EP 7
限界オタクの眼精疲労と、地球の『蒸気ホットアイマスク』
ルナミス帝国の帝都、大公邸の庭園。
推し活の過酷さとお財布事情(リボ払い)について語り合い、大いに泣いて絆を深めた二人の女神、ルチアナ様とカグヤ様。
極上のスキンケアでお肌の潤いは完璧に取り戻した彼女たちだったが、その表情にはまだ、隠しきれない『疲労の影』が色濃く残っていた。
「……はぁ。心はスッキリしたけど、やっぱり目がショボショボするわ。最近、月人君の過去のライブ映像をエンジェルすまーとふぉんで徹夜で見返してたから、視界がかすんで……」
ルチアナ様が、指の腹で目頭をギュッと押さえながら呟いた。
「分かりますわ。わたくしも、暗い部屋で画面に張り付いてスパチャのタイミングを計っていたせいで、目の奥がズーンと重くて……。それに、下を向いて画面ばかり見ているから、首から肩にかけての筋肉がガチガチに固まっていますの」
カグヤ様も、美しい首筋をトントンと叩きながら、重いため息をこぼした。
神様であっても、ブルーライトの暴力と、長時間のスマホ操作による『眼精疲労』および『ストレートネック(スマホ首)』からは逃れられないらしい。
前世のブラック企業時代、一日中パソコンのモニターと睨めっこをしてエクセルの数字を追っていた私にとって、その苦しみは痛いほどよく理解できた。
(目の疲れは、全身の疲労と自律神経の乱れに直結しますわ。……限界OLにとって、眼精疲労のケアは翌日のパフォーマンスを左右する死活問題ですのよ!)
私は、首をコキコキと鳴らしている女神たちに向かって、優しく微笑みかけた。
「お二人とも。推しの尊いお姿を目に焼き付けるのは素晴らしいことですが、目を酷使しすぎては、いざという時に推しの輝きを100パーセントの視力で受け止められなくなってしまいますよ」
「うっ……! そ、それは困るわ! 月人君のウインクの瞬間を見逃すなんて、オタクにとって死にも等しい大罪よ!」
「そうですわ! わたくしのこの目は、月人君の尊さを網膜に焼き付けるための専用レンズ……! 霞むなんて許されませんの!」
二人の女神が慌てて瞬きを繰り返している。
私は「ふふっ」と笑い、脳内で【善行ポイント通販】のウィンドウを開いた。
過酷な労働環境(と推し活)を生き抜く現代の地球人たちが生み出した、究極の『リラックス&眼精疲労回復アイテム』。
私が空間から実体化させたのは、地球のドラッグストアで圧倒的な人気を誇る【極上アロマ・蒸気ホットアイマスク(ラベンダー&ゆずの香り・大容量パック・10pt)】と、疲れた脳に糖分を補給するための【有名パティシエの特製マカロン&生チョコレート詰め合わせ(10pt)】である。
「さあ、お二人とも。まずは疲れた脳に、極上の甘いものを補給いたしましょう」
私がテーブルの中央に、宝石箱のようなマカロンと生チョコレートの箱を開けると、その場にいた全員の目がキラキラと輝いた。
「な、何これ!? まるで宝石みたいにカラフルで可愛いお菓子……!」
「アマネ、これ食べていいの!? ピンク色のやつ、すっごくいい匂いがする!」
ルチアナ様とリンちゃんが、身を乗り出して歓声を上げる。
「ええ。これは『マカロン』というお菓子です。外はサクッと、中はしっとりとした生地の間に、濃厚なクリームが挟んであるのですわ。隣の四角いものは『生チョコレート』。口に入れた瞬間、雪のように溶けてなくなりますよ」
「い、いただきますわ!」
カグヤ様が優雅に(しかし凄まじい速度で)生チョコレートを口に運んだ。
「――ッ!! なんですのこれぇぇっ!? 噛む前に、舌の上でカカオの濃厚な香りと共にトロけましたわ! 甘すぎず、それでいて脳髄に直接響くような極上の糖分……っ!」
「んんん〜〜っ! このマカロン、サクッとした後にフワァって溶けて、木苺の甘酸っぱいクリームが口いっぱいに広がるわ! 天界のどんな果実より美味しい!」
疲労困憊のオタク神たちの脳に、地球の最高級スイーツの糖分がダイレクトに染み渡っていく。
「お嬢! 俺にもその生チョコってやつを寄越すっす! ギャンブルで疲れた脳には糖分が一番……うぉぉぉっ! 溶ける! 溶けるっす!!」
