を見せるとは」
「得体の知れない者って失礼ね! 私たち、アマネのマブダチ(オタ友)よ!」
ルチアナ様が抗議するが、オルフェウス様はそれを完全に無視し、私の腰と膝裏にサッと腕を回した。
「きゃっ……!?」
フワリ。
次の瞬間、私の体は重力を失い、オルフェウス様の逞しい腕の中へと、いとも軽々と抱き上げられていた。
いわゆる『お姫様抱っこ』である。
「オ、オルフェウス様……? 私、歩けますわよ……?」
「ダメだ。足元がふらついている。……それに、君のこんな愛らしい酔顔を、これ以上他の連中に見せたくない」
オルフェウス様は、私の抗議を低い声でピシャリと封じ込めた。
そして、固まっている二人の女神に向かって、冷たい視線を投げかける。
「今日の茶会はこれまでだ。客室は用意させてある。……我が妻に寄り付くのは、明日以降にしておけ」
そう言い残し、オルフェウス様は私を抱き抱えたまま、ダイニングルームを颯爽と後にした。
「……(バタン)」
扉が閉まった後のダイニングルーム。
残されたルチアナ様とカグヤ様は、ポカンと口を開けたまま、静止していた。
そして、数秒後。
「(……ねえカグヤ。今のご主人の行動、見た……?)」
「(……ええ、ルチアナ。圧倒的な威圧感からの、妻に対する有無を言わさぬお姫様抱っこ。そして、独占欲丸出しのあの台詞……)」
「(……最高に、尊くない!?)」
「(てぇてぇですわぁぁぁっ!! 大公×アマネ、公式からの特大の供給ですのぉぉっ!!)」
限界オタク神たちの萌え(ドーパミン)のメーターが振り切れ、声を押し殺しながら悶絶のオタ芸を打ち始めたことなど、オルフェウス様の腕の中にいる私は知る由もなかった。
*
薄暗い廊下を、オルフェウス様の規則正しい足音が響く。
彼の胸に耳を当てていると、トクトクという力強い心音が聞こえ、果実酒のアルコールも相まって、私の意識はさらにふわふわと微睡の中へと沈んでいった。
(あぁ……オルフェウス様の匂い。なんだか、すごく安心しますわ……)
前世では、酔い潰れても自分でフラフラと終電に乗り、誰もいないアパートの冷たいベッドに倒れ込むだけだった。
誰かに大切に抱き抱えられ、寝室まで運んでもらえるということが、こんなにも幸せで、心が満たされることだなんて知らなかった。
ガチャリ。
大公専用の寝室の扉が開き、オルフェウス様は私を、天蓋付きのふかふかなベッドの上へと、壊れ物を扱うようにそっと下ろした。
そして、私の靴を脱がせ、首元まで優しくブランケットを掛けてくれる。
「……んん……」
私は半分夢の世界に足を踏み入れながら、心地よい温かさに身をよじった。
頭の中では、先ほどまでルチアナ様たちと熱く語り合っていた『推し活』の会話の残滓が、ほろ酔いの脳内でぐるぐると回っている。
「……んふふ。……月人君……」
「……ん?」
私が無意識にこぼしたその名前に、私の髪を撫でていたオルフェウス様の大きな手が、ピクリと止まった。
「……ライブの……あの、伏し目がちな顔……。とっても……尊いですわ……むにゃ」
私は、寝返りを打ちながら、完全に気の抜けた声で寝言を呟いた。
ルチアナ様たちが見せてくれたアイドル『朝倉月人』の映像が、夢の中にまで出てきていたのだ。
――シーン。
寝室に、少しだけ重い沈黙が落ちた。
アルコールで完全に理性のタガが外れ、夢の世界にいる私には、目の前にいる『帝国最強の戦神』が、今どのような表情をしているのか、全く分かっていなかった。
「……月人、か」
オルフェウス様の低い声が、夜の寝室に静かに響いた。
その声には、いつもの冷徹な響きはなく、どこかひどく拗ねたような、不機嫌な色が混じっている。
彼は、ベッドの端に腰を下ろすと、私の頬にかかった髪を、少しだけ乱暴に、しかし決して痛くないように指ですくい上げた。
「……よもや、私の腕の中で、他の男の名前を呼ぶとはな。……アマネ、君は本当に、私の心をかき乱すのが上手い」
オルフェウス様の指先が、私の熱を持った頬をゆっくりと撫でる。
その感触がくすぐったくて、私は「んぅ……」と小さく声を漏らした。
「……顔も見たことがない、異世界の『あいどる』という画面の向こうの男だ。斬り捨てることもできぬ幻影にまで嫉妬させられるとはな。……私は、自分が思っていた以上に、ひどく心が狭い男らしい」
自嘲するような、苦しげな吐息。
ルナミス帝国において皇帝に次ぐ権力を持ち、戦場では万の軍勢をたった一人で殲滅する『戦神』。
そんなすべてを持つ完璧な男が、私が寝言で呟いた「異世界のアイドルの名前」に、本気で嫉妬し、一人で勝手に傷ついているのだ。
「……アマネ」
オルフェウス様の顔が近づき、彼の温かい息が私の耳元をかすめた。
「君の瞳に映るのは、私だけでいいのに」
――ッ。
チュッ、と。
私の額に、ひどく優しく、そして切実な願いが込められたようなキスが落ちた。
「……ゆっくり休め。愛しているよ」
オルフェウス様は最後に私の頭をポンポンと撫でると、寝室の明かりを少し落とし、足音を忍ばせて部屋から出て行った。
バタン。
扉が静かに閉まる音が、寝室に響いた。
「…………」
「…………」
静寂。
そして。
「――っっっっっっ!!!!!!」
バサァッ!!
私は、ブランケットを頭から被り、ベッドの上で凄まじい勢いで身悶えを始めた。
(き、聞いちゃった!! 全部、聞いちゃいましたわぁぁぁっ!!)
実は、ベッドに下ろされたあたりから、私の意識はアルコールの微睡から抜け出し、かなりハッキリと覚醒していたのだ。
しかし、あまりにも甘い雰囲気に目を開けるタイミングを完全に失い、結果として『寝たふり』を続行してしまっていたのである。
(な、なななな、なんですか今の破壊力は!! オルフェウス様……画面の向こうのアイドルにまで、本気で嫉妬して……っ!?)
普段はあんなに余裕たっぷりで、私をからかうようなことばかり言う大人の男性が。
私の見ていないところで、あんなにも不器用で、子供のように独占欲を丸出しにした本音をこぼすなんて。
(『君の瞳に映るのは、私だけでいいのに』……って! あぁぁっ、もう!!)
私は、真っ赤になった顔を枕に押し付け、バタバタと足をバタつかせた。
心臓が、肋骨を突き破りそうなほどの早鐘を打っている。顔の熱が、果実酒のせいなのか、それともあの甘すぎる言葉のせいなのか、もう自分でも全く分からない。
前世で恋愛経験すらほとんどなく、ただ搾取されるだけだった限界OLの私には、帝国最強の男から向けられるこの『特大の矢印(重すぎる愛情)』は、刺激が強すぎるのだ。
(だ、ダメですわ……。明日、どんな顔をしてオルフェウス様に会えばいいの……っ!)
私はブランケットの中で丸まりながら、完全にノックアウトされた自分の胸を押さえた。
異世界の最高権力者たちを【善行ポイント通販】で手玉に取ってきた私だったが。
愛する夫の『不器用すぎる本音』という名の最強の攻撃の前には、一切の抵抗もできず、完全に白旗を揚げることしかできなかったのである。
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