「マカロンのピスタチオ味、最高ですわ! これなら地下アイドルの物販で一個金貨一枚で売れますの!」
フェイトさんとリーザさんもちゃっかりとテーブルに群がり、口の周りをチョコだらけにしながら貪り食っている。
「ふふっ、甘いもので心と脳が満たされたら、次はいよいよ本命の『眼精疲労ケア』ですわ」
私は、箱から一つずつ、個包装された『蒸気ホットアイマスク』を取り出した。
「アマネ、この薄っぺらい布は何かしら? 目隠し?」
ルチアナ様が不思議そうにアイマスクを指差す。
「これは、ただの布ではありませんわ。袋から取り出した瞬間、空気に反応して『約四十度の心地よい蒸気』を発生させる、魔法のアイマスクなのです」
私が袋をピリッと破って中身を取り出すと、すぐにアイマスクがじんわりと温かくなり始め、同時にリラックス効果抜群の『ラベンダー』の香りがフワァッと漂い出した。
「わっ! 本当に温かくなってきた! しかも、すっごくいい匂い!」
「さあ、お二人とも。ガーデンチェアに深く腰掛けて、背もたれに頭を預けてください。そして、これを両耳に掛けて、目を閉じるのです」
私は、少し戸惑っているルチアナ様とカグヤ様の目に、温かくなったホットアイマスクを装着してあげた。
「……あ」
装着した瞬間。
ルチアナ様の口から、声にならないような、深い、深い吐息が漏れた。
「こ、これ……なんなの……。じんわりとした温かい蒸気が、目の周りを優しく……ううん、ものすごく優しく包み込んで……っ。目の奥の、凝り固まっていた筋肉が、お湯の中で解けていくみたい……っ」
「……あぁぁぁ……。ラベンダーの香りが……鼻腔を抜けて、脳の芯まで直接マッサージしてくれているようですわ……。交感神経が……わたくしの張り詰めていた自律神経が、強制的に『おやすみモード』に切り替えられていきますの……っ」
二人の女神は、ガーデンチェアにだらんと手足を投げ出し、完全に『骨抜き』の状態になっていた。
約四十度という、人間が最もリラックスできる絶妙な温度設定。そして、目元を温かく包み込む微小な蒸気。それは、徹夜でブルーライトを浴び続けた限界オタクの視神経にとって、まさに『合法的な極上の麻薬』に他ならない。
「お嬢、俺も! 俺もやりたいっす! 毎晩コイントスの裏表を凝視しすぎて、ドライアイがヤバいんすよ!」
「私にも! 私にもその『ゆずの香り』のやつをお願いしますわ! 小銭を数えすぎて目が霞んでますの!」
ダメ人間二名も、猛烈な勢いでアイマスクを要求してきた。
「はいはい、順番ですよ」
私はフェイトさんとリーザさんにもアイマスクを装着してあげた。
「……ッッ!! 昇天するぅぅっ……! 俺の、俺の視神経が極楽浄土に旅立っていくっす……」
「んぁぁぁ……っ。温かい……。お母さんの羊水の中にいるみたいに、安心しますわ……」
フェイトさんは口を半開きにして完全に意識を飛ばし、リーザさんは芋ジャージのまま胎児のように丸まって、幸せそうに身悶えしている。
大公邸の美しい中庭。
真っ白なガーデンテーブルを囲み、絶世の女神たちとアイドル、そしてA級冒険者が、全員で『白い使い捨ての目隠し(ホットアイマスク)』を装着し、だらしなく椅子に寄りかかって「あぁぁ……」とオッサンのような呻き声を上げている。
あまりにもシュールでカオスな光景だが、彼らの周囲には間違いなく、世界で一番平和で弛緩した『究極の癒やしオーラ』が漂っていた。
「……あの、アマネ様」
その時、背後から控えめな声がした。
振り返ると、大公邸のメイド長であるアンナさんと、数名の若いメイドたちが、少し離れたところから羨ましそうにこちらを見つめていた。
「アンタたち、お屋敷のお掃除が終わったのね。お疲れ様」
「はい。……あの、アマネ様。その、皆様がお顔に乗せている温かそうで良い匂いのする布は、一体……? とても、気持ちよさそうに昇天されておりますが……」
メイド長が、ゴクリと喉を鳴らして尋ねてきた。
大公邸のメイドたちは、広大な敷地の清掃や、私たちのお世話で毎日忙しく働いている。彼女たちもまた、立派な『限界労働者』なのだ。
私は前世のブラック企業時代、いつも差し入れをくれたり、一緒に給湯室で愚痴を言い合ったりしていた清掃のおばちゃんたちのことを思い出した。職場の環境を支えてくれる裏方の人たちを大切にしない企業に、未来はないのだ。
「メイド長、皆様も今日はお仕事はここまでにして、少し休憩しませんか? オルフェウス様は軍議で夜まで戻られませんし、たまには息抜きも必要ですわ」
「えっ、しかし、大公邸のメイドたるもの、白昼堂々お休みをいただくなど……」
「これは、大公邸の『福利厚生』です。雇用主(妻)の命令として、リラックスを命じますわ」
私が完璧な営業スマイルでウインクすると、メイドたちはパァッと顔を輝かせた。
「わあぁっ! アマネ様、ありがとうございます!」
「一生ついていきます、アマネ様!」
私は追加で大量のホットアイマスクを【善行ポイント通販】から実体化させ、メイドたちに配って回った。
数分後。
大公邸の庭園の芝生の上には、神々、冒険者、アイドル、そして数十名のメイドたちが、全員でホットアイマスクを装着し、仰向けにゴロンと寝転がって「はぁぁぁ……」「溶けるぅぅ……」と極楽の吐息を漏らすという、異様な、しかしとてつもなくハッピーな集団リラックス空間が完成していた。
「アマネ〜。なんだかみんな、静かになっちゃったね」
一人だけアイマスクをつけず(聖獣の目は疲れないらしい)、マカロンを全種類食べ尽くしたリンちゃんが、とことこと歩いてきて私の膝の上にコテンと頭を乗せた。
「ふふっ。みんな、毎日一生懸命頑張っているから、少しおやすみしているのよ」
私は、芝生に座りながら、膝の上で目を閉じたリンちゃんの金糸のような髪を優しく撫でた。
柔らかな西日が、大公邸の庭をオレンジ色に染め始めている。
ポカポカとした陽気と、ラベンダーやゆずの優しい香り。そして、私の周囲でスヤスヤと眠る、愛すべきポンコツたち。
(……前世では、自分が癒やされることなんて一日もなかったけれど)
こうして、地球の便利なアイテムを使って、周りの人たちが幸せそうに笑い、安らぐ姿を見ていると、不思議と私自身の心の中の『何か』も、温かく満たされていくのを感じた。
誰かを癒やすことは、自分自身を癒やすことでもあるのだ。
「……んぁ。すっごく、深く眠っちゃってたわ……」
二十分ほどが経ち、アイマスクの蒸気が収まった頃。
ルチアナ様が、アイマスクを外しながらゆっくりと身を起こした。
「わたくしもですわ……。たった二十分なのに、丸二日ほど熟睡したかのような、圧倒的なスッキリ感……! 目の前が、高画質の魔法映像(8K)になったみたいにクリアですの!」
カグヤ様も、パチパチと瞬きをしながら感動の声を上げている。
「お二人とも、お目覚めですか? お目元のクマもすっかり消えて、お肌もツヤツヤですわよ」
「アマネ……! あんた、本当に最高よ! この『ほっとあいますく』があれば、三徹で月人君の配信を見ても無傷でいられるわ!」
「根本的な解決になっていませんが、お気に召していただけて何よりですわ」
私は苦笑いしながら、起き上がってきたメイドたちにも温かいお茶のおかわりを配った。
「さて、お二人とも。日も傾いてきましたし、そろそろダイニングへ移動いたしましょうか。……今日は、お二人のオタ活の慰労会です。私がとっておきの『甘い果実酒』とお夕食をご用意いたしましたわ」
「果実酒!? 飲む! 絶対に飲むわ!!」
「ええ、今日はアマネ様と、推し活の深いお話を夜通し語り合いたいですわ!」
すっかり体力を全回復させた二人の女神が、嬉しそうに私の手を取る。
フェイトさんもリーザさんも「酒だ! 飯だ!」と飛び起き、メイドたちも笑顔で夕食の準備を手伝い始めてくれた。
大公邸の穏やかで温かい夕暮れ。
しかし、この夜の『果実酒』が、後ほど帰還するオルフェウス様の『不器用すぎる独占欲』に火をつけることになるとは、この時の私はまだ、知る由もなかったのである。
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